19 この世界のために動き出す
シノブが泣き止むまで、ルーメは何も言わずに待ってくれた。
彼女なりの気遣いか、はたまた突然泣き出した記憶喪失の男におろおろしていただけなのか、ずっと跪いて号泣していたシノブにはわからない。
けれど、ようやく少しだけ落ち着いて顔をあげた時、ルーメはただ微笑んでシノブに手を差し出した。
「あ、あ――えーと、いきなり、なんかごめん……。なんか文字魔法使ったら、少しなにか思い出しかけて……」
「そうなんですか!? すごく素敵な『ハイク』でしたし、もしかしてシノブさん王族関係の方なんじゃ……」
「いや、そんなはずは……ない。やっぱりどっかの小さな国から旅行に来たことだけは思い出した。
相変わらず目的も出自も思い出せないけど……」
それなのにあれだけ泣き喚いてしまうというのは異様だと思うが、記憶が一気に戻りかけた反動だと思うと説明するとルーメは少し安心したようににっこり笑った。
「シノブさんっ、もし良かったらあたしと一緒に来てくれませんか?
ぜひシノブさんを紹介したい人たちがいるんです!」
ルーメにマギアペンを返しながら重い体を持ち上げるシノブに、彼女はそう言って瞳から溢れんばかりのきらきらを放った。
まるで人を疑うことすら知らないような、純度100%の瞳だ。彼女の表情を見ているだけで不思議とシノブは落ち着きを取り戻せた。
「紹介したい人たち……?」
「はい! 文字の読み書きだけじゃなく、高度な文字魔法が使える男性もいる……それをぜひみんなに教えてあげたいんです!」
シノブに、それを断る理由はなかった。
この世界で不利な「男性」という性別に転生してしまったシノブ一人では行動しても危険が伴うだろうし、今の段階では行く当ても特にない。
なにより、自分を助けてくれた――文字魔法という繋がりでシノブに大きな希望を与えてくれた彼女に、なにか恩を返してあげたかった。そう、それこそ――〝全力〟で。
「それじゃあ行きましょう! ……えと、男性と一緒にいるところを街の人に見られるとシノブさんも嫌な思いしちゃうと思うんで……このまま路地裏を歩いていきますね!
もう陽も落ちてきましたし、薄暗くて申し訳ないんですけど……」
「いや、大丈夫。気遣ってくれてありがとう」
そうして、二人は並んで狭い路地裏を歩き出した。
歩きながらシノブは、先程のシュピノとの束の間の邂逅について改めて考えていた。
――全力でその二十四時間を生きろ、か……。
シュピノとの出会い、そして彼女が告げた言葉の多くは謎に満ちていたが、しかしシノブに生きる気力と希望を与えてくれたのは確かだった。
――《フラグメント》。
限られた時間の中で〝全力を出した時〟、その時間がこの《転生時計》に蓄積され、本当の意味での経験値となってシノブの力となる。
その時間――能力の一つ一つが繋がりとなり、やがていつかシュピノと再会できる時がやってくる。この呪われた時計をあるべき場所に返せる時がやってくる。
……とは言ったものの、あまりに抽象的な話であることは否めない。
察するに、シュピノもすべてを詳細に話す時間がなかったのだろうが、それにしても不明瞭で不可解な点が多い。
まず、〝全力で生きる〟とは、具体的にどうすれば良いのだろうか?
