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12/42

12 24時間の呪い

 ――0時だ。


 一睡もせず、飲み食いもせず、志信はその瞬間を待っていた。


 懐中時計の長針・短針・秒針、すべてが文字盤の「12」に重なる瞬間を。



 ――ッ!?



 そうしてやってきたその瞬間は、あまりにも一瞬だった。


 ずっと時計を見ていたからこそわかる。どれだけ一瞬だったかが。まさに一秒だ。


 たったの一秒。秒針が次の時を刻んだその一瞬。


 その一瞬で、津久井志信は別世界へと転生していた。



 見渡す限りの、銀世界。


 いや銀世界といえば聞こえはいいだろう。


 志信は氷の大地の上に立っていた。いや、それでもまだ聞こえはいい方だ。正確には、氷河の上に佇む巨大な流氷の上に両の脚をつけていた。


 実際に行ったことはもちろんないが、テレビのドキュメンタリー映像なんかでたまに見る北極や南極の風景にそっくりだ。


 流氷の白と、空の白と、今にも凍り付きそうな海の深い青。それだけしか色彩が存在しない世界。


 ここが地球の果てだと言われたら納得してしまう。「異世界」 である証拠は、まわりを見渡す限りはなにもなかった。


 ――まあ、どうせどこでも一緒か……。


 真っ白いため息を吐きながら、懐中時計を裏返す。


 今度の志信は女性だった。


 毛皮のついたフードを目深に被っていて顔がわからなかったのでフードをとると、ブロンドヘアの薄幸そうな美人が現れた。


 年齢は――三十手前くらいだろうか。

 分厚いフードと同じように、まるでフルアーマーの如く全身がもふもふの温かい素材で覆われている。

 道理でこんな場所にいてもあまり寒いと感じないわけだ。


「……はあ…………」


 先ほどよりも深いため息を吐きながら、志信は氷の上に重い腰を下ろした。



 ここがどこか、なんて、そんなことはもうどうでもよかった。

 どうやら全く人を生かす気のない世界のようだし、じっくり独りで考えられるというものだ。



 ――これで決まった。もうごまかしはきかない。

 俺は、この時計が二十四時間後を刻んだ瞬間に、一瞬で別世界の別人に転生する。



 一日一回、異世界転生。



 どうやら、それが志信に与えられた運命のようだった。



「…………!!」



 志信は頭を抱えた。

 頭を渦巻く疑問は、こうなってしまった原因と理由。


 原因は間違いなくこの時計だろう。『グリンパウル』でもそうだったが、時間の概念はやはり世界ごとに違う。なぜかどの世界でも日本語に自動通訳されているのは不可解だが、時間の流れは地球基準ではない。


 たとえばグリンパウルではアンロル時やらディアンロル時やら独自の単位が使われていた。


 しかしどの世界でも関係なく、この時計だけは恐らく地球基準で時を刻んでいる。


 地球に住む者なら誰でも知る「一秒」という単位で針が進み、「六十秒」という単位で「一分」が経つ。

 そしてこの時計がきっかり二十四時間を刻んだその瞬間、志信は強制的に別世界へと転生させられる。


 自分に架せられた運命というよりは、この時計の持つ何らかの超常的な力に因るものなのだろう。



「――だったら……!」



 ――こんなもの、 棄ててしまえばいい。


 志信は強く懐中時計を握りしめ、座ったまま大きく振りかぶった。


 ――俺じゃなくて、この呪われた時計のせいでこんなことになっちまってるんなら、こんなもん棄ててやる!


 そうすればもう時間は関係ない。二十四時間という時間には縛られない。

 幸か不幸か、どうやらここはすぐ楽に死ねそうな世界だ。この時計を放棄したあとに死んでしまえばきっともう一度あのハローワークへ戻れるはずだ。


 ――もうFランクの異世界斡旋だって文句は言わない。言わないから……!


 どうかお願いだから俺に、二十四時間以上の時間をくれよ……!



