40 ふたりの《管理人》
――遡ること、約二十三時間ほど前。
『お、よく気がついたね。そうよ。記憶も失って、ゼロから生まれ変わる。それが転生斡旋の本来あるべき姿。
でも、それは《五種の神器》が揃ってないと不可能なのよ。この《五種の神器》で私たちの世界はあらゆる命の転生を導いてきた。
でも、今シノブの手元には神器のひとつ――《転生時計》しかない。これはさっきも言ったように、この宇宙すべての時間を詰め込んだだけのもの。これだけじゃ、正しい転生斡旋なんてできやしないの。しかも呪われてる。
シノブ、あなたはあなたの記憶を引き継いだまま、《転生時計》の示すがまま転生を繰り返すしかないの――』
『――待って。待ってくれ、シュピノ! シュピノ! お願いだから――』
『大丈夫。私と《観測の管理人》があなたをサポートし続ける。彼女が私と共にいる限り、あなたの座標は常に把握することができる。だから』
「……シュピノ、ここまでです。繋がりが途切れました」
「…………そか」
ふう、とシュピノ・レビルスは小さく息を吐いた。
オレンジ色の髪をかき上げながら、そのまま尻餅をつくように椅子に腰掛ける。
「ようやく、かぁ。でも五日目でシノブとコンタクトを取れるなんて、奇跡だよね。全部あなたのおかげだけど」
「ええ、奇跡です。シュピノも先ほど書いておりましたが、四回も強制転生を繰り返した結果、とっくに津久井志信の精神は崩壊していてもおかしくありませんでした」
「実際、四回目の世界……『永久凍土・キルロッジ』では自ら死を選んだもんね……」
「はい。私の観測の結果だけを見れば、そこで精神が崩壊し、今彼がいる世界……『イースロード』でもまともに二十四時間を過ごせる可能性は低いものでした。
第一、不運なことに二日目があの『ゼ・ルドー』でしたから。『世界照会』を見る限りでは転生先も普通以下の人間でしたし、アシュ族にひたすら脅える最悪の二十四時間でしたかと」
「うん……。たぶんそこであいつ、参っちゃって、キルロッジではきっと自殺しちゃったんだもんね……」
「シュピノ。あなたが罪の意識を感じる必要はありません」
「……わかってるわよ! か、感じてなんかないもん。大体、あいつが私の時計を奪ってなければこんなことには……!」
それは本心だ。あの時、転生先相談ハローワークにやってきた津久井志信がシュピノの《転生時計》を無理矢理奪ったりなどしなければ、いま自分はこんな目に遭わずに済んでいたのだ。
しかしそれは同時に、あの時シュピノが余計に彼を煽って彼が激昂してシュピノに襲い掛からなければ、彼だって今頃あんな目に遭わずに済んだということ。
実際に生きた時間は異なるとはいえ、シュピノの年齢はまだ十九歳。
自分の行動の結果一人の人間が地獄のような〝呪い〟に囚われてしまったとなれば、当然心に堪えるものがある。
「……あなたにできることは、津久井志信とコンタクトをとること。そして私にできることはそれをサポートすることです」
気落ちするシュピノに優しい声をかける、隣の少女。
彼女は、《観測の管理人》の一人――カウネア。
小柄ながらも神々しい純白のローブを纏い、目深に被ったフードから繊細なラベンダー色の髪が零れている。年齢は――この『ねじれの世界』ではあまり意味を成さない指標であるが――見た目年齢は十五歳前後の幼い少女。
しかし彼女はこの『ねじれの世界』の真相の一端を知る人物であると同時に、長年シュピノの〝同僚〟であった少女である。
「もちろんあなたには感謝してる、カウネア。でもまさか、ずっと第五日本支部で私の友達だったあなたが《管理人》の一人だったなんて、未だに信じられないわ」
「……私にはもう仲間も神もいない。けれど、《観測》の名を持つ者の生き残りとして、あなたに協力は惜しみません」
カウネアは、転生先相談ハローワーク第五日本支部の職員として働くシュピノの、同僚であり常に隣にいる一番の親友だった。そう、津久井志信に時計を奪われたあの日だって、彼女はシュピノの隣でいつもどおり黙々と職務をこなしていたのだ。
彼女がその正体を明かしたのは、まさにその事件の直後だった。
