表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/48

1.プロローグ

 歩道に立つ私の頭上では鳥が三羽、円を描くように飛んでいる。


 右に立つ男は、仕事をサボってここに来た。

 左に立つ女は息子の面倒を娘に押し付けてここに来た。

 真後ろのスリはいい獲物がいないかと目を光らしている。

 私はそんなことはどうでもいいことばかりを知っている。


 右を向けば人だかり。

 左を向いても人だかり。

 向かいの歩道にも人だかり。


 車道を挟む歩道には溢れんばかりの人が集まっていた。

 おかげで通りを行き交う人は、車道に降りて歩かなければいけなくなっている。

 全く、一体何のための歩道なんだか。


 ちなみに通りに面した店の扉には、『閉店』を意味するプレートが掛けられている。

 集まった人々により、店の入り口をふさがれたのが原因か。

 だとすれば、営業妨害も甚だしい。


 それとも店主は、最初からこの日は一日休むと決めていたかもしれない。

 自分もこの人だかりの一員となるために……。


 などと至極どうでもいいことを考えてしまう。

 先程からどうでもいいことばかりだ。

 しかしこういったものはちょうどいいのだ。


 暇つぶしに?

 いや、逃避をするのに。


 人だかりの一員としてしばらくその場で待っていると、二つの人影がゆっくりと通りを歩いてくるのが見える。

 石畳と金属が擦れる音を響かせながら、少しずつ人影が大きくなっていく。


 一人は兵士。

 鎖を手綱のように持っている。


 もう一人は女。

 両手と両足に枷を嵌められ、兵士が持つ鎖につながれている。


 彼女の名は、イザベラ・クロワ。

 クロワ伯爵家の令嬢である。


 しかし、この彼女の姿を見て、誰が彼女を貴族の令嬢だと思うだろうか。


 首のあたりで乱雑に切られた、淡い灰色の髪。

 伸びた前髪の間から、サファイアブルーの瞳が見え隠れしている。

 埃と土で汚れた肌には、無数の傷が刻まれていた。

 身にまとう衣はまるでボロ布のよう。


 艶やかな長い髪に、常に手入れの行き届いた、きめ細やかな肌。

 そして身にまとうのは、繊細な刺繍の施された色鮮やかなドレス。

 これが本来の彼女の姿だというのに。


 私の左隣の女が道端に落ちている小石を拾ったかと思うと、それをイザベラに向かって投げた。

 石はイザベラのこめかみに当たって、どこかへと転がっていく。

 石が頭に当たったというのに、イザベラは歩みを止めることも、こちらを見ることもなかった。

 何事もなかったかのように、まるで私たちなど存在しないかのように、私たちの目の前をゆっくりと通り過ぎていく。

 そんなイザベラの姿をみて、隣の女はつまらなさそうに舌打ちをした。


 私は、通りを後にして広場へと向かう。

 イザベラはゆっくりと車道を歩いているし、裏道を小走りに通れば十分間に合うだろう。道順はしっかりと覚えている。


 迷うことなく広場に到着すると、そこには通りにいた以上の人が集まっていた。

 当然のことだ、こちらがメイン会場なのだから。

 普段は露店の呼び込みの声が響き渡り、子供たちが楽しそうに声を挙げながら足り回っていそうな場所。

 しかし、今回は全く異なる理由でにぎわっている。


 私は人だかりへと飛び込み、先頭を目指す。舌打ちの音や、悪態をつく声が聞こえてきたが、そんなもの私には関係ない。


 人々の合間を縫うようにして、先頭へ出ると、目の前には木製の大きな台が鎮座していた。大きさだけで言えば、大の大人が十人ほど乗れそうな台である。

 しかし、今は恰幅の良い男が一人、台の上に立っていた。

 男は咳払いをした後、懐から巻かれた紙を取り出し、それを広げる。


 ついに始まる、そう気がついた観衆たちの視線が男に注がれた。先ほどまで騒がしかった広場が静まり返る。

 男は咳払いをもう一つしてから、紙に書かれている内容を読み上げた。


「国家への反逆行為により、イザベラ・クロワを斬首刑に処する」


 男の低い声が、広場中に響き渡り、一呼吸おいて、人々から歓声が上がった。

 そう、歓声で間違いない。


 この場に集まった人の中で、イザベラの死を悲しむ者、もしくはイザベラの犯した罪に憤るものはどれほどいるのだろう。

 下手したら一人としていないのではないか、と思ってしまう。

 彼らはきっと、自分より裕福で、おいしい物を食べて、何不自由なく暮らしていた人間が、罰せられるのが嬉しいのだと、そう思ってしまう。


 なぜか。


 それは、隣に立つ男が、目を血走らせながら、唾を吐いて、絶対に子供には聞かせられない言葉ばかり発しているから。

 さらには、ようやく処刑台の上に現れたイザベラに対し、同じような言葉が、あらゆる方向から次々と飛んでいくから。


 そんな観衆とは対照的に、イザベラは枷を外される間も、髪をぞんざいに掴まれて首を固定される間も静かだった。

 暴れたり、喚いたりすることもなく。ただただ、大人しくしていた。


 今、彼女は何を考えているのだろう。


 己の罪を悔いている?

 それとも、目の前の人間たちの滑稽さをあざ笑っている?

 いやもしかしたら、間もなく訪れる死への恐怖で、何も考えられない状態かもしれない。


 私にはわからない。

 彼女のことなど一つも……。


 いつの間にか、イザベラの隣に目出し帽を被った屈強な男が立っていた。その両手には大斧が握られている。

 そう、処刑人だ。


 彼はゆっくり斧を上げて、そして重力に逆らうことなく、斧を振り下ろす。


 ああ……。

 私が視線を逸らそうとしたとき。

 斧の刃がイザベラの首に触れる直前、一瞬のことだった。

 しかしそれを私は見逃さなかった。


 彼女が笑ったのだ。こちらに向かって。

 嘲笑ではない。そこに負の感情は一切込められていないように感じた。

 まるで陽だまりのような笑顔。

 何かの悪い冗談なのか。

 そんな考えが私の頭の中をよぎる……。


 ボタリ、ボタリと赤い滴が処刑台の上に落ちて行く。

 処刑人が首をかかげ、観衆たちは一番の熱狂ぶりを見せた。


 この場から逃げるような思いで私は目を閉じる。

 しかしまぶたの裏に、死の直前、そして直後のイザベラの顔が交互に写る。


 彼女と視線が合った。

 笑顔を向けられた。


 全ては私の思い込み。そうであってくれと、心の底から願う。


 一体、私はどうすれば良いのだ。どうすれば良かったのだ。

 そのことばかりが頭の中を巡っている。


 もう何もかもがわからない。


 自分のことも、イザベラのことも。

 考えても、考えても、わからない。


……疲れてしまった。

 できることなど、何もないではないか。


 だからこそ願わずにはいられない。


 もう解放してほしい、と。


 私を許しほしい。

 これ以上は耐えられないから……。

 どうか、どうか……。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