三話 「という訳で森へ行って薬の材料をとってこい」
冒険者ギルド職員の朝は早い。
中でも「天空の森」ギルド支部職員、「ラフル・トロメーテ」の朝は特別早いと言っていいだろう。
超ド辺境に立地するこのギルド周辺には、いわゆる宿屋が無かった。
というより、人里が存在して居ないのだ。
「天空の森」は危険なモンスターがわさわさいるかわりに、希少な資源が大量に眠っている、いわば冒険者にとっての楽園である。
にもかかわらず、不便だという理由で冒険者が来ないのでは、ギルドにとってはおいしくない。
そこで、「天空の森」ギルド支部は、それ自体が「宿屋」の役割を担うようになっていった。
ラフルは「ギルド職員」としての仕事だけではなく、「ド辺境の宿屋の従業員」という仕事も兼業している訳だ。
「はぁー、朝か……。もう、無限に夜が明けなければいいのに」
窓から入ってくる光に顔をしかめながら、ラフルは死ぬほどだるそうに体を起こした。
夜が明けなければ夜が明けないで仕事をしなければならなそうなものだが、今のラフルにはそういった考えは一切届いていない。
とにかく仕事をしたくない、その一心なのだ。
「雪降って最寄りからの乗合馬車が止まったって手も、ココじゃ使えないからなぁ。ギルド支部に住み込みだし」
ラフルは、ギルド支部に住み込みで働いていた。
何しろ「天空の森」ギルド支部の周辺には、人が住んでいるような場所が一切ない。
ギルドの職員は全員、ギルド内で生活している。
カナメやエルネットは「便利でいい」などと言っているが、ラフルは全くそう思わなかった。
そもそも、ラフルは仕事場に行きたくない、働きたくない種類の人間なのだ。
ただでさえ働きたくないのに、働くための場所で寝泊まりするなど、ラフルにとっては論外である。
「あー。働きたくない。今日休んじゃおうかなぁ」
口ではこんなことを言っているが、それができないことはラフル自身重々承知だ。
もしサボろうものなら、カナメの攻撃魔法が飛んでくる。
美しい白猫という見た目からは想像しにくいが、あのギルドマスターは洒落や冗談ではなく、本気で魔法をぶっ放してくるのだ。
殺されかけたことは、一度や二度ではない。
まあ、それだけラフルがサボって休もうとしていた、という話なのだが。
「しょうがない。諦めて働くか……。こんなにつらいのに仕事しなくちゃいけないなんて、世の中間違ってるよなぁ」
かなりダメっぽいことをぼやきながら、ラフルはようやく毛布を脇によけ、ベッドから立ち上がった。
身体を伸ばして深呼吸をすると、窓を開ける。
新鮮な空気が部屋の中に流れ込み、暖かい光が体を包む。
普通ならばさわやかな気分になりそうなものだが、ラフルは思い切り顔をしかめる。
彼にとって、眠りを妨げるものは悪。
眠気を取り除き、覚醒へと導くものもまた、悪なのだ。
さわやかな朝の気持ちの良い空気など、邪悪の化身そのものである。
とりあえず置き上がったラフルは、シーツをはぎ、敷布団を壁に立てかけた。
まだワラを敷いているベッドも多いこのご時世だが、豪華にも綿入りの敷布団である。
ラフルの私物ではなく、ギルド支部の備品であった。
ギルドマスターであるカナメが、用意させたのだ。
カナメは道具には金に糸目をつけず、一番いいものを用意する主義らしい。
それが、ギルドの備品にも反映されているわけだ。
無茶苦茶で傍若無人だが、このあたりはラフルにとってもありがたい。
開け放った窓の手摺に、毛布を掛ける。
空を見上げれば、太陽はまだ半分ほどしか顔を出していないらしく、若干赤みがかった色をしていた。
雲は少なく、きっと今日もいい天気だろう。
昼寝をするには良いが、こういう日は仕事も多くなるので、ラフルにとっては憂鬱な天気だ。
毛布を干し終えると、部屋の中に張った紐に、シーツを掛ける。
寝る直前まで干しておけば、とりあえずカビが生える心配はない。
シーツを洗濯するのは、四日から六日に一度。
魔法で水を用意できるとはいえ、ココでは水は貴重だ。
それに、洗濯には時間もかかる。
たった三人しか職員がいない「天空の森」ギルド支部では、正直そこまで手が回らないのだ。
もし毎日洗い立てのシーツが使いたいなら、自分で洗うこと。
このギルド支部での約束事の一つである。
布団を干し終え、寝間着から制服へ着替えたラフルは、部屋から廊下へと出た。
ラフルが使っているのは、泊り客が使っているのと同じ客室だ。
一応、ギルド職員用の部屋も二つほどあるのだが、それらはどちらもエルネットが使っていた。
片方は寝泊りをするための部屋。
もう片方は、魔法薬を作るための作業部屋となっている。
専用の作業部屋もあるのだが、魔法薬を作るため道具というのはとにかく数が多いらしい。
結局手狭になってしまい、ラフルが追い出される形になったのだ。
カナメは基本的に、エルネットにはとても甘かった。
そして、ラフルにはとても厳しい、というか、扱いが雑なのである。
もう少しどうにかしてほしいとは思うが、言いはしない。
言ったら、魔法とかぶっぱなされそうだからだ。
「おう、ラフル。おはよう」
ラフルに声をかけてきたのは、現在ギルドの宿に泊まっている冒険者、ボルクガングだ。
その中年冒険者の姿を確認したラフルは、深い溜息を吐く。
「なんで朝っぱらからおっさん冒険者なんて見なくちゃいけないんだ……」
「俺だってやる気なさそうなギルド職員なんて朝っぱらから見たかねぇーよ!」
お互いに罵倒し合いながら、二人は階段を降りていく。
降り切った先にあるのは、ギルドの広間兼食堂だ。
ラフルは厨房に入っていくと、自分のコップと歯ブラシを引っ張り出してくる。
ちなみに、ボルクガングはあったときから片手に歯ブラシ入りのコップを持っていた。
「ボッさんさぁ。何とかして美少女になりません? 身も心も」
「どういうことだよ。逆にそっちが成ればいいだろ、美少女に」
「いや、俺が美少女になってもボッさんにはなびかないと思いますが」
「俺だってお前にはいかねぇよ」
ギルドの扉を開き、外へと出る。
目の前に広がるのは、竜便の離発着場だ。
固く踏み固められており、上空から見ると離発着場を示す印が書かれている。
そのちょうど真ん中あたりに、少女が立っていた。
八歳から十歳ぐらいの、銀髪に抜けるような白い肌が印象的な少女である。
その少女が、手にもったやたら煌びやかでファンシーなステッキで剣に見立て、素振りをしているのだ。
少女はいかにも儚げで、か弱そうな外見をしている。
にもかかわらず、素振りをする動きは力強く、型は実に堂に行ったものだった。
見た目と行動がちぐはぐに見えるが、それも当然だろう。
この少女は、元々は腕のいい「男性冒険者」だったのだから。
古代遺跡で何らかの事故に遭い、美少女の姿にされてしまった冒険者。
それが、名をクレオというこの少女の、正体なのだ。
「お! おはようございます! 気持ちのいい朝ですね! 体を鍛えるには最高の日和ですよ! はっはっは!」
クレオはラフル達を見つけると、にっかりと気持ちのいい笑顔で挨拶をする。
身体が弱そうな少女が快活な笑顔を浮かべているその様子は、見るモノになんとなく違和感を感じさせた。
少女特有の鈴のような声で繰り出される熱血っぽいセリフに、ラフルは顔をしかめ、ボルクガングは困惑の表情を浮かべる。
「前言撤回。見た目が美少女でも中身がアレだとダメですわ」
「やっぱり中身も大事だよな」
げんなりとした様子でいうラフルとボルクガングだったが、どうやらクレオには聞こえなかったらしい。
笑顔のまま、二人の方へと歩いてくる。
「二人とも歯磨きだろ? 俺は水浴びでもするかな!」
「いやいやいや。人目がありますから」
