30 脱獄作戦決行開始
ルーメが泣き止むまで、意外にもそう時間はかからなかった。
ノットラックスの戦士たちは怒り狂って雄叫びをあげ続けていたが、シノブだけは彼女が泣き止むまでずっと寄り添い、そしてシノブを団長と慕うサロゼルフもその側に居続けた。
「大丈夫です、あたし! ごめんなさいいっぱい泣いちゃって! あたし、まだスレイさんのこと信じてるんで!」
泣き止んで、開口一番、彼女のその言葉に、さすがの荒くれ者たちも雄叫びを止めた。
「なにを言ってるんだ姫!? あのクソ野郎は完全にお主を裏切ったんだぞ!」
「そうだ! もはや慈悲はない!」
「外道中の外道! 我が祖国だったら八つ裂きでは済まん! いくら団長や姫が擁護しようが、我ら誇り高き戦士の怒りは抑えられんぞ!?」
いや、シノブだって彼らと同じ気持ちだ。むしろもしかしたら彼ら以上に今も気持ちが昂っている。
スレイ・ロックは絶対に許せない。
もはや津久井志信のくだらない二十九年間のことなどとっくに頭から削げ落ちている。あるのは、この貴重な二十四時間に生を受けた自分の今のこの激情。過去も前世もどうでもいい。今、ここにいるシノブ自身が、絶対にあいつを許さないと拳を握る手が緩むことはない。
しかし、そんなシノブの岩のような握り拳を優しく握りしめて、ルーメは涙を散らしながら微笑むのだった。
「みなさん、あたしなんかのために、すごく怒ってくださってありがとうございます!
おバカなあたしですけど、一応、わかってるつもりです。あそこまで言われちゃ、しょうがないです。あたし、スレイさんに利用されてたんですね。すごく悲しいですし、だから泣きます」
笑いながら目尻から涙を流すルーメ。その気丈な姿に、何人かの戦士がもらい泣きでおんおんと咽び泣く。この時だって、シノブは彼らと同じ気持ちだった。
「それでもスレイを信じるって言ったな。なぜだい?」
怒りやら悲しみやら、とにかく感情に突き動かされる涙を必死にこらえて、シノブは問うた。
「信じるというか……その……うまくいえないんですけど、もう一度きちんと話をしたいんです。
さっきはスレイさんも興奮してましたし、一方的に言われるだけだったんで、ちゃんと向き合って話し合いたい。もうあの人はあたしのことなんて死んでいいと思ってるんでしょうけど……」
「何の意味がある? さっきのあいつを見ただろう? ほとんど狂人だ。狂ってる。
ルーメさん、君が家柄のこととか差別のこととかでスレイへの同情が捨てられないのはわかる。けど、あいつはもう完全に正気を失ってた。いや、最初からか。私利私欲のためだけに君に近づいて、イーアザッドには我を失うほど心酔して、あんなやつ存在自体がもはやぶっ壊れてる」
ルーメが悲しげな顔をする。わかってる、仮にも恋した人が今目の前でこき下ろされているからだ。
しかし、その顔がシノブはつらい。裏切られた、利用されてた、そんなことわかっているのにスレイへの未練をどうしても捨てきれない彼女の葛藤が嫌でも目についてしまって。
「……それでも」
歯痒さに苦しむシノブをよそに、ルーメはベレー帽を勇ましく被り直し、立ち上がった。
「それでも、あたし、このままじゃ納得できません。スレイさんと決着をつけるまでは」
「ルーメさん……」
ショートパンツから伸びる細い両脚は小刻みに震えている。両眼だってまだ涙に揺れている。
それでも――それでも立ち上がった彼女の姿は、ノットラックスの荒くれ者たちが息を呑むくらい、勇猛に精悍に輝いていた。
「フフ、ならば、ただ脱獄するというわけにはいかないな?」
二人のやり取りを背後で聞いていたサロゼルフが、マントをゆらめかせながら腰を上げる。
「少し話を整理しようか。
