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32 ルーメとスレイ

「……なぜ、あなたがここにいるのですか? ルーメさん」


 監獄長室の椅子に腰掛けたスレイ・ロックは、机の上に両肘をつけ、組んだ手の上に顎を乗せたままルーメを睨んだ。

 一見落ち着き払っているように見えるその様子だが、手は小刻みに震え、カチカチと鳴る歯の音がルーメの耳にも聞こえてきた。


「――第四百八番牢獄で脱獄事件が発生ッ! 信じられない事態だっ! お前ら野蛮人とルーメさんが収監されている、このハーゾフ監獄の中でも最も重要な牢の一つッ!

なぜ? なぜこんなことが? 今までネズミ一匹すら逃したことのない最強の監獄なのに?

僕は――僕らは――絶対にお前らを逃すわけにはいかないんですっ! お前らは知ってはいけないことを知ってしまった! ああぺらぺら喋ってしまったのは僕だとも! 僕が愚かだったんだとも! でもまさか脱獄されるなんて夢にも思わないだろう!?


絶対に一人も逃してはならないっ! 一人残らず殺すしかないっ!

そのために、いまイーアザッド会長が単身出口に向かったというのに――なぜお前らがここにいる!?」



「……たったいま、兄貴から連絡があった。一階ロビーでイーアザッドと遭遇、交戦やむ無し、と」


 敢然とルーメの前に立ち、大柄な全身をもってルーメを守護しているスタークスが言った。

 シノブの使用した伝達魔法は伝達の相手を選べるわけではないので、サロゼルフからの連絡はルーメの脳内にも届いていた。


 この監獄長室に侵入した瞬間、ルーメたち全員の隠匿魔法が解け、そこにいるスレイ・ロックの目に映ることとなってしまった。

 シノブたちがイーアザッドに見つかったということは、イーアザッドによってすべての隠匿魔法が解除されてしまったのだろう。そのような強力な魔法を容易に使いこなせる魔法使いであるということを、当然ルーメは知っていた。


「!! ――そうだ、そうですともっ! さすがは我が愛しのイーアザッド会長! 狡賢い隠匿魔法をいとも簡単に解除してくださったようですね!

だが――くそっ! もう一度聞きますよルーメさん!? なぜあなた方は二手に分かれ、こんなところにいるのです!?」


 もはやスレイは狼狽を隠そうとはしなかった。いや、隠しきれないのだろう。

 脱獄は大事件だが、出入り口でイーアザッドが待ち構えてさえいれば問題はない、丸腰の囚人たちなど一網打尽にできると。それは決して間違いでも過信でもない。イーアザッド・ユーマスとはそれほどまでに強大な力を有しているのだから。


 だからこそ、シノブたちの安否を案じてルーメは気が気ではない。

 しかしだからこそ、シノブたちが身を挺してまで時間を稼いでいてくれている以上、気を強く持たなくてはならない。


 様々な感情が渦巻く頭をぶんぶん振って、両手に力をこめて、ルーメは深く深呼吸をした。



「……もう一度、あなたに会うためです。あたしの話を聞いてください」


 ルーメが声を振り絞ると、スタークスを始めとする周囲の戦士たちの全身に闘気が漲るのがわかった。スレイのどんな些細な行動も見逃さない、絶対にルーメを守ると、強い意志を感じざるを得ないオーラだった。


「僕に会うため、だって? そんな世迷言が通用するとお考えですか? なにを企んでいるか正直に話しなさい!」


「ウソじゃねえよ。姫はな、てめぇの言う通り団長たちと一緒に行動して脱獄することももちろんできた。

でもそれをしないでこの監獄長室を一心に目指した。てめぇの母親のファリス法務大臣の執務室――この牢獄を〝庭〟と称するほど手中に置いてる貴様なら必ずこの部屋にいるはずだってな」


「黙れ薄汚い死に損ないめ! 僕の高貴な口は貴様らのような者と話すようには出来ていない!」


 スレイの暴言に、スタークスの腕に血走る太い血管がぴくぴくと脈打つのが見えた。

 この荒くれ者たちだ。サロゼルフの制止がなければとっくにスレイに殴りかかっていてもおかしくない状況である。それでも、スタークスや他の戦士たちも、スレイと話をしたいというルーメの意志を尊重して必死に怒りを抑えてくれている。


「……いや、それを言ってしまったらもはやあなたも同じか、ルーメさん。

あなたは高貴な身分で才能と容姿にも恵まれながら、このような敵国の蛮族どもと手を組んだ。反吐がでますよっ……!」


「……スレイさん。何時間か前の、その、あたしをぐちゃぐちゃにするような言葉は、きっとスレイさんの本音なんだと思います。……とても悲しい、ですけど」


「ああそうです。そうですとも。僕は没落したあなたに失望し、見限りました。イーアザッド会長への忠誠と真実の愛を証明するため、できるだけ強い言葉でねじ伏せてあなたを再起不能にしようとしたつもりでしたけどね?」


 予想はしていたけれど、それでも、抉るような言葉の数々は刃となってルーメの全身を切り刻んでいく。

 かつてのスレイの穏やかな言葉、純真無垢に文字を教わる姿、その柔和な笑顔が脳裏に焼き付いているからこそ、ルーメはまた泣き出したくなる。


 けど、こらえないと。


「でも、それでもっ、あたしがここに来たのはもう一度スレイさんと話すためです!

