一話 「働きたい奴だけ働けばいいのに」
冒険者ギルドの受付カウンターに、「ラフル・トロメーテ」はすこぶる眠そうな顔で座っていた。
噛み殺すこともせずにあくびを放つその様子は、まさに眠そうさの極地。
その表情からは、とてつもない眠気と戦っているであろうことがうかがえた。
まあ、もっともラフルは年がら年中眠そうな顔をしており、言ってしまえば生まれつきそういう顔なのである。
眠そうなことを除けばそれなりに整った顔立ちの男性なのだが、世の中ままならないものだ。
ラフルはその残念な顔を、窓の方へと向けた。
日差しが差し込んでおり、良い天気であることがうかがえる。
壁にかかった時計は、朝の早い時間を指していた。
通常の冒険者ギルドであれば、仕事を求める冒険者達が押し掛けている時間だろう。
だが、ラフルが居る冒険者ギルドに、そういった様子は見られなかった。
「あー。クッソ暇だわぁー」
思わずラフルがそう言ってしまうほどの暇さである。
なぜこんなに暇なのか。
それは、ラフルのいる、冒険者ギルド「天空の森」支部の立地に由来していた。
森の中一部が、突然円柱状に隆起したモノ。
それが、「天空の森」の外観であった。
周囲を九十度の切り立った崖に囲まれたその姿は、まさに陸の孤島。
並や普通の方法では、近づくことすら困難な秘境である。
この秘境のほとりに、「天空の森」ギルド支部は立地しているのだ。
そんな場所であるから、当然やってくる人間も限られていた。
ギルドを利用するために冒険者がやってくるのは、三日に一度といったところである。
まあ、場所を考えればそれでも十分高頻度と言えなくもないのだが。
如何せん、働いている方としては、それを待っている間は暇で暇でどうしようもないのだ。
暇なら暇でほかの仕事をしていればよさそうなものなのだが、本来この時間、ギルドは冒険者であふれかえっているものである。
万が一冒険者が来ないとも限らないので、一応待機はしておかなければならない。
本来冒険者ギルドが一番忙しいはずの時間が、一番暇というのはいかがなものだろう。
基本的に、ラフルは仕事が嫌いな性質だ。
苦手ではなく、明確に嫌いなのである。
出来れば仕事なんてせずに、毎日寝て過ごしたい。
だが、飯を食うためには仕事をしなければならかった。
実に理不尽な話だと、ラフルは思っている。
「働きたい奴だけ働けばいいのに」
ラフルが人間としてかなり問題があるセリフをぼやいていると、ギルドの中に物音が響いた。
何かが落下したような、軽い音だ。
そちらの方に視線を向ければ、床の上に木製の皿が転がっているのが見える。
幸いなことに、その上には何も載っていなかったらしく、床は汚れていない。
皿が転がってきたであろうテーブルの上には、真っ白な毛玉が乗っている。
毛玉はもぞもぞとうごめくと、にゅっと上に向かって伸びあがった。
体を伸ばしてあくびをすると、ラフルのほうへと顔を向ける。
それは、真っ白な毛並みの猫であった。
くすみ一つないつややかな毛並みに、凛として堂々とした顔立ち。
かわいい、というより、凛々しいや美人、などと称される部類の猫だ。
テーブルの上に座り、長い尻尾をくゆらせる姿は、優雅さすら感じさせる。
時折尻尾がきらめいて見えるのは、そこに巻きつけられた人間用の細い金属製の首飾りのせいだろう。
ある種の気品すら漂わせるその猫は、ゆっくりと口を開いた。
「おはよう。相変わらず間抜け面だなお前は」
それは、間違いなく猫の口から出たものであった。
人間の言葉を使うにはいささか問題の在りそうな形状の口だというのに、そんなことをものともしないきれいな発音だ。
落ち着いた印象の、女性の声である。
突然猫が喋ったにもかかわらず、ラフルは驚く様子もない。
「おはようございます。っていうか、そんなところで寝てると風邪ひきますよ、カナメさん」
どうやら、この猫とラフルは顔見知りのようだった。
猫は前足で顔を撫でながら、あくびをかみ殺すように言う。
「知っているか。魔族は風邪をひかんのだ」
「聞いたことないですよその話」
魔族。
それは、人間の世界に生きる、知性を持ったモンスターを総称した呼び名であった。
