42 討つべき敵は
シノブとの最初のコンタクトから、約五時間ほどが経過した。
カウネアの言う通り早期にコンタクトを取れたこと自体が奇跡であり、過度な期待はしていなかったが、あれ以来カウネアの『観測聖典』もシュピノの《転生時計》も反応を示すことはなかった。
いまシュピノの首にぶらさがっている《転生時計》は、この観測玉座に軟禁された時、レナードリから新たに与えられた《転生時計》であり、もちろんレプリカ品である。
「持っておけ。《転生時計》同士がお前らを繋ぐ」
と、レナードリはそんなことを言っていた。
《観測の管理人》としてのカウネアの権能と、シュピノがレプリカの《転生時計》を身につけることによってこの宇宙のどこかにいるシノブと繋がりを保つことができるらしい。
相変わらず、「なぜ私なのか」という説明は一切シュピノになされることはないのだが。
「シュピノちゃーん! カウネアちゃーん! ごはんだよーっ!」
観測玉座内の寝室でくつろぎながらぼんやり考え事をしていると、玉座の間の方から元気な声が響いてきた。
シュピノは転がるようにしてベッドから這い出て、玉座の間への扉を開いた。
ちょうどその扉の遠い反対側、カウネアの私室からカウネアも出てくるところだった。
この観測玉座には《観測の神》フルルフルラが使っていたであろう寝室やいくつかの私室、トイレや風呂、図書室など、生活に欠かせないものはある程度揃っている。
元気な声の正体は、陰気なレナードリが今も佇む玉座入り口の巨大な扉からやってきた。
「お! レナードリさん相変わらず立ったまま監視ごくろーさまっ!」
レナードリを恐れることなく快活に笑う彼女の名は、《塑性の管理人》の一人、ヒヅミ。
「レナードリさん、ごはんはー?」
「いらん。それは《塑性の神》ルオウガ様の権能が注がれた御食事だろう。やつらのためのものだ。俺が口にするということはルオウガ様への反逆となる」
「真面目だね〜! ルオウガ様はそんなこと気にするようなお方じゃないけど!
ま、いいや! おーい、二人ともー! 待ちに待ったごはんだよー!」
ヒヅミはウェイターのように両手に皿を掲げたまま、軽快な足取りでシュピノとカウネアの下へ向かった。
ヒヅミは見た目年齢は十六歳ほどの少女で、猫のような癖のあるミディアムヘアが特徴的である。服装も三毛猫のような模様のもふもふのワンピースを纏っており、その元気はつらつな仕草も相まってまさしく猫を思わせる少女だ。
ただ、一見無邪気な女の子にしか見えない彼女もまた、この世界の理を知る《管理人》の一人。
「ありがとー! 丁度お腹減ってたとこだった!」
「ありがとうございます、ヒヅミさん」
シュピノとカウネアはお礼を言って、ヒヅミから料理の乗った皿を受け取った。
「ビーフシチューかぁ。いい匂い! いただきます!
……あー、でもヒヅミさん、どうせこのシチューも眠気覚まし入りだよね?」
ほかほかの茶色いシチューをスプーンで口に運びながら、シュピノは少し顔をしかめた。
「むむっ。毒入りシチューみたいな言い方はヤダヤダよぉ。ルオウガ様の素敵な魔法が込められてるって言って〜?」
「《塑性の神》ルオウガ様の権能のお一つですね。ルオウガ様の力が込められた飲食物は口にするだけで不眠不休で二十四時間活動できると」
機械的な仕草で一律にシチューを口に運んでいくカウネアが、静かにヒヅミをフォローする。
「そ! シュピノちゃんたちは一睡もできないからね! 二十四時間津久井志信くんを観測してなきゃならないから! 大変だよね!
