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作者: 仁科悠三

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 中村公英は10時過ぎに信州のローカル線M駅に到着した。駅の外へ出て駅前で待っているはずの迎えの車を探す。すぐに「吉川園」と文字が書かれた白い軽トラックが停まっているのを発見する。公英が確認するまでもなくその軽トラから女性が降りて来た。

 その女性は軽トラの前に立って「中村さん?」と尋ねて来た。公英は大きく頷く。女性は「ようこそ。吉川です。よろしくね」と続ける。公英が小さな声で「よろしくお願いします」というそばから公英の荷物を奪い、軽トラの荷台に乗せると助手席に乗るよう促し、すぐに軽トラは吉川園目指して出発した。

 女性の名前は吉川孝子。年齢は45歳になる。今も住んでいる長野県A市の生まれで、26歳の時にリンゴ農家の高校の同級生だった純一と結婚した。純一の両親は純一が結婚する前に二人とも亡くなっていたので、結婚と同時に農作業は純一と孝子の二人で担い続けてきた。しかし6年前に純一がくも膜下出血で急逝した。二人の間に子供はいない。孝子はリンゴ農家を一人で続けて行くのは無理、と判断して一時廃業を考えた。しかし近隣の同業者の協力もあって、面積を減らしてリンゴ農家を続けている。近所の今年75歳になる坂下順三は孝子の「師匠」ともいうべき存在で、自らのリンゴ園は息子に任せ、もっぱら孝子のリンゴ園の面倒を見ることに力を注いでいる。地域の口の悪い連中の中には「順三は若い後家さんに入れ込んでる」という者もいるが、坂下は気にするものではない。そもそも孝子は自分の息子の親友だった純一の嫁さんである。孝子にとっては受粉や袋掛けそれに収穫を手伝ってくれるありがたい存在である。ただ、一時期に作業が集中する秋の収穫の時期にはそれでも人手が足りず、更に応援が必要になる。最初の1、2年は農協の世話で、近隣の若者にアルバイトをお願いしていたが、ある時、市役所で見かけた社会福祉協議会(社協)が行っている「信州リンゴ収穫プログラム」を知り、興味を持った。

「信州リンゴ収穫プログラム」は社会福祉協議会が扱っている様々な問題を抱えた人、例えば、不登校、引きこもり、肉親との死別や離婚などの打撃からなかなか立ち直れない人、ウツなどの心の問題を抱えた人々に青空の下でひたすら信州リンゴの収穫を心を無にして体験してもらってそれを機に今の状況から抜け出し、社会参加復帰を促そうというプログラムである。期間は3日以上7日以内で参加者が決める。孝子自身夫に死なれ、一時は何をする気力もなかった時に師匠のもと、頭を空っぽにして農作業に励んだことで、喪失感を克服できたという体験があることもそのプログラムへの強い興味を持ち、5年前に受け入れを決断した理由である。プログラム参加者は全国の社協と連携し日本全国からやって来る。「吉川園」にはこれまで一番遠かったところでは長崎から失恋からなかなか立ち直れない若い女性が働きに来たことがある。このプログラム参加者を孝子は親しみを込めて密かに『応援さん』と呼んでいる。このプログラム、もちろん働き手には定められた日当が支払われるし、農園には社協から若干ながら「受入れ協力金」と言う名目の補助金も交付される。



 孝子と公英を乗せた軽トラは10分ほどで「リンゴ農家・吉川園」に到着した。このあたりのリンゴ農家の敷地は広い。居住用のスペースのほかに建屋内に駐車場、それも一台分あれば十分ということはない。そのほかに農機具置場、さらに収穫したリンゴを一時的に保存しておくスペースも必要である。

 孝子は軽トラを駐車場に入れると早速家の中を案内する。公英は荷台から荷物を下ろすと孝子の後について家の中に入る。孝子はまず2階へと上がり、今日から1週間公英が滞在する部屋となる2階の客間へと案内する。広々とした8畳間で余計なものは何もなく壁際に今夜から公英が使う寝具が畳んで置いてあるだけである。部屋に荷物を置かせ、2階にもあるトイレの場所を教えると1回に降り、洗面所、浴室、食事の場所、リビング等ざっと一階中を案内して回る。孝子の居室も一階である。

