41 『アンティマータ』
――『アンティマータ』。
かつて『ねじれの世界』はそう呼ばれていたが、いつからかその名前は失われ、『ねじれの世界』と呼ばれるようになった。
いつこの世界が誕生し、いつこの世界が『ねじれの世界』となったのか、それを正確に知る者はおそらく七人の神とそれに仕える《管理人》たちだけだろう。
『ねじれの世界』は、他世界で死亡した人間を異世界転生させる斡旋所があるため他の異世界とは一線を画すが、しかしこの世界も元を辿れば他と変わらぬいち異世界である。
ただ、『アンティマータ』は誕生するのが早過ぎた。
そして、それを支配するといわれる神々の力が強大すぎた。
最初に他の世界に興味を持ったのは、《観測の神》フルルフルラだったと言われている。
その名の通りあらゆる世界を観測できる権能を持つ彼女は、異世界との交流を望んだ。
しかし、ここでフルルフルラはなにか致命的な失敗を犯したとされている。
それは『アンティマータ』に混迷と騒乱を齎すには十分な失態であり、神でありながらフルルフルラは別の異世界へと追放された。その異世界は、〝可能世界〟と呼ばれる星――『グリンパウル』であったという。
七人の神にはそれぞれ三人の《管理人》が側近として仕えているが、神の失脚により《観測の管理人》三人全員も粛清されることとなった。
が、その時フルルフルラから『観測聖典』を受け継いでいたカウネアのみ粛清を免れる。詳細は不明。
その後、長い長い年月の中でいくつかの紆余曲折があり、残された神々の中から突然《ねじれの神》が『アンティマータ』の実権を握る。
この時代から『アンティマータ』は『ねじれの世界』と呼ばれるようになったらしいが、詳細な年代は不明である。
同時に、この頃から『ねじれの世界』は『異世界転生斡旋所』としての色合いを濃くしていった。
それを語る上で欠かせないのが、長い歴史の中で七人の神が創造したといわれる《五種の神器》。
一、《転陣》
二、《忘却の紙吹雪》
三、《亜空間線》
四、《絹の光》
五、《転生時計》
この神器を利用することで、神々と《管理人》は『ねじれの世界』の大部分を異世界転生斡旋所――いわゆるハローワークへと変貌・運営させ、人民たちを強制的に労働に就かせた。
人が死んだ時、『ねじれの世界』を通して人を転生させる仕組みを構築したのだ。誰が何を思って何のためになぜそうしたのか、その理由は定かではない。
ただその仕組みについては周知がなされている。
鍵となるのは、《転生時計》。
シュピノたちハローワーク職員が身につけているレプリカ品ではなく、どこかにあると言われている本物のそれの力。
《転生時計》の主な能力は、〝人が生きた時間をエネルギーに変換する〟というものである。
五歳で死んだ人も百歳で死んだ人も、罪人だろうが善人だろうが関係なく、命を失った時点でそこにその人の〝時間〟が生まれる。
その時間は神器の一つ《転陣》を通して『ねじれの世界』へと転送され、それぞれの支部の転生先相談ハローワークへと強制的に転生することになる。
〝時間〟が具現化するという形ではあるが、この宇宙に生きとし生けるものすべて、例外なくすべてがまずは『ねじれの世界』にて生まれ変わるのだ。
『ねじれの世界』も内角宇宙や外角宇宙に無数にある異世界の一つであり、死後の世界でも何でもないのだ。死後の世界なんてものはありはしない。
津久井志信の件に関しても当然例外ではない。
彼は二十九歳で惨めな死を遂げ、二十九年分の時間が『ねじれの世界』へ転送され、そのままそこで具現化した。
そう、彼は他の数多の転生相談者たちと何ら変わりない、ただの凡百な〝時間〟でしかなかったのだ。
ただの時間の欠片に過ぎない虚ろな存在である彼らが、『ねじれの世界』の住民たちに触れることができないのは自明の理。
だからこそ、シュピノたち職員は自分の身は絶対安全だと思っていたし、わがままな〝時間〟も少なくないから、相手によってはつい不機嫌になったり煽ったりもしてしまう。
しかし、激昂した津久井志信はシュピノに触れることができた。
シュピノの《転生時計》を奪い、消え去った。
理由はわからない。
わからないことだらけで、わかることの方が少ない。
そもそも、シュピノたちは完全に《ねじれの神》と呼ばれる存在に支配されている。
なぜ? どんなふうに?
そんなことすらわからないくらいに、どうやら完全に支配されている。
物心ついたころからシュピノはレプリカの《転生時計》を身につけていたし、物心ついた時から十九歳という時間を作られていたし、物心ついた時から何の疑問もなくハローワークで毎日働いて毎日転生者たちの異世界斡旋の業務をこなしていた。
――私たちって、なんでここで働いてるんだろうね?
