5.屋上
「ふぁあ……、ねむ」
学校の屋上で、青空に向かってカザミは呟いた。
今日は朝から授業をサボっている。授業をサボるのはこれが初めてではないし、屋上にいれば教師に見つからないことも知っている。
今朝は、とにかく寝不足だった。原因は父と「預言の乙女」について話したことだと思う。おかげで寝る頃になって過去のことが次々と脳裏に浮かんできた。
過去というより、母と言ったほうが正確か。
カザミは風に揺れる前髪を押さえる。なぜか生まれたときから一部だけ白い前髪。中学生のころまでは大部分を占める黒い地毛になじむように黒く染め、高校に入ってからは髪色を自由にしていいため、好きな色に染めていた。最近は周りには白に染めたと言っておいて、地毛のまま放置している。
「やっぱり染めておくべきだったな」
ピンクとか、金色とか。
この白い髪を見ると母のことを思い出す。
あれは今から三年前、中学二年生の頃だった。普段と同じように、半分寝ながら授業を受けていたときのこと。名前と顔がかろうじて一致する、接点が全くない教師がカザミに事を呼びに来た。何事かと思ってついて行くとその先には父がいて、ますます頭が混乱してるうちに父にタクシーに乗せられた。行き先は、父がここに来る途中にすでに運転手に告げていたのだろう、二人が乗り込むと運転手は何も言わずに車を発進させた。
着いた先は病院だった。その瞬間、背中を嫌な汗が伝ったのを今でも覚えている。なぜ、病院だと父は言わなかったのか。おそらく言えなかったのだろう。
久しぶりに会った母は最後に会った時より、やつれていた。黒かった髪は真っ白になっていた。それでも彼女の表情は意外にも安らかだった。あんな表情を見たのは久しぶりだったように思う。そんな母を目の前にしてカザミは何も言わないまま、ただじっと立っていた。泣くこともない、別に涙をこらえているわけでもない。何を考えればよいのかもわからなかった。こういう時、どういう風に振舞えばいいのか、困惑していた。
父もカザミと同じようにしばらくその場で無言のまま立っていた。カザミと違ったのは、父は拳をわなわなと震わせていた。
だが、突然糸が切れたかのように床に膝と肘をつき、背中を丸め声を挙げながら泣き始めた。その姿はただ泣いているようにも、母に対して何か謝っているかのようにも見えた。
そして母の葬儀を終え、父は書斎にこもりがちになった。職業柄以前からあまり部屋から出てこないこともあったけれど、よりこもるようになったし、お風呂に入らない日もあったようだ。またひどい時には、頭はボサボサ、ひげは伸びっぱなし、目の下には誰が見ても不健康だというであろうはっきりとしたクマができていた。
さすがに何かがおかしいと思い、問いただすと、母が書いていた小説の続きを一気に書き上げたと言ったのだ。
そ して、母が存命中に出した「預言の乙女」の第一巻発売から半年後に第二巻が発売となったわけである。
そう、カザミの母が「預言の乙女」の最初の作者、つまり一代目谷津語シオリ。父は彼女のもう一つの名を継いだに過ぎない。
まさか、父が続きを書こうとするとは思わなかったけれど。ライトノベルも読まないタイプの人間だし、良くかけたなあと勝手に感心したものだ。
ただ、現在は全く話が思いつかないみたいだけれど。
それもそのはず。
第二巻は母が生前に創作ノートと命名したノートに記していた内容を参考に書き上げたものだからである。つまり父はその内容を今までに培ってきた文章力で上手くまとめ上げたに過ぎない。料理に例えれば、すでに材料は用意されており、調理と盛り付けの工程をこなすだけで良かったのだ。しかし続きを書くとなれば、材料から用意せねばらない。つまり父はそこで躓いてしまったのである。
「別に無理して続きを書く必要なんてないと思うんだけど」
「預言の乙女」の読者は残念に思うだろうが、しかし作者死亡では致し方ないし、昭ももつくだろう。
しかし、昨日の会話から父は続きを書くことをまだあきらめていないようだった。一体何が父をそうさせるのだろう。作家としてのプライド、とか?
