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靴を脱ぐ、比較的広いスペースがあった。右手には二階へと向かう、石の階段。
客用であろうスリッパに履き替える。
目の前には、奥まで続く廊下。その廊下を挟んで、両側にドアが並んでおり、最奥には、やはり観音開きの鉄製と思われる堅牢そうな扉。
ひんやりと静まり返っている。
三歩進んで右。
ドアに直接書かれた文字は、『伊丹川整体院』。【休診中】のプレートがかかっているところを見ると、不在なのだろうか。
では、と廊下の向かいを見れば、ドア横にプレートが打ち付けてあった。
【鑑定師 尾美宗典】
鑑定師。はて、なんの鑑定をされているのだろうか。
一番耳にするのは、骨董品などだろう。宝石も鑑定するものであったか。不動産鑑定士というのも聞いたことがある。
幸い、インターホンがあったので押してみた。
『どうぞ、お入りください』
返答があったので、木製の重いドアを引いてみた。
「わ……」
そこは、一面の星空だった。
あまねく星達の中に、ゆっくりと∞マークを描くような光が動いていた。癒しのBGM。そして心を落ち着かせるような、良い香りが立ちこめていた。
「どうぞこちらへ」
声がして、見てみれば、部屋の中央に応接セットが、ぼんやりと光に浮かぶように存在していて、テーブルの向こうに、黒っぽい人影が座っているのが確認された。
お座りください、と誘われ、手前のソファにそーっと座った。
「リラックスして空を仰ぎ、光を目で追って」
深く穏やかな声が促すまま、ゆっくりと回る光を見ていると、なんだか眠くなってきた。
右手を、と言われるまま手を差し出した。握手するように握られ、空いた手で肘を包むようにとられた。
「リラックスしましたか? じゃぁ、私の言葉を聞いて。ここでは、あなたが思ったことは何でも言っていいのですよ」
「……はい」
沁みるような、優しい声。
「良く来てくれました。今まで、辛かったでしょう」
「……」
なぜ、こんなに心が揺さぶられるのだろう。意味もなく泣きたくなるような。
「あなたは今、人生の岐路に立っています。そして途方にくれている」
「は、い」
確かに、その通りかもしれない。
「今の自分は本当の自分なのだろうか。これからどの道を選べばいいのだろうか。不安で立ち尽くしている」
「……」
確かに、将来のことなど、今は何も分からない。不安といえば、果てのない不安だ。
途中で曲がっていて、先の見えない石段のように。
「仕事はこの先、どうなるのだろうか。パートナーとの関係は、今のままでいいのか」
「え……?」
何かおかしい気がする。
「あの」
「うん? いいですよ。言ってごらんなさい」
「不安というのは合ってますけど、仕事とか、今までしたことないし、パートナーって誰のことでしょう」
少しの間、お互いに沈黙になった。
手が解放され、パッと部屋が明るくなった。
「……君は誰だ」
打って変わって、厳しく突き放すような声。
眩しさに目を細めながらも、相手を確認した。
そこに座っていたのは、イメージしていなかったスーツ姿の男性だった。
直線、という言葉がよぎった。
手足の長い、面長の、髪をキッチリ整えた、TVドラマで見る弁護士のような風貌。縁の無い、四角い横長眼鏡。切れ長の目が鋭い。
男の手元には照明のスイッチが。明度のつまみがMaxになっている。
「君は誰だね」
今一度問われて、ハッと我に返った。言葉が出ない。
と、奥の扉が開き、奇妙な恰好の小柄な人物が、電話の子機を片手に入ってきた。
まるで修道士のような、フード付きの黒いマントを着た男。
彼はチラ、とこちらを伺ったようだった(フードを深く被っていて、顔が判然としない)が、スーツ男に顔を寄せて静かに言った。
「せ、先生。今、クライアントの長谷川さんから電話あって、き、今日、急に都合が悪くなってしまって、明日の4時でどうかって」
スーツがこちらを凝視した。鋭い視線に、身が固まった。
「ああ、それでかまわないと伝えてくれたまえ」
言われて、修道士が部屋の隅に寄り、了承の旨を電話の相手に伝えた。顔は見えないが、声からすると、若いようだった。
先生と呼ばれた男が、三度同じ質問をゆっくりとした。
「君は、誰だ」
「は、わ、わたくし、額田、美古都、と申しますっ」
なんとか名乗ったが、不可解な顔をされたままだった。
電話を終えた修道服が、駆け寄ってきた。
「新田さんから一斉メール、き、来てたじゃないすか。額田って名前の、入寮者来るって」