俺たちは三百年イマジェラと戦い続け、二十五年間ここに幽閉され、その年月は脱獄なんて妄想思い起こすことがないほどに俺たちから魂と誇りを抜き取った。が、そこへシノブが現れ、不思議な術で団長の如く俺たちを奮い立たせた。
――もう一度戦おう。そう心が滾っていた矢先、この牢獄の監獄長の息子を名乗る男、スレイ・ロックが現れた。
奴はルーメ嬢――姫の文字塾の生徒であり、そして想い人でもあった。だがその実ヤツはイーアザッドの恋人であり、貴い血にこそ価値があると論じる貴族主義者だった。
スレイ・ロックは文字魔法を学ぶため、おそらくはイーアザッドには秘密で姫に近づいたが、密告があったかそれともイーアザッド本人が勘づいたかは定かではないが――姫との繋がりがイーアザッドにバレてしまった。
そしてその日のうちに姫は派閥を追放され、スレイはイーアザッドの寵愛と庇護を失った姫を用無しと断じ、隙をついて文字塾を告発してイーアザッドの手の者らに摘発させた。
そして誇りを失ったゾンビのような我らに襲われることも構わず、凶悪犯ばかりが犇くこのハーゾフ牢獄へと超法規的手段で投獄した。
あのイーアザッドが本当にスレイを愛しているかどうかは疑問だが、スレイはおそらく狂信的にイーアザッドを愛し、貴い血を持ちながらも男として生まれた自分に強い劣等感を持つがゆえ、必死に文字魔法を学ぼうとし、それでも姫が立場を失うと一瞬で見切りをつけた。
ヤツの生い立ちにも同情の余地はあり、我ら敵国への侮辱や口撃は許容するにしても、姫への蛮行の数々は人情のかけらもない鬼畜の所業と言わざるをえない」
少しずつ少しずつ、サロゼルフの口調のボルテージが上がっていく。彼はマントをたなびかせ、骨の腕でシノブの手を握り、生身の腕でルーメの手をとった。
「姫のこの細腕が我らを救う。団長のこの奇跡の指が逆転劇のファンファーレを奏でる」
シノブが念じると、人差し指の先が柔く虹色に光った。これも転生したこの人間の能力なのだろうが、念じることによって〝指のマギアペン化現象〟はオンオフ自在に切り替えることができた。
「先ほども言ったように、団長の記憶喪失は姫の文字魔法知識が補う。この二人のかけがえのない力、我らノットラックスの誇りと魂、何一つ欠けても脱獄はなし得ないだろう。
そして、ただ脱獄するだけでは姫の無念も我ら英霊たちの無念も晴れることはない。――我が弟スタークス! そして誇り高き戦士たちよ! 汝らはただここからおめおめと逃げ出すだけで良いと思うか!? それで英霊の魂は浄化されると!? 焔を取り戻したこの魂の火照りが冷めると!?
否っ!
断じて、否っ!!
我が魂は姫の魂を烈しく凌辱したスレイ・ロックを許さない! 我が魂はその姫を守ろうと立ち上がる団長の勇姿に奮い立たずにはいられないッ! ――皆よ! 我が決意と熱意と皆の魂、一片の差異もなかろうな!?」
静かに、声を殺して、それでも湯気が立ち込めそうなほどの熱のこもった副団長の鼓舞に、戦士たちは吠え猛りたいのをこらえるのにどうやら必死だ。ある者は両眼を血走らせ、両眼のない者は歯をぎりぎりと食いしばり、歯のない者は筋骨隆々の腕が膨れ上がるほど力を込めた。
「よし、これですべて決まった。お主らと、我らの成すべきこと。
姫はスレイ・ロックを追う。団長は、イーアザッドを追う。我ら戦士は二手に分かれてお主らをサポートしよう」
「……? 俺がイーアザッドを? ルーメさんがスレイと話をつけたいというのならもう反対はしないけど、まだ脱獄作戦もまとまってないのに、どこにいるかもわからないイーアザッドをどうやって……」
「いえ! シノブさん。それはそこまで難しくないはずですっ。イーアザッド会長はたぶんハーゾフ牢獄にいらしてますから!」
「……そうだ。文字塾でイーアザッドが現れた時、やつは下衆なことを言ったんだろう?