う〜ん! ヒヅミだったら文句の一つでも言いたくなるかもっ!」
「もう文句なんて百回くらい言ってるっての。
はあ〜こんなことになってあんたが職員たちの給仕係だった理由が初めてわかったわ。《塑性の神》エキス入りのごはんを毎日食べてたから、私たちは休憩の必要もなく毎日働けてたのね」
「そーだよっ! もちろんいまシュピノちゃんたちが食べてるものより〝力〟は抑えられてるけど! 栄養満点で美味しいよね〜!」
「美味しいって、あんたねぇ……。いや、そりゃ味は美味しいけど、おかげでこの五日間全く眠くならないし疲れないなんて経験はじめてだから体がびっくりしっぱなしよ……。
ルオウガ様がどんな神様かなんて知らないけど、ほんとにこれ食べ続けて体に害ないんでしょうね?」
「シュピノ。私に対してはいいですが、ちょっと言葉に気をつけて……。ヒヅミさんも《管理人》の一人なんですから」
既にシチューを平らげたカウネアは、皿をヒヅミに返しながら気まずそうに苦言を呈した。
「カウネアちゃんもまじめ! いいんだよー気にしない気にしない! 《塑性》の人たちはみんなおおらかだし! それにヒヅミはみんなの給仕係やってるおかげで多分一番みんなと仲良い《管理人》だからね!
ヒヅミはみんなと仲良くできればそれで満足!」
ニコッ、と屈託のない満面の笑みを浮かべるヒヅミ。そんな笑顔を向けられてしまっては、毒気なんて簡単に抜かれてしまう。
「みんなと仲良くって……《管理人》がそれ言うの……はぁ〜まあいいわ。ごはん美味しかった。ごちそうさま」
シュピノから皿を受け取ったヒヅミは空になった皿を見てもう一度満足げに微笑み、踊るように身を翻して部屋を出ていった。無言でレナードリがそれを見届け、無言で扉が閉められる。
そしてまたこの観測玉座は、三人だけの空間になる。
「ほんとに嵐のような子ねぇ」
「はい。《管理人》の中でもヒヅミさんは特に変わっています。けれど、食事も美味しいし、私は彼女のこと好きです」
「別に私だって嫌いなんて一言も言ってないわ。
でも、あそこまで私たちに好意的なんなら、もうちょっと色んなこと教えてくれてもいいのに」
「それができるなら、あなたの一番の友達である私がとっくにしてます」
淋しそうに、儚くカウネアは微笑んだ。
《塑性の管理人》ヒヅミ。そして《塑性の神》ルオウガ。
シュピノの知る、数少ない『ねじれの世界』の真相のかけらだ。
いまヒヅミ自身が説明したように、彼女は第五日本支部ハローワークで働く職員たちの給仕係を務めていた。
その分け隔てない明るい性格で《管理人》でありながらその地位を振りかざすことなく、いつも美味しい料理を振る舞っていたため職員たちからもとても愛されていた。
もちろんシュピノもその一人である。
ただ、このようなことになってしまった今となっては、ヒヅミも《塑性の神》ルオウガも、同じように謎めいた存在でしかない。
《管理人》て今は何人いるの?
なんのために存在して、なにを管理していて、主であるそれぞれの神とはどういう関係なの?
一体なにを知っていて、なにを隠しているの?
