23 この国最凶の魔法使い
この世界の文字魔法とやらが、果たしてどういう理屈でどういう力を持ってして不思議な現象を起こしてるかなんて、地球視点の物差しでしか考えることができないシノブには考えるだけ無駄というものだろう。
――『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』
美しい俳句とは程遠い――ルーメからすればただの罵詈雑言に、彼女は目を丸くした。
だが、その虹文字が引き起こした現象に、彼女はさらに目を丸くすることとなった。
起こった現象をあえて解読するとしたら、こうだ。
まず、『精神的に』。
この言葉できっと文字の魔力は双子の女――テアチェルとケイの精神を鷲掴みにした。
次に、『向上心』。
さっき掴んだ二人の精神ごと、体をロケットみたいに空中に吹っ飛ばした。なるほど、向上心。
最後に、『馬鹿だ』。
馬鹿みたいに二人の身体をぶんぶん空中で振り回した――。
「きゃああああっ!! な、なによこれえええぇっ!?」
「いやあああ! お姉様! おねえさまあぁ!! 私たちのスカートがはだけて下賤なる男どもに見上げられてしまいますわぁぁっ!!」
――いや、それどころじゃないだろ――と、魔法を使った張本人のシノブですらそう思った。
シノブの使用した「名言」の文字魔法は想像以上の効果を発揮し、テアチェルとケイの二人をとてつもない力で縦横無尽に空中で振り回した。
まるで目に見えない巨腕に掴まれているかのように、双子の女は為すすべなくピンボールのごとく空中を跳ね回っているのだった。
「す、すごい……ですけど! シノブさん、ちょっとこれ危なくないですか!?」
しばらく目と口をまんまるくさせていたルーメが、ようやく事態を飲み込んだらしかった。
ルーメの心配は尤もだ。双子の女は空中を振り回されているが、とてもこの部屋は広いとはいえないので、何度も身体を天井や柱に打ち付けている。その度に二人の甲高い悲鳴が響いた。
最初は「してやったり。ざまあみろ」と満足だったシノブだが、この魔法がいつ解けるのかもわからないし、二人の悲鳴が段々泣きべそ混じりになってくるとさすがにちょっと可哀想に思えてきた。
――とはいえ……
「うん、まあ危ないかもとは思うけど、じゃああの二人を助けるの? あの二人はイーアザッドに命令されて俺らを拘束しにきたって言ってた。
ルーメさん、君に至っては再起不能にしても構わないと言ってたんだ」
ここで手を抜いたら突然反撃される可能性が高い。
この世界の魔法使いも『アイムキャッツ』とやらの理念もあの双子の女のことも何も知らないシノブだったが、こういう場面で敵に情けをかけた方が痛い目を見る――そんな展開は本や映画でたくさん目の当たりにしてきた。
テアチェルとケイは必死に白と黒のドレスを両手で抑えながら、何度も全身を天井に打ち付けている。
見たくもない派手な下着なんてとっくに露になっているのだが、それでも己の体が痛めつけられるよりも下着を男どもに見られるのを嫌うらしい。彼女らのその行動こそ、この世界でいかに男がケダモノとしか見られていないかが如実にわかる。
だからこそ、ここで情けをかけてはいけないんだ。
「この魔法がいつまで続くのかもわからない。だから、この魔法があいつらにかかってるうちに逃げよう。追手が来ないうちに」
「そ、そうすべきですけどっ! はわわ……あの『アイムキャッツ』の会長と副会長をあんなにしてしまうなんて……! 完全にあたしたちお尋ね者になりますよ!?」
「今ここで捕まるよりマシだ! そうだろ? ここがバレた理由もイーアザッドの狙いもわからない!
ここにいるのは絶対危険だっ!」
「そ、そうなんですけど! でも生徒さんたちが茨の魔法で拘束されたままですし――」
「こんなの君の『ハイク』ですぐに解除できるだろっ? 今はとりあえずみんな一緒にこの場を――」
その必死の提案は、確かに今シノブができうる〝全力〟だったのかもしれない。
だが、次の瞬間、どこからともなく響いてきた不気味な声に――その全力は文字通り押し潰された。
「――『ぼとり。ぼとり。なにか落ちる音だけが聞こえる。その音だけが私の頼り。その音だけが私の便り。
ぼとり。ぼとり。私の腕が、もがれて落ちる音がした』」
……文字魔法――……!?