ラフルの言葉に、クレオは一瞬怪訝そうな顔をするものの、すぐにハッとした表情になった。
そして、がっくりとうなだれる。
「そうだな……今の俺の体だと問題あるよな……」
何とも暗い雰囲気である。
見た目が幼気な少女であるだけに、こういう仕草をされると罪悪感がすごいのだ。
「まぁ、元気出せよ! 古代遺跡見付けりゃ、どうにかなるって!」
何とか元気づけようと、ボルクガングは努めて明るい声を出す。
それが分かるからか、クレオも顔を上げ、ぐっと握りこぶしを作った。
「そうですよね! そのためにしばらくはここに留まることにしたんですし!」
「そうそう! その意気だぞ、その意気!」
元々、熱血タイプだからだろう。
ボルクガングに後押しされ、クレオはすぐに立ち直り、力強くファンシーなステッキを振り上げる。
このステッキは、元々は古代遺跡で発掘された魔法金属を使用して作られた、魔剣であった。
だが、クレオが美少女に変身させられたからなのだろうか。
「魔法少女っぽいステッキ」へと姿を変えたのである。
見た目こそ変わったのだが、実は性能はかなり高かった。
元々の魔法強化能力は全く衰えておらず、どういう構造なのか剣としての切断能力も備えている。
全く理屈はわからないのだが、ある意味「魔法のステッキ」として強力なものとなっているのだ。
まあ、クレオ本人はもちろん嫌がっているわけだが。
クレオは手にしたステッキを悔し気に見つめ、グッと両手で握り込んだ。
「お前もそんな姿になって悔しいだろ、フレイムブレイカー・インフェルノカスタムV2! 安心しろ! 俺が必ず元の姿に戻してやるからなっ!」
やたら長いうえにアホっぽい名前ではあるが、魔法剣の正式名称である。
制作を依頼したクレオがつけたので、ギルドなどにもその名前で登録されていた。
ラフルが非常に居た堪れなさそうな顔をしているが、まぁ、仕方ないだろう。
「まぁ、とりあえず、顔だけでも洗って。水浴びは風呂場ででもしてください」
「そうだな。そうさせてもらうわ」
言いながら肩をすくめるクレオも合流し、三人はボチボチと歩き始めた。
向かったのは、石が敷き詰められ、幾つかのたらいが置かれた場所だ。
屋外で水を使うための場所である。
といっても、そこには井戸や水道と言った、水を得るための設備はない。
水は魔法、あるいは魔法道具を使い、自前で用意するのだ。
ラフルは置いてあったたらいを手に取ると、少量の水を作り出しそれを濯ぐ。
そして、今度はたっぷりの水を作り出し、敷き詰めた石の上に置いた。
「はい、ボッさんどーぞ」
「お、さんきゅー」
ボルクガングは礼を言うと、たらいからコップで水を汲み、ラフルもそれに続く。
中級冒険者にしては珍しく、ボルクガングは魔法が使えないのだ。
宿で水を使うときは、こうしてラフルやほかの冒険者を頼っていた。
もちろん、料金は支払っている。
世知辛い話だが、「天空の森」では水は貴重品なのだ。
ラフルとボルクガングがうがいをして歯を磨き始めた横で、クレオもたらいに水を張っていた。
腰に引っかけていた手ぬぐいをそれに浸し、硬く絞って顔やら手やらを拭き始める。
「あー、くそ。頭から水浴びた方が気持ちいいんだけどなぁ」
クレオはぼやくようにそう言うと、深い溜息を吐いた。
力こぶを作ろうと腕に力を入れているようだが、突いてみると非常にぷにぷにしているらしい。
それが気に入らないのだろう、何とも言えない微妙な表情を浮かべている。
「ぼやかない、ぼやかない。嘆いたっていいことないですよ」
「わかってるよ」
珍しく正論っぽいことを言うラフルに、クレオは顔をしかめた。
クレオは身体を拭いていた手ぬぐいをたらいに投げ入れると、たらいに背を向けて歩き出す。
向かったのは、「天空の森」の淵。
ギルド支部の敷地からすぐにある、切り立った崖だ。
地面から突き出した円柱状の起伏。
「天空の森」は、その上ある陸の孤島だ。
ギルド支部が位置しているのは、その一番端。
崖っぷちの一角であった。
クレオは身体を伸ばしながら、そこからの一望を眺めた。
高く切り立ったそこからの風景は、はるか上空から地上を見下ろすようである。
昇り始めたばかりの太陽に照らされた大地は、神秘的な美しさを見せた。
目を奪われるような、雄大な自然。
普通ならば、感動のため息の一つも出ようというものだろう。
だが、クレオが吐いたそれは、どこか退屈さをにじませるようなものであった。
「三日も見ると飽きるな。この景色も」
「慣れですよ、慣れ。大体の人が最初はすごい景色だって言いますけどね。食えるわけじゃなし」
「ここに来るのなんて、素材目的の冒険者だからな。俺も含めて。景色楽しみに来てるんじゃなくて、稼ぎ目的だから」
クレオの言葉に賛同するように、ラフルとボルクガングは大きくうなずいた。
どんなに素晴らしい景色でも、彼らのような連中にとってはほとんど価値のないものらしい。
こういうのを、猫に小判というのだろう。
「それより、朝飯食いに行こうぜ」
「簡単に言いますけど。用意するの俺なんですよ?」
「まあ、ガンバレ」
そんなやり取りをしながら用事を済ませると、クレオはギルド建物の一角にある風呂場へと向かった。
先に言ったように、朝食の前に水を浴びるつもりらしい。
ほかの二人は、食堂の方へと向かう。
ラフルは朝食の準備を。
ボルクガングは、朝食が出来るのを待ちながら、ぼーっとしなければならないのだ。
自然の造形美より飯。
何とも即物的な連中ではあるが、残念なことにここでは珍しい考え方ではなかった。
こんなド辺境までやってくる殆どの冒険者にとって、目的は景色ではなく金などのわかりやすい物品なのである。
素晴らしく美しい光景をマル無視して、三人はそれぞれの目的の場所へと向かうのであった。
土地にもよるのだが、「天空の森」ギルド支部に最も近い国では、朝食に温かいものを食べる習慣が無かった。
朝の食卓に上るものといえば、前日の残り物に、保存の利くハムやチーズ。
そこに、買い置きのパン、といった具合だ。
温かい食事を用意するのには、時間も手間も、薪などの燃料費もかかる。
そういった「贅沢な食事」をとるのは、夜だけというのがふつうであった。
しかし。
「天空の森」ギルド支部では、朝から温かい食事を用意する決まりになっていた。
ギルドマスターである、カナメの方針である。
「いやぁ、朝一であったかいものが食えるなんて贅沢ですよねぇ!」
「私の元居たところでは、朝は白飯に味噌汁が常識だったからな。やはり一日の始まりは、暖かいものでなければいかん」
ボルクガングの言葉に、カナメは重々しく頷いた。
彼らが居るのは、ギルドの広間兼食堂になっている場所だ。
いくつか長机が並んでいるが、座っているのはほんの数人。
カナメに、ボルクガング、クレオだけである。
冒険者の間では、「天空の森」は希少な資源が多く、稼ぎのいい場所として有名だ。
にもかかわらず人が少ないのは、「天空の森」がそれだけ危険な場所だからであった。
並みの冒険者であれば、入って半日も生き延びられれば御の字。
無事に帰ってくるにはB級程度の腕が必要だが、冒険者というのはC級で一人前とされるものだった。
B級以上に上がれるのは、才能がある一握りのみだと言われている。
ちなみに、A級冒険者は一種の化け物として扱われることも多い。
一応その上にS級というのもあるのだが、それを与えられているのは世界で数人。
通常出会うことがある最上位は、B級であると考えていい。
それを最低限要求するというあたりが、「天空の森」の恐ろしさを物語っている。
「シロメシにミソシルですか。たしか、東の列島辺りで食べられていると聞いたことがありますが」