シュピノが身につけている《転生時計》を、一介の転生相談者に過ぎない男に奪われた――その瞬間、ただの友人だと思っていたカウネアが《管理人》としての正体を明かした。
あの時、そもそもすべてがシュピノにとって不可解なことばかりであった。
本来自分たち『ねじれの世界』の人間には転生相談者たちは指一本触れることができないはずなのに、津久井志信はシュピノに触れることが可能であったこと。
シュピノが身につけている《転生時計》のレプリカを奪われた瞬間、津久井志信がその場から忽然と姿を消したこと。
カウネアを含む《管理人》たちが血相を変えて現場に押し寄せて、すぐにシュピノを拘束したこと。
あれから四日経った今もシュピノは《管理人》たちに軟禁されている身であり、こうして《観測の管理人》であるカウネアが常に傍にいることがその証拠だ。
ただ、カウネアはずっとその正体を隠してたとはいえ、昔からシュピノの友人であり続けたため、こうして隣にいてくれることは心強かった。
「……カウネア。《観測の管理人》である前に、あなたは私の友達よね?」
「……はい。友達ですし、仲間です。あなたと世界のためにせいいっぱい力を尽くします」
「それでも、教えてくれないんだよね? 《管理人》たちのことも、この世界のことも、シノブの身に起きていることについても」
「…………ごめんなさい」
既に何度もくりかえした問答ではあったが、やはり同じようにカウネアは元々細い声をさらにか細くして俯いてしまう。
こうなると、シュピノは一切彼女を追及することができない。シュピノだって最低限の理は理解しているからだ。この世界は文字通りねじれていて、ねじれきっていて、《管理人》にしても五種の神器にしても七人の神にしても、すべてがタブーに満ちている。
いくらカウネアが長年の同僚で見知った仲であるとはいえ、その正体が《観測の管理人》であるというのならば、きっと彼女はこの世界の始まりからこれまでのほとんどすべてを知っていてその上でシュピノに協力してくれているのだろうが、彼女の口を割ることはできない。
それが彼女の立場。この世界の《管理人》であるということの意味。
まだ《転生時計》が奪われてから四日しか経っていない。
今はまだ、彼女を信じ、彼女に従い、シノブを観測し続けていくしかない。
「それにしても、『ねじれの世界』にこんなきれいな場所があったなんてね。
確か――『観測玉座』……だっけ」
シュピノはぐーっと背伸びをしながら、顎を引いて天井を仰いだ。
白を基調とした丸い部屋。天井は巨大なドーム状になっていて、プラネタリウムの如く闇夜の中に無数の光の粒がちりばめられている。
「ええ。私たちの主――《観測の神》フルルフルラ様の玉座だった場所でもあります」
「ここから見えるのは無数の異世界ってわけね。フルルフルラ様はここから常に異世界を観測されていたのね。
……これまでハロワ職員として、色んな人間の転生を斡旋してきたけど、みんなここから見えるどこかの星々に転生していったって考えたら、なんだか不思議な気分」
「おい、いつまで無駄話をしてる? 早く観測の結果を報告しろ」
二人の会話に水を差す、無粋な男の声。
シュピノは振り返り、なるべく不機嫌そうな声でそれに応えた。
「……すいませぇん、レナードリ様」
部屋の入り口で番兵のように佇むその男は、《ねじれの管理人》レナードリ。
《管理人》の中でも一際特別で、色んなことを企てていて、色んなことを隠していて、シュピノとカウネアを軟禁・監視し続ける男。シュピノが知る情報はそれくらいである。
「『観測聖典』をこっちに持ってこい。聖典に文字を書き込む形で今回津久井志信と初コンタクトがとれたんだろう?」
「はい、レナードリ様。固有世界名『イースロード』……その中にあるイマジェラという国に現在彼は転生しており、強力な魔力反応を『観測聖典』が観測したため、彼と初コンタクトをとるに至りました。
イマジェラでは文字魔法という文字を主体とした――」
「御託はいい。二度言わすな。俺は『観測聖典』を見せろと言っている」
丁寧に説明するカウネアの言葉を、レナードリは不愉快そうに一刀両断する。
――ほんといけすかない。陰気で口も悪いし、若い女の子二人も監視するなんて趣味の悪い男っ!