この喋る白猫、カナメも、実はモンスターの類なのだ。
「ていうか、ギルドマスターがこの時間に寝てるってどうなんです?」
ラフルの問いに、カナメは素知らぬ顔でもう一つあくびをする。
魔族というのは、総じて知性が高く、強大な力を持っていた。
それ故に、人間社会では高い地位を持ち、優遇されていることが多い。
カナメもその例にもれず、この「天空の森」ギルド支部の最高責任者、ギルドマスターの地位に納まっていた。
ただ、ラフルと同じくあまりやる気があるタイプでないことは、その態度を見ればわかるだろう。
「別に誰も来んからいいんだ。というか、来たところで構わん。冒険者どもよりもギルドマスターである私の方が億倍偉い」
優雅さと気品を漂わせる美しい白猫が、惚れ惚れとするような女性に聞こえる美声を発している。
それだけで素晴らしく絵になる光景なのだが、如何せんその内容がすべてを台無しにしていた。
ある種の趣味人にとってはご褒美かもしれないが、残念ながらラフルにそっちの気は全くない。
「そんな事よりも。起きて早々だが、今日の夕飯の話だ。メニューは何かね」
「野菜とベーコンのスープでも作ろうかと思ってますけど」
並の方法では近づくことすらできない「天空の森」ギルド支部では、食材などの物資を手に入れるのも困難だ。
一週間から十日に一度、ドラゴンを使った「竜便」によって荷物を運んでもらっている。
凶悪なモンスターが飛び交う「天空の森」上空には、ドラゴンくらい力があるものでないと近づけないのだ。
ただ、竜便には、致命的な弱点があった。
とってもお値段がお高いのだ。
そのため、あまり頻繁には利用できず、食料や物資などはまとめて運んでもらっていた。
なので、必然的に「天空の森」ギルド支部での食事は、保存の利くものばかりになっている。
カナメは露骨に嫌そうに目を細めた。
「ここのところ保存食ばっかりじゃないか? もっとこう、新鮮なナマモノが食いたいのだが」
「そんなこと言いましても。冒険者さんが肉でも持ってきてくれりゃ、そういうのも食えますけどね」
冒険者がモンスターや動物を倒し、その肉を持ち込んでくる。
よくある光景の一つだ。
だが、「天空の森」ギルド支部では、そういったことは珍しかった。
何しろ、「天空の森」はその立地上、希少な動植物の宝庫である。
食料となる肉などよりも、よほど金銭的価値があるものであふれているのだ。
近づくことすら困難ではあるが、実力さえあれば普通の冒険者の何百倍もの利益が得られる。
それが、「天空の森」という場所なのだ。
だからこそ、三日に一組ぐらいしか冒険者が来なくても、ギルド支部は十分に経営が成り立つのである。
「そういわれるとますます肉が食いたくなってくるな。血の滴る新鮮な肉だ」
「俺に言われましても」
「料理はお前の分担だろうが」
稼ぎはあるものの、「天空の森」ギルド支部はさほど人員を必要とする場所ではなかった。
来る人数が少ないので、職員も少なくてよいのだ。
実際、このギルドで働いているのは、たったの三人である。
ギルドマスターであるカナメと、ラフル。
もう一人は、別の場所で作業の真っ最中だ。
このギルドで働いている中で、唯一忙しい人物である。
なので、食事を作るなどの仕事は、ラフルの役目になっていた。
ギルドにはつきものの食堂兼酒場での調理担当も、当然ラフルの仕事である。
「そうですけど。なし崩し的に宿屋の方も俺がやらされるってどうなんですかね?」
ギルドとは、冒険者をサポートする組織だ。
それは、必要であれば様々な分野に及ぶ。
この「天空の森」ギルド支部に置いて、それは「宿屋」という形で表れていた。
なにしろ、周囲に人里もなく、安心して休める場所の少ない土地である。
モンスターを遠ざける結界で守られたギルド支部は、ほかの場所よりも比較的安全だ。
なので、寝泊りできる場所を提供することも、冒険者ギルドの仕事の一貫になっているのである。
「どうでもいいわそんなこと。ソレよりも私の食事の話だ」
カナメはバッサリと切り捨てると、ラフルが戦慄するようなことを言い放つ。
「お前、肉とってこい。外にいくらでもいるだろ、食えるモンスター」
