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36 五月雨をあつめて早し最上川

 ――なにが起こったっ!?



 スレイ・ロックは、狼狽しきっていた。


 ルーメ率いる野蛮人の集団を文字魔法で完全に拘束し、あとはイーアザッドの到着を待つばかりだったというのに、突然目も眩む閃光に包まれ、気がついたら牢獄の闇の中にいた。


 閃光に包まれた直後、なにか虹色の馬のようなものが見えた気がしたが……。


 とにかく、なんらかの転移呪文が使われたのは確かだ。しかし、あの状況下で、誰が? どうやって?


 ――いや、いまはそんなことどうでもいい――そう、クソほどどうでもいいっ!! いまはっ――!!



「い、イーアザッド会長っ!! なぜ貴女もここへ!?」


 見間違いではない、虹色の翼の生えた馬――ペガサスが突然牢獄の中央に現れたかと思うと、その背にまたがせたイーアザッドをどさりと地面に降ろし消え去っていったのだ。


 スレイはひたすらに困惑した。

 ここは、先ほどまでルーメたちが収監されていた第四百八番牢獄だ。彼女らがどう脱獄したかはわからないが、鉄格子が蝋のように白くどろどろに溶けている。


 なぜ――なぜ僕と会長が同時にこんな肥溜めに転移させられなければならないっ!? なにが起こっている!?


「イーアザッド会長っ! 一体御身になにが――っ!? まさかあの小僧と骨男に卑怯な手を使われて!?」


「……落ち着きなさい、スレイ。それに卑怯な手ではございませんわ。

むしろ見事すぎる一手……イマジェラの歴史をまた変えた、あの男……一体何者……? あぁ、知識欲がまた沸々と煮えたぎってまいりましたわ」


 イーアザッドは倒れ込んだ姿勢のまま半身を起こし、自らの縦巻きの金髪を愛でるように撫でた。

 赤く格式高いドレスから伸びる白い脚は流麗かつ妖艶で、このような不足の事態においても向上心と自らの欲望に震える彼女の気高き姿は、やはりスレイの目にはどこまでも魅力的に映った。


「まったく想定外の連続ですわ。忌々しい小娘……ルーメを超法規的処置でここにぶちこんで、彼女の中身からこれでもかと絶望を覗き込んで退廃文学の向上に努めたかったのですが……まさか脱獄されるとは。

……これは、徹底的に箝口令を敷き、そして徹底的にあの二人を追う必要がございますわね。特に、あのシノブという男」


「あの小僧ですか……? ……なるほど、この脱獄、あの男が一枚噛んでいると?」


「ああ、さすが愛しの我がスレイ。愚かな劣等種でありながらこのワタクシの考えに必死に追いつこうとするその姿、必死のもがき、汚らわしくも美しい」


「もったいなき御言葉……! ああ、やはり貴女様は美しい……!」


 もちろんイーアザッドの言葉にははっきりと男への侮蔑が含まれている。だがそんなものは至極当然で、スレイにとって彼女との会話では普遍的なことだった。

 男を差別し断罪しつつも、彼女は男として自分を愛してくれている。完全なる愛情が歴然とそこにあるのが身に染みるからだ。


「そこの鉄格子をご覧なさい。この所業は文字魔法でなければ不可能です。しかしこの牢の中ではワタクシとて文字魔法を使うことは叶わない。ましてや奴等の不死魔法など、己を生きながらえさせるためだけの下品な欠陥魔法でしかありません。

これはまぎれもなく文字魔法。マギアペンを持たなくても使える、〝指〟による詠唱……」


「それをシノブとかいうあの男がやってのけた、と……?」


「ええ、しかもヤツはその指で自らの腕に事前に呪文を刻んでいましたわ。どんな呪文かはわかりませんが、こうしてワタクシがここに飛ばされている以上は転移呪文の一種でしょう。

……スレイ、あなたも心当たりございませんか? ここに転移される直前、そこにいた誰かが袖をまくるような仕草をしなかったか」


「……袖、かどうかは不明ですが、ルーメが必死になにか足掻いていたのは覚えています。

……いま思えば、あれは床の摩擦を利用して袖をまくっていたのか……! くっ、高貴な血を持つ僕としたことが……!」


「とんでもございませんわ、スレイ。あなたは男でありながら文字魔法を駆使し、仮にも元我が派閥の小娘と屈強な敵国蛮人を封じ込めたのですから。

さすがワタクシの愛する――スレイですわ」


 愛する。

 愛するスレイ。

 その言葉だけで、絶頂に達しそうになる。


 この方はこんなにも気高くて、強くて、それでも男性に触れることはできない葛藤といじらしさと少女性と悲劇性を持ち合わせていて、嗚呼こんな魅力的な女性はこの世に二人といないッ!!


