28 脱獄作戦会議
――脱獄、か。
謂れ無い罪で捕まって、牢屋に閉じ込められて、そこから脱獄するなんて、ゲームやファンタジー世界の定番ともいえる展開だ。
そしてここはまさしく異世界でファンタジー世界。少しだけ、いやもしかしたらかなり、シノブは気持ちが高揚していくのを実感していた。
根拠のない高揚じゃない。
この、光る指。マギアペンの能力を有していると思われるシノブの特別な指。
この力があれば脱獄も不可能じゃないと思えた。問題は――
「どんな文字魔法が使えて、それがどんな効果を発揮するのか、自分自身わからない」
脱獄計画に首を縦に振ったシノブだったが、唯一の――そして最大の懸念を口にした。サロゼルフも少し顔を曇らせた。
「先ほど俺たちに使ったあの美しい文字魔法も、意図していたものじゃなかったということか?」
「ああ。……記憶の片隅にある、どっかで見たことがある気がする文字を咄嗟に刻んだだけなんだ」
「で、でもっ! あたしだってあんな美しい『ハイク』見たことありません! シノブさんは凄いんです!」
なぜ『ハイク』を駆使するのに普段はここまで語彙力に乏しいのか、ルーメはひたすら「凄い」という言葉を繰り返して目を輝かせる。
「『ハイク』……? そういえば『否定戦争』の最中、聞いたことがあるな。一部の魔法使いにしか唱えることができない高度な古代文字だと。
俺たちですらその使い手と直接対峙した覚えはない。そうか、あの美しい文字を『ハイク』というのか……」
『否定戦争』は確か三百年前に起こった戦争だったと聞いたが、その頃から『ハイク』は古代文字扱いだったらしい。
どう考えても日本由来の『俳句』と同義のはずなのだが、なぜこんな異世界に日本の歴史ある文学が存在しているのか――まあそれは今考えるべきことではないだろう。
「そういえば、ルーメさんはどうして『ハイク』を? 俺は記憶喪失だから自分が『ハイク』を使える理由はわからないけど、どうやら三百年前でも珍しい古代文字だったらしい。
他のほとんどの魔法使いは使えないのに、ルーメさんはどこでその古代文字を学んだんだい?」
尋ねると、きらきら輝いていたルーメの大きな瞳に、一瞬影のようなものが差し込んだ。が、すぐにぱあっと元の明るい表情に戻した。
「……えと、シノブさんにはちらっとお話したんですけど、あたし実家が……その、少しだけ歴史ある一族でして」
「へえっ! 本当にお姫様かよ?」
スタークスが愉快そうに割り込んできた。相変わらず両眼は漆黒のがらんどうだが、笑っているのは口元でわかる。
「そ、そんな、姫なんかじゃないですっ。あたし、ラインメッセ家の生まれで……。ユーマス家――イーアザッド会長の一族ですね、そちらとも繋がりがあって……それもあって『アイクスオス文豪』に所属できたんです。もう追放されちゃいましたけどね、あはは」
「ラインメッセ家か、聞いたことはある。三百年前からも存続してる一族だな。なるほど、姫は一族の末裔といったところか」
「いえいえ、そんな大層なものじゃ……。色々あって、親からは愛されてませんでしたから。
ただ、お兄ちゃんとは仲が良くて、毎日二人で家の書斎で文字魔法を練習してました。そこにはラインメッセ家に代々伝わる古い文献しかなかったので、偶然古代文字『ハイク』の魔導書を見つけて、その美しさに一目惚れして、なんとかしてこの文字を書きこなしたいと思って毎日『ハイク』だけ練習し続けてました」
「なるほどな。それで姫も『ハイク』が使えるようになったというわけか。……努力の賜物だな。ノットラックスの勇敢なる戦士にも負けず劣らない覚悟といえるだろう」
「いえいえいえ、いえいえっ、そんな、恐れ多い……!」
「そう謙遜するな。それに、これで団長の懸念はある程度解消できただろう。姫が知識として『ハイク』に造詣が深いのなら、脱獄に有用そうな呪文を団長に教えるだけでいい。
なに、元々姫は違法文字塾の先生をやっていたのだろう? 教えるということに関しては専門分野のはずだ」
確かにサロゼルフの言う通りだ。幼少のころから古代文字に触れていたというルーメなら、数多くの『ハイク』を知っているはずだ。それにシノブ自身も、きちんとゆっくり学生時代を思い返せば、まだまだ偉人の名句たちも思い出せるはずだ。
これまでの効果の大きさからいっても、偉人の言葉はやはり偉大だった。間違いなく脱獄のためになってくれるはず。
ただ、この時シノブは、脱獄のことよりもルーメの言葉に微妙に引っかかっていた。
――親から愛されていなかった? 兄とは仲が良かった?