そんな疑問は、カウネアも含めた同僚たちと何度も口にし合った。
しかしお互い共有できる情報は少なかった。
この世界は本当は『アンティマータ』って名前で七人の神様によって創造されたらしい。
その中の一人、フルルフルラっていう神様はとっくの昔に追放されてしまったらしい。
神様たちにはそれぞれ三人の《管理人》が側近として存在しているらしい。
《ねじれの神》がこの世界の仕組みを作ったらしい。
《ねじれの神》が作った《転生時計》によって私たちの時間は止まりもしないし進みもしないらしい。
《転生時計》には、この宇宙に生きるすべての知的生命体の〝時間〟が蓄積されているらしい――。
つまり、シュピノたち職員の首にぶらさがっているレプリカの《転生時計》には、あらゆる宇宙――星――異世界から集めた〝時間〟たちが収束しており、異世界転生斡旋をする上で最も重要な、いわゆる〝転職情報〟が詰まったハードディスクのようなものである。
この世界のどこかにあるという本物の《転生時計》は二十四時間常に全宇宙全世界の〝時間〟を集約し、レプリカにもその時間たちが届けられる。その時間たち――『世界照会』による転生情報を、シュピノたちハローワーク職員は常に手にしている。
《転生時計》は全宇宙の〝時間〟を常に集める。
死んだ者たちもまた〝時間〟というエネルギーに変換され、『ねじれの世界』へ《転陣》を通してやってくる。
そして死んだ者らは職員たちに次の〝時間〟――転生先を斡旋され、異世界転生を果たす。
そしてその時間を《転生時計》はまた集め続ける――。
これが《転生時計》による生命輪廻転生の永久機関である。
シュピノたちがそれを知ることを、《管理人》たちは良しとしたようだった。ある程度自分たちの役割・存在意義を自覚すべきだという彼らの思惑、であったのかもしれないが。
しかし一部の《管理人》たちは時にそれ以上のことをシュピノたちに漏らしてくれることがあった。
それは神様たちのことや、五種の神器のことなど。
五種の神器とは、まさに異世界転生を安全に確実に行わせるための神具であり、そのどれか一つも欠けてしまっては正常な異世界転生を斡旋することは叶わないらしい。
《転生時計》で生命体の死を時間エネルギーに変換し、《転陣》で天文学的長距離間の瞬間移動を可能にし、《亜空間線》でその移動を安全にしつつ転生先世界を正確に定め、《忘却の紙吹雪》で前世のすべての記憶を消去し、《絹の光》で転生情報をその〝時間〟に注ぎ込む。
これでようやく澱みなき異世界転生が実現する。
死を時間へ、時間の記憶をリセットし、時間を異世界へ、そうして時間を別の時間に塗り替える。
これが異世界転生だ。
五種の神器、すべてが正確に綿密に噛み合わなければ安心・安全な異世界転生斡旋は不可能。
――だからこそ、津久井志信の存在が異例なのだ。
彼はシュピノから奪った《転生時計》一つで異世界転生を繰り返す。
いくらその時計に全宇宙の時間が収束しているとはいえ、そこには《転陣》もなければ《絹の光》もない。なぜ光速をはるかに超えるスピードで異世界転移が可能で、そして次々別の人間――つまり〝時間〟へ転生することができるのか。
それはどうやら《管理人》たちにとっても謎であるようだった。
津久井志信が二十四時間ごとに強制的に異世界転生を繰り返すことを突き止めると、《管理人》たちはそれを〝24時間の呪い〟と呼んだ。
そして、ひどく動揺し、ひどく畏れた。
《ねじれの管理人》レナードリを筆頭とする《管理人》たちは迅速に行動を開始し、津久井志信の持つ呪われた時計を回収するため、その〝鍵〟となるシュピノを拘束・軟禁した。その理由も語らずまま。
この世界を圧倒的に支配するという《ねじれの神》直属の配下である《ねじれの管理人》レナードリ。
彼は寡黙で、結果主義で、多くを決して語らないが、シュピノから《転生時計》が奪われその時計が呪われていると知った時だけは酷く狼狽し、感情的になってこう叫んでいた。
「なんということだ。恐ろしい、なんてものじゃない。我が主《ねじれの神》は最初からなにもかもお見通しだったというのか?
〝24時間の呪い〟――こんなものが《転生時計》にかけられていたなんて――くそ――なぜこんなことに気づけなかった? 我々の計画は最初から見透かされていたとでもいうのか――?」
「なんとしても津久井志信から《転生時計》を奪い返さなくては。そうしなければ俺は……俺たちは……我が主、《ねじれの神》を斃すことができない」
――《管理人》が、《ねじれの神》を滅ぼそうとしている?
そもそも《管理人》って、神様って、なに――?
わからない。
シュピノ・レビルス。
彼女が知っていることは、今はまだおおよそこの程度のことである。




