38 不死による再会
「――――……える?」
誰だ。
誰の声だ。
頭に直接語りかけてくる……なんて現実ではありえない感覚だが、もはや伝達魔法の駆使のおかげでそれに関してはさして違和感はない。
「聞こ――……える? 聞こえる? シノブ」
しかし、ここはどこで、この女の声は誰だ。
周囲は明かり一つない真っ暗で、自分の体が存在しているのかもわからない。手とか、足とか、動かすという感覚がない。
要は――意識だけがここに存在してる、ってことか? まあ、今更こんなことで驚いたりはしないけれども。
それになにより、嫌な予感というものが全くしない。だからこそシノブはこのよくわからない状況でも冷静さを保っていた。
「誰かいるのか?」
シノブは試しに声を出してみた。意識の中の世界だとは思うのだが、その声は想像以上にクリアに澄んで響き渡った。
「……驚いた。ほんとに聞こえるなんて。まさかこの世界でもう一度あなたとコンタクトをとれるとは思わなかったよ」
すぐに返事が返ってくる。相も変わらず頭に直接反響する、若い女性の声。だがこの声は、聞き覚えがある――。
「……シュピノか?」
「うん。さっきは文字でのやり取りだったから、直接声で話すのはハロワ以来だね」
やはり。
シュピノ・レビルス。
シノブが《転生時計》を奪った相手であり、無意味な輪廻転生を強制的に繰り返すシノブに、二十四時間を生きる意味と理由を教えてくれて、わずかでも希望をくれた女性。
彼女との邂逅がなければ、間違いなくシノブはイマジェラでも絶望しきったまま無為な時間を過ごし二十四時間の一生を無駄に過ごしていたことだろう。
「直接……とは言うけど、なんだここは? 俺には自分の姿もお前の姿も見えない。夢……意識の中……そんなようなとこだとは思うんだが」
「私にもわからないよ。前も言ったけど、私はあなたがどの世界にいるかしか観測できない。あなたが今その世界で、どうなって、どんな状況に陥ってるかなんて見えないしわからない。
でも……その様子じゃあ、この状況にそこまで混乱していないみたいだね?」
「まあ……色々あったし。たぶん、ここは夢の中みたいなもんだろ」
そう考えるのには理由があった。
シノブはルーメとともにペガサスに跨ったままハーゾフ監獄を脱出後、近くの都市の郊外に着地し、そのままルーメの案内で彼女の隠れ家に向かった。
複雑な家庭事情を持つらしいルーメは実家に帰ることができないため、こういった隠れ家をいくつも所有しているとのことだった。
なにせ、監獄近くの都市のパニック状況は火を見るよりも明らかだった。シノブたちにも聞こえてきていたが、恐らくあの都市全体にスレイとイーアザッドの大スキャンダル、そして高貴とは程遠い醜い口論が届いていたに違いない。
見事、『五月雨を あつめて早し 最上川』と不死魔法の合わせ掛けによる作戦は成功したということだ。
イーアザッドたちのやり取りは、二人の禁断の愛を晒すだけではなく、ルーメとシノブの名前も頻繁に飛び出していた。シノブらの収監は正式な手続きを踏んだものではないためその点では逃げ隠れる必要はないのだが、このスキャンダルを暴露した重要人物として自分たちが追われる立場になるのは明白だ。
そのためシノブはルーメの案内でログハウスのような彼女の小さな隠れ家に慌てて身を隠し、心身疲れ果てていたシノブは気絶するようにベッドに倒れ込んでしまった。
その先の記憶はなく、そうして今に至る。
つまりここは夢――意識の中なのだろう。そこまでは冷静に思考できたが、しかし、今なぜ再びシュピノとコンタクトを取れているのか。
「前は……シノブが不思議な文字魔法を唱えた時だったよね? 今回は違うの?」
「今回は……俺の記憶する限りは、ただ、寝ただけだ。
……強いて言うなら、その寝る前に色々ありすぎたってことか」
「いろいろ?」
「ああ。色々……本当に色々あった。今までの――ただの津久井志信だったころもふくめて、今までの二十四時間の中で一番、色々あった」
繰り返す絶望の輪廻転生。
その中で出会った一人の少女。ルーメ。彼女の文字魔法。『ハイク』。もたらされた希望。突然の投獄。サロゼルフたちとの出会い。脱獄。そしてこの世界を覆すであろう大逆転劇。