――そんな質問、もうカウネアに何度もしてきたことだ。
だが、彼女は申し訳なさそうな顔をして決まってかぶりを振る。
そこはレナードリもヒヅミも同様、《管理人》という立場上どうしてもシュピノに話せないことがあるらしい。
それはもうわかった。きっと致し方ないことなのだろう。友達であるカウネアに対して何度もしつこく問い質してあんな顔をさせたくもない。
――でも、既に判明していることを確認することは、してもいいだろう。
「ねぇ、カウネア」
天井のプラネタリウムがすべて見渡せる玉座の中央に並んで立ち、シュピノはカウネアの名を呼ぶ。
「ヒヅミが不眠不休の魔法の食事を私たちに提供してくれるってことはさ、《塑性の神》ルオウガ様は私たちに協力的ってことでいいんだよね?」
「はい、おそらく。神様たちは決して一枚岩ではなく、《管理人》たちもその全貌を知る者はいないと思いますが」
「ルオウガ様以外の神様はどうなの?」
「……レナードリ様にご加担なさる、という意味では、ほとんどの神様や《管理人》も私たちに協力するのではないかと思います」
少し間を置いて、カウネアはか細く答えた。
「それは、レナードリが『《ねじれの神》を斃す』って言ってたことに加担する、って意味で合ってるよね?」
津久井志信に《転生時計》を奪われた時、狼狽したレナードリはいくつか核心に迫るような言葉を口から滑らせていた。
――『24時間の呪い』なんてものがかけられているとは。
――我々は《ねじれの神》を斃さなければいけない。
その場にいたシュピノも、カウネアも耳にしていることである。
「……そうですね。レナードリ様が仰っていたこと、それをシュピノが聞いてしまったのなら、私は否定しないですし私の口からも肯定することができます」
「ありがとう。つまり、ルオウガ様を含めたほとんどの神様は私たちに協力的イコール……《ねじれの神》を討ちたいってことよね?」
「……そういうことになりますね。ただ、レナードリ様も先程仰ってましたが、諸手をあげて私たちを支援してくれるわけではありません。それぞれの神に、それぞれの思惑がある。それは《管理人》ですら計ることが難しいことです」
「でも、シノブから《転生時計》を奪い返すこと、それが《ねじれの神》討伐に繋がるってことなんだよね?」
「レナードリ様はそうお考えのようです。恐らくはルオウガ様も」
「ありがとう、それが確認できてよかった。
私たち『ねじれの世界』の明確な敵、討つべき敵は、《ねじれの神》。さっきシノブには伝えちゃったけどね、明確な敵が私たちにもいるって。
とにかく、レナードリたちは《ねじれの神》を斃そうとしてる。それはそいつが24時間の呪いを仕込んだこととも関係してる。
……うん、これ以上質問責めしてカウネアの困った顔見たくないし、今はこれだけで十分」
なぜ《ねじれの神》を討つ?
なぜ《ねじれの神》は呪いを仕込んだ?
なぜ私とシノブがキーパーソン?
聞きたいことはまだまだ山ほどあるけれど。
ただ、《ねじれの神》は大昔にこの世界――『アンティマータ』を突然支配したと言われる神だ。誰も名前すら呼ぼうとしない謎の神で、輪廻転生の仕組みをこの世界に構築してねじれさせた絶対の支配者だ。
それに反旗を翻す者たちがたくさん存在していることに、違和感はない。
巨悪である支配者を打ち倒す革命のため――なんて、そんな単純な話でもないのだろうけれど。
――探らなければならないのだろう。きっと。いろんなことを。自分のため。シノブのため。
私だけにしかできないっていう、《転生時計》の奪還。なら私の身の安全は絶対に保証されているはずだ。色んな《管理人》や神の協力を経てここに生きていることこそが何よりの証拠。
うん、そうだ。
私はきっと、もっともっと強気でいて良いに違いない。
「カウネア」
「……なんでしょう」
「ずっと質問ばかりでごめん。あなたにも立場があるのに」
「それは……シュピノが謝ることじゃない、です。私は……結局、《観測》しかできないので」
「《観測の管理人》だもんね。でもさ、いや、だからこそ、かな。良かったら聞かせてくれる?
《観測の神》――フルルフルラ様のこと」
「…………」
質問はもう十分、と言ったばかりだけれど。でもこれはこの世界の仕組みについてというより、カウネア個人に聞きたいことである。
「大昔、〝可能世界〟『グリンパウル』に追放されたって、七人の中で唯一追放された神様だって、私だってそんな話は聞いたことがある。
でも、グリンパウルって。グリンパウルって――まさにシノブが最初に転生した世界よね?」
「…………」
「大体、星の二つ名……〝可能世界〟ってどういう意味? グリンパウルは、私の知る限りではただの高度な魔法文明世界……取り立てて特別な世界じゃない。
その世界に、大昔、どれだけ昔かわからないほど大昔、あなたの主、フルルフルラ様が追放されたって話は有名だよ」
「…………」
「……なにか関係があるの……? シノブと、《転生時計》と、その〝可能世界〟って呼ばれる世界……」
カウネアは、瞳をぎゅっと縛って、俯いている。




