和咲と安成美咲③
「掃除当番お疲れ様」
「ありがとう」
読んでいた歴史の教科書から顔を上げて僕に微笑む
僕には返せる微笑みがない
それでもきみは言葉だけで満足してくれる
隣に座って僕も歴史の教科書を開く
きみが読んでいるページ
きみがページをめくると僕もページをおくる
きみは僕が教科書を読んでいないことに気付いていても
きみばかりを見ていることに気付いていても
なにも言わない
これが僕の唯一の「生きている」時間
僕の「大事」な1時間
「ど…どうしたの」
15cmの定規で図れるほどの距離しかなかった距離を詰めた
肩が当たりそう
その肩に自分の頭を乗せた
戸惑ったその反応は当然だと思った
だけどきみらしくない気がして少し不服に思った
「…なんとなく」
「そっか」
きみに触れている右耳だけが少し熱い
それはきっときみの体温のせい
「ねぇ、昨日少し声が聞こえたでしょ」
屋上までの階段の踊り場で少しの時間うろうろしていたヤツらがいた
そのことだろう
「もしかしたら足音もなくこの扉を開けようとする人がいるかもしれない」
「うん?」
「もしそのとき名前を呼んでたら分かっちゃうよね」
妙に真剣な表情をしている
単に僕とここにいるのがバレるのが嫌というわけではないらしい
「うん」
「だからね」
段々とにやにやとした表情へ変わっていく
「あだ名を考えたの」
「は?」
なんでそんな恥ずかしいことしなくちゃいけないんだよ
そもそも互いに「きみ」としか呼んでいない
「きみはなぎさくん。どう?」
そんなしたり顔で言われても
大体僕女だし…まさか
一人称が「僕」だから気を遣っている?
「和ってね、なぎ、とも読むんだよ。気持ちが安らぐって意味なんだって」
とびきりの笑顔を向けられてなにも言えない
「きみの隣は心が安らぐ。きみにぴったりだよ」
照れ隠しに視線を逸らして小さく言った
「それはきみだけ」
「だからこのあだ名は私専用なの」
とびきりの眩しい笑顔はまだ向けられている
更に期待の眼差しを加えて、向けられている
「きみは僕の隣だけで安らぐことが成りえる。だから普通で良い」
ため息を吐いて言うとがばっと抱き着かれる
「嬉しい」
「そうして咲いたきみが美しければ僕はなお嬉しい」
僕はこんなことを言えるヤツだったか
きみに変えられてしまった?
それともきみが引き出した?
どっちでも良いか
今日もきみは僕の隣で笑っている
この1時間が始まって終わることを毎日考える
会話がない日の方が多い
それでもきみと僕は毎日隣にいる
1日24時間の内のたったの1時間
それが僕にとって「生きている」時間
「大事」な1時間
ただの1時間をそんな風にしてくれる安成さんを、僕は大切にしたい