似たような話はあの文字塾でも聞かされていたが、サロゼルフからこの世界の歴史を聞いた後だと、それはまた違った響きとなってシノブの中に疑問を生じさせた。
女同士で結婚が当然の国家。女同士で子孫を作れる。男が産まれること自体少ない国家。
まさに完全なる女による女のための女社会。
ルーメに兄がいるということは、歴史あるというラインメッセ家に男が生まれたということだ。
それは……シノブの想像でしかないが、きっと歴史ある名家にとっては秘匿すべきほどの恥ずべき事態なのではないだろうか。
この国の倫理観や歴史から考えても、三百年以上前から存続している名家ならば、男が生まれてしまった時点でためらいなく殺害してしまうのではないだろうか。
しかし、ルーメは兄と仲が良かったと語った。兄と一緒に隠れるようにして文字魔法を学んだと。
なぜそれが許されたのだろうか? 男が文字魔法を学ぶなんてことはこの国最大の禁忌の一つのはずだ。親に愛されていなかったというのならますます認められることのはずがない。
……いや、これも今考えても栓無きこと、か。
ルーメにまだなにか隠し事があるのは確かだろうが、この異世界の新参者のシノブにはまだまだこの世界の歴史や常識についてあまりにも無知だ。もしかしたら、案外大したことではないのかもしれないし。
文字通り、シノブの時間は有限なのだ。
ここにいる誰よりもシノブには残り時間が限られている。まずはサロゼルフの提案通り、ルーメからできるだけ有用な文字魔法を学んで――
「――おやおや、看守たちから話を聞いて様子を見にきたら……まさかイマジェラとノットラックスが仲良くお喋りですか?」
鉄格子の向こうから、なにやらねっとりとしたいけすかない声が突如響き、シノブの思考は中断させられた。
コツ、コツ、と格式高そうな靴音が徐々に近づいてきて、牢の中にいる全員が口を噤んで気配の方に目を向けた。
「……え」
声の主が鉄格子の向こうに現れて、まず最初に反応したのは、ルーメだった。
「全く、これほどの裏切りはありませんよ。派閥を追放されてテロを疑われてハーゾフに投獄されただけでも寒気がする思いだというのに、挙げ句の果てに敵国の死に損ないどもと言葉を交わすなど。
……どこまで僕を失望させるおつもりですか、ルーメさん」
男は、声を凄ませた。
すらりと伸びた高い上背、ぱりっと着こなした格調高いスーツ、波打った銀色のミディアムヘアの、このどこか気に喰わない優男は――
「スレイ……さん……?」
スレイ・ロック。
当然シノブにも見覚えがある。
あの文字塾の生徒の一人で、ルーメが文字塾を開いたきっかけとなった男で、ルーメが好意を抱いている青年。
シノブは勢いよく立ち上がってスレイを睨みつけた。
――なぜこいつが――自分たちと一緒に文字塾にいたはずのこいつが――なぜ、澄ました顔をして牢屋の外から俺たちを見下してやがる!?
【残り 16時間47分10秒】




