EX-1『引換券』
これは……この物語はまだハティとスコルの双子が人の街へ赴く前の話である。
「シーちゃん、シーちゃん!」
突如として弁当屋の中から元気の良い声が響いてくる。正しくその声は茶色の髪にふわっと、されどもサラサラした毛並みの尻尾と耳を持つスコルのもの。だが珍しくハティは一緒ではなかった。
否、つい先程までは一緒にいた。ただ、忘れ物をしたと言って一度家に戻っているだけである。
「うっさいわね!なによ!」
店中にはスコルと、シーちゃんと呼ばれる弁当屋の従業員で澄んだ川を見ているような、鮮やかな水色の瞳と白銀の髪と細長い尻尾を持つケット・シーの二人のみ。故か大声で話したところで客の迷惑にはなることは無い。
いや、厨房にはケット・シーの父を含む従業員もいるが、少女達が本当は仲が良いことは知っており、迷惑どころか逆に微笑ましいと、にこにこしている。
だからこそこうして従業員と客という立場ではなく、友達という立場のように話が続いていく。
「今日は〜何の日だと思う〜?」
「知らないわよ!」
「え〜知らないんだ〜」
「だから何よ!知らないと不味い日なの!?」
「不味くはないけど〜今日は何の日だと思う〜?」
「同じ事を言わない!って焦らさないでよ、気になるじゃないの」
「え〜教えな〜い」
ハティが戻ってくる間に今日が何の日なのか当てるクイズで楽しみつつあるスコル。しかし焦らし続けるからこそケット・シーは嫌でも教えてもらおうとある秘策を思いつく。
「ぐぬぬ……わかったわ、ならこうしましょう。教えてくれたら特別にご飯大盛り、おかず大盛りにしてあげるわ」
「わぁ〜いいの〜?」
「ええ。看板娘のケット・シーに二言はないわ」
「ん〜えっとねぇ〜今日は〜」
と今日は何の日なのか教えようとしたその刹那。バンッと弁当屋の入口が強く開かれた。
ばっと振り返えると、急いで走ってきたのが伝わるほどに息を切らし、闇に放り投げられたかのような黒さを誇る艶のある髪とふわふわな尻尾。ピンとたった耳までもが特徴的なハティの姿があった。
「お、おまた……お待たせしました……これお願いします……」
息を整えつつ、握りしめていた一枚の小さな紙をケット・シーに渡すのだが、その瞬間にケット・シーの顔色が一気に変化していた。
それは体調が悪い顔色ではなく、恥ずかしい事を知られてしまい、顔一面が鮮やかな紅色に染め上げられた羞恥心の顔色だ。
「こ、これは……!」
「この日のために……とっておいたにゃんにゃん……引換券」
「出回る直前に全部燃やしたはずなのに……ってまさか、父さんから!?」
「その通り〜」
「くっ……あとであいつ絞め殺してやる……まぁ、持ってきたなら仕方ないわ……き、今日だけなんだからね!!」
その言葉を強く言い放つと厨房の方へ溜息をつきつつ向かう。
だが、程なくして少女達の元に戻ってくると、弁当屋の印である猫の刺繍が施されたエプロンを脱いだ。
「……それじゃあ早速買い物に行く……にゃ」
カウンター横を通り、自身の口から吐いた語尾に顔を赤く染めつつ、少女達と一緒に外へ歩みを進める。
というのも、ハティが苦労して持ってきた引換券は二月二十二日、つまり猫の日と言われているこの日限定でケット・シー本人のお手製料理を自宅で食べることができる。それもその日限定で猫語付きなのだ。
「それで、リクエストはなにかあるのかにゃ?」
「あっという間に恥じらいがなくなりましたね?」
「可愛くな〜い」
店を後にして早くもケット・シーは猫語に慣れ始め、気付けば恥じらいも無いように見える。いやそもそもケット・シーは猫系の獣人。それも猫語を広めたのが猫獣人であることから、直ぐに慣れることなど容易い話。しかし人前で猫語はやはり恥ずかしいらしく。
「ちょっ!あんた達が望んでやってるんだから文句は言わないのにゃ!これでも恥ずかしいのにゃ!」
と、顔には出していないが心の底から穴があれば入りたいと思うほど恥ずかしいようだ。
「うー、そういう事なら仕方ないね〜じゃあ無難にオムライス〜」
「私はシーちゃんのオススメでお願いします」
「わかったにゃ。オムライスとオススメのリクエスト了解にゃ」
羞恥心をなるべく隠しつつ彼女は、彼女達は材料の調達を始める。
ーーーー三十分後。オムライスを作るのに必要な材料や芋に肉など、様々なものを調達した少女達はハティとスコル宅に向かい、漸く調理が始まった。
「それじゃあ待ってるにゃ。あ、今日作る料理のレシピいるにゃ?」
「そうですね。一応もらっておきます」
「わかったにゃ」
引換券の決まりは破ること無く猫語のまま気遣いも行い、ハティ宅にあるエプロンを着るとすぐさま作業に取り掛かった。