話を聞いていたクレオが、首を捻りながらそう口にする。
ボルクガングは、感心したようにうなずいた。
「よく知ってるなぁ。俺もあちこち回ってた若いころに何度か食ったことあるけど、ありゃ作るのに手間がかかるんだろ?」
「いや、俺も詳しくは知らないんですけど。ギルドマスターはあちらの方に行かれたこともあるんですか?」
「そういう訳でもないんだが。まあ、永く魔族をやっていると色々あるんだよ」
カナメは言葉を濁しながら、そっぽを向く。
昔のことはあまり話したくないような態度だが、残念ながらカナメの経歴はあまりにも有名だ。
「なるほど。流石カナメさんです」
「やっぱ、冒険者ギルドを恐怖のどん底に叩き落とした魔族はいろいろ経験してるよなぁ」
感心したようなクレオとボルクガングの言葉に、カナメは嫌そうに目を細めた。
見た目が美しい白猫なので表情は分かりにくいが、しこたま嫌そうなのは雰囲気で伝わってくる。
何とか誤魔化そうとはするものの、それなりにギルドと関係の深い冒険者ならば、誰でも知っている話しなのだ。
曲がりなりにもB級冒険者であるクレオとボルクガングならば、知っていて当然ともいえる。
「おい、ラフル! エルネットは来ないのか!」
カナメは立ち上がると、厨房の方に向かって声を掛けた。
どうやら、話を逸らす作戦に出たらしい。
調理をしていたラフルは、怪訝そうな様子で厨房から顔を出す。
「あれ? まだ来てないんです? もう起きてそうな時間ですけどね」
言いながら、ラフルは首を傾げた。
ボルクガングとクレオも、不思議そうな顔をしている。
「エルネットちゃんが寝坊ってこともないだろうしな。ラフルじゃないんだし」
「いや、昨日遅くまで仕事してたみたいですよ? 何か早く終わらせたい仕事があるって言ってましたし。ラフルと違って真面目ですからね」
「さりげなく俺の事ディスってません?」
ボルクガングとクレオの言葉に、ラフルは盛大に顔をしかめた。
が、特に否定はしない。
自分でも似たようなことを思ったからだ。
ラフルは自他ともに認めるナマケモノで仕事嫌いなのである。
「じゃあ、カナメさんが呼びに行ってくださいよ。エルネットの事。俺が行くわけにもいきませんし」
「それもそうか。では、ちょっと呼んでこよう」
そういうと、カナメは乗っていたテーブルの上から飛び降りた。
ゆったりとした足取りで向かうのは、ギルド職員が使う棟につながる階段だ。
カナメの背中が消えるのを見送ってから、ボルクガングはぼそりと呟いた。
「ギルドマスターって、エルちゃんのことになると動くよな。普段はラフルとどっこいなぐらい動かないのに」
「俺はここを使うようになって日が浅いですが、寝てるところか飯食ってるところか、あるいはラフルと冒険者脅してるところしか見てないですよ」
ボルクガングに同意するように、クレオは頷いた。
ラフル同様、カナメも普段は自分から動くタイプではないのだ。
例外があるとすれば、食べ物が絡むときと、エルネットに関することぐらいだろうか。
「分かりやすいえこひいきだよな」
「まあ、ムサイ野郎よりは見た目がいい女の子を贔屓する気持ちはわかりますけどね」
「クレオさん、今は自分が見た目がいい女の子じゃないです?」
ラフルの一言で、クレオはどんよりとした表情で机の上に突っ伏した。
自分のビジュアルを思い出し、なにがしかのダメージを受けているようだ。
「まあ、マジメですし。仕事もがんばってますからね。そりゃかわいがりもするでしょう」
「ラフルもがんばればかわいがってもらえるんじゃないか?」
「俺、仕事がんばったら死んじゃう病にかかってるんで」
「なんだそりゃ」
まじめなトーンで言うラフルに、ボルクガングは苦笑を漏らす。
クレオも、呆れたように肩をすくめる。
そんな二人のリアクションに笑いながら、ラフルは料理の仕上げをするため、厨房へと戻っていった。
ラフルは、料理人というわけでない。
誰かの指導を受けたわけでもなければ、資格を持っているわけでもなかった。
一人暮らしで、自分で食べる分を用意してきた程度である。
そんなラフルが、何故宿屋の料理を作っているのかと言えば。
単にほかに人がいなかったから、だ。
はじめのうちは大変だったものの、それでも最近は何とかある程度のものは用意できるようになっていた。
人間、必要になれば何とかやりくりするものなのである。
細かめに切ったベーコンを、鍋で炒める。
脂が溶けだしてきたところを見計らい、千切りにした玉ねぎを投入。
しんなりする程度に炒めたら、今度はジャガイモを入れる。
これは昨日の残り物で、既に蒸かしてあるものだ。
なので、しっかり火を通す必要はない。
程よく温まったところで、水を注ぐ。
それが沸いてきたら、固形スープの素を適量。
ラフルはギルド支部で料理を任されるようになってから、この「固形スープの素」の存在を知ったのだが、こんなに便利なものだとは思わなかった。
なんでも、干し貝柱や干しキノコなどを固めたものだそうで、お湯に入れて煮るだけでよい出汁が出るのだ。
途中で引き上げても良し、具材としてそのまま入れて置いても、いいアクセントになる。
あまり料理上手でないラフルでも、十分においしいスープが作れる、優れものだ。
スープを煮ている間に、別のモノの準備を始める。
保存用の堅焼きパンを切り分け、遠火で温めて置く。
その間に、フライパンでバターを溶かす。
フライパン全体に薄くいきわたる程度になったら、その上にチーズをのせる。
焼いて食べるのに最適な種類のもので、保存が利くため「天空の森」ギルド支部ではよく使われる種類のものだ。
片面が焼けたら、フライ返しでひっくり返し、香辛料を一振り。
焼き上がるのを待って、温めて置いたパンの上へ乗せる。
少し重めだが、冒険者の多くは食が太い。
このぐらいであれば、ぺろりと食べてしまう。
付き合っているギルド職員も、自然と同じような食事量を食べられるようになるのだ。
チーズをのせたパンが出来上がるころ、丁度スープも食べごろになる。
双方を皿に盛り付ければ、この日の朝食の出来上がりだ。
「おー! 旨そうな匂いだな!」
厨房と食堂を繋ぐカウンターから顔をのぞかせているのは、ボルクガングだ。
料理が完成するのを見計らい、受け取りに来たのである。
その隣には、クレオも居た。
「冒険者の人って、翌朝からこんなにガッツリ食べられますよね」
言いながら、ラフルはカウンターに料理の乗った皿を並べる。
ボルクガングとクレオはそれを受け取り、テーブルへと戻っていく。
「食える時に食っとかないと、いざ仕事を始めたら次にいつまともな飯が食えるかわからないからな。冒険者って商売は」
「基本食いだめですからね。朝飯ガッツリ食っとかないと、訓練するにもスタミナが持たないし」
「そうそう。ガッツリ食えるのも冒険者の資質ってな!」
ボルクガングとクレオの会話を聞き、ラフルは呆れたように首を横に振った。
彼らが言うように、しっかりと食べて体力を蓄えられる、というのも、冒険者にとっては大切な資質だ。
朝起きてすぐにたくさんの飯を食うという冒険者は、少なくない。
そのため、ラフルは毎朝かなりガッツリとした量の朝食を作る羽目になっていた。
「そういうラフルだって、毎回同じようなもん食ってるだろ?」
「別のメニュー作るの面倒じゃないですか」
ラフルの言葉に、ボルクガングは納得したようにうなずく。
ギルド職員の面々も、冒険者達と同じものを朝食として食べていた。
わざわざ別メニューを作る手間を、ラフルが惜しんでいるためだ。
おかげで、「天空の森」ギルド支部のギルド職員は、全員朝から冒険者と同じ量の食事を食べることになっていた。