スーツ男は、しばらく真顔で固まっていたが、突然額に手を当てて、
あーーーーー、と、上向いた。
「そうだった。興味がないからすっかり忘れていた。今日だっけ?」
大人としては、なにげに失礼な言動だと思うがいかに。
「確か。時間、書いてありませんでしたが」
「道理でおかしいと思った。34歳OLにしては、声も握り心地も」
握り心地って……。
先生とやらがこちらを向いた。
「それで? 私を訪ねろと?」
「い、いえ、行けば誰かいるだろうからと」
「相変わらずいい加減だなぁ、あの人。そうか、新しいパートの家政婦か。さて、一体いつまで続くかな」
どうやら自覚的に失言を突きつける手合いとお見受けする。
「あの、それはどういう」
「いや失敬。新田氏から紹介されてきた人間が今までも何人もいたが、すぐ逃げ出してしまってね」
「逃げ出す?」
……不穏だ。
「君はいくつだ。ずいぶん若く見えるが」
「18です。この春、高校を卒業しました」
「うん? どこかで会った事が……、ないかね」
「え? 無いと思いますけど」
ここには、どころか、この県に来たのさえ初めてだ。
そうかね、と、スーツマンは、脚を高々と組んだ。
「私は、尾美宗典という。【鑑定師】を生業としている」
はい。表のプレートで存じています。
「何の鑑定をされてるんですか?」
「占星術だ」
「占い師さんでしたか」
「まぁ、占星術に限らず、答えを出すために、様々な手段は使うけれどね。要は人生相談だな」
だったらカウンセラーとか書けよ。
「先生はすごいんだ。曖昧な事、言わない。常連のクライアントから、『断定師』って呼ばれて、るんだ」
ちょっと興奮気味の修道服に、特に気を良くしたようでもないスーツ、もとい、尾美さんは、平坦に言った。
「腹部君、余計なことは言わなくていいから。ああ。彼は腹部賢也君。時間がある時に手伝いをしてもらっている。本業は……、なんだっけ」
「ぶ、Vtuberです先生。『モゥ 神秘ちゃんねる』。い、いい加減覚えてください」
「興味のないことは、覚えられないんだよ」
「ひ、ひどい、先生が断じてくれたんじゃないすか。君は顔と本名隠して、インターネットの世界に活躍の場を求めろって」
「ふうん。で? どうなの、その結果」
「おかげさまで、サブチャン併せて登録者、結構いってて、フツーに生活できてます」
「良かったじゃないか。最近顔色もだいぶ良いし」
「か、感謝してますっ。先生にお会いする迄の生活と比べれば天国と地獄ほどの差です」
ずいぶんと心酔しているご様子だが、当の先生は、あ、そう。と流す。本当に興味がないのだ。
まぁ? いつまでも嵩にかかって恩に着せるタイプよりは、忘れてくれてる方が百倍マシかとは思う。
それで、と、尾美さんが、改めて私に向く。
「君、生年月日は?」
「占い、するんですか?」
「しない。単に情報としてだ。君はクライアントじゃぁないし、成人以上でなければクライアントにもしない。ティーンエイジャーは人類としても認めていない」
そんな極端な。
「申し訳ありませんが誕生日は分かりません。小さい頃に保護された身なもので。仮の誕生日は、保護された10月9日ですが」
ふうむ、と顎に手をやる尾美さん。
「君、18にしてはずいぶん……」
「はい?」
「可愛げが無いな」
大きなお世話だ。
「初対面で、何が分かるんですか」
「そうだな。君の高校生活を当ててみようか。友達、いなかったろう」
「う」
さっそく、断定されてしまった。
「教室ではいつでも一人だ。休み時間はいつも机で本を読んでいる。部活にも入らず、帰宅も一人」
「悪いですか」
「いいや、悪くはないさ。少しも悪くない。腹部君、良かったね。ぼっち友達だよ」
「お、オレはぼっちじゃない。登録者やフォロワーがわんさと居るんです」
リアルでは、友達いなそうだな。ずっとフードで顔を隠しているし。まぁ、前髪で目を隠している私も、人の事は言えないけれど。
尾美さんは、微かに口の端を上げた。
「でも、それが、ちっとも寂しくも悲しくもない。そういうタイプだ」
「……」
図星だ。
「一緒に弁当を食べる級友がいなくとも、決してトイレランチなどしない。屋上で食べたりもしない。それを陰でこそこそ言われても気にしない。そういうふてぶてしさを感じるね」
「……まぁ」
「誤解して、または見当違いな同情をして、話しかけてきたクラスメイトを、虫けらでも見るような目で拒絶する」
「そこまではっ。ちゃんと笑顔でお断りしますよ」
