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34 雀がはばたいた日のこと

 お前は小さくていつもぴぃぴぃ泣いて小鳥みたいだな、とルーメは兄によく言われていた。




 貴族ラインメッセ家の長女として生まれたルーメは、それはそれは両親からの寵愛を一心に受けて育った。

 母親の腹から産まれた瞬間、女の子として産声をあげた瞬間、両親だけでなく家の執事や親族も泣き崩れてルーメの誕生を喜んだ。


 理由は簡単、ルーメには一人の〝兄〟がいたからだ。


 二つ上のその兄の名は、レーテル。


 由緒正しき貴族家には決して産まれてはならない、〝男子〟――つまり忌み子であった。



 ラインメッセ家はイマジェラの歴史に刻まれる多数の貴族の中でも王家との繋がりが深いとされる特別な一族であり、貴族の頂点であるユーマス家とも血脈があることから、その偉大な血と先祖たちに異様なほど固執する、とても誇り高い一族であった。


 しかし現代ではラインメッセ家の貴族としての地位はそこまで高くなく、それは残念ながら近代の当主たちに能力も素養も無かったからなのだが、それでもラインメッセ家に生まれた者たちは連綿と受け継がれてきた誇り高き血を盲信し、他の貴族以上に自分たちの血族以外を排他的に見る慣習が続いていた。



 貴族社会の地位はそこまで高くないけれど、歴史という名のプライドばかり高い異質な家系。


 その家系に生まれてしまったことが、ルーメとレーテル、仲睦まじい兄妹の不幸を呼んだ。


 まずは、レーテルを赤子の段階で〝粛清〟できなかったこと。

 粛清は上流階級の間で内密に行われている、赤子の段階で男子を殺害する儀式――もとい犯罪行為であるが、法に認められた儀式ではないため、貴族家たちは暗黙の了解をとるか、もしくは密告を恐れて男子が生まれたことを隠し通す。


 ラインメッセ家が選ぶことができたのは後者だった。

 元々他の貴族たちに排他的な態度をとり、周囲に良く思われていなかったルーメの一族は、男子を粛清するという暗黙の了解をとることができなかった。


 レーテルを粛清すれば間違いなく密告されてラインメッセ家は没落する。


 それをなによりも恐れたルーメの両親は、ほとんど監禁する形でレーテルを育てることを渋々決断した。決断するしかなかった。



 両親、といっても当然母親も父親も女性である。

 そこに愛があるにしろないにしろ、そんなことは無関係にこの国では長らく女性同士の結婚、魔法による女性同士の交配しか認められていない。


 年々精度を増していたはずの交配魔法だったが、古い歴史ばかりを重んじ崇め奉るラインメッセ家の交配魔法は精度が低く、また母親に素養がなかったようで、女子ではなく男子が産まれてしまった。


 子を産んだ女性を母親、交配魔法を唱えた女性を父親と呼称するのがイマジェラの常識であるが、男児が産まれてしまったのはどちらにも責任があるとされ、ラインメッセ家の家臣や執事たちは次第に両親に対して陰湿な嫌がらせをするようになった。


 両親は肉体的にも精神的にもぼろぼろになり、早く次の子を作り、今度こそ女児を作り、立派に育て上げるしかないと強い決意のもと交配魔法を繰り返し――そうしてラインメッセ家にルーメが誕生したのだった。



「お兄ちゃんは、どうしていつも部屋に閉じこもってご本ばかり読んでるの?」



 当初、当然のように両親はルーメとレーテルを会わせるつもりはなかった。


 しかし両親の予想以上に好奇心旺盛で勉強熱心なルーメは、六歳の時にレーテルが監禁されている地下の書斎を発見してしまった。


 既にお抱えの執事や教師からイマジェラの歴史、女尊男卑の歴史を繰り返し学ばされていたルーメだったが、レーテルの姿を見るなり、子供ながらの直感で、レーテルが実の兄だと悟った。レーテルは驚いたが、それを否定することはなかった。



「ここには古い本がいっぱいあるからな。一生ここにいても退屈しないよ」



 兄は優しくそう言って妹をあたたかく出迎えた。

 男が邪魔者扱いされてる世界、そういう常識、そんな認識だけぼんやりとあった幼いルーメは、優しくて立派な自分の両親が自分の子供をこんなところに幽閉してるなんてことは夢にも思わなかった。


 たとえ男だったとしても。

 たとえ世間から邪魔者扱いされる存在だとしても。


 お母さんもお父さんもとても優しいから。

 まさかお兄ちゃんだけ見捨ててるなんてありえない。


 だからルーメは兄が好き好んで書斎にずっと閉じこもってると思っていたし、そんなルーメに心配をかけまいとするためか、レーテルもそれを肯定した。レーテルは決して今の環境や両親に対して不満を漏らすことはなかった。