本来なら身体に悪そうなものだが、幸か不幸か、一般的なギルド職員というのも冒険者と同じく体力勝負の仕事だ。
朝からしっかり食べるようになって、体調がよくなったというのは、エルネットの談である。
ラフルとカナメは割とサボり気味なので、その限りではない。
ギルド職員が三人いる中で、まともなのはエルネット一人なのだ。
「じゃあ、頂きますか」
カナメやエルネットを待つつもりはないらしく、ボルクガングとクレオはさっそく朝食を食べ始めた。
ボルクガングが最初に手を付けたのは、スープだ。
乾燥貝柱などからの出汁がよく出ており、玉ねぎの甘みが心地いい。
ベーコンの香ばしさと塩気、油気もいい仕事をしている。
次いで、パンの方に手を伸ばす。
表面がきつね色に焼け、カリカリになったチーズ。
その所々に見える黒い点は、粗挽きのコショウだろうか。
齧ってみると、バターとチーズのうま味が口に広がる。
堅焼きパンの小麦の味に、コショウの辛味。
少々重めの食事ではあるが、肉体を酷使する冒険者にとっては、むしろありがたい。
クレオも満足しているらしく、美味そうに目を細めて食べている。
「あー、やっとできた。朝から飯作るのってホントタイヘンですよね」
軽くかたずけを済ませたらしいラフルも、食堂の方へとやってきた。
カナメやエルネット、自分の分の皿もテーブルに運び、二人が下りてくるのを持つ。
まもなく、階段の方から軽い足音が聞こえてきた。
顔を出したのは、カナメだけである。
「あれ、エルネットどうしたんです?」
「どうも徹夜をしていたらしくてな。ふらふらしていたから、寝ておけと言ってきた」
「あらら。まあ、今日は非番ですし。それがいいですね」
魔法薬職人であるエルネットは、徹夜作業をすることも少なくなかった。
一度製作を始めると、完成まで十数時間管理し続けなければならない、という魔法薬もあるからだ。
今日はエルネットは非番、休日である事もあり、カナメの処置は妥当と言っていいだろう。
「ただ、流石に腹は減るだろうからな。目が覚めた時の為に、軽食でも用意しておいてやってくれ」
「はいはい。なんかつまめるものでも作って置きますよ」
「頼む。受付業務はしっかりこなせよ」
軽食を作ることを口実に仕事をサボろうとしていたラフルは、軽く舌打ちをする。
別に理由が無くてもサボるのだが、理由があるとサボリもはかどるのだ。
カナメは席に着くと、前足を合わせた。
「いただきます」
尻尾を振って魔法を発動させると、スプーンを浮かせて器用にスープを食べ始める。
外見が猫であり、小さな体をもつカナメだが、食べる量は人間と変わらない。
カナメが食べ始めたので、ラフルも食事を始めた。
自分で作ったスープとパンの味は、それなりに納得できるものだったらしく、満足そうにうなずいている。
「しかし、なんでエルネットちゃん、徹夜なんてしてたんです?」
そういえば、というように言ったのは、ボルクガングだ。
ラフルも気になるのか、カナメの方へ顔を向ける。
「明後日辺りに戻ってくるパーティが居るとかでな。その連中が買うであろう薬が不足しそうだから、今のうちに準備しようと思ったんだそうだ」
冒険者は、先の予定を立てて行動することが多い。
食料や道具など、何がどれだけ必要で、どのぐらい用意するかなど、明確に決めて置く必要があるからだ。
直接安全にかかわる事だけに、上位のランクを持つモノであればあるほど、細かく予定を立てる傾向にあった。
「天空の森」ギルド支部利用者の多くもそうであり、どの冒険者がいつ頃帰還するか、等と言った情報は、ギルド側もある程度把握している。
カナメの言葉を聞き、ラフルは考えるように首を傾げた。
「ええっと、確か『竜の牙』さんでしたっけ? 戻ってくるの。確かにうちの常連では珍しい魔法薬使いますからね、彼ら」
冒険者パーティ『竜の牙』は、「天空の森」ギルド支部をよく使っている常連客であった。
個人としてでなく、パーティとしてのB級評価を受けている、いわゆる「B級パーティ」である。
一人一人はC級冒険者ではあるが、パーティとして行動した時はB級として扱わるのだ。
お互いの短所を補い、長所を伸ばしあうこうした「パーティ」は、冒険者全体を見れば少なくない。
だが、「天空の森」ギルド支部を利用する冒険者達の中では、珍しい部類であった。
パーティを組む場合、魔法使いや戦士など、別々の専門職を持つもの通しで組む場合が殆どだ。
体力に自信あるものと、全くないものが一緒にいるという状況が、当たり前のように発生する。
それは、「天空の森」を目指すにあたり、少々都合が悪いことであった。
何しろ「天空の森」は、立地が悪い。
たどり着くためには断崖絶壁を登らねばならず、そのためにはかなりの体力を必要とする。
魔法だけを専門にしているようなものでは、途中で脱落してしまうことが殆どだ。
一応、移動手段として竜便があるのだが、少々お値段が張る。
一人二人ならいざ知らず、複数人パーティともなれば当然金額も人数分に跳ね上がる訳だ。
そうなると、事前投資がかなりの学必要になる訳だが。
冒険者でそういった蓄えを持つものは少ない。
そんな事情からか、「天空の森」ギルド支部には、単独でB級評価を受けている単独冒険者が、多くなっているわけだ。
ボルクガングやクレオが、まさにその例である。
「身体強化薬だな。あれは効果が定量だから、自力があるものが使っても効果が薄い。元々の筋力が100ある人間に使っても105になるだけだが、10の人間が使えば15になる。それだけでずいぶん行動しやすくなるらしいぞ」
カナメがそういうと、クレオは感心したように声を上げた。
「そういうものだったんですか。自分も飲んだことがあるんですが、あまり効果を実感できなかったんですよね」
「なんだかんだ言ってお前も腕力はあるだろう。余程強力な魔法薬ならいざ知らず、あれはそもそも体力に自信がないモノが使う薬だぞ」
「それで。その薬のストックが無くなりそうだったから、エルネットは徹夜して作ってた、ってことですか?」
ラフルの質問に、カナメは大きくうなずいた。
それを受けて、ラフルは少し眉をしかめる。
「そんなに急ぐことない気がするんですけどね。待たせておけばいいのに」
種類にもよるが、魔法薬を作るのにはそれなりに時間がかかる。
必要なものがそろわない場合は、完成するのを待つしかない。
冒険者側もそれは分かっているので、多少待たせたところで文句を言ってくることは無いだろう。
だが、妙にマジメで仕事熱心なエルネットは、待たせることを申し訳ないと思ってしまうらしい。
「社畜根性が染みついておるのだなぁ。若い身空で可哀そうに。少しは労ってやりたいが、あまり無理に休ませるのも労働意欲を削ぐことになりかねん。難しいところだが」
「あの、俺のこともそのぐらい大事にしてくれていいと思うんですが」
とりあえず言ってみたラフルだったが、カナメには案の定マル無視された。
抗議をしたいところだが、下手に突くと吹き飛ばされかねないのでそのまま黙ることにする。
理不尽の塊のようなカナメだが、力を持っているので逆らうことは出来ないのだ。
世の中というのは実に不条理である。
「それでな。どうも材料が足りなくて、薬が完成しないらしいのだが。エルネットがその事をいたく気にしていてな」
「はぁ。中途半場にやり残すの、好きじゃないですからね、エルネット」
四六時中同じ建物に居るので、相手の性格もある程度把握できてくる。
パンをかじりながらのラフルの言葉に、カナメはその通りと頷いた。
「次の竜便で荷物が来るらしいのだが、それまでずいぶんあるだろう」
「五日後の予定ですけど。物資もいろいろ届けてもらう予定ですし、その中に入ってるんですかね」