確かに食えるモンスターは、外へ行けばいくらでもいる。
だがその何十倍も、「ラフルを食うモンスター」もいるのだ。
ラフルは、タダのギルド職員である。
何かしらのすごい魔法を使えるとか、実は隠されたパワーがあって一撃でモンスターを倒せるとか、そういうのは一切ない。
ギルド職員としての知識は多少あるものの、身体能力的には完全にただの一般人だ。
そんなラフルが「天空の森」の中を一人で歩けば、持って数分。
十分少々生きていられたら、拍手喝采と言った所である。
「何言ってるんですか。無理ですよ流石に。あと五日もすれば竜便が来ますし。それに新鮮な肉が乗ってるはずですから、我慢しましょうって」
「今日食いたいと言っておるのだ。ええい、どうにかならんもんか」
「自分で取りに行けばいいじゃないですか」
苛立たしそうに前足でテーブルを叩くカナメに、ラフルは肩をすくめる。
魔族であるところのカナメは、凄まじい力を持っていた。
美しく可愛らしい見た目からは想像もつかないが、元々は「四天王」と呼ばれるような強力な存在だったのだ。
今でこそギルドマスターに収まってはいるものの、その気になれば人間の軍隊と一人で渡り合えるような化け物なのである。
それだけ実力があるわけで、確かにカナメが行けばモンスターに食われることはないだろう。
だが、カナメは顔をしかめて見せた。
「肉が食いたいといったのだぞ。私がやったら可食部ごと消し飛ぶわ」
「手加減すりゃいいのに」
「それが出来んから、軍人ではなく、ギルドマスターをやっとるんだ。万が一ギルドが襲われたら、すべての敵を薙ぎ払う。そこに慈悲は要らんだろ?」
どうやらギルドマスターという職業は、軍人よりもスパルタンなものらしい。
確かにギルドが襲われるというのは、緊急事態だ。
手加減する必要はないが、軍人とそれを比べるのはいかがなものか。
「兎に角、俺一人じゃ肉なんて持ち帰れませんよ。精々餌になって終わりですってば。そうなったら誰がメシ作るんですか」
「なるほど。それは困るな……」
カナメは真剣な声でそういうと、考え込むように天井を見上げる。
自分の価値は飯を作ることだけなのか、と落ち込みそうになるラフルだったが、とにかく助かったらしいことにほっと胸を撫で下ろす。
「まあ、上手いこと冒険者の人が来たりすれば、仕事として依頼することも出来るかもしれませんけど。そう都合よくは……」
「よーっす! 相変わらずヒマしてるかぁー!」
ラフルが苦笑いをしながら、言おうとしたその時だった。
ギルドの出入り口を開き、一人の男性が中へと入ってくる。
背は高く、筋骨隆々とした体格。
顎には無精ひげがあり、年齢は中年に差し掛かった頃だろうか。
「おっさん」という形容が、実にしっくりくる外見だ。
冒険者なのだろう。
おっさんは肩に担いだズタ袋を掲げると、上機嫌に受付カウンターの方へと歩いてくる。
「いやぁー、一仕事終えて帰ってきたんだけどさぁー! 今回はなんか調子よくって! いつもより苦労しないで稼げてさ! 余裕あるし、もうちょっと潜ろうかなぁーって思ったんだけど、荷物がいっぱいになっちゃってさぁ! いやぁー、ついてたわぁー!」
「ボッさん、あんた、タイミング悪いよ」
「え? なにが?」
ボッさんと呼ばれたおっさんは、不思議そうに首を傾げた。
このおっさんは、ボルクガングという名の冒険者である。
“大斧”等という二つ名まで付く、凄腕だ。
「ほう。それはいいことを聞いた」
嬉しそうなその声に、ボルクガングは後ろを振り返る。
そこにいるのは、機嫌よさげなカナメであった。
「ああ、ギルドマスター殿! いやぁ、聞いて下さいよ! 今回は実に調子がよくってですねぇ!」
「そうかそうか、それはよかった。というわけで肉を狩りに行ってこい」
「はい? え? いや、俺今帰って来たばっかりなんですけど」
「余力があると自分で言っていただろう」
確かに言っていた。
だが、それは機嫌がよかったからこその軽口だったのだろう。
ボルクガングは大いに焦り始めた。
「いやいやいや。さっきのはほら、アレですよ! 調子に乗ってたっていうか! 本当は夜通し歩いてて結構体力的に限界かなぁー、って!」
