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29 反撃の鐘が鳴る

「スレイさん、無事だったんですね!」


 ずっと掴んでいたシノブの手を離し、ルーメはスレイに駆け寄った。ルーメは鉄格子越しにスレイを涙目で見つめたが、それを見下ろすスレイの目は氷のように冷たかった。


「待ってくれ、ルーメさん。おかしいだろ。なんでこいつが牢の外にいるんだ」


 確かにイーアザッドたちの襲撃の際、スレイは姿を眩ましていた。どさくさに紛れて逃げおおせた可能性はあるかもしれない。しかし、どう考えてもこれはおかしい。看守ですら女ばかりのこの監獄に、なぜ堂々と男であるこいつが存在できているのだ。


「い、いえっ、その、おかしくは、ないんです。スレイさんは……ハーゾフ牢獄監獄長のファリス・ルインフォーク大臣の御子息ですから……」


「ほう?」


 サロゼルフが、興味深そうに息を吐いた。


「まあ、とっくの昔に勘当されてるんでルインフォーク性を名乗る権利もありませんがね。母上からしたら当然でしょう。まさか名家から男が生まれてしまうなんてね」


 シノブは驚きを隠しきれず、スレイを睨んだまま絶句した。

 おかしい。なにかおかしい――と突然の訪問者に頭が熱を帯びてフル回転する。


 ファリス・ルインフォーク。

 さっきサロゼルフからも聞いた、このハーゾフ牢獄の監獄長であり、イーアザッドの家柄とも深い関係にある強い権力を持った人間だ。


 その息子が、スレイ?

 その事実をルーメは知っていたって? 知っていた上で、スレイに文字を教えていた?


「おかしな話だな。一般家庭はともかく、上流階級や貴族の家柄に男が生まれた場合、その場で内密に殺害するって聞いてるがな。骨の国にもその悪習の噂は轟いているが?」


「フフ、さすが無駄に長生きだけはしてませんね? しかし、知っての通りうちの母は法務大臣でありこの牢獄の最高責任者です。

『粛清』……男の胎児を殺害する儀式のことですが、当然法に認められたものではありませんし歴史ある家系のみで内々に行われている犯罪行為でしかありません。母は、法を治めるお上としての葛藤か、はたまた僕を粛清したことが密告されて立場を失うことを恐れただけか、真相は知りませんが、僕を生かすことに決めたんですよ。

もちろん産まれたその日のうちに他の家に押し付けられましたがね」


「なるほどな。……で? その勘当されたはずの息子が牢の外にいるのはどういうわけだ?

そこのお姫様から聞いた話じゃ、お前も摘発された違法文字塾に居合わせていたはずだが?」


 サロゼルフの問いに、空気がぴりりと緊張感を帯びる。


 そう、そこだ。まさしくそこだ。

 無事あの襲撃から逃げおおせた、貴族の息子だから特別に見逃された、それだったらまだわかる。しかし、なぜこの牢獄に現れて――そうも勝ち誇った表情でこちらを見下ろしている?



「……やれやれ。ルーメさん、そんな話までこの者どもにしたのですか?

……まったく度し難い……この薄汚い売女め。汚れた目でこの高貴な僕を見るのはやめろ」



 スレイから発せられた、信じられないようなその暴言に、シノブから見えるルーメの背中が凍りつくのが見えた。


「てめぇ! ――なにを――!」


 完全に勢いでシノブはスレイに向かって飛びかかっていた。が、当然、無情なる鉄格子がそれを阻む。


「ああ、君もいたなそういえば。得体の知れない自称記憶喪失の怪しい男……。こんな男とまで仲睦まじくなって……まったくルーメさん、君はこの数時間でどれだけ僕を傷つけてくれるんだ」


 ケダモノを見るような目でスレイはシノブを見下ろす。その目はルーメにも向けられ、言葉を失っている彼女は、鉄格子を掴む彼女の両腕は、小刻みに震えていた。


「てめぇ、一体なにがしたい!? よくもそんな言葉を彼女に――」


「落ち着け、団長。もう、よく考えなくてもわかるだろう。全部そこの貴族サマの差し金だろうよ」


 鉄格子を揺さぶって歯を食いしばるシノブの背に、サロゼルフの冷静沈着な声が届く。


「イーアザッドはこいつの家と繋がりがある。こいつの母親はハーゾフ牢獄と繋がりがある。で、こいつだけが捕まってない。姫を心配するどころか突き放すような言葉しか吐いてない。


目的は聞き出さない限りはわからねェが、こいつのやったことは今までの流れから大体想像できる。

姫を派閥から追放させたのも、文字塾のことをイーアザッドに密告してハーゾフにぶち込んだのも、全部こいつの差し金だろう」


 ――なんだって――!?