それに流石弁当屋だ。キッチンに立つだけで良いものができそうだと期待できるほど弁当屋の風格が溢れ出ていた。
「まずは肉じゃがにゃ。一口大芋、乱切りにんじん、くし切り玉ねぎ、肉を鍋でよく炒めて……調味料を加えた出汁で煮るにゃ!」
最初に鍋を使った“肉じゃが”の仕込みを済ませるが、勿論手を止めることはない。
さっさっと手際良くもう一個鍋を取り出す。肉じゃがで残った材料でコンソメスープを作り始めたのだ。
作り方はとても簡単なもの。肉じゃがで余ったにんじんをイチョウ切り、玉ねぎは再びくし切りにしほぐし、沸騰させたお湯で煮つつ、塩と胡椒で味付けするだけである。
「煮てる間にオムライスにゃ。玉葱と肉を細かく切って、バターを溶かしたフライパンでよく火を通すにゃ。で色が変わってきたところで……」
ここまでレシピを見ずに調理を進める彼女だが、少しでも間違うと味が変わってしまうと弁当屋の教えで、暗記しているレシピを復唱しつつ調理を進める。
勿論衛生を考え、復唱しながら作る時は必ずマスクをしている。
「ここで塩少々、ケチャップを入れて軽く炒めたら、ご飯をいれて余分な水分が飛ぶまでよく炒めるにゃ」
さっさっさっと手際良く調理を進め、次第にキッチンからとても良い匂いが漂い始める。その匂いを嗅ぐだけで、腹がなりそうな程香ばしい匂い。
「これでチキンライスができたから……次は玉子にゃ!」
自身を含めた三人分の皿に今しがたできあがった手作りチキンライスをドーム状に盛りつけると、休む暇なく卵、マヨネーズ、牛乳、塩をボウルで混ぜ合わせオムライス用の玉子を作り上げ一品目が完成した。
だがそれでも彼女の手は止まらない。
なぜならオムライスができあがる頃にはスープも肉じゃがも丁度良い状態に仕上がり盛りつけをしなければならないのだから。
ーー調理を始めてから一時間経過したが、ハティ達の前にほっかほっかなオムライス、塩胡椒が効いた湯気が立っているコンソメスープ、あったかな肉じゃががずらりと並んだ。
「召し上がれにゃ」
「さすがシーちゃん……凄いです」
「本当に凄いよ〜さすが弁当屋〜」
「ほ、褒めたって何も出ないにゃ!!早く食べるにゃ!!」
「はいはい。それじゃあ……いただきます!」
「いただきま〜す」
行儀よく挨拶をすると、オムライスを一口分スプーンで口に運ぶ。
刹那、少女達はオムライスのあまりの美味しさに言葉を失ってしまう。しかしその美味しさ故か少女達の口はオムライスを求め、無意識的にオムライスを口の中へ運び続けた。
「ど、どうかにゃ?」
「……最高です!」
「美味しすぎて感想が出てこないよ〜」
口の中でホロホロとチキンライスが一粒事に踊り出し、トロっとした半熟の玉子がそれを包み込み、より良い味をだす。
これで追加のケチャップをかけていないのだから、驚きだ。
もしこの美味しさでケチャップをかければ、より美味しくなるのだろうが、チキンライスにもケチャップを使っており、途中でくどくなるのは目に見えていた。故にケット・シーは最初からケチャップは付けず、またハティ達も付けようとはしない。
肉じゃがもかなり完成度が高く、芋を口の中でと運べばホロりと柔らかく崩れ、染み込んだ出汁がじゅわっと口の中を支配した。
ーー数分後、家庭的な料理なのにとても美味な料理をゆっくりと堪能し終えたハティ達とケット・シーは腹が満たされ「ごちそうさまでした」と声を揃えて言った。
しかしケット・シーのもてなしはこれで終わりではない。
というのも先程の肉じゃがは、二日目からが美味しいらしく、保存用にと多く作り、既に冷蔵庫の中に保存しているというのだ。
「満足してくれて何よりにゃ。それじゃあレシピと……あと、調理器具と皿は洗っておくにゃ」
さらに調理器具や皿の片付けまでしてくれるというが、なんと親切なのだろうか。
これはもう一家に一人は欲しい存在になるに違いない。しかし彼女は世界に一人しかいない存在。こうして引換券で奇跡的に家事をしてくれるだけありがたいというものだ。
それから更に一時間。日が暮れ始めた頃には本当にケット・シーのもてなしは終わりを迎えた。
「今日はありがとうございました」
「全くにゃ……なんでこんな目に合わないと行けにゃいのかにゃ……本当にあいつ絞め殺すにゃ……」
「まぁまぁ。お陰でシーちゃんの可愛いところ見れたので」
「か、かわっ!?……ふん!そんなこと言っても今後こんなことやらないにゃ!それじゃあ帰るにゃ!」
「は〜い。今日はありがとね〜」
終わったのにも関わらず猫語が抜けてない事はあえて言わず、ハティ達に可愛いと言われ、嬉しそうに尻尾を振るケット・シーを見送るのだった。