 それが終わるとリビングに戻って二人のお茶の時間となる。お茶受けは地元のお菓子である。収穫したばかりのリンゴも出される。滞在中の一日のスケジュールなどを大まかに説明する。孝子は『応援さん』のプロフィールは事前に社協から送られてきた資料でだいたい承知しているが、相手が嫌がらない範囲で自分の口から話してもらう。公英の反応は鈍く、口は重い。予想通りだ。話したくなさそうだと見れば、深追いせず話題を変える。現在に至るまでの自分のことも相手の反応を見ながら話し、最初のミーティングは20~30分くらいにとどめる。カウンセリングが目的ではなく働いてもらうことが本来の目的なのだ。

 時計を見ると11時を回っている。孝子は公英に作業用の服装に着替えるように促し、「吉川園」とネームが入った帽子と作業用上着を貸し与える。ズボンは自分で持参したジーンズをはいてもらう。

「それじゃ早速うちのリンゴ園に行きましょうか」と再び軽トラに公英を乗せて1キロほど離れたリンゴ園まで連れて行く。リンゴ園では坂下が脚立に上って一人収穫作業の真最中で、孝子と公英を見ると「おう、助っ人到着だな」と声を掛けてくる。孝子は公英に「この人がさっき話した家の畑を手伝ってもらっている坂下さん」と紹介し、坂下に対しては「今日から一週間手伝ってくれる中村さん」と伝えた上で、「あたしはこれから家に戻ってお昼を作って、と言ってもいつもおにぎりだけど持ってくるので、作業のやり方は坂下さんから聞いて下さいね」と言い置いて再び軽トラに乗って去る。何とも忙しい人だと公英は思う。

「あんちゃん、いくつだ?」と坂下が聞いてくる。

「21です」と公英が答えると坂下は「若いね、結構結構」とうなずく。

「低いところのリンゴは立ったままでも獲れるが上の方の実は脚立に上って収穫する。最初は脚立を使わない方がいいだろう、じゃあ、まず収穫に適したリンゴの見分け方からだな」と坂下は収穫すべきリンゴの見分け方を説明し、枝からのもぎ方を実演して見せる。「やってみな」と言われて公英は教えてもらった通りひねってもごうとするがうまくいかない。枝が揺れるばかりである。坂下にもう一度手本を見せてもらってチャレンジすると今度はうまくいった。リンゴをひねる方向が違っていたようだ。もいだリンゴはバケツに入れる、リンゴに傷がつかないように注意して入れていく。片手でバケツを持ち、もう片方の手でリンゴをもいでいく。バケツがいっぱいになったら。バケツを地面に置き、次の空バケツを取って収穫作業を続ける。ここまで教えたところで坂下は公英に収穫する木を指示し、自分の作業に戻る。

 孝子が置いて行ってくれたペットボトルのお茶を口にしながら、公英がバケツ10個ほどをリンゴで満たし、そろそろ腕が痛くなってきた頃に孝子が戻って来た。

「遅くなってごめんなさい、お腹空いたでしょう。お昼にしましょうね」と積んできた折り畳みのテーブルを広げ、握って来たおにぎりと卵焼きと野沢菜の漬物の昼食を並べる。坂下は入口の近くにある水道で手を洗うと、空のバケツをひっくり返していす代りにする。公英もそれに倣う。「いただきます」と言って3人でおにぎりに取りかかる。具は鮭と梅干しと高菜だ。食べながら孝子は公英に「どう?疲れた?腕が痛くなってない?」といたわりの言葉をかける。公英は「いえ、大丈夫です」と言葉少なに答える。