警戒した時にはもう、シノブの身体は言うことを聞かなくなっていた。
シノブだけではない。ルーメも、拘束されている生徒たちも、空中をぶん回されていた双子も、突如背中にのしかかってきた重力に押しつけられて地面にへばりついていた。
「こ、この魔法は……!」
ルーメの苦しそうな声が聞こえる。頬を床に押し付けられているせいで、彼女の表情は窺えない。
なんとかして身体を動かそうと全身の筋肉に力をいれようとするが、かろうじて動かせるのは瞼と指先くらいだ。
「……ふう。まったく、情けないですわ。結局このワタクシが出張らなきゃいけないのですから」
どこか気品ある、ハイヒールの音をカツンカツンと響かせて、声と気配が近づいてくる。
……先ほど聞こえてきた不気味な文字魔法を唱えた声と同じ声。そして、シノブにも聞き覚えがある声――
「い、イーアザッド会長……っ」
おそらくルーメの倒れた位置からは声の主の姿が見えているのだろう。
シノブもぎりぎり動く指先に全力を込めると、無理矢理顔を少しだけ上げることができたのでその存在を視界に捉えることができた。
派手な真っ赤なドレスに派手な金髪ツインドリル――『アイクスオス文豪』会長・イーアザッド本人だ。
「ほんと穢らわしいですわ。小汚い地下に、ゴキブリ以下の下賤な男どもに、その男に肩入れする売女……。
全くここで呼吸することすら躊躇われますわね。喉と肺が腐りますわ。我が家に帰還次第召使いどもに入念な歯磨きと最高級浴剤を使った風呂を準備させなくてはなりませんわ」
相も変わらずこの世界の派手な女たちは価値観がむちゃくちゃなことを息を吐くように言う。
……だが、それこそがこのイマジェラの実態であり常識なのだろう。
「か、会長……! な、んで、こんなこと……っ」
「イーアザッド会長! わざわざ御御足を御運びになってくださって感謝いたしますわぁ! さすがの文字魔法でございますわっ!!」
消え入りそうなルーメの声は、絶叫にも似た双子たちの必死な声によって掻き消された。
「……あら」
イーアザッドが、双子の方を向く気配があった。
それだけじゃない。イーアザッドの声とその立ち振る舞いには――殺気にも似た気配が宿っていた。
「『アイムキャッツ』会長テアチェル、副会長ケイ。一体なにを這いつくばっているのかしら?」
「え……! こ、これは会長のっ」
「ええ、ワタクシの文字魔法の力ですわ? ……まったく、救いようのない愚か者たちですわね。
ワタクシがあなた方にも魔法を放った意味をお分かりになっていなくて?」
「え……いや、会長は空中で弄ばれている私たちを助けるために――」
「おめでたい脳みそね。そのへんに転がってる男どもと大差ない脳みそであることを、このワタクシが今この場で裁定いたしますわ。ワタクシに裁かれることをありがたく思うといいですわ。
大体、スレイ・ロックの姿が見当たらないけど、まさか逃がしてしまったとでもいうのかしら? あの男を捕縛しなければルーメ・ラインメッセとの忌々しい男女交際の証拠を掴めないのをお忘れで?」
「そ、それは――!」
確かに、そういえばいつからかスレイの姿が見当たらない。
どさくさに紛れて脱出してくれたのだろうか。せめて彼だけでも派閥の魔の手から逃れられているのであれば……ルーメも希望をもってくれるはずだ。
「……この、役立たずのゴミどもが。
『アイクスオス文豪』が総会長、イーアザッド・ユーマスの名においてここに裁定いたしますわ。
派閥『アイムキャッツ』は本日をもって解体。あなた方お二人からも女傑勲章勲二等と三等を剥奪いたしますわ」
「そ、そんな――っ! どうか、どうかご慈悲を――――ぎゃああああああっ!!」
イーアザッドが目にも止まらぬスピードでマギアペンを走らせると、禍々しさすら思わせるどす黒い虹色の光が重量をもってして双子を真上から押し潰した。
不可思議な暴力によって床に叩きつけられた二人は、身体の半分以上を床にめり込ませ、白目を剥いて完全に気を失った。
「……イーアザッド会長の文字魔法……『退廃文学』、です……! 現代のイマジェラにおける最強の文字魔法と言われてます……!」
息も絶え絶え、ルーメが言う。そんなルーメに気づいたのか、鮮血色のハイヒールを響かせながらイーアザッドがこちらに歩み寄ってくる。
「現代の? ルーメ、あなた今そう言ったのかしら? 自分が使う〝古語〟の方がかつては強力だったと?」
「そ、そんな……あうっ!!」
イーアザッドはハイヒールで勢いよくルーメの顔を蹴飛ばした。
「おいてめえ――っ!」
口から血を吐きながら苦痛に顔を歪めるルーメを目の当たりにし、シノブの口から自然と憎悪の声が漏れる。が、イーアザッドはそんなシノブに負けず劣らず不快感を表情ににじませていた。
「貴様……いえ、あなたは……先ほど神聖なるレストランの神聖なる女性専用厠から出てきた犯罪者……!