「……それにしても、ワタクシたちが揃ってここに転移された理由がよくわかりませんわ。他の牢屋の中なら多少の時間稼ぎにはなるでしょうが、ここは既に脱獄済みの牢……足止めにしても杜撰すぎますわ」


「仰る通りですが……しかしこうしている間にもやつらは完全に外へ脱獄してしまいます。野蛮人どもはともかく、ルーメの収監は不正な処理ですから、逃げられると面倒なことに……」


「……ワタクシの文字魔法はこの監獄程度の範囲ならば、ワタクシがどこに転移しようが効果は持続するはず……今頃ワタクシと交戦したあの二人は溺死しているはず、ですが……ワタクシの天稟と誉ある血筋がそれを否定しているようですわ。


……彼らは生きている。

そしてこの転移呪文もただの転移ではない。ワタクシの直感は、イコール真実。スレイもお分かりですわね?」



「もちろんです。しかし、ただの転移でないとすると……」


「おそらく、切り札。

わざわざお互いの腕に刻んでいた魔法ですよ。そして同時に解き放った。ワタクシたちを転移させるだけでなく、なにか仕掛けが他にもあると考えるのが妥当ですわ」


「仕掛け……! ならば、尚更きゃつらを追わなくては!

きゃつらは……僕の口が滑った故ではありますが、僕と会長の恋愛関係を知っております! 早くしなければ――」


「ええ、ええ。もちろんですわ哀れで矮小で可愛いワタクシの男、スレイ。その聡明さも怜悧さも愚かさもすべてワタクシは心から愛しておりますわ。

…………一匹残らず生きて帰しません。スレイの母上様には少々気が引けますが、もはやこの監獄ごと破壊する退廃文学を唱えるしかないでしょう」


「構いませんとも! 僕らとイーアザッド会長の愛のためでしたら! 僕はどこまででも貴女様に――っ!」


「――シッ!!」


 突然、イーアザッドは立ち上がって凄まじい形相と勢いでスレイの口を手で塞いだ。


 ――ああ、なんてとろけそうな体温――


 などと、スレイは愚かにも自分に触れてくれたイーアザッドにまた絶頂を迎えていたのだが、もはやイーアザッドはスレイのことなど見ていなかった。




「なんです、あれは……? 文字……魔法……?」


 その時、イーアザッドの目には信じがたいものが映り込んでいた。


 スレイから手を離し、カツン、カツンとヒールの音を響かせながら、牢屋の壁の隅に向かって慎重に歩き出す。



 そこには、壁に刻まれた虹色の文字。


 つまり、文字魔法。


 あの、肌に刻まれた文字魔法と同様の技術か。

 しかし、聞いたことがない。壁に直接刻んでおく文字魔法など。

 ならばこれもあのシノブとかいう男の〝指〟によるもの――? まさか、最初からこの文字魔法をここで準備していて、ここに自分とスレイを転移させてきた――? すべて計画の内――?


 なら、この文字魔法の効果は、一体――?


 イーアザッドは、その身に感じる初めてともいってもいいほどの悪寒に包まれながら、そっと壁の虹文字を撫でた。




『五月雨を あつめて早し 最上川』




――――――――――――――




「――さて、これであんたたちはもう終わった」


 牢の外でずっとイーアザッドとスレイのやりとりを眺めていたサロゼルフは、そう言って左腕を掲げた。


 サロゼルフは半身が骨、半身が生身の男。左側には通常の人と同じように骨を守る肉と皮膚がついているが、それは不死魔法で維持しているだけのハリボテのようなものである。

 裏を返せば、いつでも剥がせる(・・・・・・・・)肉と皮である。


「あんたらに俺の姿は見えないだろうが、俺は団長たちと違って小綺麗な服も着てなければ体のほとんどが骨なんでね。団長の文字魔法が隠せる場所は、この肉と皮の中……骨しかなかった」


 サロゼルフの気配に気づいたイーアザッドが、凄まじい速度で振り返りながらマギアペンを構える。――が、もう遅い。なにもかもが、既に遅い。


「『これがまあ 終のすみかか 雪五尺』」


 左腕の不死魔法を解き、肉と皮が煙とともに蒸発していくと、二の腕部分の骨に刻まれた虹文字がまたたいた。


 これはシノブ曰く、この鉄格子を溶かした『雪とけて 村一ぱいの 子どもかな』の文字魔法と同じ作者であり、対になっている『ハイク』であるという。

 前者が鉄を雪のように溶かす魔法ならば、この魔法は、雪を固めて閉じ込める――まさに終の住処とする魔法である。


 魔法が発動した後は、あっという間だった。

 残雪のようにそこに残っていた()が一人でに蠢き出し、元通りの鉄格子をその場に形成した。つまりは、イーアザッドとスレイを牢屋の中に閉じ込めた。つい先ほどまでサロゼルフたちが捕らえられていた、まさにその牢獄の中へ。


「なんだ!? なにが起こった!? なぜ鉄格子がっ!?」


 突然のことに取り乱したスレイが、無様にもむちゃくちゃに鉄格子を揺さぶる。イーアザッドと違い、この小物にはサロゼルフの気配にすら気がつけていないのだろう。


 左肩の肉の中にシノブによって事前に刻まれていた文字――『旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る』。対象を透明人間にする隠匿魔法で、脱獄の際にも使用した魔法である。