(くたくたになるまで作業をした方がいいのよ)と孝子は心の中で公英に言葉をかける。



 中村公英は千葉市に住む21歳の青年である。高校1年生の時いじめに遭ったことがきっかけとなり不登校になった。学校はいじめた生徒を遠ざけ、教育委員会、地域の社会福祉協議会にも相談したが公英の不登校は続き、両親はやむなく通信制の高校に転校させた。何とか形の上では高校卒の資格を取ったものの、高校を卒業しても公英の引きこもりの生活は変わらなかった。両親は大学に行くことや就職することも勧めてみたが公英は首を縦に振らず21歳の今を迎えてしまっていた。

 そういう閉塞した状況の中で地域の社協から紹介された「信州リンゴ収穫プログラム」であった。人の少ない田舎へ行って、ただひたすらリンゴを収穫するという身体を使う作業をするというプログラムに両親は期待した。何も考えずに親元を離れて身体を動かして欲しい、それが何かいい結果につながるのではないか。もう一つ期待したのはリンゴが公英の大好物だったからである。自分の好きな果物の収穫体験をする、これで何とか受けて欲しい、そう思った。果たしてこのプログラムに行かないかと息子に切り出した時、何でも一応は拒否する駄々っ子のように反射的に「行かない!」という答えが返ってきたが、諄々と説得して「じゃあ、行ってみる」という返答を引き出した時、両親は(ヤッター)と心の中で快哉を叫んだものだ。しかし、行くとなればなったで5年以上引きこもっている息子である。現地まで一人で行けるかという問題もある。「現地までついて行こうか?」と切り出すと「いらないよ。子どもじゃないんだから」という答えが返ってきた。親としては嬉しいようなやっぱり心配なような複雑な気持ちになったものである。

 公英としても実は心の中では一人でたどり着けるか大いに不安だったのである。しかし口には出せないが(このままではいけない)と思っているのは親と同じだった。少しでもチャンスがあれば飛びつきたい、そんな心境になっていたところにこのプログラムが持ち込まれた。機は熟していたと言っていいかもしれない。公英は清水の舞台から飛び降りる心境で参加を決めたのであった。



 収穫されたリンゴの入ったバケツはブルーシートが敷かれた広いスペースに集められ、大きさでざっと選別される。分けられたリンゴはリンゴ箱に移される。空いたバケツは再び収穫作業に使われる。リンゴ箱は軽トラにのせられるが、ひと箱で結構な重さになる。軽トラへの積み込みは坂下がいる時には手伝ってくれる時もあるが、大方孝子ひとりで行う。公英は最初の日にこのリンゴ箱を持ち上げてみたことがあるが、若い男の力でもこれを軽トラに積み込むのはあまりの重さに難儀した。

 収穫されたリンゴは軽トラで家に運ぶ。屋内の保管スペースで一晩過ごし、翌日、朝の競りにあわせて農協に軽トラで運ばれる。収穫が多い時には何往復もする時もある。朝が忙しすぎるので孝子は農協への搬送を大きなトラックを使っている外部へ頼もうかどうか検討しているところである。

 晩秋のこの収穫時期、陽が落ちるのが早いので、4時には作業を終了する。軽トラで公英と共に自宅に帰ってくると孝子は今日の収穫量をチェック、記録する。明日の天気を確認し、明日の作業の予定を確認する。小雨なら収穫を継続する事が多い。大雨でも台風が迫っていたりしてリンゴの落下が予想される場合は可能な限り収穫を急ぐ。

 その後孝子は夕食の支度にとりかかる。自分一人の時は夕飯も簡単に済ませてしまうが、プログラムで人を受け入れている時はそうはいかない。ちゃんとした夕食を用意しなければならない。そこで7種類くらいの夕食の献立をあらかじめ決めておき、淡々とそれに沿って準備する。下ごしらえの済んだ食材が冷蔵庫で出番を待っている。時にはレトルトのお世話になることもあるが、そのままでは出さず、少し手を加え、手抜き感を隠すようにしている。一方でお風呂の準備も整えなければならない。

『応援さん』にはこの間、割り当てられた二階の自室で体を休めてもらう。慣れない肉体労働から解放され、本人にとってもホッとできる貴重な時間のはずだ。風呂が沸くと孝子は二階に声を掛け、『応援さん』に入ってもらう。ある30代の女性の『応援さん』を受け入れた時には孝子の夕方の忙しさを見るに見かねて風呂の準備を買って出てくれた人がいた。最もそこまで気が回る『応援さん』ならこのプログラムは必要ないのではないかと思ったものだ。