 それは、それは、色々辻褄が合わないのではないか。少なくともシノブの目には、文字塾でルーメを慕うスレイの表情はとても嘘には見えなくて――


「ふう。所詮は半分が骨になってるスカスカの頭ですか。まったく全部僕の差し金なんて言い掛かりよしてほしいですね。どちらかといえば僕は被害者ですよ?」


 サロゼルフを愚弄するスレイの言葉に、スタークスをはじめとするノットラックスの戦士たちが猛り出す気配があった。が、「よせ」とサロゼルフがそれを一言で制する。


「まあでも、半分は半分。半分は正解ですよ。

僕がイーアザッド会長にあの文字塾を密告したのは事実です。ルーメさんが授業をしている間にこっそりね。アイムキャッツの馬鹿双子二人が騒いでる間に僕は姿をくらまして、このハーゾフ牢獄にルーメさんが収監されるのを待っていました。

――なに、家族とは縁を切られてますが、僕に流れる血は高貴な血です。看守どもはファリス・ルインフォークの実子である僕には頭が上がらない。母もこんな薄汚い場所には滅多に出入りしないし、ここは僕の庭みたいなものですよ」


 そんな、と魂が抜けるような声でルーメがずるずると崩れ落ちる。シノブは沸騰しそうなほど真っ赤に煮えたぎる己の血液が逆流するのを感じた。そして叫んだ。


「なにが目的だっ!! 言えっ!!」


「目的? だから言ってるでしょう? 目的もなにも、僕は被害者だって。

僕は純粋にルーメさんを尊敬していたし、純粋に彼女から美しい文字魔法を学びたいと思っていた。

けれど彼女は裏切った。イーアザッド会長の激昂を買い、『アイクスオス文豪』を追放されるなどという最低最悪の裏切りをね」


「それのどこが裏切りだ!? どこを追放されようがルーメさんはルーメさんだろ!! 第一、追放されたのはお前のせいだろっ!!」


「わかってませんね。僕が彼女を尊敬していたのは、『アイクスオス文豪』というこの国一名誉ある派閥の庇護の下にあったからですよ。まあ記憶喪失のあなたにはそれがどれほどの価値なのかわからないんでしょうが。

あの美しく気高く高貴なイーアザッド会長の寵愛を受けるということ……その価値……命としての価値……僕はそれをルーメさんに見出していただけに過ぎません。


ええ、もちろんルーメさんはお顔も可愛らしい。愚かで笑っちゃうくらいに、このお嬢さんは僕の身の上話に同情して僕に好意を抱いてくれました。もちろん好ましいことです。美しく知性にも溢れ地位もある女性。ルーメさんはいつでも僕の(・・・・・・)女にできる(・・・・・)


――おっと、口が滑りました。今のはイーアザッド会長には秘密ですよ?」



 こいつ、この男、なにを、言ってやがる。


 怒りが吹き飛ぶくらいに、シノブの心は乱れた。まったくもってスレイの言っている意味がわからない。行動の意味がわからない。狂人としか思えない。


 ――しかし、どうやらサロゼルフは違った。



「……つまり、こういうことか?

お前とイーアザッドは恋仲である、と」



 そのサロゼルフの言葉に、その場にいた誰もが言葉を失った。ただ一人、当事者であるスレイだけが、少し間を置いてからクククと笑い出した。


「これは驚いた。脳みそが半分なくても、さすがは百年以上我が国と戦い続けてるだけのことはありますね」


「認めるのか? 今俺が言った大スキャンダルを?」


「ええ。貴様らがこの薄汚い肥溜めに幽閉されてる限り、貴様らがなにを知ろうと無駄なことですからね?

――そうです、僕とイーアザッド会長は愛し合っています。当然、公にできるものではない。いくら高貴な身分であるとはいえ――いや、高貴すぎる身分であるからこそ、世に知られるわけにはいかない。


僕はね、これでも不幸を背負って生まれた身です。こんなにも会長を愛しているのに、男などという穢れた劣等種として生を受けてしまった。

親に捨てられた、まともに学校にも行かせてもらえない、文字魔法も教えてもらえない。誰からも! 誰からも僕は人としてすら認められない! それは高貴なる美しきイーアザッド会長も同じだ! 彼女は僕を愛しているが、彼女は決して僕に文字を教えなかった! でも僕はそれを恨んだことはない!」



 スレイは美しい銀髪を振り乱し、自らに酔うように声を張り上げた。



「彼女は世界一高貴で美しい人間だ! だからこそ、彼女に染み付いた生まれながらの高貴な血統が、どうしても僕への愛を拒んだ! 嗚呼、彼女は何度も僕を愛していると言ってくださった! 美しい涙を珠のように流してくださった!