――そうだ、きっと俺は、やりとげられたんだ。はじめて。〝生き抜く〟ということを。たとえたった二十四時間ぽっきりでも。諦めずに、ただ直面する現実に向かって全力に生き抜くということを。
「色々……か。じゃあきっとシノブは、この世界での一日を全力で生きられたってことかな。うん、答えを聞かなくてもわかる。あなたの声、活き活きとしてるもの」
「そうかな。意識の中だけど、別段普通に喋ってるつもりなんだけどな」
「あなたが意識してないのなら、たとえば、いまこうしてあなたとコンタクトが取れてるのも、なにかあなたの生きた世界で『声』に関係するなにかがあったから、とかかな。どう? なにか心当たりはないかしら?」
――声。
言われて、ハッとする。
声。サロゼルフの唱えた『不死の声』。それが宿った五月雨の言の葉。
最後の最後、すべての決め手となったのは、確かに〝声〟だった。
シノブの唱えた文字魔法に不死の声が宿り、不死魔法によってシノブ自身の脳も活性化している状態だった――。
つまり、その状態で斃れるかの如く眠ってしまったシノブだったが、声やら脳やらいつのまにか不死魔法にまみれていたことにより、今度は文字魔法ではなく不死魔法を介してシュピノのいる世界と繋がってしまった? ということなのか?
だがしかし、そうも簡単に異世界同士というものは繋がるものなのだろうか。
「確かに、不死魔法っていうんだが、俺の体の頭やら声やら、活性化はしていたと思う。けど、こんなことで突然そっちの世界と繋がるきっかけになるのか?」
「なるほど。そうだね、なるよ。ふつうならありえないけど、こっちには《観測の管理人》がいるからね。今も彼女があなたの強い意識を観測して、彼女の力のおかげで――その――不死魔法ってやつ? 活性化したあなたの声を受け取ることができたんだ。
あとは、文字魔法の時と同じ。あの時は文字で言葉を交わしたけれど、今度は声を交わすことができる」
「そうだ、あの時は色々あって聞けずじまいだったことが多すぎる。あの時も今も、結局は俺が使ったこっちの世界の魔法じゃないか? どうしてそれを使ってそっちの世界もコンタクトがとれるんだ?」
「それが《観測の管理人》の力だからね。あなたのいる座標を観測して、私たちの『ねじれの世界』との繋がりを観測して、観測結果が収束した時繋がる力を通して私たちは初めてコンタクトをとることができる」
相変わらず、わけがわからない。
《観測の管理人》? 何者だ? 文字魔法で繋がり、こうして不死魔法でも繋がることを実現させるその力。たとえ刹那的なものだとしても、異世界をつなぐその力は尋常ではないはずだ。
とはいえ。
とはいえだ。
ここは所詮意識の中。夢の中。シノブはまだイマジェラにいる。この邂逅が束の間であることも、そして目が覚めてしまったらイマジェラでの残り時間もわずかであろうこともわかっている。
このシュピノとの邂逅で自分にできることは……そう多くない。
でも、最初の時とは違い、それは決して惜しいことでも悔しいことでもなかった。
だって今のシノブは、なによりも早く目覚めたかったから。
早く目覚めて、残り少ないイマジェラの時間に戻って、ルーメの笑顔に再会したかったから。
「……どうせ、今の俺がなにを聞いても役に立たないわけのわからないことばかりだろ。それに前の話で俺のすべきことはもうわかってる。この世界のように、全力で生きて、全力で次に繋げるだけだ」
「……うん。それが、《フラグメント》。必ずシノブを支える究極の力になる。積み重ねていけばきっと、近い将来私とあなたは出会うことができる。その《転生時計》を回収して、24時間の呪いからあなたを解放することも」
そうだ、それこそお互いの最大の共通目的。
一体どうしてこの時計が呪われていて、どうして永遠に二十四時間を繰り返し続けるのかはわからないが、この時計を己の首から引き剥がすこと、その目的が変わることはない。
「この前は……ちゃんと聞けてなかったな。俺は当然として、シュピノ、お前はどうしてこの《転生時計》をそんな必死になってまで回収したいんだ? ただ俺から奪われたからって、その罪を贖うためだけってわけじゃあないだろう」
シュピノの住む『ねじれの世界』とやらの事情はわからない。この《転生時計》はなにやら神器と呼ばれていて、そのレプリカだという話までは数時間前に聞いて覚えているが、レプリカだというのならますますシュピノが必死になる理由がわからない。