 ――だが、それでも時が経てば、ルーメにも少しずつ色んなことがわかってきてしまう。



「なあにこれ、素敵なことば」


「これはねルーメ、『ハイク』っていうんだ。すごい昔の文字魔法なんだって」


「『ハイク』……。いいな、いいな! ずるいっ! あたしも覚えたい!」


「まーたそうやってすぐ泣く。ちっちゃいし、ほんと小鳥みたいだなルーメは」


 すぐ涙目になってしまうのは、頭を撫でてくれる兄がとても優しかったから。七歳になって、また少しこの世界のことについて学んで、兄はきっと男の子だから両親に愛されていない、だからこんな地下室で暮らすしかないんだと、だんだんわかってきてしまったから。


 そんなふうに兄に懐き、兄と一緒に書斎で文字魔法を学ぶルーメに、当然両親は激しく動揺し、何度も激昂してはルーメを叱咤した。


 ルーメは大切なラインメッセ家の跡取り。

 兄とはいえ、男と関わらせるわけには断じていかない。


 しかし兄とのささやかな交流と、『ハイク』の魅力に童心をつかまされたルーメは、いくら両親に止められても叱られても食事抜きにされても毎日のようにレーテルのいる書斎へ向かった。


「……ルーメ、もうあまりここには来ないように」


「……どうして?」


「……お母さんとお父さんが良く思ってないだろう? 叔母さんたちもだ」


「……わかってるよ、そのくらいあたしだって。いっぱい勉強してるもん。でも、お兄ちゃんはすごく頭もいいし文字魔法だってこんなに使える。

お兄ちゃんだけ勉強できないなんて、こんなところに閉じ込められるなんて、変だよ。お母さんもお父さんも、変……!」


「泣くなって。お兄ちゃんは平気なんだから。お兄ちゃんはこの家にとって、国にとって、いらない子だ。でもそんなに悲しくも寂しくもないんだ。一生かけてでも読みきれないだけの本がここにはあるし」


「っ……! でも、あたしっ……あたしっ、お兄ちゃんともっと……! ひっく……!」


 もっと一緒に過ごしたい。

 一緒にテーブルでごはんを食べたい。一緒に外で遊びたい。一緒にお風呂に入りたい。一生に両親に抱きしめられたい。



 だから、ルーメはレーテルの言いつけを守らず地下室へ通い続けた。一日の大半をそこで過ごすこともあった。疲れ果てて兄と一緒に寝てしまうことも少なくなかった。



 つまりは、その時既に、レーテルだけでなくルーメももはや両親に愛されていなかった。


 言うことをきかないルーメを、兄とはいえ男と執拗に関わり続ける我が娘を、両親はいつのまにか「汚物」として見るようになった。


 この国では男は汚物。劣等種。そしてその男に触れる者もまた等しく汚物で劣等種。


 たとえ実の娘、血族、正統な貴族、後継者、だとしても、ラインメッセ家に脈々と受け継がれてきたどす黒い差別感情・選民主義が、もうルーメを愛すことを二度と許さなかった。


 幼いルーメでも、すぐに両親の変貌には気がついた。


 直接的な暴力や虐待こそなかったものの、もう食事が用意されることはなかったし勉強を教えてもらうこともなかったし声をかけてもすべて無視された。そして兄のもとへ向かうルーメに対してももはや叱ることもなくなった。


 ルーメにもレーテルにもかけらも興味がない。どうでもいい他人が家にいる――そんなふうに。


 ルーメは悲しかった。

 あんなに自分を愛してくれた両親は、もう自分を抱きしめてくれることすらないと思うと。


 悲しみを紛らわすように、一日一日を兄と一緒に地下室で過ごした。色んな『ハイク』を覚えて、オリジナルの『ハイク』も編み出して、兄のおかげでルーメはしあわせだった。


 たとえもう家族から愛されることはなくても。

 お兄ちゃんとこのまま一緒なら、あたしそれでいい。――幼いルーメは、おそらくは楽観的だったのだ。


 ラインメッセ家が、一体どれほど屈折した歴史を紡いできた家系なのか。ルーメは、知る由もなかったのである。



 ――兄との別れは、ルーメが九歳の時。それはあまりに突然であまりに一瞬だった。



「――もう朝になっちゃった。そろそろ鳥さんたちの声が聞こえてくるかな。昨日はお天気が良かったから、バルコニーから見える鳥さんたちも元気だったよ」


「そうか。俺は外に出たことがないから、知識でしか鳥のことも知らないから、ルーメの話は聞いてて本当に楽しいよ」



「――ルーメ、レーテル」



 不意に背後から声が響いて、ルーメとレーテルは驚いて振り返った。

 おそらく転移魔法で瞬間移動してきたのであろう両親が、沈痛な――それでいて決意に満ちた表情で立ち尽くしていた。


「おかあさん……おとうさん……?」


「残念だけれど、二人ともここで死んでもらいます」


「ラインメッセ家の子供は、不幸にも事故死してしまった。そういう段取りです。もう親族とも話はついています。諦めて死になさい。あなた方はもう私たちの子ではありません」