「安心しろ。何も難しいことを言うつもりはない。ただ、今から森に行って、夕飯までに食える肉を取ってくればいいだけの話だ。そうだな、鳥肉がいい」
「鳥肉って!? 簡単に言いますけど、ここ、天空の森ですよ!? 凶悪なモンスターが多いんで有名な!!」
独自の生態系を持つ天空の森は、凶悪で強力なモンスターの宝庫としても有名だった。
圧倒的な力を持つモンスターが徘徊する「天空の森」は、行きつくことだけでなく、内部で生き抜くことにも一流の腕を要求される土地なのだ。
「まって! ちょっとまって! そう、そうだ! ほら、俺って倒すの専門の冒険者なんですよ! だから、モンスターとかを食べられる状態で持ってくるのはちょーっと苦手かなぁーって!」
焦った笑顔でいうボルクガングを、カナメはうさん臭そうに睨みつけた。
それから、ラフルの方へと目を移す。
ボルクガングは、このギルド支部の常連であった。
そういった人物の情報を管理するのは、冒険者ギルドの受付、つまり、ラフルの仕事である。
間を置かず、ラフルはカナメに大きくうなずいて見せた。
本人の申告通り、ボルクガングはモンスターを「倒す」ことに特化した冒険者だ。
倒したモンスターから換金可能な部位を取り出すことなどは最低限出来るが、器用な性質ではない。
有り余る腕力で相手を叩き伏せる戦い方と言い、得た獲物を食料として処理する技能の無さと言い、カナメの注文に答えられる人材とは言えなかった。
カナメは納得したようにうなずくと、尻尾をゆらりとくゆらせた。
諦めてくれたか、とほっとしたボルクガングは、ラフルに向かって無言で手を合わせて見せる。
それに対して、ラフルは気にするなというように手を振った。
が、話は二人の予想とは別の方向に飛んで行ったのである。
「では、ラフルを連れて行けばいい。食肉処理は出来るだろう」
確かに、ラフルはギルド職員として、モンスターの食肉加工も習得している。
解決策としてはありだろう。
それを聞いたラフルは、血相を変えた。
「俺!? なんでこっちに飛び火したの!? 待って! 冷静になって! 無茶だから! 死んじゃいますから!!」
「安心しろ。ボルクガングが守ってくれる。護衛と食えるモンスターの討伐。別に難しい依頼ではないだろう」
「場所!? 場所が悪すぎますよ!? ここのモンスター、マジで洒落にならないやつばっかりなの知ってますよね!?」
「知ってる」
さも当然というように、カナメはうなずいた。
やばいのは知っているし、ちょっとでもミスをすればラフルがコロッと逝ってしまうかもしれないこともよくわかっている。
だが。
「私はその危険を押してでも、今日の夕飯に新鮮な肉が食いたいのだ」
純白の毛並みを持つ猫が、輝く日差しの中で、美しい声を響かせる。
内容さえ気にしなければ、実に絵になる光景だ。
ではあるのだが、ラフルとボルクガングにとっては、何か凄まじく恐ろしいもののように見えた。
「というわけで二人とも言って来い」
「無茶苦茶ですよ! 俺死んじゃいますからね!?」
「そうですよ! こんな危険なところで護衛とか、危険がいっぱい過ぎてやばいですから!」
ラフルとボルクガングは、悲痛な叫び声をあげた。
ラフルにしてみれば、直接命がかかった事案だ。
ボルクガングにしても、疲れている、万全でない状態で森の中に行くのは勘弁願いたい。
まして素人同然のラフルを守りながらというのは、いささか荷が重すぎる。
そんな二人に対して、カナメは実に面倒くさそうな様子で言い放った。
「うるさい、とっとと行け。ギルドマスター権限の緊急クエストだ」
「こんなことで特権使うの!?」
「冷静に! 冷静になりましょう!」
悲鳴のような声をあげるラフルとボルクガングだったが、カナメは一切聞く耳を持たない。
結局、二人は仲良く「天空の森」へと出発することになるのであった。
ギルドマスター権限の緊急クエスト、とは。
それは、各ギルド支部の支部長であるギルドマスターが、特別な場合に限り発令を許される、所属するギルド職員、および、近くにいる冒険者すべてに対する絶対的な強制力を持ったクエスト依頼である。