 先ほどイーアザッドと交戦した際に容易く解除されてしまったが――なるほど、これを見越してルーメは「万が一があるから、いつでも透明になれるようにしておこう」とノットラックスの戦士たちにこの『ハイク』を刻ませる提案をしたということか。


 指でどこにでも文字魔法を刻めるシノブと、一見無邪気ながらも深い知識とひらめきを持つルーメ。この二人がいなければここまで用意周到に準備することも叶わなかっただろう。


 恐らく今頃スタークスたちもこの文字魔法を発動させ、作戦通り合流するためルーメとともにこちらへ向かっているはずだが、なぜか伝達魔法が急に途切れてしまった。シノブとも連絡がつかない。この監獄の敷地内であれば魔法が切れることはないと聞いていたが……術者であるシノブの身になにか起こったのだろうか。


 ――まァ、団長なら大丈夫だろう。あのペガサスの文字魔法が無事発動したからこそ、俺はイーアザッドと共にここへ転移してきたのだからな。団長はきっと無事でいてくれてるだろう。

 そして、既にすべての作戦は完了している。


「そこにいるのは……先ほどワタクシと会い見えていたノットラックスの者ですか?

――姿を見せなさいッ! そしてすべて説明なさいッ! この壁の文字魔法は何ですっ!? なにが目的ですっ!?」


 マギアペンを放り投げ、イーアザッドもスレイと同じように無様に鉄格子にしがみついた。

 思った通りだ。やはり、いくらイーアザッドといえどこの牢屋の中では魔法が使えない。これもルーメの見立て通りだ。シノブの〝指〟は別として、万が一のために牢の中ではマギアペンが無効化される魔法機構が施されているはずだと。ここがこの国最大の監獄だというのならばそれくらい当然のセキュリティであると。


 体を鉄格子に阻まれ、魔法すらも奪われた最強の魔法使い。もはや、恐るるに足らないただの派手な女でしかない。


「まあそう慌てなさんな。既に俺たちの目的は果たしているんだからな。もうあんたたちには何もできんのよ。あんたらは完全に失脚した。もう終わりってやつだ」


「それは……僕らをここに閉じ込めたからか? 脳みその足りない野蛮人め、まさかこれだけで僕とイーアザッド会長に対して勝ち誇ってるのか? 勝ったつもりなのか?

馬鹿め! 笑えるほど馬鹿め! 他人の魔法で透明になって鉄格子越しに僕らを見下ろしていい気になっているみたいだが、もう貴様らの脱獄は今頃王政府にも伝わっているはずだ! 女王から派遣された魔法使いが貴様らを一瞬で拘束し、僕らもすぐにこんなクソみたいな牢から解き放たれる!


馬鹿めハハハハッ! 今から楽しみだよ貴様の鼻っ柱をへし折ってやるのがねっ! ――そうだ、貴様らはどうせ死刑だが、僕らをこんな目に合わせた罰として聴衆の前に晒してやる! もちろんルーメもね! ルーメは公衆の面前で服を切り裂き、浮浪者どもに好き放題襲わせようじゃないかっ! ハハハハ! 最っ高のショーだっ!

そうは思いませんか!? イーアザッド会長!」



「やれやれ、懲りないなあんたも。まあそこまで外道だと俺としても遠慮が必要なくてやりやすい。

さて、随分とまあ口が回るようだが、もうよしといた方がいいぜ? あんたらが喋れば喋るほどどんどんあんたらの立場は危うくなる。

……まあ、やっぱりもう遅いか。先ほどまでのあんたらの会話だけで十分だ」


「なんだ? 負け惜しみか? くだらん――僕とイーアザッド会長の不滅の愛の前では――」


「待ちなさいっ! スレイっ!!」


 突然、イーアザッドが空気を切り裂くような声で叫んだ。


「か、会長……?」


「まだ……まだ、聞いていませんでしたわね? あの壁に書かれた文字魔法の効果を……」


 イーアザッドの息が荒い。肩で息をしている。顔も青ざめている。


「さすが、イマジェラ最強の魔法使い。勘の良さも一流かな?」


 イーアザッドたちには見えないけれど、サロゼルフはにやりと不敵な笑みを浮かべた。そして、告げた。



「『五月雨を あつめて早し 最上川』。学の無い俺にはその言葉の意味もさっぱりだがな、それでもその文字魔法はそこに刻まれていた。あんたらのスキャンダルを全世界に晒すため、団長はこの牢屋の壁にその文字を刻んでおいた。


雨のように降る言葉を、声を、集めて集めて、濁流の如く外へ溢れさせる文字魔法、だそうだ。

簡単に言うと、ここでの会話が全部外へ筒抜け(・・・・・)になる魔法よ。さて、お主ら、ここに飛ばされてきてから、一体どれだけ無用心に言葉を放ってしまったかな?」





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