それでも! それでもです! 彼女が高貴であることを証明するかのように、彼女は僕に触れるのを恐れた! 彼女の愛とは裏腹に、彼女に流れる血が僕をどうしても拒んでしまう! 男という罪人を拒んでしまう!


そんな彼女のいたいけな苦しみを知らないだろう? ああ知らなくていいとも! 彼女は僕だけのものです! そして僕も彼女だけのものです!」



「……それで? お前さんはそこの姫を利用したわけだな? 少しでもイーアザッドに近づくために――文字を学ぶために、彼女を唆して男に文字を教えさせた。

その上でイーアザッドを愛しているなどとほざきながら彼女も欲情の対象とした。文字を教わるだけでなく、あわよくば女としても利用できると。


……ああ、何百年も生きてきたが、お前さんほどの清々しいクズは初めて見たよ。

貴様は姫だけでなく、愛しているなどと言ってイーアザッドすらも裏切って己の欲望がままに恥晒しの人生を暴走してきたわけだ」



「あァ? 黙って聞いていればこの能無し骨野郎がッ!! 貴様に僕のなにがわかる? 生まれながらにして人生を否定されていた僕の命のなにがわかるっ?


僕がイーアザッド会長を裏切ってるだと? 冗談でもそんな世迷言は許さないぞ!

裏切ったのはこの女だろう!? 高貴な血を持って才能もあって高貴な派閥に所属していたというのに、見放されて追放されただって? とんだ裏切りだ! 期待はずれだ! こいつは絶対なるイーアザッド会長の御期待と御好意を足蹴にして裏切ったんだ!」



 ――こいつ――もう許せない――我慢できない――っ!



「ふっざけるなぁぁっ!! 全部、なにもかもてめぇが悪いんだろうがっ!! イーアザッドはてめぇとルーメさんが付き合ってると思ったからルーメさんを追放したんだ!

――ああ、今なら納得できるっ!! あのクソ女はただの勘違いのくだらねぇ嫉妬でルーメさんを追放したんだよっ!」



「……君、それ以上イーアザッド会長を愚弄してみなさい。殺しますよ」


 興奮して口角泡を飛ばしていた態度はどこへやら、イーアザッドを侮辱する言葉を耳にした途端、スレイはその場を凍りつかせるほどの低く冷たい声でそう言った。


「たとえそれが事実だとしたら、嗚呼、僕はますますイーアザッド会長への愛が溢れて止まりませんよ。

彼女はこんな小娘に嫉妬までしてくれるほど、この僕を愛してくれているわけだ。禁断の愛……! 甘美な響きです……!


――しかし、それとこれとは話が別。ルーメさんは僕の好意を踏み躙った裏切り者で、あなたは得体の知れない記憶喪失者で、この死に損ないどもは我が神聖なるイマジェラの永遠の敵国です。

ここに幽閉されているだけではもはや生温い。今日中に看守長に拷問の通達をしておきましょう。なに、殺しはしませんよ? 特に骨カスどもは殺すのも一苦労ですからね。せいぜい年月をかけてじわじわと精神からいたぶることにしますよ」


 クク。

 ククク。

 そんなふうに下卑た笑いをこらえるようにして、スレイ・ロックは立ち去っていった。


 サロゼルフはいつまでもスレイの背中を睨みつけ。


 スタークスは地団駄を踏んで怒りに任せて吼え猛り。


 その他の戦士たちもあらゆる罵詈雑言を怒号に変えて鉄格子をこれでもかと揺さぶり。


 ただ一人。

 一人、ルーメだけが、いつまでも小さな体を小さく丸めて泣きじゃくっていた。


 あらゆる感情が迸り、自らを抑えることすら困難なシノブは、ほとんど無意識にそんな彼女を強く抱きしめていた。



 ――絶対に。

 絶対に、許さない。


 脱獄でもなんでも、なんでもやってやる…………!!




 そうして、ここからついに、シノブたちの反撃が始まるのだった。





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