カザミはふと我に返り、スマホで現在の時刻を確認する。一限目の終わりまであと五分。そろそろ校内に戻った方がいいだろう。まだ眠気は完全に冷めきっていないが、二限目までサボるというのもなんだか罪悪感を覚える。そこまで自分は不良ではないと思いたいのかもしれない。
フェンスに預けていた背中を正し、出入り口へ向かおうと一歩踏み出そうとしたときだった。突然足元が白く光り始め、黒い魔法陣のようなものが現れた。二重の円で形成されており、円と円の間に文字だか、記号のようなものが羅列されている。
――まずい。
本能的にそう思ったが、踏み出した足は行く手を何かに阻まれた。
手で自分の周囲を探ってみると、どうやら外側の円に沿って見えない壁が張り巡らされているらしい。手を沿わせそのまま360度回転して確かめたので、間違いないだろう。
つまり、円の中に閉じ込められたというわけだ。
助けを呼ばなければ。
そう思い、スマホでハナへの連絡を試みる、学校内で唯一授業中に電話をかけても、許してくれそうな間柄の相手である。電話に出てくれるかは別問題だが。しかし、やってみなければわかるまい。
カザミはアプリからハナのスマホに電話をかけようとする。
しかし、自分が思っている以上に焦っていたのか、それともほかに何か理由あったのかわからないが、スマホがカザミの手から滑り落ちた。
そして、屋上のタイルで一回跳ねたスマホは魔法陣の外に出てしまう。
スマートホンは円の外に出ることができたという事実に驚愕し、そして手の届かのところまで滑って行ってしまったことに絶望する。
足元から伸びる白い光はいつの間にか、カザミの背丈を超えるまでになっていた。あまりの眩しさに、まぶたを閉じ、その上から腕で覆う。
一体これからどうなってしまうのかという不安と恐怖で、動けなくなる。まあ、仮に動けたとしても、魔法陣の外には出られないわけだが。
……。
どれほど、その場にじっとしていただろうか。
風がカザミの頬を撫でる。ひんやりとしたその感触がなんだか心地よい。
しかしそこで違和感を覚える。先ほどまで太陽の下で吹いていた風は生暖かったはずなのに、と。
屋上のポカポカと暖かい陽気。白い光につつまれ背中にうっすらと汗をかくほどの暑さ。これらは一体どこへ行ったのかと思うほど、今はひんやりとした空気が流れている。
カザミはおそるおそる腕をどけて、目を開いた。
「え?」
そう思わず声を出してしまう。
目の前に広がるのは青空ではなく闇だった。
埃っぽい空気に、足元はタイルではなく土のよう。靴裏でこする度にジャリジャリと音を立てる。
明らかに学校の屋上ではないどこか。必死に目を凝らすと天井のようなものも見える。つまりは屋内。
一体カザミの身に何が起こったというのだろう。
何がどうなれば、学校の屋上から得体の知れぬ薄暗い場所へと移動するのか。こちらは一歩も動いていないというのに。
とりあえず出口を探そう。
そう思いながら、足を一歩踏み出す。
よかった今度は、見えない壁に阻まれることはないようだ。
目も段々と暗闇に慣れ、あたりの様子が視認できるようになってきた。
広い空間に、等間隔で直方体の箱が置かれている。大きさは人が一人横たわって入ることができるほど。触れてみると、ひんやりとしている。木ではなく、石でできているようだ。そして、この箱の横にはそれぞれに足の長い燭台が置かれていた。ろうそくは置いてあるものの、灯がともっているものは一本もない。
出口を探しながら歩いていると、脚で何かを蹴った。一体何を蹴ってしまったのかと、かがんで確認してみる。
これは白い棒……、いや骨だ。おそらく人骨か。つまりここは地下墓地?
「ひぃ!」
急に気味が悪くなり、カザミはあたりを見回しながら歩きながら、出口を探す。すると部屋の端の方に上へと続く階段が伸びていた。
カザミは駆け足でその階段を昇り、古びた扉を開く。ギギギときしむ音がした。
今度は扉の先の様子に言葉を失う。
二階の位置にある丸窓から月明かりが差し込み、目の前に並んでいる長椅子を照らしている。長椅子はこちらに向かって縦二列、横は七列くらい並んでいる。カザミは椅子の向いている方向、つまりは斜め後ろへ振り向く。
すると、そこには三メートルほどある女性像が立っていた。頭に植物でてきた冠、そして身には布を流すようにまとう姿が彫られた石像だ。
「誰だろう?」
知っている人物ではない。ただ雰囲気からしてこの像を祀られているように見える。
しかし、場所と時まで移動してしまうとは。まさか立ったまま気絶していたわけでもあるまいし。
カザミは墓地なのか何なのかよくわからない場所から外に出た。