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アリーのトイレー10

 柏木さんと僕に関する噂を聞いた翌朝、いつも最初にやってくるシマちゃんとアキちゃんのところに、ジョンがやってきた。

「おはようございます」

 ジョンはいつもより丁寧な口調だった。

「今日は、早いのね」

「午後から出ちゃうんで、外」

 ジョンは洗面台の二人の顔をまじまじと眺めながら相談がありますと切り出した。

「ここで、パーティやりませんか?」

 黒王子の言葉に、思わずシマちゃんとアキちゃんは目を見開いた。

「パーティ?」

 なんで??とアキちゃんが言おうとすると、黒王子は人差し指を口元にあてて、しっ、と彼女を静止する。

「アキちゃんが言っている話が本当なら、もうそんなに時間がないってことだ」

 ちょっと探偵気取りな雰囲気で黒王子が話始めると、その姿にアキちゃんもシマちゃんも釘づけになる。

 黒王子は人差し指を立てたまま、続ける。

 格好いいのが、ちょっと憎らしい。

「このままだと、僕たちは柏木さんを失ってしまう。でも悪いのはどう考えても彼女じゃない」

 ごもっともである。

「トイレを改築するだけで解決するなら、それでいい。でも、その前に僕たちにとってこの場所がいかに愛すべき場所であるのか、あのアホ支店長にもわからせてやるべきじゃないかと思うわけだ」

 なるほど。

 だからパーティをするということなのか。

「それに、この作戦がうまくいかなかったら、僕たちのところにはもうこのアリーのトイレは帰ってこない。だから、まぁ、トイレの送別会ってことかな」

 ジョンは探偵気取りをやめて、二人の顔を見つめた。

「どう?」

 ちょっとはにかんだ笑顔のジョン。

 ハーフってズルいな。

 ジョンが笑うと、本当に王子様の微笑みに見える。

 そのジョンの微笑みに負けまいと、アキちゃんがちょっと、と強い口調でジョンにくってかかる。

 そのまま続けてバカじゃないの、ジョン、と言おうとしたアキちゃんをシマちゃんが遮った。

「そうね、悪くないかもね」

 シマちゃんは小さく一呼吸した。

「こんなに珍しい場所、誇るべき場所かもしれないからね」

 彼女は、ふふふと笑った。

「確かに入社した時はすごい違和感があったんだけれど、思い出すと何度も何度もこの場所で酔っ払いを介抱したりしているし。それに、なんていうか、ここで出会って会話するのって、なんか楽しかったりすることもあるのよね、実は」

 シマちゃんは目がまんまるになっているアキちゃんの顔を見つめた。

「だって、アキちゃんとこんなに仲良く話すようになったのもここのおかげじゃない?」

 確かにそうかもしれない。

 まぁアキちゃんとシマちゃんは女性同士だから、別にアリーのトイレじゃなくても仲良くなっていたかもしれないけれど。

「あ。あと山口さんとか、とっつきにくい人だと思ってたのが、トイレの待ち時間でしゃべったことがきっかけで飲み仲間にもなっちゃったしね」

 彼女はちょっとだけ遠い目をして、この場所で出会った数々の人たちのことを思い出していた。

「まぁトイレでパーティやるなんて、あんまり誰も考えないし賛成しにくい人も多いけど、私、ジョンの企画にのったわ」

 意外に乗り気なシマちゃんに、アキちゃんは驚くばかりだった。

「ありがとう、シマさん」

 丁寧にジョンが言うと、アキちゃんがようやく口を開いた。

「トイレでパーティって、二人ともちょっとおかしくない?」

 だって、トイレよ、ここ。

 アキちゃんはそう言おうとしたのだけれど、声にならなかった。

「まぁ、おかしいかも」

 ジョンはそういいながら、続ける。

「いや、正直ここに入社してからあんまり日がないもんだから、人を悪く言うのはどうかと思っていたんだけど、支店長はろくに仕事しないし、本当に会社としてはどうしようもない場所だなって思ってたんですよ。僭越ながら」

「うん」

「でも、ま、なんていうか。柏木さんは本当にすごい人で、あのいけてない人たちをなだめつつも仕事をちゃんと前に進めてくれるっていうか。だから、うまく言えないんですけど柏木さんが転勤になるなんてことだけは避けるべきですよ」

 毒舌と言われている黒王子だけれど、今日ばかりは毒舌ではなくて、饒舌だった。

「ましてやトイレが原因?会社として終わってますよ。そんな意味の分からないことが正義として通るなら、僕はこんなところ、今日にでも辞めますよ。だけどどうせやめるんだったら派手に辞めてやろうじゃないかと心のどこかで思っているのも間違いないんですけれどね」