どうしてこんなところにいるのかしら? …………いえ、理由を聞くまでもありませんわね?
全く不愉快極まりない……! ルーメ! あなたはワタクシの派閥に属していた恩も忘れ、このような性犯罪者と手を組み男どもとテロを企てていたとは……!」
「ち、違います! げほっ! 信じて、くださいっ! あたしはっ、スレイさんもシノブさんもっ、みんなここで文字を学んでいただけで――!」
「黙りなさい! 百歩譲ってそれが事実だとしても罪は罪! 共謀罪――男隠匿罪――女性反逆罪――罪状は思いつくだけで百を超えますわ!
……まったく……小賢しく尻尾を振るだけの『アイムキャッツ』ごと適当な罪状で捕縛してしまう算段でしたが……気が変わりましたわ」
――こいつ、あの双子はただ丁度よく利用しただけで、最初から自分もこの場所に赴くつもりだったのか? なぜそこまでして――? そもそもどうやってこの場所を――
「――ルーメ・ラインメッセ! 『アイクスオス文豪』が総会長の権限により、この性犯罪者共々、『獣墓所・ハーゾフ牢獄』に収監することを裁定いたしますわっ!!」
勝ち誇ったように高らかに叫ぶイーアザッドの言葉の半分は、シノブには理解できない。
しかし「牢獄」と「収監」という洒落にならない言葉は、きっとこの世界においても地球と同じくして洒落にならない言葉のはずで、シノブは縋るように目玉だけ必死に動かしてルーメを見た。
――ルーメは、シノブとは比較にならないほど顔を真っ青にしていた。
「そん……な…………!」
「る、ルーメさん……?」
ただならぬ様子に、シノブの鼓動が早まる。イーアザッドの文字魔法によって凄まじい重力で床に押し付けられているというのに、ルーメは涙をぽろぽろ零しながらいやだいやだと髪を振り乱した。
「あら? 男という生き物は本当に無勉で愚かね? 『獣墓所・ハーゾフ牢獄』の名前を聞いても正気を保っていられるなんて?
この監獄は、その二つ名のとおり、ケダモノのように恐ろしい犯罪を犯した男だけが収容されるこの国最悪の監獄ですわよ?」
「――なにを馬鹿なっ!」
叫んだのは、シノブたちと同じように地面に叩きつけられている生徒の一人だった。白髪混じりの壮年のその男性は、身を捩りながらイーアザッドに向かって叫んだ。
「わしらならともかく、ルーメちゃんをハーゾフ牢獄に投獄するなど正気ではない!
あそこには凶悪な男しかいないのじゃぞ!? そんな無秩序な場所にこの子を収監したら――」
「ええ。間違いなくケダモノどもに犯されるでしょうね?」
時が止まったかと思うほど、冷たく、鮮烈に、イーアザッドは言い放った。
「それがこの小娘にふさわしい罰ですわ。男を手玉に取ったのなら、男によって手玉に取られるべき。因果応報。違いますか?
くくっ……ウフっ……あ、いけませんわ、興奮のあまりはしたない笑いが……あ、くふふっ、抑えられそうもありませ……くっ、おほほっ、おほほほっほほほほほっっっほほっ!!
――ワタクシは監視魔法を使ってこの小娘が汚される様子を高みの見物としましょうかしらねっ!? 嗚呼っ、いけませんいけませんわっ、興奮のあまりワタクシ――嗚呼っ、だめっ、不潔ですわそんな――眠りなさい! みな眠りなさいっ!
おほほほ、嗚呼――イけませんわ……! 興奮が……! ――『惰眠。惰眠。翌る日も惰眠』」
狂気。
恐怖を感じざるをえないほどのイーアザッドの狂気に誰もが言葉を失っている間に、彼女はまた文字魔法を黒い虹で刻んだ。
黒い虹が粉々に弾けて、後頭部にボーリング球がのしかかってくるような唐突な眠気が、シノブを襲った。
――だ――めだ――寝ちゃ、だめだ――――
――この――ままじゃ、ルーメさんが――それに俺も、なにもしてない、できてない、なにもわかってない、だめだ、このまま眠るなんて、眠ったら次いつ目覚めるかわからない、目覚めたらもう二十四時間が過ぎた後かもしれない、ルーメさんがいない見知らぬ異世界に転生してるかもしれない、だめだ、だめだ、まだだめ――――
そこで、シノブの意識は途絶えた。
【残り 21時間44分44秒】→【残り ??時間??分??秒】