 風呂から上がると夕食の時間になる。アルコールはなし、という決まりである。夕食は孝子と差し向かいになるが、気まずい雰囲気にならないように孝子は食事の邪魔にならない程度に話しかける。最初の二日くらいはしゃべりやすいように収穫作業そのものを話題の中心にし、感想を聞くことが多い。その後は少しづつ本人の抱えている問題などについて嫌がられない程度に話題を振っていく。

 夕食後はお茶を飲みながら雑談をする。雑談をするかしないか、どのくらいの時間するかは全て『応援さん』次第である。さっさと自室に引き上げたがる『応援さん』にはそうさせる。無理やり引き止めることはしない。食事の片付けを終え、孝子が入浴するのはたいてい9時過ぎである。

 標準的な収穫作業時期の一日の日課は、朝は7時から収穫作業が始まるので、『応援さん』は6時には起きなければならない。孝子は6時前に起きて朝食の支度を整え、6時半に朝食の時間となる。朝食はご飯と決まっている。昼食のおにぎり用のご飯も一緒に朝に炊く。朝食が済むと『応援さん』をリンゴ園に送り出す。自分は軽トラで昨日収穫したリンゴ箱に入ったリンゴを農協の競り場に運搬する。農協まで片道10分ほどだが、何往復もすると、終わると8時近くになっていることもある。それが終わると収穫作業に合流する。そして収穫作業は、午前の休憩、昼休み、午後の休憩をはさみながら夕方まで続く。昼休みの前には一旦家に戻って昼食を作って戻ってくる必要もある。と孝子は休む暇もない。

 こうして収穫時期の日課が繰り返される。『応援さん』も初日、2日目は腕が痛くなるが3日目以降は慣れて、淡々と作業をこなすことが出来る様になる。希望があれば無理のない範囲で脚立を使っての高い枝からの収穫もさせてもらえるようにもなり、気持ちに余裕も出てくる。何も考えずに一心不乱に体を動かして働くことの爽快さを実感するようになるのもこの頃からだ。自分は今までなんてちっぽけなことで悩んでいたのだろう、と思うようになれは、このプログラムは成功したと言える。

 孝子は『応援さん』に対し、あまりべたべたと世話を焼くことはしない。『応援さん』の自主性に任せている。世話をしようと思ってもそんな時間が無いのだ。農作業と家事で手一杯である。勢い必要最小限度の言葉かけで放っておく。良く言えば自主性に任せる。『応援さん』からすると丸一日収穫作業に取り組み体をくたくたになるまで追い込んでいるから余計なことは考えないし、しゃべる余裕もない。起きて食べて、収穫して風呂に入って寝るだけの毎日である。テレビすら見たいとも思わない。そういうシンプルな生活が心に鬱屈を抱えた人間を立ち直らせていくのかもしれない。

 プログラムの終了が迫ってくると『応援さん』のほとんどは「もう終わりですか、もう少しいたかったなあ」と言ってくる。孝子は「また来て下さいね」と言うことにしている。体を動かし汗をかくことの気持良さと、自分が必要とされている、人の役に立っているという実感が何ともうれしいのだ。このプログラムを体験して自宅に戻った『応援さん』から「おかげさまで今後の生き方に前向きになりました。ありがとうございました」という礼状をもらうことも少なくないが、孝子にとってもなんともうれしい瞬間である。『応援さん』が積極的に生きて行ってくれるのを祈るばかりである。