お願いですから、言葉を、その、強くしないで、あたしの質問に答えてください……! スレイさんは、あたしの身分や身なりにだけ目をつけて近づいたわけじゃないですよね? はじめて会った時の、男だけど文字を学びたいって訴えるあの目は、絶対に嘘の輝きじゃありませんでした」


「もちろんです。僕は文字魔法を使えるようになりたかった。それは、男という劣等種に生まれたけれど、高貴な血筋を持つ僕の生まれながらの誇りがこのまま惨めに生を終えることを許さなかったからです。

……しかし当然、イーアザッド会長が僕に文字魔法を教えてくれることはありませんでした。たとえ愛し合っていても! 真実の愛がそこにあっても! 世界一美しく気高い彼女は、生まれながらに持つ貴族としての本能に縛られ、僕に触れることすらできなかった。その葛藤は僕如きが気安く同情できるほどのものではない」


「……スレイさんが、どこでどんなふうにイーアザッド会長とそういう仲になったのかは知りませんし、聞きません。

ただ、あたしはスレイさんと出会った日のことをよく覚えてます。……魔法教会で、隠れてシスターからの御言葉を聞いていた」


 魔法教会は、熟練の魔法使いが少女たちに文字魔法を教授する場所。当然男子禁制である。

 その教会の椅子の下に隠れて、必死にシスターの言葉に耳を傾けていたのが、スレイ・ロック。それに気づいて声をかけたのがルーメ。


 この出会いによってルーメはスレイと話すようになり、彼の生い立ちを知り、似た境遇である自分と彼を重ね、少しずつ惹かれていった。


「……古語を使えること以外は、なにもできないあたし。ほとんど家柄のおかげで『アイクスオス文豪』に所属できてた、なにもできないあたし。

自信なんてこれっぽっちもなかったのに、スレイさんが『君は才能がある。魔法使いとしてだけじゃなく、人に愛される才能がある。僕らみたいな人間のために文字を教えてほしい』って言ってくれた言葉、今でも覚えてます。とても励まされました」


「ええ、ええ、ええ、一つも嘘はついてませんよ。僕があなたの才能と容姿に惹かれたのは事実です。イーアザッド会長から文字を学べないのなら、あなたに教えてもらおうとしました。

ところがあなたは僕の流麗な言葉にいたく感動しすぎて、誇大に解釈して、僕以外の男どもに文字を教え始めた。


――文字塾? くだらない! あなたは僕にだけ文字を教えてくれれば良いのにっ! あんな下賤な民どもを薄汚い地下に掻き集めて先生を気取って!

ええ、もう、まったく、途中からずっと反吐が出そうでしたよ。僕とルーメさんの二人きりなら付きっきりでもっと効率よく文字魔法を学べたのにっ! どんどんあなたを僕の虜にさせられたのにっ! 僕の欲を……会長にはぶつけられない欲情を……あなたにぶつけることも容易かったのにっ!」



 クズが……とスタークスが歯噛みする。


 それでも。

 溢れ出そうになる色んな感情やら絶望やらを喉元で必死にこらえて、ルーメは笑顔をつくった。


「……それでも、嬉しかった、です。スレイさんがあたしをどんなふうに扱ってても……文字魔法を学びたいっていう強い意志だけはほんとうだったんなら」


「嬉しい? ふざけないでくださいよ。僕はちっとも嬉しくないっ!

ルーメさん、あんたにはもうなにもないんだ! 地位も、人権も! あんたが派閥を追放されたと聞いて、失望して、僕は真っ先にイーアザッド会長に真相を尋ねた! ……会長は、僕とルーメさんが密会しているという情報を得たから、とおっしゃいました。


その時、嗚呼、その時です……。僕は会長の深い愛を感じました。まさか嫉妬してくださってる? 僕がルーメさんに惹かれているのではないかと?

そうして、僕は一瞬で決意したのです。すべてを失ったあなたにはあの文字塾のゴミどもと一緒に牢獄に一生幽閉されててもらい、僕はこの断固たる僕自身の決意と行動により、イーアザッド会長からの絶対なる信頼と愛を享受することを」



「……!! だめです、スレイさん! 目を覚ましてくださいっ! あなたは美しい文字が書けるようになってきてます! まだ――」


「黙れ! もうなにもかも遅いのです! そうっ、なにもかも!

――『それは葉桜 世界の葉桜 重き愛』」


 ずっと机の下に隠し持っていたのだろう、マギアペンを突き出しながら、勢いよくスレイが立ち上がった。


 その動きに反応できたのはスタークスたちだったが、しかし、彼らが動くよりもスレイの文字魔法が炸裂する方がわずかに早かった。


「ううっ……!」


 ルーメも、戦士たちも、呻き声をあげながらその場にうつ伏せに倒れ込んだ。


 背中になにか巨大な重しが乗せられてるかのように体が重く、全身がびりびりと痺れて動かない。


 ――この『ハイク』は、あたしがスレイさんに教えたことのある文字魔法……!


優秀な教師(・・・・・)の下で文字魔法を学び……イーアザッド会長のお近くで強大な魔力に触れ続けていたこの僕が……まだ一つも文字魔法を使えないとでもたかを括っておりましたか?


高貴なる血と選ばれし一族の才能をあまりみくびらないでいただきたい。

――このまま、あなた方には無様に這いつくばったままでいてもらいましょう。やがて出口に向かった囚人どもを会長が塵芥にし、すぐこちらに駆けつけてくださいますでしょうから」


 コツ、コツ、と勝ち誇ったスレイの靴音が頭上から響く。


 ――シノブ、さん……! ごめん、なさい……やっぱりあたしにはなにもできませんでした……!



 …………伝達魔法は、まだ解除されてないですよね……?



 ――それ、なら…………っ!





【残り 11時間15分18秒】

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