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にこやかに、爽やかに、制服男子は会釈をした。

「初めまして。太谷(おおたに)斎心(さいしん)です」

「ど、どうも、額田美古都です。あれ? 今春休みですよね。……制服?」

「ああ、今日は学校で補修があったので……」

おや、優等生っぽい顔をして、案外おちこぼれ君なのかな?

「……先生の代わりに採点と指導を」

失礼しました。超出木杉(できすぎ)君でした。

「部屋にご案内しますね。その前に、この『精進寮』内の説明を」

と、出て正面のドアを指さした。

【伊丹川整体院】。そしてまだ休診中。その指を左にスライドさせた。

「整体院の院長さんが、伊丹川(いたみがわ)さんで、()号室は伊丹川さんの自室です」

「なるほど」

それぞれの部屋が職場とプライベートエリアなのか。

「そして、今いらしたのが、尾美さんの事務所で、(いち)号室が自室」

廊下をゆっくり進みながら、説明してくれる。

(さん)号室がさっきの腹部さん。(よん)号室が僕。()号室が首藤(しゅとう)さん」

「まだ会ってない方が、二人、……っと?」

ここに来て、ふ、と振り返ってみた。部屋の並びが不自然な気がした。通常、玄関から入ってきたら、片側に一号室、二号室、三号室と、横に並んでいるものではないのか。

ここでは廊下を挟んで互い違いに部屋番号を振ってある。ジグザグに。

そう指摘すると、彼は軽く首を傾げた。

「考えたことも無かったですね。まぁ、建物自体が古そうなので、当時建てた方の感性ですかね。ここは、寮になる前は宿坊(しゅくぼう)だったそうです。その前は僧坊(そうぼう)だったそうですが」

そうか、昔はここに坊さん達が寝起きしていたのか。

そう考えると、ちょっと萌える。

太谷斎心と名乗った男子は、ポケットから鍵を取り出した。

「はい、(ろく)号室が額田さんです」

「ありがとうございます。あ、あの、太谷さん」

「斎心でいいですよ。僕より年上でしょう?」

「あ、じゃ、斎心、くん、でいいですか?」

「ええ。僕も美古都さんって呼んで良いですか?」

「はい。斎心、って珍しい名前ですね」

「ああ、僕、ここの寺の跡継ぎなんです。まだ得度(とくど)してないので卵ですけど」

「お坊さん、なんですね。へぇ」

僧坊に僧の卵。うん、しっくり。

「この寮の管理人、みたいな事もやってますから、何か困ったことがあったら言って下さいね」

人好きのする笑顔。親切な態度。話しやすい。これが坊主(ぼうず)スキルか。

「実は私、ここでいろいろ手伝いをせよと言われて来たのですけど、具体的にはどんなことをすれば良いのでしょう」

「あは。敬語も、いらないですよ。僕より年上なんですから。実は、僕が今年受験なので、少し分担をしてもらいたくて。普段は掃除とかちょっとした家事くらい。で、皆さんそれぞれ仕事を持っているので頼まれたらできる範囲でお手伝い。あと、たまに大きな依頼が入ります」

「依頼ってどんな?」

「まちまちです。う~んまぁ、人助け、みたいな? それにしたって、大抵大人の人たちが片づけてしまいますから。初めの内は見習いですよ」

「はぁ」

なんだかはっきりしないが。

左向け左をして、先を指さす斎心くん。

「で、隣がキッチン。向かいが風呂トイレ洗面所。あ、食事は各自それぞれなんです。自炊、外食、出前、皆さん自由にやっておられます」

「それは助かる」

『地維の会』では、掃除と会の事務仕事は手伝っていたが、食事は食堂のおばちゃんがいたのだ。

「夕食、良ければ一緒にどうですか? 簡単なものでかまわなければ」

「あ、手伝うよ」

「いえいえ、本当に簡単なものですから。今日のところはお疲れでしょう。できたら呼びますから、それまでゆっくりして下さい」

てきぱきてきぱき。世話好き委員長か。

「今の時間、お風呂誰も使わないと思うから、良かったらどうぞ。24時間風呂になってます。シャンプーとかの中の物は共同の物ですから好きに使っていいですよ。念のため『使用中』の札かけて」

