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33 溺愛

 ――やはりイーアザッドはハーゾフ監獄に来ていたっ――!

 最初から? やはりルーメを監視していて? それともスレイから連絡を受けてからここへ? どちらにしろ入口で待ち伏せされていたということは――


 様々な思考がシノブの中を巡る。

 そして巡らせつつも、目の前のこの世界最強の魔法使い――イーアザッド・ユーマスに対して持ちうる限り最大限の警戒心と集中力をもって身構えた。



「あら? でもおかしいですわね。逃げたネズミはもっと多かったはずですが?」


 優雅に風を纏うイーアザッドの体は、床から二十センチほど常に浮いている。

 自分の体を守りつつ自身の加速も促せる文字魔法――といったところだろうか。


 それにしたって、シノブたちの隠匿魔法を解除した魔法といい、あまりに唱えるのが早すぎる。文字魔法は一度文字を刻まなければならないというのに。


 これが、イマジェラ最高峰の文字魔法の実力。


「……お目当ての人物はこちらにはいなかったか?」


 腰を深く落としながら、サロゼルフが問う。


「まさか。いずれにせよワタクシがこの出入口にいる限り脱走者は全員皆殺し確定ですから。

――オホホ、いやしかし、ワタクシとしたことが見落としてしまいますとわね。〝指で文字を刻む異端〟――まったく驚きですわ」


 イーアザッドが、マギアペンで鋭くシノブの虹色の指先を指す。それだけでシノブの全身はビクンと大きく震えた。


「マギアペンがなくても文字魔法が刻める……この長いイマジェラの歴史でも聞いたことがない異端の力。

確かにその指があればいくらハーゾフといえど脱獄など容易いでしょうね。まさか牢屋で文字魔法が唱えられるなんて、そんなことワタクシですら想像だにできないのですから」


「……だが、お前は見ていたんじゃないのか? 姫――ルーメ嬢をずっと監視していたのだったら」


「ああぁ〜これはお恥ずかしいですわ。ワタクシ、確かにルーメを監視しておりましたが、あの牢屋を監視していたわけではありませんの。

ワタクシは、ルーメの中身(・・・・・・)を監視する高度な文字魔法を使用しておりましたの」


「中身……だと?」


「ええ、彼女の中身……五感……あらゆる感情……ワタクシ、そういったものを肌で感じたかったものですから?

屈強な野蛮人どもになす術なく犯され穢れなき花弁を無惨に散らすその絶望……恐怖……ウフフフ、あらやだ想像するだけでワタクシまた……興奮してしまいますわ」


 こいつ、この女、とんでもないことを言っている。沸々と滾る怒りが、シノブの指先を一層強く輝かせていく。


 なるほど、と頷くサロゼルフも不快感を隠せず眉根を寄せている。


「まさに芸術。実に退廃。ワタクシのインスピレーションを刺激する体験になるはずだったのですが……ルーメが絶望や恐怖を感じる時間は長くはありませんでしたわ」


「あ、当たり前だ。すぐにノットラックスの戦士たちは誇りを取り戻したんだ!」


 恐怖と怒りを撒き散らすように、シノブは大声を張り上げる。


「あらまあ仲良しなこと。なにはともあれ、ワタクシそれで少し興が醒めまして、ワタクシも忙しい身ですから監視魔法を解いてしまったのですよ」


「姫が甚振られる感情を味わう……そのことに下衆な劣情をそこまで抱いていたお前がそんな簡単に監視魔法を解いたのは、スレイと会うためだな?」


「…………」


 ここにきてはじめて、イーアザッドはその優美な言葉遣いをやめ、口籠った。心なしか彼女を纏う風の勢いが増した気がした。


「……スレイは駆けつけたワタクシに会うなり、額を床にこすりつけて泣きじゃくりましたわ。

『僕らのことを話してしまいました。僕らのことを知っている囚人がいま騒ぎを起こして脱獄を図りました』と」


「……認めるんだな? お前とスレイの仲を。恋仲であるということを」


 明らかに先ほどまでとは空気が一変している。

 張り詰めた緊張感を生み出しているのは、言葉ひとつひとつの、()。流暢で煌びやかだったはずのイーアザッドの声が、言葉が、まさに彼女の得意とする『退廃文学』のように暗く落ち窪んでいくからだ。



「……あぁ」



 吐き気を覚える沈黙の後、イーアザッドはマギアペンを構えたまま大きく天井を仰ぎ、片方の手で頭を抱えた。

 そして、嗚咽とともに大粒の涙を流し始めた。


「あぁ! なんてっ、なんて哀れなワタクシのスレイッッッ!!

どうして男という生き物はこれほどまでに愚かなのでしょうっ! どうしてこれほどまでに愚直なのでしょうっ! どうしてこれほどまでにっっ! 愛らしいのでしょうかっ!!」


「――団長っ!! くるぞっ!」


 イーアザッドの豹変ぶりに驚く暇もなく、サロゼルフが叫んだ。

 反射的にシノブは〝指〟を構え――だがイーアザッドの方が圧倒的に早い――!


