アリーのトイレー12
送別会の行われる日の朝。
当然ながら朝一番の来客は掃除のおばさんだ。
彼女は何一つ変わらない動作ですばやく、そして丁寧に僕を磨いてくれる。
便器のふたをしめるところまで、本当に毎日毎日、同じように、同じ手順で動いていくからこれまたすごいと思う。
いつも、ありがとう。
今日は僕の送別会の日らしいんだけど、おばさん、知っているのかな?
彼女がいつもと何一つ変わらない様子で去って行ったあと、アキちゃんとシマちゃんの二人組がやってきた。
「おはよー」
二人はトイレで鏡と向き合いながら、おしゃべりをはじめる。
「やっぱり一応カーテンで区切った方がいいかもね。呉さんとか潔癖症じゃない?たぶん、想像だけど」
「そもそもそういう人は今日、ここに来ないですよ」
「そうかなぁ」
どうやら、まだ送別会でアリーのトイレをどんなふうに飾り付けているのか考えている途中だった。
「私の中のイメージは、この空間をホテルのロビー級にすることなんだけど」
ホテルのロビー級?
「ああ、トイレの手前にある待合室みたいなところ?」
「そうそう、なんかイスが置いてあって、ソファーがあったりして、ここトイレの入り口かな、みたいな風に思わせる感じ」
「でもソファーは無理だよね、狭いもん」
「まぁ、ね」
「カーテンは賛成」
「じゃ、あとで外回り行く人に聞いてみよ」
「自分で買いに行っちゃえば?お昼休み早めに出て。付き合うよ」
「ホント?」
トイレの洗面台エリアと個室エリアとの間にカーテンをつけて仕切ろうと考えているようだった。確かに、いつもみんなが個室に入る時に先頭の人が並んでいる付近だったら、カーテンをつけてもいいかもしれない。
そうすると、ここから先はトイレです、いや、個室ですよ、というのが明確になって、洗面台のある空間が少し独立して見えるかもしれない。
「あ、あとスリッパ導入とか、どう?」
「面白い!」
確かにトイレ用のスリッパって、ここのトイレにはないなぁ。
よく考えてみたら、いまどき、オフィスのトイレとかって、みんなスリッパにはきかえることなんてない。あ、学校のトイレは確かにスリッパにはきかえるところが多いはずだけれども。
ということは。
みんな僕の部屋に来るときも、オフィスの中にいるときも、本当は何一つ変わらない姿のはずなんだ。
同じ靴で、同じ格好でアリーのトイレにやってくる。
これは大したことじゃないかもしれないけれど、僕にとっては大きな発見かもしれない。
僕自身、男女一緒のトイレで何が悪いのかわからなかったのだけれど、やっと分かった気がするんだ。
僕は何も悪くないんだ、っていうことに。
どうして、男女一緒じゃダメなんだろう?
ここの人たちはこんなに仲良くやっているのに。
まぁ、そんなこと、いまさら考えたって何か変わるわけじゃないんだけれど。
「じゃあ今日専用のスリッパでも買う?」
「買っちゃう?」
洗面台の前で盛り上がっているアキちゃんとシマちゃんをよそ目に、僕はちょっとだけさみしい気分になった。
そうなんだ。
何も悪いことをした覚えはない。
それなのに、どうして僕はお別れをしなければならないのか。
考え始めたら止まらなくなって、そんな気持ちでいっぱいになりながら、午前中を過ごすことになった。
お昼休みになって、飾り付けの準備にやってきた人がいた。
「ちゃんとはまるかどうか試してみよう」
「よし」
彼らは長い板を持ってトイレにやってきた。
そしてそれを洗面台のボウルを隠すように載せる。
板の裏側には洗面台ボウルの微妙な高さに合わせた段差がついていて、その段差を一つ一つのボウルに合わせていく。
「お、結構ぴったりじゃない?」
「すごいなー。さすが設計」
得意気なのは山口さんだ。
この人、細かいこと好きだから、きちんと洗面台の長さ、奥行きだけじゃなくて、ボウルの大きさもきっちり測っていたっけなぁ。
段差がボウルにぴったりはまると、洗面台が広い平面で覆われた。
「ちょっとすごいですね」
「想像より、いいね」
洗面ボウルが五つ並んでいた場所が、板で覆われた広いテーブルになった。
「よし、じゃ、これでいこう」
山口さんを手伝った細貝君も嬉しそうだった。
この後、二人はテーブルクロスなるものをこの板に取り付けるらしい。
「じゃあ、一回取りはずすか」
「ええ、そうですね」
本番は夕方からだからなぁと二人は会話をしながら、板を取り外しにかかる。
「山口さん」
「どうした、細貝」
「これ、抜くのなかなか大変です。結構きっちり作りましたね」
「確かに、そうだな」
なるほど。
あまりにきっちり設計したために、板をはずすのに、結構力がいるようだ。
覆いかぶさった全ての洗面ボウルのうち、一番個室に近い一つの設計が、あまりにも正確すぎたからか、はずれないのだ。他の四か所は若干力が必要だったものの、難なく外すことができた。
「これ、困りましたね」
「はははは」
もはや、山口さんも空笑いせざるを得ない状況だった。
「うむ」
「もう一人、誰か助っ人を呼びましょうか」
「いや、無理じゃないかな」
山口さんは、むううとうなり声をあげた。
確かに、これ、割るか何かしないと洗面台から外れない気がする。
それくらい、精密にこの人は作ってしまったのだ、この日曜大工で作ったと思われるテーブルを。
山口さんらしいなぁ。
結局二人は仕方なく、板を二つに切ることにした。
山口さんがどこからかのこぎりを持ってきた。
そんなに厚みのある板ではないのだが、ちょっとした力仕事だ。
ぎっぎっぎっ。
聞いたことのあるような、ないような音がトイレの中に響く。
不思議な光景だった。
誰かがのこぎりをトイレで使っている風景は、なかなか見られるものじゃない。
「ふぅー」
それほどの大仕事ではないけれど、中途半端な高さにある洗面台にあわせて、上手に力を入れるのは難しい。
細貝君と山口さんとが交代に切りながら、少しづつのこぎりを進める。
パン、と、軽快な音がして、板が二つに分かれた。
横に長かった板が、小さな塊と、相変わらずちょっと長い机の二つに分かれた。
今度は小さな塊となった、すっかりはまってしまった洗面台の板を力づくで外す。
さっきは横に長い板が一枚につながっていた状態だったので、あまり力を入れると、他の部分が割れたりする心配があったのだが、今度は大丈夫そうだ。
パキッ。
大きな音を立てて、正確には洗面台から外れたというよりは、木にひびが入って、取り外すことができるようになった。
取り外されたテーブルの残骸は細貝君によってトイレの外へと運ばれた。
「ふむ」
山口さんは細身の体で、そんなに力があるようには見えない。
もうちょっと力のある人が挑戦すればもっと簡単に外れたかもしれない。
でもまぁ、これだけ器用に日曜大工取り組める人も、そんなに多くは存在しないのではないかと思う。
長い方の板は丁寧にはずされて、こちらもまた、トイレの外へと運ばれた。
ただの薄っぺらいベニヤ板だけれど、これを重ねることで、洗面台は広いテーブルに生まれ変わることができるのだ。
このあと、山口さんと細貝君はテーブルになる方のベニヤ板の上面に綺麗な薄い布をかぶせて、側面を大きな業務用ホッチキスで止める作業に取り掛かかった。
僕の洗面台は、こうしてパーティ用の素敵なテーブルに生まれ変わるのだ。




