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紅茶専門店

作者: 雉ヶ坂子子

 俺は田舎育ちだと自覚していた。

 10年くらい前までは人通りも多かったらしいが、今は古びたスーパーと、開いているのか開いていないのかよく分からない店が並ぶ町が俺の住んでいる場所だ。

 通っている中学校も無駄に歴史だけが古く、掃除したところで代わり映えもないボロボロの校舎で、まさに田舎とでも言いたくなるところだ。せめて現代的と言えそうなのは、市の考えだかで屋上に設置された太陽光発電のパネルくらいだが、灰色のコンクリートに真っ白な柱で支えられた新品の青いパネルは組み合わせが最悪で笑えてくる。

 制服も、男子は今時古臭い真っ黒の学ランに、女子はカビでも生えてそうな鈍い紺色の地味なセーラー服。

 セーラー服が萌える、なんて言う奴もきっとうちの制服を見たらその考えを改めるだろう。おまけに女子の髪型は肩に付く長さの場合は後ろでひとつ結びか、もっと長ければそのひとつ結びを三つ編みにしなければならない。無論、ヘアゴムは黒か紺。

 男子については、そっとしておいてくれ。

 そういう冴えない中学に通い、車も人通りも少ない冴えない帰り道を歩くのが俺の毎日だ。

 せめて高校くらいは少しでも華々しいところに通いたいという程度の夢を抱いたところで誰も咎めはしないだろう。

 まあ、俺の今の成績だと自転車で20分くらいの距離にある商業高校の普通科がいいところだ。

 ただ、その商業高校は何十年か前に野球部が甲子園に出場したとかで、ある程度の知名度はある。高卒の就業率も今の時代のわりにはいいらしい、商業科生徒に限るが。大学進学率も地元では結構いい方だ、商業科生徒に限るが。

 都会学生と違い、大学進学を考えているわけでも、何か興味ある学科があるわけでもない俺にとっては、商業高校普通科で十分だ。

 おまけに公立で学費も安いので親にその点を責められる心配もない。

 夢や希望なんてもの、現実を見ればそうそう選択肢があるわけじゃない。結局、現実の中にある選択肢から最低限ラインを見極めて選ぶことが俺達の自由というものだ。

 それを夢がない若者なんて呼ぶのは止めてほしい。

 俺は俺の最低限を夢見てちゃんと青春を送っている。

「あら、こんにちは」

 近所のおばちゃんが声を掛ける様に、その声も同じ言葉を発したので、俺はいつもの様に「どうも」と頭を少しだけ下げた。

 その人はこの辺では売ってなさそうな青色のワンピースを着ていた。要所要所に白いレースが付いていて、ふわりと広がったスカートはなんというか、テレビで前に見たことがあるロリータファッションを思わせた。

 無論、この辺りでそんな服は売っていないし、着ている人も見たことはない。

 髪型はうちの学校の女子と同じ様に後ろでひとつに結んでいたが、水色のヘアゴムを大きくしたようなやつがワンピースによく似合っていた。

「あ、えっと……」

 今まで一度も会った事がない若いお姉さんに声を掛けられ、俺は柄にもなく言葉に窮した。

 というか、こういう人は急行電車で30分の街に住んでいる人種で、俺が住んでいるこの町にいる様な人じゃないだろ。

 そんな俺にどう思ったのか分からないが、お姉さんは少し困った様に首を傾げてにっこりと微笑んだ。

「今日からお店を開いているの。よかったら、遊びに来てね」

 あ、と見ればお姉さんは何やら小さい黒板のような看板を、美術部が使っている絵を立てかけるやつみたいなものに置いているところだった。

 小さい黒板には白いチョークで「紅茶専門店」と書かれている。

「紅茶?」

 俺の疑問が思わず言葉に出た。

「うん。紅茶のお店よ。紅茶は好き?」

 好きか嫌いかと聞かれたところで、紅茶なんてほとんど飲んだことがない。家にあるのは緑茶か麦茶だし、自販機で売られている紅茶を見たことがあっても、そんなのを飲むのは女子くらいだ。

 そもそも紅茶ってティーバックにお湯入れて飲むとか、そんなやつだったと思う。

 前に母親がそうやって飲んでたのを少しだけ貰ったことがあるが、何も味がしない茶色の液体だったはずだ。

「あ、いや。その、紅茶ってよく知らなくて」

 正直興味がない、と思ったのだが、綺麗なお姉さんに話しかけられてそんな返事ができるほど俺はやさぐれてはいない。

「そうね。男の子はコーラとかの方が好きかな?」

 確かにコーラは好きだが、母親が虫歯になると言ってほとんど飲ませてもらったことはない。たまに友達と行く駅前のハンバーガー屋で注文するくらいだ。

 ああ、俺ってつくづく田舎育ちだな。

 けれど、お姉さんはにっこりと笑顔のまま、建物の玄関を開けた。

 その中から嗅いだことがない香りが漂ってくる。

「もし時間があるなら、寄っていかない?