 なにを言っているのか、ルーメにはちっともわからなかった。でも、両親の顔が見たこともないような鬼の形相になっていくのはわかって、言葉が出てこなかった。


 有無を言わさず、両親がマギアペンを構える。

 レーテルが、掠れた声をようやく振り絞った。


「なぜ、マギアペンを構えるのですか。命を奪う文字魔法なんて――」


「ありますよ。どんな極悪犯罪者も使うことを躊躇ったと言われる禁忌の文字魔法『死の告白』。

王家に秘匿されるこの禁断の文字を、我らラインメッセ家は秘密裏に代々受け継いできました」


「逃れられない死です。恐ろしい魔法です。しかし、もはやあなた方にはこの魔法で死んでもらうしかありません。

……まったく、ここまでお母さんたちを裏切り、手を焼かせ、殺人までさせるなんて。あなた方はまったく悪魔です。ラインメッセ家の悪魔です」


「待ってください、お父さんお母さん! 殺すのは俺だけでいいでしょう! ルーメは女の子だ! 大切なラインメッセ家の跡取りのはずです!

悪いのは男である俺です! 俺を殺すのは構いません! でも妹だけは――!」


「駄目です。二人とも死になさい。

――『死の告白。黒白の死。天地に沈め』」


 動けないルーメの目に、両親のマギアペンの切先がどす黒く輝くのがかろうじて映った。そして、その闇の光を払うかのように、すばやくルーメの前に回り込むレーテルの姿も。



「生きろ――ルーメ!

――『雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る』」



 レーテルの構えたマギアペンもまた、ルーメに向けられていた。

 しかし両親の放つ黒い光とは違い、優しい虹の光は、レーテルが唱えた瞬間に虹色に象られた翼の生えた馬――ペガサスを召喚した。


「お兄ちゃんっ――!」


 ようやく喉が開いて、叫べた兄を呼ぶ声。


 けれど、それが最後だった。レーテルの唱えた呪文により現れた虹色のペガサスは、目にも止まらぬスピードでルーメを背中へ跨がせると、虹色の粉を撒き散らしながらその場から忽然と姿を消した。


 消える瞬間、ルーメは見ていた。


 両親の放った死の呪文が、黒い光が、レーテルを包み込んでゆくのを。



――――――――――――――



 気がついた時には、ルーメは屋敷のバルコニーにいた。


 ちょうど朝日が水平線の向こうから顔を出すところで、一日の始まりを告げる小鳥たちがちいさな合唱を歌っていた。



 ――『雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る』。



 その『ハイク』は、一際古い文献に刻まれていた文字魔法で、ルーメも兄と一緒に学んだものだった。


 その効果は〝術者の想い出の場所に、対象を強制転移させる呪文〟。


「……なんで」


 だってここは兄の想い出の場所のはずがない。兄はあの地下室から外に出たことがないのだから。むしろこのバルコニーはルーメの想い出の場所で、自分のことを小鳥のようだと表現する兄のため、毎日ここで小鳥を観察してはその様子を兄に――


 そこまで考えて、ルーメはハっとした。そしてそのまま泣き崩れた。


 ――あたしがこの場所をいっつもお兄ちゃんに話していたから、お兄ちゃんにとっては、あの地下室よりもこのバルコニーが想い出の場所だったんだ……!


 あたしの話を聞いて、いつも聞いてくれて、いつかきっと二人でここから小鳥を眺められたらいいねって、いつもお兄ちゃんはそう言って…………!




 こうして、ラインメッセ家の長男レーテル・ラインメッセは、その存在を秘匿されたまま、両親の手にかかって死んだ。


 茫然自失のルーメもすぐ家族の者に拘束されたが、レーテルが死の直前に放った古語『ハイク』に驚いた両親が、『ハイク』の使い手となったルーメの抹殺を取りやめた。


 『ハイク』を駆使できる才能があるのなら、まだラインメッセ家の名目は保たれる。

 どこまでも家系の保身、一族の誇りのみを考えた上での娘の庇護。やはり誰からも愛されることはなく、ルーメはすぐに家を飛び出した。



 兄は、自分のせいで殺された。

 いくら泣いても泣いても、雀の子のようにうずくまって小さく泣き喚いても、兄は帰ってこない。


 けれども兄は、生きろと言ってくれた。


 自分にはきっと、この世界のためになにかできることがある。いや、しなくちゃならないんだ。兄の死を無駄にしないためにも。兄のような人を一人でも救うためにも。



 古語『ハイク』の使い手、ルーメ・ラインメッセ。

 彼女の物語は、ここから始まった。

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[良い点] まさかルーメの家系が死の魔法の使い手とは あと12時間で、イーアザッドを前にして何ができるのか
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