たとえばシノブが《転生時計》をシュピノから奪った時に得たという《フラグメント》――『世界照会』。
自分の今いる世界の大まかな情報と転生情報を一目瞭然で見せてくれるという、これから先もきっと重宝する能力であるが、これが自分に備わった仕組みがいまいちシノブにはよくわからない。
確かにあの時シノブは後先考えずに、理屈ではなく感情に従うがまま行動した。
が、決して真っ当といえる行動ではない。〝全力〟といえば聞こえはいいが、あの世界からしたらただの犯罪行為でしかないだろう。
『《転生時計》は、濃密な時間を決して見逃さない。その性質上、短い時間であっても必ずその時間を取り込もうとする』
『あの時あなたが自分のできうるすべてを間違いなく出し切ったから。――時計は、その時間をそのままそこに吸収した』
シュピノの言葉の節々を思い出す。
……どんなルールや裁定があるのかは不明だが、すべては「シノブ基準であり世界基準」、ということなのだろう。
たとえば今ここでシノブが〝全力〟で何らかの犯罪行為――たとえばルーメに襲い掛かったとする。だがそんなことはシノブは死んでもしたくないし、そういった理性がある時点でこの時計にとっては濃密な時間ではないのだろう。
そう、経験、というよりは、時間なのだ。
輪廻転生を繰り返させている物体が懐中時計の形を成しているという事実。それはシノブの生きる時間を監視・観測しているという感覚がきっと正解だろう。
シノブの成した行動や結果が、〝世界〟にとって何らかの変革や衝撃を与えるほどの濃密な時間となった時、それは《フラグメント》とやらになってシノブの新たな力となる。
だとすれば、たとえばこのイマジェラに対してシノブが全力で立ち向かった時、《転生時計》は『文字魔法』という能力を蓄積してくれるのだろうか。
『世界照会』と同じように『文字魔法』も次以降の世界に引き継げるというのなら、これほど頼もしいことはない。
――まるで、クリア後に能力を引き継いで始める『強くてニューゲーム』みたいだな。
なんだか少しだけ愉快な気分になって、シノブはルーメに悟られないように苦笑した。
ただ、一筋縄ではいかないことはわかっている。それこそ一つのゲームをクリアして無事エンディングを迎えようとするみたいに、引き継げる能力を得るためにはそれ相応の努力がきっと必要だ。
大体、自分が得た『世界照会』も、シュピノが居るあのハローワーク――たしか〝ねじれの世界〟と自称していたが、この能力がその世界の唯一の魔法というわけではないはずだ。
よくわからないが、この時計も《五種の神器》とかいう仰々しい名前のものの一つらしいし、彼女が文字魔法を通じて異世界とコンタクトをとれたことを鑑みても、異能・魔法がはるかに発達した世界にいることは間違いない。
シノブが得た『世界照会』はあの世界にとっては小さな小さな異能の一つ。
ささやかな抵抗で、一介のハロワ職員から奪った時間でしかないということだ。
イマジェラ国の『文字魔法』はこの世界を代表する異能力だ。
この能力を次の転生先に引き継ぐためには…………おそらくかなり強力な時間が必要だと思われる。それこそ、この国の腐った女尊男卑を覆すほどの革命に等しい時間が。
――まったく、なんてがめつい懐中時計だ――。
心の中で毒づきながらも、泉のように湧き上がってくる希望に、シノブはやはり笑みを隠せない。
すべてが無駄だと思っていたこの二十四時間。この世界。
それに、大きな意味が添えられた。得た経験値によって《フラグメント》という未知の異能を手に入れ、次の二十四時間ではそれを活かしながら立ち回り、その次も、その繰り返しで、シノブという人間はどんどん強くなる。
究極の、存在。
シュピノが言っていた言葉もあながち大袈裟ではない。
そして、その果てにシュピノと再会しこの呪いから解き放たれる未来があるならば――もはやシノブに足踏みをする理由はない。
すべての世界を、二十四時間フルに使って、世界のために全力を尽くす。
ただ、それだけだ。
「――お待たせしましたっ! 着きました、シノブさんっ。ここが、あたしが内緒で開催してる――『文字塾』です!」
シノブが頭の中を整理している間に、どうやら目的地に到着していたらしい。
四方が壁に囲われた路地の突き当たりで、ルーメはくるりと回れ右をしてシノブに微笑みかけた。
陽は、既に完全に沈んでいた。
【残り 22時間31分07秒】