食材や物資を載せた竜便は、一週間から十日に一度やってくる。
ボルクガングは、次の便に乗って一度街へ帰ることになっていた。
それまでは休暇だそうで、「天空の森」へ潜る予定はないらしい。
クレオの方は、明後日から再び潜る予定だという。
ギルド職員として、ラフルは一応それらの支援準備をしなければならない。
どれから手を付けたものか、等と考えているラフルに対し、カナメが思わぬ言葉を投げつける。
「という訳で森へ行って薬の材料をとってこい」
「はい?」
思わず、ラフルは聞き返した。
冗談だと言われることを期待してカナメの方を見るが、落ち着いた様子でパンを咀嚼している。
「案外、コショウとチーズというのは相性がいいんだな。ぱりぱりした部分ととろけている部分の差があって、食感も楽しい」
「いやいやいや。そうじゃないじゃないですか。え? マジで? マジで言ってました? 今の」
「当たり前だろうが。エルネットが可哀そうだと思わんのか。材料が足りんことをあんなに気に病んで居るというのに。なに、安心しろ。薬の材料になるらしい植物は比較的近くにあるらしいからな。さほど危険ではなかろう」
「それって、天空の森の中ですよね?」
「そうだ」
ラフルの顔から、さっと血の気が引く。
「天空の森」は、現在ギルドが確認している中で、人が足を踏み入れられるぎりぎりの危険度の場所である。
その「人が足を踏み入れられるぎりぎり」というのは、「圧倒的な身体能力や魔法能力を持つ、超人じみた力を持つ人」が足を踏み入れられるぎりぎりという意味であり。
まったくの一般人であるところのラフルが入れば、下手をすれば数秒で命を落とすということを意味している。
「マジでか。いや、マジ、まって、待ってくださいよちょっと。それはないですよいくらなんでも。死にますからね? 俺。いくら浅いところって言っても天空の森ですよここ」
「お前毎回そういってるが何だかんだ生きのこっとるだろうが」
「毎回死にそうになってますからね!? もうやめましょう!? 俺のことも少しはねぎらってくれてもいいんじゃないかなぁーって思いますよ! ええ!」
「安心しろ。最悪怪我をしても労災が下りるぞ」
「最悪死にますから!?」
「ウケる」
外見が猫であり、普段あまり表情が読めないカナメだが、このときは誰が見てもわかる笑顔を浮かべていた。
侮蔑的な意味合いを含んだ、いやらしい感じの笑顔である。
「ウケませんよ!?」
「安心しろ。今回もボルクガングをつけてやる。というわけで逃げても無駄だぞ」
「やっぱりこっちにも来るのね!?」
音も立てず、パンを加えて二階へ逃げようとしていたボルクガングだったが、カナメにねめつけられて悲鳴を上げた。
最近このパターンで巻き込まれることが多くなってきたので、警戒していたのだ。
「ちょっと待ってくださいよ! 天空の森に入るんだとしたらそれなりに準備が必要なんですよ!? 魔法薬の残りも心もとないですし!」
魔法を使えないボルクガングにとって、魔法薬は冒険の必需品だ。
ある意味生命線ともいっていい。
その備蓄が無くなったので休暇をとっているわけで、今の状態で「天空の森」のような危険地帯にいくのは危険極まりないことなのだ。
「じゃあ、せめて魔法薬くださいよ! 金払いますから!」
「ギルド支部自体の備蓄もそれなりの量しかなくなっているからだめだ。またエルネットが気にしたらどうするんだ、まったく。お前の命とエルネットの徹夜。どちらが重いと思っているのか」
「そこは俺の命にしません!?」
カナメの中では、おっさん冒険者の命よりエルネットの睡眠時間のほうが大切だったのだ。
このままでは本当に「天空の森」に行かされてしまう。
というか、カナメが相手なので、ほぼ力ずくで行かされることになるのは確定的だ。
どんな欲望も、あほみたいに火力のある魔法ですべて叶えてきたのがカナメという魔族である。
一ギルド職員でしかないラフルや、一冒険者でしかないボルクガングが何を言ったところで、意見を変えることはないだろう。
ならば、ラフルとボルクガングがすべきことはひとつである。
「あの。俺らだけじゃ薬の材料持ってくるの失敗するかもしれませんし。クレオさんもつけてくれないですか」
「そうそう。クレオは凄腕冒険者なんだし。今日は一日訓練だって言ってたから、ちょうどいいと思いますよ」
「え?」
突然話を振られて、クレオは困惑した表情で顔を上げた。
ここまで話の流れが理解できなかったから黙っていたので、自分が巻き込まれることに成るとは思っていなかったのだ。
ラフルとボルクガングの言葉に、ナツメはなるほどとうなずいた。
「確かに薬の材料を守るのには、頭数が多いほうが有利かも知れんな。弾除けが増えれば材料が被害にあう確率も減るか。いいだろう。というわけでクレオも行って来い」
「いや、あの。話が見えないんですが。どういうことですか」
「何だお前、聞いてなかったのか。薬の材料が足りないから取りにいって来いと言うとるのだ」
「今からですか?」
「今すぐとはいわん。飯は食っていいぞ」
あんまりかわらねぇじゃねぇか、と言いたいクレオだったが、ぐっと我慢する。
ここで感情的になったら負けだと判断したのだ。
状況を把握し、行けるのか行けないのか状況を確認。
しかる後、行けないのであれば明確に理由を提示することで、状況の回避を試みることにする。
「天空の森に入って、薬の材料を集めてくると言うことでいいのでしょうか」
「何だ。わかっているではないか」
「なら、俺はまだ行けませんよ。魔力回復し切ってませんから」
多くの人は魔力を使い切っても、一晩も寝れば大体回復するものである。
だが、過度に多くの魔力を持つ人物は、回復に二日から三日、あるいはそれ以上かかる場合があった。
クレオはまさにそれであり、現在は筋力増強のための訓練をしつつ、魔力回復のための休憩に当たっていたのである。
「回復魔法やら攻撃魔法、補助系の魔法も結構魔力食いますからね。途中で燃料切れなんてことになったら洒落になりませんから」
「そうか。では魔力の足りない分は根性で補え」
もちろん、魔力と言うのは根性で補えるものではない。
限りある資源であり、根性を入れたところで再び沸いてくると言う類のものではないのだ。
「ちょ、ちょっと待ってください! 本気で俺も行くんですか!?」
立ち上がるクレオの肩に、ボルクガングがポンと手を置いた。
反対側の肩には、いつの間にか近づいてきていたラフルが手を置いている。
「あきらめろ。ギルドマスターの言うことは絶対だぞ」
「ギルドマスター権限の緊急クエストですよね、カナメさん!」
「ん? ああ、それでかまわんぞ」
カナメはパンを齧りつつ、なんでもないことのようにさらりと許可を出す。
言うまでもないが、ギルドマスター権限の緊急クエストというのは、こんな軽い感じで発行してよいものではない。
完全なる職権乱用である。
だが、ここにはそれをとがめるものがいないので、カナメのやりたい放題なのだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! そんなむちゃくちゃなっ!」
「そうか。クレオさんはカナメさんのめちゃくちゃに振り回されるの、これが初めてでしたね」
「安心しろ! そのうちなれるって!」
「あんた達、自分達だけでいくのがいやだから俺まで巻き込んだな!?」
はっとした表情で叫ぶクレオだったが、時すでに遅しである。
「死なばもろともなんだよ! 魔法使えるやつがいたほうが少しでも生存率上がるだろうが!」
「クレオさん魔法使えるんですよね! そういう人がいると生存率が格段に上がるんですよ!」
「魔力が回復しきってないって言っただろ!? 肝心なときに魔力切れとか起こすぞ!」