このハーゾフ牢獄で我ら凶悪犯に陵辱される姫の姿を監視したいと」
……!! そういえば……!
あの時のイーアザッドは、さっきのスレイに負けないくらい狂気に満ちていて、ルーメが陵辱される様を覗き見ることに興奮を隠しきれない様子だった。
あの異様な興奮の仕方……ルーメへの嫉妬……そう考えると、イーアザッドも本当にスレイのことを愛しているのかもしれない。それも……スレイ同様、狂信的に。
「……でも、仮にイーアザッドに会えたとして、俺はなにをすればいいんだ?
確かに俺の指は不思議な力を持ってるようだけど、ヤツはこの国最強の魔法使いなんだろう? とてもじゃないが敵わない」
「なに、誰も交戦するなどとは申していないぞ? そもそも脱獄するのだから無用な衝突は避けるべきだ。
――だが、それでもイーアザッドとスレイは貶める必要がある。姫がスレイを想う気持ちとこれは別だ。姫には申し訳ないが、二人の大スキャンダルはここで全世界にお披露目させていただこう。
それが、数々の蛮行を犯した二人の償い、落とし前というものだ」
ルーメは複雑そうに、悲しそうに、目を伏せた。が、サロゼルフの言葉になにも反論はしなかった。
イマジェラ最大派閥の最大権力者で最強の魔法使い、イーアザッド・ユーマス。彼女がまさか男と交際・熱愛していたなんて事実が国中に知れ渡ったら、それこそどんな地位も貴い血も関係なく、あっという間に転がり落ちていくように失脚するだろう。
「だが姫、安心してほしい。イーアザッドもスレイも大バッシングと失脚は避けられぬだろうが、恐らく極刑はありえない。
イーアザッドの地位に議会も尻込みをするだろうし、罪状自体が極刑に値するようなものではない。――とはいえ、イーアザッド本人は死んだほうがマシとも思える究極の屈辱を味わうだろうがな。刑罰や司法などはどうでもいい。くだらない家柄や血にこだわる二人にはスキャンダルという恥辱が一番の罰となりえよう」
「……なにか、作戦があるのか? ここから脱出しながら、二人のスキャンダルを全国にばらまく作戦が?」
「……フフ、それは我らの不死魔法と、あとはお主ら、奇跡の文字魔法次第だな」
――――――――――――――
――それから、約三時間強。
色々な意味で時間はなかったが、それでもできるかぎりの時間を使い、シノブたちは作戦を練った。
シノブはいくつもの文字魔法をルーメから教わり、脳を活性化させるという不死魔法もかけてもらい日本の歴史ある俳句もある程度思い出すことができた。
脱獄。
それだけでもフィクションでしか見たことのないチャレンジなのに、作戦のほとんどは自分の駆使する文字魔法にかかっている。シノブの双肩にのしかかるプレッシャーは凄まじいものだった。
それでも。
それでも、ルーメの涙まじりの覚悟と、サロゼルフたちの高まる戦意を肌で感じれば感じるほど、恐怖はみるみるうちに武者震いへと変わっていった。
そして、この世界に来てから《転生時計》のすべての針がぴったり一周する十二時丁度。
ついに脱獄作戦が決行された。
【残り 12時間00分00秒】
最近更新頻度がやや落ちていて申し訳ないです。。
ちょっとリアルが忙しいだけで、執筆意欲は俄然高いので、これからまた更新頻度を戻していけたらなと思っています!
皆様の応援と声援、大変力になっております。いつもありがとうございます!!