 『応援さん』がプログラムを終え、明日は自分の家に戻るという夜、孝子が決まって『応援さん』に提案することがある。それは『応援さん』と一緒に入浴するということだ。同性とだけではない。男でも女でも、年齢も関係なく一緒に入浴しましょうと持ち掛ける。女性同士でも他人と一緒に風呂に入るというだけで、びっくりされる。たいていは「エッ」と言ったきりポカーンとしてしばらく言葉が出ない。温泉旅館やスーパー銭湯のような多くの人間がいる大浴場の環境での入浴ではない。自宅の風呂に一対一、二人だけである。当然、例外なく「とんでもない、結構です」と断ってくる。ましてや異性となら考えられないことである。「この数日、収穫作業をお手伝い頂き大変感謝しています。お疲れでしょうから最後にゆっくりお背中を流させてください。せめてもの感謝の気持です。それだけのことです」と、感謝の気持から自然にさせてもらうことに過ぎない、深い意味はない、と孝子は説得する。しまいにはほとんどの『応援さん』が何とかOKしてくれる。でも最後まで首を縦に振らなかった『応援さん』がこれまでに何名かいた。

無理もない、そもそも他人の目に己の裸を曝すのは誰だってイヤである。こんな突飛な提案、100パーセントの人に受け入れてもらえるとはもともと孝子も思っていない。

 了解を得て一緒に入浴する時は先に『応援さん』に入ってもらい、孝子は2、3分ほど遅れて「失礼します」と声を掛けながら浴室に入る。孝子も一糸まとわぬ姿である。孝子が入って行くとみんな恥ずかしさからか、背中を見せるか下腹部を、女性は胸もそれとなく隠す。堂々と前を曝す人はいない。自分の裸を孝子に見られるのは恥ずかしい。孝子の裸を見るのも恥ずかしい、のである。みんな恥ずかしさで緊張しているのが手に取るようにわかる。それはそうだろう、孝子だっていまだに浴室に入って行く瞬間は心臓バクバクだ。

「背中を流してくれる」のだから、流す側の孝子は最低限の着衣をまとって入って来ると考える『応援さん』は少なからずいる。しかしこれは孝子にとって自分の身体は洗わないものの、「入浴」に変わりないのだから全裸であるのは当たり前である。

 孝子は自分の身体にお湯をかけてざっと流すと「じゃあ、洗わせてくださいね。せっかくだから背中だけでなく全身を洗わせていただきますね」と言って、まず『応援さん』に腰かけにかけてもらい、自分は相手の身長に合わせて立ったり、しゃがんだりしながらボディソープを取り、『応援さん』の首筋から肩、背中、脇腹、胸、腋の下そして腕の順で手ぬぐいでゆっくりと優しく洗う。使うのはタオルではない。昔ながらの伝統的な手ぬぐいである。

 上半身が終わると『応援さん』を立たせ、孝子はしゃがんで膝をつき、腰、お腹、お尻、下腹部、股間、両脚、足の指、足の裏と下半身を順番に洗っていく。股間を洗う時は、『応援さん』が隠しがちになる手を優しく退け、脚を少し開いてもらって他と同様やさしく洗う。時に『応援さん』の股間が孝子の目の前に位置することもあるが、孝子は気にせず淡々と洗っていく。

『応援さん』は身体を洗ってもらう時、股間や乳房など性的な身体部分に孝子の手が触れると一瞬ビクッとする。しかし孝子に身体全体を優しく洗ってもらっていると幼い頃に母親から体を洗ってもらっているような気分になり、おとなしく身を任せてくれる。これは若い人でも年配者でも同じだ。

『応援さん』の身体を洗っている時、孝子は気まずくならないように出来るだけ話しかけるようにしている。収穫作業で、きつかった事、楽しかったことなど相手が答えやすいことを尋ねる。『応援さん』はここ数日の労働の成果を語ってくれる。そのようなたわいもない雑談を交わすことで、この浴室での雰囲気の健康さを保ち、過度にエロチックな状況に陥らないようにしている。あくまでも本来の趣旨は「お背中をお流ししましょう」ということなのである。