「根性で何とかしろよ!」
「根性ですよ根性! 根性で何とかしてください!」
「どうにもならねぇよ!!」
クレオが逃げようともがくが、命が惜しいラフルとボルクガングがそれを阻む。
外見的には、「幼女を押さえつけているおっさんとギルド受付」と言うかなりアウトな絵図らだが、残念ながらそれを指摘するものはここにはいなかった。
結局、ラフル達三人は朝食を取った後、すぐに「天空の森」へ出発することとなった。
結果を出さないで変えれば魔法で消し飛ばす、というカナメの念入りな脅し付きでである。
いくも地獄、帰るも地獄。
生還するための唯一の方法は、魔法薬の材料を無事に入手するのみ。
「俺ギルドの受付なんだけどなぁ」
力なくぼやくラフルだったが、そんなことをしたところで状況はまったく好転する訳もなく。
危険が渦巻く「天空の森」へと、足を踏み入れることになるのであった。
独自の生態系を持つ「天空の森」で手に入る素材は、他の地域とは全く違う。
通常使う素材は手に入らないので、代用品を使うことになる。
だが、代用品だからと言って効果が低くなるわけではない。
むしろ、より強力な魔法薬となる場合が殆どだった。
いつも使っている素材を、ただ「天空の森」で手に入るものに置き換えるだけで、効果が高くなるのだ。
魔法薬職人であれば、喉から手が出るほど欲しがるようなものが、「天空の森」にはごろごろしているのである。
ごろごろしている、とはいっても、簡単に手に入るという意味ではけっしてない。
「天空の森」では、落ちているものを拾うだけでも命がけなのである。
先ほどまで頭上に居た巨大クモが歩き去るのを確認し、ラフル、ボルクガング、クレオの三人は、実を隠していた枯れ葉の中からぞろぞろと這い出してきた。
こちらに気が付いていないのを確認すると、ほっと胸を撫で下ろす。
クモの正体は、いわずもがなモンスターである。
脚が地面と垂直に生えている、地面から頭までの高さが8mは有ろうかという奇怪な姿。
尻からは粘着質な糸を放ち、口からは毒液と毒ガスを吹き出すという凶悪さを持っている。
非常に獰猛で強力なモンスターなのだが、殆ど換金部位が無いことから、「天空の森」で狩りをする冒険者には嫌われがちなモンスターだ。
「行ったか。よかったぁー。あいつと解毒薬も無しにやりあうなんてゴメンだからなぁ」
「ホントですよ。一応俺は解毒魔法も使えますけど、戦闘しながらっていうのは結構難しいですし」
「二人はまだいいじゃないですか。俺だったら毒喰らった時点で即死ですからね。即死」
困り顔のボルクガングとクレオに対し、ラフルは青白い顔で身震いしながら言う。
B級冒険者の体力と一般人のそれは、一線を画すものがある。
ボルクガング達ならば受けてしばらく放って置いても平気な毒でも、ラフルならば即死、ということもあるのだ。
先ほどの巨大クモの毒が、まさにそれである。
「まあ、そうだな。ラフルを守りながらってなると、ああいう無差別に範囲攻撃してくる系統のモンスターとは戦いたくないところだが」
「ラフル、お前少し鍛えた方がいいんじゃないか?」
クレオにいわれ、ラフルは顔をしかめる。
「イヤですよ。ギルド職員にそんな体力必要ないですし。本来は。今は切実に体力ほしいですけど」
元来、ギルド職員というのは頭脳労働者のはずなのだ。
にもかかわらずこうして危険地帯に足を踏み入れているのは、異常事態である。
世が世なら、ギルドマスターの横暴だと訴えられる所だろう。
だが、今は世が世ではないので、当たり前のようにこの状況がまかり通ってしまうのだ。
「常々思いますよね。暴力って正義なんだな、って」
「お前、そんなこと言ってると色々怒られるぞ」
場所によっては本気で起こられそうな台詞だが、今は周りに誰もいないので関係なかった。
「ともかく、さっさと材料探しましょう。幸い、簡単に見つけられる類のやつですし」
「それなんだが。魔法薬の材料なんて見分けつくのか? お前、そういう系統の知識あるように見えないんだが」
怪訝な顔で見てくるクレオに、ラフルは肩をすくめて見せる。
「冒険者が持ってきた素材の買取、誰がしてると思ってるんですか。俺が鑑定して金額つけてるんですよ」
「マジか。いや、いわれてみりゃそうか」
「天空の森」ギルド支部のギルド職員は、ラフル、カナメ、エルネットの三人しかいない。
エルネットも鑑定などはするが、休みのときはラフルが担当することもあるのだ。
「まあ、専用の魔法道具があるんで俺自身はほとんどすることないんですけどね」
「何なんだよ」
「それにしたって見た目でわかるものはわかるようになりますよ。わかりやすいやつも多いですし」
「たとえば?」
クレオに聞かれ、ラフルはかがみこんで何かを探し始めた。
目的のものを見つけたらしく、枯葉を払いのけ、地面の上から何かを拾い上げる。
いつの間にかつけていた作業用手袋に包まれた手のひらの上に載っていたのは、鮮やかな空色のドングリだった。
まるで塗料で塗られたような曇りのない鮮やかさは、とても天然自然のものとは思えない色合いだ。
つるっとした表面は光沢すら帯びており、いかにもドングリでございといった紡錘状の姿かたちがいかにもわざとらしく、作り物めいた風合いを見せている。
クレオとボルクガングは、それを見ていかにもコメントに困ったというような表情を作った。
「それな。時々森の中で見つけるけど、何なんだそれ」
「ていうか、天空の森の自然物って大体こういう系統ですよね」
「いやいや。今回集める素材ですよ、これ。魔法薬の材料。身体強化なやつに使う」
当たり前のように言うラフルの言葉に、ボルクガングとクレオはうろんげな表情でドングリ風の物体を見つめる。
しばらくそれを見た後、改めてラフルの顔を見据えた。
特に表情の変化はない。
冗談を言っている様子も、馬鹿にしている様子もなかった。
どうやら、本当のことを言っているらしい。
「マジか。これ、そうだったの? うっそ、マジか。なんかクソわざとらしすぎて若干避け気味なところもあったのに」
いいながら、ボルクガングはラフルの手のひらの上にあるドングリ風の物体をつまみ上げた。
よくよく覗き込んでみるが、とてもそういった力のある素材には見えない。
「これを牛乳瓶で六本分ぐらい集めれば、うちのギルドから最寄のギルドまでの竜便代片道分ぐらいにはなりますよ」
「何だその換算。安いのか高いのかわかんねぇな」
ボルクガングは首をかしげながら、指でつまんだドングリ風の物体を観察するように睨む。
クレオも興味があるのか、まじまじとそれを眺めていた。
そんな二人に、ラフルは思い出したように声をかける。
「あ、それ毒があるんで。気をつけてください」
「先にいえよバーカ!! 思いっきりつかんじゃったじゃねぇーか!!」
「マジか! こわっ! こっわっ!!」
言うが早いか、ボルクガングは持っていたドングリを地面にたたきつけた。
クレオも、あせった様子で距離をとっている。
多少の毒では死なない二人だが、それでも毒を受けるのは嫌なのだ。
「いや、毒があるのはその殻の中身ですから。割って食わなきゃ平気ですって」
「だから先に言えよそういうことはっ!」
「じゃあ、これ持っても平気なんだよな!? なんか近くにある空気吸っただけで死ぬとかないんだな!?」
妙な警戒心を閉めるクレオに、ラフルは顔をしかめた。
「そんな危険物そこらじゅうに落ちてたら、さすがに森の中歩けないですよ」
「なに言ってんだお前。天空の森は割りとそういうところあるだろうがよ」
いわれて、ラフルはそういえばと手をたたいた。