 初めてのお客さんということで、紅茶を一杯サービスするわよ」

 他の人には内緒ね、と唇に人差し指を立てて笑う姿は可愛くて、ほんの少し悪戯っ子ぽかった。





 店の中は奥に長く、通り側に壁に付いた木製のカウンター席が並んでいた。

 入り口もすぐに店の中が見える作りではなく、まず目の前の壁に白い花が一輪だけ飾ってあって、そこを右に行くと小さなレジと作業台のようなテーブルがあった。作業台のもっと奥には台所のような部屋が見えたが、白いレースののれんが視界を遮ってよく見えない。

 そのレジ前を通り過ぎると、木の壁を背にして席がいくつか並んでいた。

 小学校の卒業式の帰りに近所に一軒だけある喫茶店に母親と、母親の友達、その友達の子供で俺の同級生のやつの4人で入ったことがあるが、その喫茶店はボックス席が2つとカウンター席が4つあって、しかも布のソファは破れて中身がはみ出しているような店だった。あと、タバコ臭い。

 俺にとって喫茶店というのはそういうイメージだったが、ここの店はなんだか、なんというかすっきりとしているというか、あっさりとした感じだった。

「好きな席に座ってね」

 お姉さんはそう言うと作業台の方に歩いていった。ワンピースの背中で、はしごみたいに編んである紺色のリボンがお姉さんの歩きで揺れる。

 好きな席と言われたところで、どこに座っていいのか悩みつつ、俺は2つ目の席にとりあえず座った。

 椅子も木で出来ていて、木製というと古臭いという印象しかない俺だったが、都会のお洒落な人達が座る椅子の様に思えてただ座るだけのはずがやけに緊張する。

 どうしたらいいのか分からず、俺はとりあえずお姉さんの方に振り向いた。

 作業台の中の棚には色々なビンが並んでいて、俺には何が入っているのか分からない。そのひとつを手に取るとお姉さんはスプーンでビンの中のものをポットに入れた。

 それからポットにお湯を入れ、砂時計を引っくり返すと奥の部屋へ入っていった。

 あれが、紅茶なのだろうか。

 俺が知っている紅茶は母親がカップにお湯を入れて飲んでいたものだけだから、お姉さんが砂時計を引っくり返した意味も、お湯を入れてそのまま他のところへ行った意味も分からない。

 普通の茶みたいに、急須にお湯を入れたらそのまま湯飲みに入れるってのじゃないのだろうか。

 ハンバーガー屋や喫茶店の様なうるささはない。

 砂時計の砂が落ちる音が聞こえてきそうな静かさ。

 普段の学校からの帰り道の途中なのに、いつもと違う、別の町に来た様な不思議な感じがした。ぼんやりとしていて、ゆっくりとした、気を抜けば転寝をしてしまいそうな時間がなんだか心地よくなってきた。