なんでこんなやつが《管理人》なんだろ……。まあ世の中良い上司も悪い上司もいるのが常だけど。
しかしそれでも一介の職員でしかないシュピノが《管理人》に刃向かうことなど許されない。シュピノは渋々腰を上げ、カウネアと共にレナードリの下まで歩いた。
レナードリは白銀の鎧を身につけ、首元にはボロボロの黒いストール、紅色のバンダナを斜めに巻き付け右眼を覆っている長身の男である。
見た目年齢はシュピノたちよりは上だろうが、壮年というわけでもない。しかしその異様な出立ちと、二メートル近い長身からは、近づけば近づくほど圧迫感と威圧感を覚えた。
「……ふん。ファーストコンタクトにしてはよくやった方だな」
カウネアから『観測聖典』をひったくるやいなや、不機嫌な態度を崩さぬままレナードリは少しだけ満足げに言った。
『観測聖典』は、カウネアが《観測の神》フルルフルラから受け継いだという一冊の古書である。
中身は全ページ白紙だが、《観測の管理人》であるカウネアにだけは中の文字が見えているらしく、よく仕組みはわからないがこの本によって津久井志信の座標を観測できているようだ。
普段は肌身離さずカウネアが所持しているものであるが、現在シノブのいる世界が文字を主体とする魔法文明を築いていたということで、一時的にイマジェラと繋がった『観測聖典』にシュピノが文字を刻むことによって彼とのコンタクトが成功したのだ。
「カウネアがついていただけのことはある。最初にこれだけの情報を伝えられたのなら上々。
で、どうだ? カウネア。見込みはありそうか?」
「見込み……といいますと、津久井志信がイースロードで《フラグメント》を会得する見込みでしょうか」
「それだけではない。もっと広い視野でだ。この先も繰り返す異世界転生の中で、あの男とシュピノがやがて接触できる見込みだ」
レナードリは、片目だけの漆黒の瞳でシュピノを睨んだ。
「それは、今の段階ではなんとも。しかし希望は持ってよろしいかと存じます。
聖典の所感では、彼は恐らくイースロードで全力を尽くしてくれます」
「希望的観測ではないのか? あの男、そもそも前世がろくでもないそうじゃないか。《転生時計》の呪いでは《忘却の紙吹雪》が作用しないため転生後もずっと記憶を維持したままだ。
どんな稀有な能力をもったハイスペックな人間に生まれ変わっても、性根は社交性のかけらもない引きこもりだ」
「御言葉ですが、レナードリ管理人? シノブと接触して《転生時計》を奪取できるのは私しかいないと私をカウネアとともに軟禁したのはあなたですよ?
もう少し信用してもいいんじゃないの?」
シノブのことを大して知りもしないくせに罵倒するレナードリに、シュピノは思わずイラっとして口を挟んだ。
「第一、私にしかできないってのも意味がわからないですし。そこちゃんと説明してくれたら私ももっとあなたに協力的になるんですけどね?
……そもそも、私なんかに頼らなくても、あなたたちには神器があるじゃないですか。シノブの座標がわかった時点で、他の神器を使えば誰でもシノブのいる座標に飛べますよね?」
「……無謀だ。無理だ。不可能だ。
神器は神が管理しており、我々《管理人》でも自由に使うことはできない。第一、現在神器のうち三つの所有権は《黒体の神》にある。あの方が二つ返事で我々に神器を貸与すると思うか?」
……《黒体の神》……。
その名前を出されてしまっては、シュピノもぐうの音も出ない。
「それに仮に神器を使い津久井志信と接触できたとしても、今の段階ではなにもできん。奴は次々と異世界へ飛び立ってしまうのだからな。
呪われたあの時計に触れることも敵わん。触れた時点で次に呪われるのは我々だ」
「でも、なぜか私にはそれができるんでしょう?」
「そうだ。だが、到底今では無い。神器の使用は望めないから、まずはお前と津久井志信が接触できるような《フラグメント》を奴には身につけてもらい、時計を奪取・貸与・転送できるような《フラグメント》も身につけてもらわねばならん」
「うーん、こっちにはこの『観測聖典』みたいな神様のすごい道具もあるんでしょ? シノブが異能力を身につけるよりもこっちの世界のこういうすごい道具使えばなんとかなるんじゃないの?」
「ならん。仮に可能だとして、神器と同じことだ。あの神々が我々に力を貸すと思うか? むしろその反対だろう。
……それと、口を慎めシュピノ・レビルス。俺は《ねじれの管理人》だぞ。敬語を使え。《ねじれの神》を……畏れ、敬え」
はぁーい、と不服に塗れた返事をするシュピノをもう一度睨みつけ、「三十分仮眠する」と言い残してレナードリは部屋を出ていった。
「相変わらず嫌味な奴。肝心なことはなにも教えてくれないし」
「……それは私も同じなので、私はレナードリ様を悪く言うことはできません」
「あ、レナードリのやつ仮眠とるとか言ってたけど……やっぱ無理? ここから出るの」
「ごめんなさい。私も《管理人》であり、あなたの監視者ですので。…………あ、もちろん、友達ですが」
フードから垂れる繊細な前髪の奥で、カウネアはかすかに微笑んだ。
シノブの次の異世界の前に、あまり長くは無いですがシュピノ視点の話が始まります。
今はまだ無駄に意味深な描写ばかりですが、こちらではそもそもの異世界転生の謎について物語が進んでいく予定です。