 浴室の中では孝子はいささかも自分の身体を隠すようなことはしない。孝子の胸や下腹部が『応援さん』の眼前に正面から曝される場合もあるが、孝子は一向に気にしない。相手が自分を見ようが見まいが気にせず自分の仕事をするだけである。普通、『応援さん』側は体を洗ってもらっている間、緊張と羞恥、それにあまり孝子の身体をジロジロ見てはいけないという自制心から孝子とまとも向き合うことを遠慮して、視線をあらぬ方向に向けたり、孝子の身体をわざと見ないようにしがちである。孝子から言わせるとそれは無用の気遣いである。孝子自身は自分が未だ女盛りと思っているし、身体に自信がないわけでもない。人に見せられる程度には身体の手入れは怠っていないつもりだ。

 この浴室での『応援さん』とのコミュニケーションを孝子は「健康エロティシズム交流」と呼んでいる。この「行事」には通常15分ほど時間をかける。話が弾めばもう少し長引く。そうなればしめたものだ。数日前に初めて会った他人の男女同士(または女同士)が素っ裸で、でも健康的に談笑しているなんて最高、と孝子は思っている。「健康エロティシズム交流」万歳である。洗い終わると孝子は浴室から退散し、『応援さん』一人にしてあげる。『応援さん』は孝子との刺激的な時間を反芻しながらゆっくりと湯船に浸かって興奮を鎮めてから上がる。孝子は寝る前にあらためてゆっくりと入浴する。

 5年前から『応援さん』を受け入れているこのプログラムの中で、浴室でのこのような『応援さん』との間のコミュニケーションは3年前から始めたものである。外部に聞こえたら問題にされることかも知れない。さんざん迷った末のことである。しかし孝子ももう40代の半ば、50の声を聞くのもそう遠い話ではない。おいおい身体にも自信がなくなって来る。浴室でのコミュニケーションも40代のうち、せいぜいここ、2、3年かな、と思っている。



 孝子は帰宅の日の来た公英を軽トラで何日か前に到着した駅まで列車の時間に合わせて送って行く。ほとんどの『応援さん』はここに到着した時とは表情が一変している。公英の引きこもりもいい方向に行くことを願うばかりだ。

 前夜の浴室での交流はこの『応援さん』にとってどのような思い出となるだろうか。いい思い出にしてこの体験が今後の生き方にいい影響を与えて欲しいと思う。

 特に若い男の子には「性的」な経験・自信となってもらいたいものだと孝子は思う。おそらく公英は女性経験はないであろう。しかし本当の性体験ではないにしてもあの体験は公英にとって相手が母親くらいの年頃であっても、間違いなく生身の女性との「性的な状況初体験」と言っていいインパクトを与えたものだったはずだ。(あなたは一人前の男として自信を持っていいのよ。胸を張りなさい、公英君)と孝子は心の中で公英に呼びかける。「男は性的に自信を持つと生き方にも自信が生まれ、余裕が出てくるものだ」とは何かの本で読んだのだったか、亡き夫が言っていたのか今となっては定かではないが、妙に説得力のある言葉として孝子の頭に残っている。女性だって同じではないかと思う。女性同士の裸の体験というのもなかなか得難い体験ではある。若いとか年配だとか身体に自信があるとかないとか自分の方が肌がきれいとかいう話ではない。こういう体験をしたということが、その女性の心境にいい影響を与えるはずだ、と孝子は思っている。そういう何か吹っ切れた表情の『応援さん』を送り出すこのひと時が孝子にとっての無上の喜びとなっている。

 駅前に軽トラを停める。孝子と公英は車から降り、公英は荷台から自分の荷物を降ろす。

「たいへんお世話になりました。ありがとうございました」と到着した時とは全然違うはっきりとした大きな声で公英が別れのあいさつをする。

「こちらこそお世話になりました。おかげで助かったわ」と孝子は労をねぎらい、公英と最初で最後の握手を交わす。

 自分が収穫したリンゴをお土産に持たされた公英が駅舎に消えていくのを見届けた孝子は軽トラに乗り込み帰途につく。次の『応援さん』は明日午前に到着する。離婚したばかりの31歳、横浜の女性で5日間滞在の予定だ。今日も天気がいい。しかし来週は台風が来る可能性があるという予報が出ている。収穫のペースを上げなければならない。今日も忙しいと思いながら孝子は軽トラを「吉川園」に走らせる。


(終)


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