「『昔々、おばあさんは豚の挽き肉が食べたくなりました。豚を捕まえました。その豚はおじいさんの大事にしている豚でした。おじいさんはおばあさんを挽き肉にして食べました』」


「――不死魔法、『生き壁(い かべ)』!」


 イーアザッドの虹文字はまるで空間を滑るスケート選手のように優雅で素早かったが、比較的文章が長かったおかげでサロゼルフの不死魔法が発動する方が早かった。


 シノブとサロゼルフを守るようにガラス状のドームが出現し、間髪入れずに不気味なイーアザッドの魔法が発動、なにか目に見えない細かくて鋭いモノが弾丸のように無数に襲いかかってくるが、サロゼルフの唱えたバリアによって金属音とともに弾かれていく。

 しかし透明のバリアには次々とヒビが入り、今にも割れそうだ。


「サロゼルフ――っ!」


「空気を活性化させる不死魔法だ! ――が、不死魔法は本来攻撃にも守りにも向かん! 長くは持たん!」


「じゃあどうすれば――っ!」


「決まっているであろう! 団長の文字魔法しかない! 俺は今のうちに伝達魔法で状況をスタークスたちに伝える!

『一階ロビーでイーアザッドと遭遇――交戦やむなし!』」


 ――文字魔法――文字魔法――なにかバリアのような効果を成す文字魔法――!

 なにかあったはずだ――くそ! 焦れば焦るほど頭ん中が真っ白になってなにも言葉が出てこないっ!


「あぁ、愛しい愛しいワタクシのスレイ。彼を想えば想うだけ退廃的な言葉がいくらでも出てきますわ……!

でもいけません。いけませんの! こんな禁断の愛はっ! この国の魔法使いの頂点に立つ者として、ユーマス家の血を継ぐ者としてっ!!


あぁ……それでもワタクシは、想像してしまったのです。できてしまったのです。この禁断の愛は、ワタクシの文字魔法を更に美しく彩ると。退廃文学の使い手としてのワタクシが覚醒してしまうと。

だからワタクシはスレイを愛すのですっ! あの哀れで矮小で穢れてて脆弱で可愛くて仕方ないスレイ・ロックをッッッ!!


――『溺愛の深淵。それは深海よりも底無き奈落。落ちる落ちる。もはやそれすら快感で……』」



 狂ったようなイーアザッドの演説だったが、しかし、文字魔法を唱える瞬間だけは冷静かつ耽美そのものだった。


「ぐっ……!?」


「うわっ……!!」


 シノブを、そして恐らくサロゼルフをも襲ったのは、猛烈な息苦しさ。

 いや、息苦しいというレベルではない。完全に呼吸ができない。息を吸っても酸素のひとかけらも吸い込まず、息を吐こうとしても喉元で二酸化炭素がつっかえた。


 まるで、水中で溺れていくかのよう。


 ――く、苦しいっ…………!!



 死をも思わせる呼吸困難の中、体を支える力を失ってシノブはそのまま崩れ落ちた。瞼に消えてゆく視界に、サロゼルフも膝をつくのが見えた。



 ――ま、ず、い……この、まま、じゃっ……!


 死……死……死ぬっ……!


 死んだらどうなるっ……? 一度だけ《転生時計》が二十四時間を経過する前に死んでみたことがあった。

 そしたらその世界での二十四時間は強制的に終わりを告げて、また次の世界の二十四時間が始まった。


 それはつまり、この世界に生きる俺自身が死んで、次の世界へと転生したってことなんだろう。


 ――いやだっ……!!


 まだ。まだ俺はなにもしていない。俺はまだこの世界にいたい。イーアザッドを倒したい。スレイを許さない。ルーメさんにもう一度会いたい――――



「――シノブさんっ! それに皆さん! 聞こえますか!?」



 意識が朦朧とし始めたその時、シノブの脳内を鮮烈に弾かせたのは、待ち望んでいた少女の声だった。


 ――そうか――! 伝達魔法――!


「いま、あたしたちはスレイさんに拘束されてますっ! もう時間がありません!

皆さん! シノブさん、サロゼルフさん! 決行(・・)するなら今しかないです! シノブさんたちはできますか!? 無事ですか!?」


 脱獄する前に決めた、『最後の作戦』。


 この作戦で、イーアザッドとスレイの二人を貶める。


 なんとか意識を手放すまいともがきながら、シノブは両腕を動かした。両腕を動かすことに意識を全集中させた。



「――いつでも行ける……ルーメさん……!」



 そしてシノブは、ゆっくりと、右腕の袖を捲った。





【残り 11時間13分50秒】

更新頻度遅くてすいません。。ここからなるべく加速目指しますっ!

皆様どうぞ応援のほどよろしくお願いいたします……!

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