確かに、毒の胞子を撒き散らすきのこの群生地や、毒の燐粉を撒き散らす蝶の群生地など、「天空の森」にはそういった危険地帯が割りと普通に存在している。
「改めて厄介だな天空の森って。うわ、すげぇ王都のギルドに帰りたくなったんですけど」
「どこの王都だよ。この辺、あんまりないぞ。国自体が」
「ド辺境ですからね。まぁ、いいや。とりあえず手分けしてエップトマタータ集めましょう」
「え、まって。エップトマタータって名前なの空色のドングリっぽいやつ。おじさん、今始めて聞いたんだけど」
「なんか腹立ちますね。空色のドングリの癖に」
「何でもいいじゃないですか。早く拾って帰りましょうよ」
納得以下なそうにぶつくさ言っているボルクガングとクレオを急かし、ラフル達は早速ドングリ状の物体、こと、エップトマタータを集め始めた。
時々見かける、といわれていたエップトマタータだったが、いざ探すとなるとなかなか見つからない。
色合い的には非常に目立つので、見落とすことこそないのだが、どうやらすごくたくさんある、という種類のものではないようだ。
集めればお金には、それなりに理由があるということらしい。
それでも、人数を生かして探し回り、何とか必要な量のエップトマタータを集めることができた。
採集用のかごに入ったそれを眺め、三人はつかれきったようなため息を付く。
「何だこの徒労感。やり遂げたはずなのに、なんかこう。ひとつのものを完遂したって達成感がまるでないわ」
「もともと無理やりやらされてるからじゃね?」
げんなりした顔のラフルの横で、クレオも同じような表情で言う。
「いや、クレオさんはまだいいじゃないですか。身長低いから地面と近くて疲労労力あんまりかからないでしょうし」
「どういう理屈だよ。むしろこの体になってからいろいろ大変なんだぞ。体力はあんまり変わらないけどな」
言いながら、クレオは自分のほほを引っ張ってみせる。
外見上は美少女であるクレオがするその仕草は、なんとなくかわいらしい。
だが、ラフルもボルクガングも、うろんげな表情を向けるばかりである。
「それほんと不思議なんだけど。そんなちんまくなってるのに筋力変わらないとか。どうなってるのお前」
「いや、俺に聞かれても。のろい的なやつじゃないですかね。古代遺跡の」
「古代遺跡便利だなぁ、おい」
「いやいや。実際そういうところあるじゃないですか、古代遺跡」
「まぁ、そうだけどな。実際そういうやつだよ、古代遺跡は」
お前ら古代遺跡の何なんだ、と突っ込みたい衝動に駆られるクレオだったが、スルーすることにした。
なんとなく無駄な労力を使いそうな気がしたからだ。
あと、自分に現在進行形でその災害が降りかかってるので、話題にしたくなかったのである。
ではあるのだが、ラフルとボルクガングはそんなクレオの心中を察することなく、ガンガン古代遺跡とクレオの現状の話題で盛り上がっていた。
「大体なんであの古代遺跡歩いてたんですかね」
「それ前も聞いたんだけどさ。マジで歩いてたの、古代遺跡」
「歩いてたんですよ古代遺跡。っていうかそもそも意味わからないですからね。人を幼女にして歩き去っていく古代遺跡って」
「狂気の沙汰だよな。何なんだその古代遺跡。マジ怖いわ。おじさんも近づいたら美幼女にされるんだろうか」
「うわ。きっしょ。ムリですわぁ」
「なにそれめっちゃ傷つくんだけど。何今のリアクション」
「あんた達、被害を受けてる本人の目の前ですごいなぁっ!!」
流石にムカついてきたので、クレオは青筋を立てながら怒声を上げた。
ラフルとボルクガングが驚いたような顔で口元を隠すのだが、そのわざとらしい仕草がさらに怒りを誘う。
「ごめんごめん、気が付かなかったわ」
「あまりにムダトランスセクシャルだったもんですから」
「あんたらマジでぶっ飛ばすぞ」
凄まれても可愛さしか伝わってこないのだが、ラフルとボルクガングはからかうのはこの辺で止めることにした。
見た目は美少女や美幼女なのだが、クレオも立派な腕っぷし自慢の冒険者だ。
やるといったら、宣言通り襲い掛かってきかねない。
「ていうか、ラフルよぉ。なんで、なんだっけ。えっぷと。エップトマタータ? 以外のドングリっぽいやつも拾ってるんだよ」
いいながら、ボルクガングはラフルの持っている収集用のかごを指さした。
そこには、エップトマタータ以外にも、カラフルなビジュアルのドングリっぽいものがかなりの量入っている。
クレオも、そういえばと言った表情でラフルの方に顔を向けた。
何かあったら華麗に話を逸らす。
これが熟練冒険者の技術である。
「いえ。せっかく出てきたんですし、ついでに何か食えるものでも探そうかと思いまして」
「なにこれ。食えるの? ピンク色とか真っ黄色とかなんだけど」
「あまり食欲はそそられないな」
ボルクガングとクレオは、いかにも嫌そうな表情を作る。
エップトマタータとはまた形状の違うそれらは、しかし、色合い的には極彩色で確かに食欲のわかない色合いをしていた。
むしろ、何かしらの警戒色のようであり、食品のようには見えない。
「外の殻を割って、中身を食べるんですよ。殻ごと炒ってから割って中身を取り出して、渋皮を剥くんです。煮詰めた砂糖と絡ませると、結構いけますよ」
「へぇー。食うとなんか効果あるの? 腕力が上がるとか」
「ないですよそんなもん。生で食べると多少老け込むとは言いますけど」
その瞬間、クレオの目の色が変わった。
性別はあれだが、せめて外見年齢だけでもどうにかできれば、と考えたのだろう。
だが、そんなクレオの思いは無残に砕け散る。
「いや、渋いから表情が渋くなって、年取ったみたいになるっていうジョークの類ですから」
「なんでだよっ!! 期待させんじゃねぇよっ!!」
叫びながら、クレオは親の仇のように地面を踏みまくった。
悲痛な表情も相まって、絵面だけならば痛々しくも見えるのだが、内情を知っているラフルとボルクガングは半笑いだ。
「そう都合よくはいかないだろ」
「ですです。っていうかクレオさん、諦めてかわいい路線で行った方が……。あん?」
笑っていたラフルだったが、視界の端に入ってきた奇妙なものに眉根を寄せた。
デカい何かが、凄まじいスピードでこちらに走ってきているように見えたからだ。
響いてい来る足音に気づいたのか、ボルクガングとクレオもそちらへと目を向けた。
よくよく目を凝らして見てみると、その正体が分かる。
先ほど歩き去っていったはずの巨大クモが、こちらへ駆け戻って来ていたのだ。
「なんで戻って来てるんだよ! しかも駆け足で!!」
「クレオさんが騒ぐからですよこれっ!」
「俺のせいかよ!?」
そんなやり取りをしつつも、三人はすさまじい勢いで走り出していた。
向かうのは、「天空の森」ギルド支部だ。
「っていうかラフル、なんで俺達についてこられるんだよ! 足腰強すぎるだろ!」
「逃げ足だけは鍛えられたんですよ! 主にカナメさんのせいで!」
「あー」
クレオは思わず、納得の声を上げた。
ただの冒険者ギルド職員であるラフルが、冒険者と為を張る脚力を得られるぐらい、ひどい目に合わされているのだろう。
カナメの傍若無人さを考えると、もっとひどい目に合わされているのかもしれない。
ボルクガングが無言で深くうなずいているあたり、恐らくクレオのそんな予想は当たっているのだろう。
「いや、それよりも今は逃げることですからね!? ちょっと二人であいつ倒してくださいよ!」
「バカ言ってんじゃねぇよ! 言っただろ解毒薬無いって!」
「俺だって魔力使いたくないんだよ! あいつと遣り合ったら魔力が底つくかもしれないだろ!」
最悪戦えなくはないのだが、それはあくまで最悪の場合の話だ。
戦わずに済むなら、その方が懐的にも身体的にも傷まずに済む。