「それは……前も言わなかったっけ? 私にもよくわかってない。ただ、《ねじれの管理人》が私にしかできないことって言うから、私はそれに従うしかないの。でもたぶん、その時計が呪われてしまっていることに関係してるんだと思う。24時間の呪いなんて、みんな初めて聞いたみたいだったから」
「さっきからちょくちょく出てくる、その《管理人》ってやつらがシュピノたちの世界の支配者かなにかか? そいつらはすべてを知っていて、それでいてすべては知らせないでシュピノに時計回収を命じてると?」
「ううん……《管理人》じゃない。私たちの世界の支配者は、七人の神。……正確には、今は七人ではないけれど」
「神……? 神様ってことか?」
神。
それはシノブの常識では空想上の存在であり、古代人の創作――神話に登場する存在という認識でしかない。
だが、こうも魔法やら不死やらファンタジーの世界をこれでもかと体験した後となっては――――
「ああ、どうやらもう時間がないみたい。あなたはもうすぐ目覚める。一つ、一つだけ伝えさせて。その神が、どうも不穏な動きを見せてるの」
「神……? 不穏な動き……? それは、ひたすら別世界に転生し続ける俺に関係があることなのか?」
「ある。きっと。それくらいに考えておいた方がいい。『ねじれの世界』の神々は、言うなればすべての異世界の神に等しいんだから。
……どうも、一人の神の気配がおかしい。七人の中でも特別何を考えてるかわからない人だけど」
「……何者なんだそいつは」
「《黒体の神》」
「こくたいのかみ……?」
「そう、《黒体の神》。気をつけてシノブ。次の世界か、いつの世界か、それはわからないけど、『ねじれの世界』の神様たちがあなたに何らかの形で干渉してくるかもしれない。
その時なにが起きるのか、良いことなのか悪いことなのか、それすらもやっぱりわからないけど…………でも、気をつけて」
気をつけてって、そんなこと言われても一体なにをどう気をつければ――
シノブの意識はそう問いかけようとしたが、しかしそれが言葉になるより先に意識が遠のいていく気配があった。どうやらシュピノのいうとおり、これまでのようだった。
意識が遠のいていく、つまり、目覚める、イマジェラの世界に戻るということ。
シュピノはシノブの知る限りではシノブの秘密を知る唯一の人間で唯一コンタクトがとれる可能性のある人間で、きっと一つの出逢いすべてが奇跡的なものなのだろうが、別れに関してそこまで名残惜しさはなかった。
――よくわからんが、シュピノにも事情があって話せることも話せないこともたくさんあるんだろう。まあ、不死魔法を通して繋がるなんてこじつけみたいな真似も可能なようだし、今後二度と出会えないってこともないだろう。
今はそれより、早く目覚めてルーメさんに会いたい。
きっともう俺には時間がないんだ。イマジェラにいられるのは残りわずかなんだ。だから、せめて、少しでも長くルーメさんと一緒に――……
――――――――――――――
「――あ、シノブさん、やっと起きたんですねっ!」
瞼の裏を突いてくる強い光を感じて、シノブは目を覚ました。
気絶するように眠ってしまった時のまま、シノブの体はベッドに横たわっていて、傍にはにこにこしながらルーメがこちらを見下ろしていて、ああまだこの世界に俺はいるんだとそれだけでシノブは安堵の息を吐いた。
「……ルーメさん……いま、何時……?」
ひどく声がしゃがれている。首にぶらさがっている懐中時計を握り締めながら、尋ねた。
窓から差し込む陽光は嫌に眩しい。まるで夕陽のような、濃いオレンジ色。そういえばこの世界に転生した瞬間もこの世界はこんな陽射しに包まれていたような――
「いまは、レカソタ時ですっ。シノブさん、いっぱい寝ましたね! ほんとに、おつかれさまでした……!」
――レカソタ時。
最初にルーメに会った時も、彼女にこの世界の時間を問うた時も、彼女は同じことを言った。
《転生時計》の自動翻訳機能は、なぜか時間に関する言葉だけ翻訳が為されない――。
シノブは慌てて、《転生時計》の時計盤を見た。
「十一時四十分……!」
【残り 00時間19分55秒】