「は、はははい。あ、斎心くん」

「なんでしょう」

「ここは……、何?」

最奥の鉄のドア。見ればゴツい南京錠がかかっている。

この建物に入った時からなんとなく気になっていた。それほどこのドアの存在感は大きかった。

「さぁ、ここは僕も入ったことがないですね。六ヶ月前から住んでますけど、知らないです。皆さんはなんか『客間(きゃくま)』って呼んでるみたいですけど」

「客間?」

それにしては物々(ものもの)しい。もしかして大事な物が仕舞ってある物置か何かだろうかと思ったけれど。

「あ、そうだ。携帯ですけど、ここ、Wi-Fiなんで、接続切り替えて下さい。寮を出たら、モバイルネットワークに切り替えて」

「あ、携帯は前の家出るとき返しちゃったんで、持ってないの」

「分かりました。それじゃ、食事、7時くらいに声かけますからそれまでごゆっくり」

そう言って、斎心くんは肆号室に消えた。

ふー、と息をついてから、陸号室の扉を開いた。

「おお~」

八畳間くらいの広さの洋室。床にはグレーのカーペットが敷いてある。部屋の隅に畳んだ布団があるだけで、家具が何もないので、かなり広く感じる。

家、もとい、『地維の会』の住居では、相部屋だった。何せ同室の相手(里親代わりでもあった)の干渉が激しかったので、一人部屋は心底嬉しい。

鍵もある。誰も無断で入ってこない私の聖域。

「ああ。天国だ……」

荷物を置く。先に送ってあった段ボール2箱と、ボストンバッグ。これが私の全財産だ。

「ふぁ~~~」

畳んだ布団に背をもたれて、全身の力を抜いた。一人になって、やっと落ち着けた。

それにしても、と、思う。

あの尾美宗典という人は、何なのだ。私の高校生活をほぼ見抜いた。私からはそんなにぼっち気質がにじみ出ているのだろうか。

そうだ。私は学校というものが苦手だった。クラスメイト達の話す会話にどうしてもなじめなかった。特に女子だ。芸能人やファッション、スイーツにイケている校内の男子。でなければ、愚痴と悪口と噂話。

会話を試みたこともあったが、どうにもかみ合わない。

どうしてそんな事で、という些細(ささい)な事で、すぐに「傷ついた」だの「死にたい」だのと口にして、望む返答が得られない場合には、感情的に反撃してくる。最悪、徒党(ととう)を組んで個人を攻撃する。実際、中学時代はそれで酷い目にあったものだ。

