14 少女、ルーメ・ラインメッセ
――ルーメ・ラインメッセ、十六歳。
少女は、そう名乗った。
新緑色のベレー帽をちょこんと頭に乗せた、紺色のショートカットの髪の少女。
小柄で色白で顔立ちも幼いため、地球基準でいうならば中学生くらいに見えた。
志信も、自らを「シノブ」と名乗り、年齢は思いつかなかったため適当に「同じ十六歳」と告げた。
トイレで一瞬しかミント髪の爽やかな自分の顔は見れなかったが、たぶん不自然な年齢ではないはずだ。
「ふう……このへんまでくればもう大丈夫かな……」
バザールのような中世感あふれる商店街の路地裏で、ようやくルーメは足をとめてシノブの手を離した。
シノブはまず時計の針の位置を再確認した。
0時15分を回ったところ。
空を見上げて、空の色と時計を見比べる。
地球でいうならば――タ方、といったところなのだろうか。この世界に太陽に準ずる光源があるとして、それが傾いている時刻だろう。どこか懐かしい、濃いオレンジ色の空がそこにはあった。
「あの……シノブさん、でしたよね? 外国の方ですか?」
時計と空を見比べるシノブの所作を不自然に思ったのだろう、ルーメが顔を覗き込んできた。
純粋無垢に輝く瞳に、つい目を逸らしてしまう。
「珍しい時計ですね! やっぱり『イマジェラ』のじゃない……。あ、すいませんっ、あたしの言葉通じてます?」
「……通じてるよ。さっきも自己紹介したばかりじゃあないか」
「あっ、そうでした!」
てへ、と舌を出してルーメは苦笑した。ありあまるほどの可愛らしい仕草である。
――しかし、本来ならきっと言葉は通じていないはずだ。
この世界でも相も変わらず「日本語」でお互い意思疎通がとれている……。どういう仕組みかは……いまは考えるだけ無駄か。
「……ルーメさん、今この……国……では、何時になるのかな?」
念のため、尋ねてみる。
「今ですか? レカソタ時ですね!」
……やはり、聞いたことのない時間だ。
固有名詞は仕方がないにしても、他の世界でも数や歳など単位に関しては〝自動通訳〟が行われ、不自然の無い会話ができていたはずだが、やはり時間だけは適応外らしい。
「そっか、やっぱり外国の方……。じゃなかったら男子禁制のレストランなんて入ろうと思うはずないですもんね。
……うーん、でも許可証なしにどうやって入ったんです?」
どうやってもなにも、この世界の世界観がまるごとわからないシノブには答えようがない。
今後、二十四時間が経過して異世界転生を繰り返すたびに似たようなやり取りをしなければならないのだろうか。
「……ごめん、旅行者なんだけど、ちょっと持病のせいで記憶障害があって……。
正直、どうしてこの国に旅行に来たのかも覚えてないんだ」
……毎回毎回、記憶喪失を装うのも骨が折れそうだ。
「ええっ!? た、たいへんです! ど、どこか男子でも入れる病院に……! 記憶障害って、あの、ご自分の名前はわかりますか!?」
「……もう二度名乗ったよ」
あっ……とルーメは顔は赤らめてベレー帽をかぶりなおした。
どうやら、かなりあわてんぼうというか、天然っ気のある女の子らしい。
でも、自分のために真剣に焦って真剣に心配してくれているのが伝わってくる。
まぎれもなく、いい子なのだろう。絶望で荒んでいたシノブの心は、少しだけほぐれた。
「それにしても、さっきから聞いてるとどうもこの国はかなり男への扱いが酷いようだけど……」
地球でも差別問題は常に歴史の闇として語られてきたが、むしろ男尊女卑が問題視されるケースが大多数を占めていたと思われる。
「はい。ここ〝言の葉の国『イマジェラ』〟は、大体三百年前から完全な〝女尊男卑〟の社会です。
うむむ、外国の男性なんて入国すらできないはずなんですが……」
「女尊……男卑。三百年前からってことは、相当根強いというか、〝女社会〟がもはや常識になってる感じかな?」
「そうですね、あたしも物心ついた時からそう教えられてきましたし、小さいころは女に生まれて良かったーなんて短絡的に喜びもしましたけど……」
そう言って表情を曇らせるルーメ。そういえば、とシノブは先ほどの顛末を思い出した。
「さっき、なんか派手な女たちに凄い剣幕で責められてたみたいだったけど……良かったの? 俺みたいな見ず知らずの男と一緒に逃げてきて」
「あはは……お恥ずかしいところ、見られちゃいましたね……。
あの時は無我夢中で……きっとあの場にいたらシノブさん投獄されちゃいましたし」
「と、投獄っ? まさかそんな……!」
投獄とは、また穏やかじゃない言葉だ。
しかしまだこの世界に来たばかりで、あと一日も経たずにこの世界からおさらばするシノブにとっては、この国の司法やら歴史やらを掘り下げる意味はほぼない。
「いえ、外国の方も含め、今も男性は毎日たくさん投獄されちゃっています。
あたしが所属する……あっ、もう追放されちゃったから所属していた、か……えと、『アイクスオス文豪』っていう国最大の派閥があるんですけど、その派閥の権力があれば罪を犯した男性は即日投獄されます」
「罪って……まさか男子禁制のレストランに入るだけで?」
「はい。女性しか入れない場所に男性が足を踏み入れるのは、大体禁固五年の刑ですね」
なるほど、中々イカれている。
しかし、長い地球の歴史においてもイカれた法律や憲法が各地にのさばっていた時代もある。
今まさに、このイマジェラとかいう国はイカれた時代の真っただ中ということなのだろう。
それにしても……比較的まともな世界に転生できたと思ったが、不運にも「男」に生まれてしまうとは。
ここもさっさと見切りをつけて大人しく二十四時間が過ぎるのを待つべき世界かもしれない。
「……あの……」
黙り込んでしまったシノブを心配するかのように、ルーメは無垢な瞳をばちくりさせた。
どうにも照れてしまい、シノブは目を泳がせる。
「シノブさんて……この国のこととか、なにも覚えてないんですよね?」
「……ああ、まあ……そうだね……」
「じゃっ、この国独自の魔法――『文字魔法』も知らないんですよねっ」
「『文字魔法』……?」
ルーメは今度は目を輝かせて、ぐいぐい前のめりになった。シノブはどんどん後ずさる。
「あたし、ちょっと他の人とは違った珍しい『文字魔法』が使えてですねっ!
……あの、シノブさん男性なのに記憶もなくて色々不安かな、と思ったんで、ちょっとでも元気づけてあげれればと!」
屈託のない笑顔でルーメは言う。
はきはきと喋るものだから、ベレー帽がずり落ちるくらいに。
……変わった子だ。少なくとも、俺のくだらない二十九年間の人生で会ったことのないタイプの女の子だ。
まあ、そもそも異性と付き合ったこともないし会話した記憶すら遠い昔だが……。
でも、この子がこんなにも良く接してくれるのなら、それだけでもここは、〝もう少し居てもいい世界〟かもしれないな……。
「……よくわからないけど、君はいいの? 君だって女性だ。この国では男なんて――」
「なんの問題もありません! あたしは男の方を差別しませんから!
せっかく素敵な魔法がこの国にはあるのに……素敵な国じゃないのがとっても残念なんです!」
舌足らずな口調で、それでもカ強く言いながら、ルーメは肩にかけたポーチから何かを取り出した。
「これが、『マギアペン』、です! 文字魔法、お見せしますねっ!」
【残り 23時間29分25秒】