 いつもなら家で学校の宿題をしながらテレビを見て、母親に叱られるだけの日常がどこか遠いところの出来事みたいだ。

 甘い香りが俺の緩みきった鼻をくすぐって、奥からカップを持って出てきたお姉さんが紅茶を煎れるところが俺の心の何かをこそばゆくさせた。

「どうぞ、めしあがれ」

 俺の前に置かれた白いカップと、その中の薄い色の飲み物。

 ほのかな湯気に紛れた甘い香りはいままでに一度も嗅いだことがない匂いだ。

 俺はカップの取っ手に指を掛け、一口飲んだ。

「…………」

 はぁ、っと呼吸だけが漏れる。

 唇から舌、喉へと通る甘く暖かな感触に、俺はそれだけしか口に出来なかった。

 緊張しきっていた体全身から力が抜けるような、そんな感覚だ。

 一息の後、少ししてから俺はようやく言葉を発せた。

「おいしい」

 ジュースみたいな甘さはない。

 普段飲むお茶みたいな熱さもない。

 じんわりと少しずつ染み出す甘味が紅茶が通った道の後から体を温めていく。

 派手な味じゃない。

 けど、忘れられない優しい味だ。

「紅茶ってこんなんだったんだ」

 俺の呟きにお姉さんがくすくすと小さく声を上げて笑った。

「このお茶はキャンディっていう紅茶なの」

「キャンディ? 飴?」

「字は違うけど、味は似ているかもね」

 お姉さんは俺の隣の席に座った。

 ハンバーガー屋の席みたいにすぐ近くではなく、ほんの少しだけ離れている。

「軽い味だけど、飲みやすい紅茶なの」

「紅茶って味が違うのがあるんですか?」

 うん、と嬉しそうにお姉さんが微笑む。

「色々な産地やフレンドがあるから、その時の気分で自分の好きに楽しめるのよ。

 君はお店の前を通った時になんだかつまらなそうな表情をしていたから、キャンディの柔らかい味が合うと思ったの」

 お姉さんが首を少し傾げた。

 会ったのは今日が初めてで、言葉もそんなに交わしていないのに、お姉さんのその目が俺の中の何かを見透かしているようで、俺は顔が赤くなるのを止められなかった。

 慌ててもう一口紅茶を飲むと、そんな俺を紅茶が優しくほぐしてくれた。

 代わり映えのしない退屈な田舎だと思っている町に、紅茶を飲みながら窓を見ると、同じ中学の女子達が楽しそうに喋りながら歩いている姿が映る。

 相変わらず地味なセーラー服と髪型のくせに、それでもそいつらは楽しそうだった。

 その中に、小学校の卒業式の後、母親達と一緒に喫茶店に寄ったやつがいる事に気付く。中学に入ってからはほとんど話すことはなかったが、小学校まではそれなりに仲良くしていたやつだ。

 そう言えば、小学校の時は男みたいに髪が短かったくせに、今は髪を三つ編みにしている。

 何を話しているかまでは聞こえないが、どうやらそいつが周りの女子から何かからかわれているようだ。

「あいつ、何してんだ?」

 からかわれて、それに反論して余計にからかわれている。完全に遊ばれているパターンだ。そういう時は反論せず黙って受け流しておけばいいのに、女子はよく理解できない。

 なんだかそれがおもしろくて、笑えた。

 俺がここから見てるなんて事、気付いてもいないだろう。

 なんなら明日、学校でからかってやってもおもしろいかもしれない。

 俺がそうやって笑っていると、お姉さんも隣で笑っていた。





 インスタントのロイヤルミルクティを飲みながら、俺は中学時代の事を思い出していた。

 俺が通っていた中学は悪い噂も多い学校だったが、そんなものは俺の周りでは何もなく、退屈で地味な学校だった。

 実家の周りは今では隠れた名店と呼ばれる焼き鳥屋があってたまにテレビに取り上げられるが、他は特になにかあるわけでもない地方都市の一角だ。同じ市内の別の場所に大きなショッピングモールやアミューズメントパークが出来てから寂れていった、というよくあるところだった。

 そこで俺はそれなりの学校生活を送り、近くの商業高校に進学した後、なんとなくの流れで県内の大学に進学した。

 これもまた、どこにでもありそうな人生だと思う。

 それなりの不満と、それなりの楽しい毎日を過ごしている。

 最近あった出来事と言えば、小学時代からの腐れ縁だったやつと付き合うようになったくらいだろうか。

 中学の頃の友達からは「ようやくかよ」なんて笑われた。どうやら俺達は小学校の時代から周囲では暗黙の仲だったらしい。俺は知らなかったが。

 今のところ、大学に進学したからといって特に何をしたいわけでも、目標があるわけでもないが、卒業したら地元に帰るのも悪くないかもしれないと思ってはいる。

 地元で就職先があるかどうかは分からないが、料理学校に通っている彼女が実家の八百屋を使って野菜専門の料理店をやりたいと言っていた。だけど事務関係は苦手だから、簿記資格を持っている俺に手続きとか手伝ってほしいと言ってきて、そういう勉強も最近はする様になった。

 大学の先輩の伝で、その手の事務所でバイトを始めたら、案外楽しかったのでその辺りは俺も驚いたところだ。地味で細かい仕事が向いているなんて言われて、喜んでいいのか複雑だ。

 しかしまぁ、悪くはないんじゃないかとそんな風にも考えられるようになった。

 俺は地味で派手なことは出来ないが、それなりに生きているつもりだ。

 ロイヤルミルクティを飲みながら、俺は息を吐いた。

 100円ショップで買った黒いマグカップはいかにも安っぽく、インスタントはそれなりに旨いと思うが、やはりインスタントだな、と思ういつもの味だ。

「やっぱプロは違うよな」

 そんな当たり前の事を呟く。

 おいしい紅茶を煎れてくれたあのお姉さんは笑いながら俺の隣で言っていた。

「ほら、紅茶が気分転換になってくれたでしょ」

 何もかも分かっていて、何もかも見通していたあの人は、確かに俺に何かを教えてくれたのかもしれない。

 日常の中の、けれどいつもと違う何かに気付けば、案外違った日常があることを教えてくれたなんて言うと、なんだそりゃと笑いたくもなる。

 けど、そう思ってみるのも、意外と悪くないのかもしれない。

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