それに、毒でも吐かれた日には、ボルクガングとクレオはまだしも、ラフルの命が危ない。
「よし、このままギルド支部まで走りましょう! 上手くすれば諦めてくれるかもしれませんし、最悪カナメさんが倒してくれます!」
「またそのパターンかよ! ギルドマスター全然手加減しないから俺たちまで吹き飛ばされそうになるじゃねぇか!」
以前にも、モンスターに追われ、ギルド支部に駆け込んだことがあった。
その時はカナメが魔法でモンスターを消し飛ばしたのだが、ラフル達まで一緒に吹き飛ばされそうになったのである。
必死になってなんとか避けることができたのだが、コンマ数秒遅れていたら、今頃ラフルとボルクガングはお空のお星さまになっていたことだろう。
走りながら、クレオは困惑した表情を浮かべている。
「いっつもこんなの事させられてるのか?」
「まぁ、大体こんな感じですね」
「安心しろ、今度からお前もターゲットにされるぞ、多分。全く遠慮が無いからな、あのギルドマスター」
ボルクガングの言葉に、ラフルは何とも頷いた。
それを見て、クレオはすこぶる苦い顔を作る。
「それもアレですけど。今は逃げること考えた方がよくありません?」
「それもそうだった!」
「あのクモでかい図体してるのに何でんなに早いんだ!」
結局、ラフル達はギルド支部まで巨大クモに追われることとなる。
モンスター自体はカナメが無警告でぶっばなした強力な魔法で消し飛ばされた。
が。
ラフル達のことを全く考慮していないその一撃は、ラフルの髪の毛を削り、ボルクガングの上着を引き裂き、クレオのズボンを引きちぎった。
頭を抱え、腰を抜かし、上着を引っ張って下着を必死に隠している彼らに対し、カナメは一言。
「材料は無事だろうな」
と、言い放ったのである。
これを聞き、クレオは「あ、ラフル達が言ってたことってマジなんだな」と、理解したのだった。
ある意味、クレオはこの時初めて「天空の森」ギルド支部の常連客になったのだ、と言ってもいいかもしれない。
まあ、本人は甚だ不本意かもしれないわけだが。
フライパンの上に拾ってきたドングリっぽいものを投入し、熱していく。
ある程度熱くなってくると、殻にひびが入る。
それが、焼き上がりの合図だ。
極彩色の殻をむけば、中から現れるのは、焦げ茶色の渋皮。
それを剥がせば、見た目はごく普通のナッツと変わらない。
外見はパッとしないが、味は極上。
高級なナッツとそん色ない風味と味わいを持っている。
これを荒く砕いたら、ナッツの準備は終わりだ。
空いたフライパンに、今度は水と砂糖を入れる。
砂糖は高級品だが、「天空の森」ギルド支部ではよく使用されていた。
稼ぎのいい冒険者が多く、金だけはあるからだ。
問題は、運び込むための竜便費用が高いこと。
それだけに、ここでは「少量で高価なもの」の方が容易に手に入り、「量が多くて安価なもの」の方が手に入りにくくなっている。
奇妙な逆転現象だが、場所柄仕方のないことと言えるだろう。
まあ、それはともかく。
フライパンに入れた水と砂糖を熱し、あめ色になるのを待つ。
焦りすぎて、強火で焦がさないように注意しなければならない。
ちょうどいい色合いになったら、砕いておいたナッツを入れる。
完全に固まってしまう前に、ナッツに砂糖を絡ませていく。
これがなかなか難しく、せわしなくフライパンを動かさなければならない。
まんべんなく砂糖が絡んだら、パターを塗った鉄板の上に広げて、冷ましていく。
今回はカナメが早く食べたいということだったので、魔法で作った氷の上に鉄板を置いた。
こうすると、冷ます時間が大幅に短縮できるのだ。
通常氷の魔法をこのように使うのは、かなりの贅沢ではある。
だが、尋常ではない魔力を持つカナメにしてみれば、手間にすらならない。
あまりの魔法の乱用っぷりに、クレオは微妙そうな表情を浮かべているが、そのうち慣れるだろう。
砂糖が固まったら、包丁で軽く砕いていく。
おおよそ一口大にすれば、数種類のナッツが砂糖で固まった状態になる。
色々な味を一粒で楽しめると考え、ラフルはこのサイズを選んだのだ。
あとは湿気にやられないよう、密閉できる容器に入れれば、完成である。
「あんなめちゃくちゃな色合いのドングリだったのに、こうなると旨そうだなぁ!」
上着を着替えてきたボルクガングは、感心したような声を上げる。
隣にいるクレオは、無言で何度も頷いていた。
ちなみに、クレオは現在ワンピースを着ている。
何とか手に入れた自分の体形に合うズボンが、カナメの魔法で駄目になってしまったからだ。
「よくそんなこじゃれた調理方法知ってるな」
「カナメさんに教えられたんですよ。キャラメリゼとかなんとかっていうらしいですけど」
ラフルの言葉に、クレオは視線を上の方へと向けた。
その先に居るのは、梁の上で寝こけている白猫、カナメの姿だ。
「料理の知識まであるのか、ギルドマスター」
「不思議な人だよなぁ。隠してるみたいだし。いや、俺は怖くて聞けないけど。ラフルはなんか聞いてんのか?」
「いえ? 特に何も。別に無理に聞くことでもありませんしね。話す必要があれば、話してくれると思いますよ」
そんな話をしていると、階段を降りてくる足音が聞こえてきた。
足音の主は、エルネットである。
「おお、エルちゃん! おはよう!」
「あの、その、すみません、こんな時間に起きてしまってっ!」
小さくなってペコペコと謝るエルネットに、ラフルは気にするなというように手を振った。
「徹夜だったんでしょ。それに、今日非番な訳だしね。のんびり寝てるのもいいことだよ。俺もよく寝てるし」
「お前の場合、仕事中でも寝てるだろ?」
「眠いから」
ボルクガングにツッコまれ、ラフルは全く悪びれずに頷く。
そんなやり取りを見て、エルネットは思わずと言ったように笑い声を漏らした。
「朝飯にちょっと手加えただけだけど、軽食用意してあるから。食べるといいよ。ドングリみたいのの砂糖掛けも出来てるし」
「ホントだ、美味しそうなにおいっ! ありがとうございますっ!」
「ついでに、カナメさん起こしてくれる? お菓子出来たら起こせって言われたんだけど、俺が起こすと怒るから」
「そんなこと言って。ギルドマスターは優しいから、怒ったりしませんよ!」
笑いながら言うエルネットの言葉に、ラフル、ボルクガング、クレオの三人は得も言われぬ微妙な表情を浮かべた。
そんな三人の信条を知ってか知らずか、エルネットは小走りにカナメの下へと向かう。
「ギルドマスター! ラフルさんのお菓子、できたそうですよー!」
「ん? おお、そうか。もう起きて大丈夫なのか?」
「はい! おかげさまで、すっかり元気です!」
「そうか。何よりだ」
カナメとエルネットのやり取りを見て、三人は納得いかなそうな様子で顔を見合わせた。
「あれ、俺達が声かけたら確実に魔法ぶっ放してるよな」
「ですね。間違いないと思いますよ」
抗議の一つもしたいところだが、したところで損をするのは目に見えている。
世の中というのは、とことん理不尽なものなのだ。
そんなことを考えながら、ラフルは自分が作ったお菓子を一つ口に入れた。
「あ、うまいは、これ」
「ていうか、今日まだ半日も経ってないんだな」
「まだ昼前かよ。一週間分ぐらい付かれた気がするわ」
ボルクガングが顔をしかめ、クレオは疲れ切った様子で溜息を吐いた。
そんな二人を見て苦笑しながら、ラフルも溜息をもらす。
このまま昼寝でもしてしまいたいところだが、そうもいかない。
エルネットのための軽食の、仕上げをしなければならないからだ。
「これ、ギルド職員の仕事じゃないよなぁ」
ぼやきながらも、ラフルは厨房の中へと向かう。
今日も「天空の森」ギルド支部は、比較的平和であった。