だから、私は閉じた。群から離脱した。私にとって女子中学生・高校生は、ピーキーでエキセントリックで、理解できない危険な生物だ。

幸い、『地維の会』は、目的をひとつにした面々が集う、落ち着いた場所だったし、比較的年齢層が高かったので、安心していられた。黙っていても誰もそれを責めない。

私にとって、図書館と『地維の会』の資料室は安息の場所だった。

自室に帰れば、同居人がアレコレと干渉してくるので、ギリギリまでは部屋の外にいたものだ。

そんな生活から解放されて、手に入れたこの楽園。最高だ。

しーん、と耳に痛いほどの静寂。

壁が厚いのだろう、

隣は、斎心くんの住む肆号室ということになるのだが、在室中にも関わらず、何の物音も聞こえてこない。

そういえば、斎心くんも男子高校生だが、同級生男子に見る、野蛮な馬鹿っぽさは微塵も感じなかった。とても話しやすかった。さすが僧。

なんにせよ、私の新しい生活が始まるのだ。どんな事になるのか想像もつかないが、この部屋があれば、乗り切れる気がする。

しばし、この静けさを堪能しよう。


…………。

……………………。

………………………………………………。


とは言え、まるっきり一人というわけではなく、部屋の外では集団生活には違いない。

今ならお風呂が空いていると言っていたから、済ませてしまうなら今の内かも。

バッグから、タオルと下着と学校ジャージを取り出す。パジャマで廊下をうろつくのは問題かもしれないが、ジャージならギリOKだろう。『地維の会』でもそれで通ってたし。

着替えを抱えて部屋の外へ。鍵はキッチリかけて。

隣のキッチンに人の気配がする。

斎心くんの後ろ姿。さっそく夕飯の準備か。

おっと、尾美さんもいる。

何か言われる前に、さっさと逃げよう。

急いで、向かいのドアのないスペースへ飛び込んだ。

洗面所。トイレのドア。

なるほど元宿坊らしく洗濯機が2台。おお。乾燥機付きだ。奥に木製のドア。ここが風呂か。

ドアの横に、棚とカゴ。中に、『使用中』の札。忘れずに掛ける。ドアを開ければ、中に脱衣所があって、その奥にくもりガラスの引き戸。

共同浴場に付き物の大きな棚と脱衣カゴ。脱いだものをそこに入れ、浴室に入る。

「おー。広い」

浴槽も広い。三人は楽に入れそう。シャワーも3つ。寮って感じだ。

しかも、なかなかダイナミックな岩風呂で見栄えも良い。

『地維の会』では、各部屋にユニットバスがついていたから、そういう意味では不便だなと思う。他人が使わない時間を狙って入らなくてはならない。

それにしても贅沢だな24時間風呂。いつでも入れるなら、早朝や深夜でもいいわけだから。

ゆったりと湯船に体を沈めると、じわじわと筋肉が緩む。

「はぁ~、極楽(ごくらく)極楽」

寺だけに。ありがたさが沁みるってもんよ。

ちなみに私の独白(どくはく)が年寄り臭いのは、『地維の会』の年配メンバーの影響である。と、誰に言い訳しているのか。

40度設定の湯船を満喫し、洗い場に。シャンプーもコンディショナーもボディーシャンプーも設置してあるとは。そしてそれがロハで使い放題だとは。なんとここは誠の極楽か。

シャンプーを頭でゴシュゴシュ泡立てていたら。

バタン!

ガラス戸の向こうで物音がした。

「……え?」

下を向いたままなので、確認ができない。そうしている内にも、ガタゴトと人の気配と物音が。

まさかまさか。

かけたよねっ。使用中の札っ。

まさか入ってきたりしないよねっ。

パニックで固まっている間にも、物音は近づいてくる。

そして。


ガラッ!


ガラス戸が開けられた。

そろそろと、横目で確認すると、そこには毛むくじゃらのすねが見え、視線を上げていくと、そこには、あろうことか厳つい巨大熊(のような男)が、一糸まとわぬ姿でそびえ立っていた。

「きゃぁーーーーーーっ!!」

「うわぁぁーーーーーっ!!」

悲鳴が同時に響きわたった。

「わ、わりいっ!」

ピシャリと戸が閉められた。

バタバタ。ガタガタ。バタン!

熊は、脱衣所から出たようだった。

続いて遠くから斎心くんの声が。

「どうしました美古都さん、大丈夫ですかっ。え? 伊丹川さん、なにやってんですか。使用中になってるじゃないですかっ」

「もぉ~。うるさい。静かにしてよぉ。仕事になんないでしょぉ~」

……これ誰だ? 

なんにせよ。のんびり風呂など入っていられない。

大急ぎで髪の泡を流し、ガシガシと体を洗って、タオルで体を拭き。

カラカラカラ。

そっと引き戸を開けると、脱衣所には誰もいない。

とは言え、また誰かが入ってきたら大変なので、高速で着替えを身に付けた。

洗面所への木のドアをそっと開くと、そこには。

面目(めんぼく)ねぇ」

大の大人が、正座させられていた。

さすがに今は、ちゃんと甚平(じんべえ)を身に付けていた。甚平? まだ春だけど。

さっきは見上げたので熊のように見えたが、その実、確かに立派なガタイはしているものの、熊ほどではなかった。

その背後には、憤然と腕組みした斎心くんが立っていた。

「美古都さん、すみません。この人、あ、伊丹川さんですけど、朝シャワー派なので、油断してしまいました」

第三の人物はいなくなっていた。仕事とやらに戻ったのだろう。

「悪かったよ。まさか知らない女の子がいると思わなくてよぉ」

「今日、新しい入居者が入るってメール、来てたでしょうが」

「あれ、今日だったっけか?」

あんたもか。

熊、じゃない、伊丹川さんは、ガシガシと頭をかく。

「いやぁ、脱衣カゴに女物の服とパンツがあったから、てっきりアキちゃんかと思ってよ」

ぱんつ見られたっ! いや、そこじゃなく。

アキちゃん、女物の服……、ってことは、女子で。アキちゃんならってことは。

普段、一緒に入ってるってことっ?

つまり、伊丹川さんとアキちゃんさんはそういう仲で……。

「確かに首藤さんは、誰とでもお風呂平気ですけど」

えええーっ! 誰とでも? あの堅物そうな尾美さんとも? あの陰キャな腹部さんとも? この汚れを知らなそうな斎心くんとも? 

衝撃の事実。

この寮の風紀は、そんなにも乱れているのか。これが世間というものか。

「……ひとりにしてくだされ」

「美古都さん?」

「ひとりにしてくだされーっ!」

脱兎(だっと)のごとく逃げ出した。


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