 唇を噛み締めて、志信は力いっぱい懐中時計を放り投げた。


 時計は金色の弧を描きながら冷気の中を裂いていき、やがて氷の海へと音もなく沈んだ。



「…………」



 ……これで、いい。


 これで、いいはずだ。とにかくなにか試してみなければきっと何も変わらないのだ。

 あの時計を肌身から離したことによって、きっとなにか変化が――


「……なっ!?」


 俯いた瞬間、ありえないものが目に入り、志信は女性の声で思わず叫んだ。


 己の首に、あの懐中時計がぶら下がっている――。


 相も変わらず黄金色に輝いて、先ほどまでと全く同じ時を刻みながら。


「なんでだよ!?」


 慌てて立ち上がり、金色のチェーンを掴んで引き剥がそうとする。が、剥がれない。

 まるで磁石となって首根っこにくっついてしまったかのように、離せない。


 そもそもハロワ職員シュピノからこの時計を奪った際にチェーン部分は破損していたはずなのに。


 だからこそこれまで志信は懐中時計をポケットに仕舞っていた。それなのに、遺棄した途端鎖まで復活して勝手に志信の首元へと再出現した。



 外せない。


 壊せない。


 捨てられない。



 これではまるで、RPGによくある「呪われた装備品」ではないか。



 …………!


「そうかよ……つまり本当に『呪いの品』ってことかよ……」



 どう足掻いても時計を外すことは叶わず、志信はがっくりとうなだれた。


 呪われた装備品とは、まさに言いえて妙だ。


 おそらくあの時、シュピノからこれを無理矢理奪った時点で何らかの呪いが志信に降りかかったのだ。


 それはおそらく――「二十四時間に縛られる呪い」。

 なんでそんな呪いがあり、なんでそんな時計をあの女が持っていて、なんでこんなことになってしまったのかなんてそんなことはわからない。


「なん……で……」


 悲痛な声が、喉から勝手に漏れる。


 なんでこんなことになってしまったんだ。

 なんであの時、無駄に激昂してシュピノに掴みかかってしまったんだ。

 なんでシュピノの身に着けていた懐中時計なんて触ろうと思ってしまったんだ。


 たった三日前の自分がこんなにも愚かしい。


 転生先に納得がいかなくて、 欲に目がくらんだ結果がこれだ。



「…………」



 鎖を力ずくで引きちぎろうとして真っ赤に染まってしまった手で、 懐中時計を手に取って眺める。


 時の流れは止まらない。


 これは……この「二十四時間の呪い」は……いつまで続くのか?

 いつか終わりがあるのか? 電池がなくなるみたいにこの時計が動かなくなる時がいつかくるのか?



 それとも……



 ……永遠なのか……?



「う……うううう…………!!」



 恐ろしい想像。


 永遠、という言葉の響きの重さ。志信は頭をぐしゃぐしゃに掻きむしった。


 耐えられない。耐えられるはずがない。


 一日一回異世界転生を永遠に繰り返すなんて。


 そこがグリンパウルのような平和な世界だろうが、自分が美少女だろうが、ゼ・ルドーのような滅びゆく絶望の世界でも全部同じだ。


 全部、同じ絶望だ。


 二十四時間で自分という存在が消え去るのならば、そこで生きる意味はない。生きようとする意味はない。


 誰かと繋がろうとする意味はない。魔法で無双する意味もない。誰かを助ける意味もない。愛する意味もない。

 死ぬ意味もない。次の転生に賭ける意味もない。


 すべての意味がない。


 ない。ない。ない。ない。


 ないないないないないないない――ッ!!



「わあああああーーっ!!」


 ……だったらっ!!


 二十四時間なんて待たずに、消えてやる。


 馬鹿正直に時計の針に従って生きる意味なんてないのなら、今すぐ死んでやる。死んで生まれ変わってやる――!



 それが、いま志信の出来うる〝最後の手段〟であり、〝最後の可能性〟だった。



 志信は、おぼつかない足取りで流氷の淵に立った。


 海は深そうだ。そしてひとたび生身で飛び込めば、たちまち低体温症を引き起こすだろう。


 おそらく溺れる苦しみすら味わう余裕もなく五感を失い、そのまま確実に死ぬ。


 発狂するほどの「一日一回異世界転生」の輪廻地獄と比べれば、自ら死を選ぶことなんてほとんど恐ろしくはなかった。




 ためらうことなく、志信は氷の海へと身を投げた。





【残り 23時間43分17秒】→【残り ??時間??分??秒】


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