「作り笑顔でね」
「……」
「おまけに、ケチでシブチンだ」
「うわぁ」
否定できないっ。
断定、断定、また断定。いや、これでは断罪だ。断罪師だ。
見抜かれている。私という人間を。これほどまでに。
不思議としか言いようがない。
「これ、なんです? 超能力とかですか。イメージが浮かんだりするんですか」
「超能力? はっ、そんな胡散臭いものじゃないさ。すべてはデータだ。君の姿形、身なり、顔つき、仕草、持ち物、しゃべり方、そういったものの情報から導き出した答えだ。断言しよう。超能力なんて物はこの世に無い」
「……ありますよ」
腹部さんが小声でつぶやいた。そういえば神秘ちゃんねるなんていう動画を作っているのだ。彼は信じる派なのだろう。
「いいや無いね。あるとすれば、並外れた身体機能を持って生まれたという程度だ。でなければ、詐欺かインチキだよ」
失言というより、暴言に近い。
これでは、パートで来た人も辞めていくはずだ。
「というわけで、君の高校生活は、そんな感じだ。どうだ? 間違っているかね?」
「……概ね当たってます」
はいはい。どうせ、ぼっちで人嫌いでケチですよ。それが、第三者から見た私の外見なのだとすると、ちょっとショックだけど。
尾美さんは、だが、と続けた。
「一方で、私生活は何か古式ゆかしい匂いがする。躾もきちんとされていそうだ。出自はそういった家系か何かかもしれないな」
そう言われて、あ。と思い出した。
「そうでしたそうでした」
「なんだね?」
「いきなりいろいろあって忘れてました。手紙を預かっています」
ボストンバッグから、託されたぶ厚い手紙を出して渡した。
封筒の表には、こう書かれていた。
『地維の会 天垣外昇』
それを手に取った尾美さんの眉毛が、思い切りひん曲がった。
「なぜ初めに渡さない」
「すみません。何か、それどころじゃなかったんで」
明らかに、あなたのせいだと思いますけどねっ。
『地維の会』というのは、私を引き取ってくれた天垣外氏が組織する、神道系研究会の団体名である。
「君は『地維の会』にいたのか。そうか、新田さん、そっちにも関わってたな」
「住居区に12年住まわせていただいていました。会員でもあります」
実際、資料整理などの手伝いをしていたし、なりゆきとはいえ、名簿に名を連ねていたので、間違いではない。
「『地維の会』設立者の天垣外昇氏は、医療法人『羽衣グループ』の元会長で私の恩師だ。今は引退されて、長男の光さんに病院は任せていると聞いた。この寮の持ち主でもある」
「ああ、それでこちらをご紹介いただいたんですね」
「天垣外先生はお元気かい?」
「実は、会の方にはいらっしゃらないので。この手紙も新田さんから預かった物なんです」
「そうか。お忙しいのだろうな」
尾美さんの表情が和らいだ。なんだ、こんな顔でもできるんじゃないか。ちょっと可愛いぞ。
「久しいな。直筆の手紙とは相変わらずだ。五年ぶりくらいか」
「古風ですね」
「仕事では最先端の医療機器も使いこなすし、PCでの情報処理もされていた。だが、プライベートではメールなどではなく、手紙を用いていらした。機械が苦手なのではなく、機械が信用できないと常々おっしゃってた」
「わかります」
まぁ、アナログでも郵便事故という事もあるが。
尾美さんは、手紙の表から目を上げた。
「君はケチだが、非常に律儀なところもありそうだ。今まで世話になった分は、いずれ返すつもりでいるのだろう?」
「ええ、まぁ」
人の性格を、どこまで読めば気が済むのだろう。この断定師。
「12年前に保護されたと言ったな。では6歳か。君は『地維の会』に住む前のことは覚えているかね」
「ええと、H島というところに住んでいたらしいんですけど、実はよく覚えていないんですよね。なんとなく、ぼんやりとして、夢で見たような記憶しかなくて」
尾美さんは、ふうむ、ともう一度顎に手をやり擦っていたが、その手をさっと、ひるがえした。
「まぁいい。まずは手紙を読ませてもらおう。腹部君、斎心が帰って来ていたら任せてしまえ」
腹部さんが、デスクに駆け寄り、受話器を上げてボタンを押した。内線だろう。
「あ、斎心君? 額田って人が、事務所に来てるんだけど」
しばらくすると、ノックの後に扉が開き、制服姿の男子が、現れた。
「ああ、こちらにいらしてたんですね。どうぞ、案内します」
言われて立ち上がり、出入り口で一礼した時、尾美さんは、すでに手紙に見入っていた。邪魔にならないよう、静かにドアを閉めた。