 派手に辞める。

 それはパーティをやることにつながるのか、ジョン。

 ジョンの熱のこもった主張に二人の女性陣はただただ、耳を傾けるしかなかった。

「僕の父親がやっている会社もトイレは男女兼用だったんですよ。トイレってそういう場所だから。こうやって、普段仕事で接しない人同士も心ゆるして話ができるきっかけ作りができるからと言ってたんですよ。まぁ、アメリカにある会社なんで若干こことは違うんですけどね」

「ふーん」

 そんなことをジョンの口から聞くとは。

 ありがとう、ジョン。

 っていうか、正確にはジョンのお父さん、か。

「まぁ、じゃあ、これまでの感謝をこめて、アリーのトイレのためにパーティをするのは悪くないかもしれないわね」

 ジョンがパーティをやろうと言った理由がわかった今、アキちゃんも反対できなくなった。なぜなら、この場所がいかに素敵な場所であるのかを、今まさに思い知ったからだった。

 新入社員の口から、新鮮な目で、自分がこれまで感じていたことを、そのまま耳にするなんて思いもよらなかった。ましてや、正直な気持ちを聞いているのはお酒の場でもなく、会議室でもなく、まさにこのアリーのトイレなのだから。

「うん」

 シマちゃんもうなずいた。

 その時、トイレのドアが開いて、山本さんが入ってきた。

「久しぶりに楽しそうな顔してるのね、みんな」

 最近の暗い雰囲気にうんざりしていた山本さんは、三人が笑っているのを見て微笑んだ。

「来週、ここでパーティやるんで招待状送ってもいいですかね?」

 右手をうやうやしく差し出して、山本さんに向けると、ジョンはそう言った。

「え?」

 話が読めていない山本さんは耳を疑って、ジョンを流し目で見つめ返した。

「どうぞ、お嬢様。アリーのトイレへ」

 ジョンは山本さんの手を取って個室の方へとエスコートする。

「バカじゃないの?」

 山本さんは身構えてジョンにそう言ったものの、まぁまぁ世の中レディーファーストなのですから、甘えてくださいたまにはと、ジョンが強引に彼女の手を引いた。

 その様子があまりにおかしくて、アキちゃんとシマちゃんは思わず笑い出してしまった。

「じゃあトイレの王子様、あとよろしくね」

「はぁ?シマさんもアキちゃんも、なんなの?今日は??」

 山本さんの質問に答える隙もなく、ジョンは彼女を個室に案内して、ドアを丁寧に閉めた。

「ごゆっくり、マドモアゼル」

 バカだ、この人、本当にバカ、と声をあげながら、シマちゃんとアキちゃんは笑いを止めることができなかった。

 久しぶりにアリーのトイレに笑い声が響き渡った瞬間だった。

 その笑い声に誘われるようにトイレのドアを開けた人が現れた。

「わぁ!!柏木さん!!」

 会いたかったです、とシマちゃんが駆け寄る。

 柏木さんは、久しぶりね、とシマちゃんにとびきりの笑顔を返した。

「なんか楽しそうだけど、みんな何かいいことでもあったの?」

 彼女が入ってきて、三人の空気がさらに和らいだ。

 昨日までは、彼女の転勤の話でみんな、暗くなっていたなんてこと、言えないなぁ。

 柏木さんはそんな話がなかったかのように、今までと全く変わらない、おおらかな優しい笑顔だった。

 その雰囲気を壊した人がいる。

「柏木さん、あとでお話があります」

 さっきまでの表情とはうってかわって、真剣な目つきをしたジョンだった。

 この人は、だから、黒王子と呼ばれるのだ。

 この変わりよう。

 甘くて優しい笑顔のジョンとは全くくらべものにならない、凛とした王子様がそこにいた。

 やっぱり王子様は儀式の時は顔が変わるんだ。

「いいわよ」

 避けがたい真剣なまなざしに、柏木さんも力のこもった言葉を返す。

「あ。でも十二時までは会議だから、そのあとでいいかしら?」

「はい、お願いします」

 珍しいかな、うやうやしく丁寧語を話すジョンに、いいわよ、とあっさりと引き受ける柏木さん。

 まったく、黒王子は強引に話を進めるのがうまい。

 というか。

 多分彼には人を引き付けるなんだか不思議なパワーがあるんだろうなぁ。

 だいたい、女性たちの歯磨きの時間に、何の違和感もなく交わることができた人、これまでほかに見たことがない。

 やっぱり恐るべし、ジョン。

 きっと柏木さんもジョンのそんな魅力を買って、彼を採用したんじゃないだろうか。



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