これが発令された場合、ギルド職員と冒険者は、必ずこのクエスト、つまり、命令を実行しなければならない。
本来これは、強力なモンスターが人里に向かってきている、等と言った、緊急時に発令されるものであった。
しかし。
割と便利な権限なので、そうでもないときでもギルドマスター次第で使われることもままあった。
そんなことをすればギルド上層部や、ほかのギルドマスターが問題にしそうなものではある。
ものではあるのだが、実際には特に問題になるようなことはなかった。
ギルド上層部やほかのギルドマスターも、割とこの権限を私的に流用していたからだ。
皆、自分が便利に使いたいので、このあたりのことについては触れないでいるのである。
ギルドは国に所属しない独立独歩の組織なので、法的に罰せられることもない。
国からとやかく言われることも、まあ、やりすぎなければ、なかった。
こういった強権を振るい、利益を得るからこそ、ギルドという組織は栄えているともいえるのだ。
なんとも強欲な話である。
そんな強欲の一端を担うギルドマスターのカナメは、ギルド支部の窓際で丸まっていた。
日差しは暖かく、最高の昼寝日和である。
カナメがうとうとと微睡を楽しんでいると、扉を開く音が響いてきた。
そちらの方へと顔を向けてみれば、ギルド職員の制服を着た少女が立っている。
植物で編んだ大きなかごを持っており、そこには色とりどりの液体が入った小瓶が入れられていた。
好い言い方をすれば素朴な、悪い居方をすれば地味な顔立ちの少女である。
太くてハの字を作っている眉毛が、特徴といえば特徴だろうか。
そんな少女はカナメに気が付くと、ほわっとやわらかい笑顔を作った。
「カナメギルドマスター、こんにちは」
「こんにちは、エルネット。そうか、もう、こんにちはの時間か」
前足で顔をぬぐうカナメを見て、エルネットと呼ばれた少女はおかしそうに笑った。
エルネットはカゴを抱えたまま受付カウンターへと移動すると、奥にある棚に小瓶を並べ始める。
「魔法薬か。昨日から作っていたものかね?」
「はい。さっきようやく完成しましたので」
「一日仕事だな。ご苦労」
エルネットは、「天空の森」ギルド支部専属の魔法薬職人であった。
即効性の高い魔法薬作りを得意としていて、ギルドで販売する薬を作っている。
人里から離れた「天空の森」では、こういった魔法薬もギルド頼みなのだ。
もちろん冒険者達も自分たちである程度の薬は持ってくるのだが、いかんせん使えばなくなってしまうものである。
どこかで買い足す必要が出てくることもあり、その需要に応えるべく、ギルドはエルネットをこのギルド支部に派遣したのだ。
腕利きの冒険者が集まる場所に派遣されるという事もあり、エルネットの魔法薬職人としての腕前はかなりのものだった。
わざわざエルネットが作る魔法薬を目当てにするものも居るほどで、三日に一度程度しか冒険者が来ないギルドにもかかわらず、いつも品薄状態が続いている。
魔法薬というのは通常の薬と違い、「魔法を薬に閉じ込めたもの」だ。
その製法は独特で、作るのには非常に手間がかかる。
万年暇な「天空の森」ギルド支部にあって一人エルネットだけが忙しいのは、そういった理由からであった。
カナメの労いの言葉に、エルネットはにっこりと笑顔を見せる。
「ありがとうございます! ここにいらっしゃる皆さんは、一流の冒険者さんばっかりですから! 少しでもお役にたてるよう、頑張ります!」
きらきらとした笑顔を前に、カナメは眩しそうに目を細めた。
若干苦しんでいるような趣もある。
おおよそ発言からわかるように、エルネットは、カナメやラフルと違い、真人間であった。
労働にいそしみ、誰かの役に立つことに喜びを見出すタイプである。
カナメとラフルの属性を闇とするならば、エルネットはバリバリの光属性。
真逆の属性にいる人物なのだ。
「しかし、魔法薬というのは相変わらず面倒だな。徹夜をしたのかね?」
「はい。でも、おかげで準備が間に合ったみたいです」
魔法薬を作る作業には、途中で休む事が出来ない工程がある。
薬の中に、魔法を封入する作業だ。
込めた魔法をとどめておく作用のある液体に、長時間かけて魔法を定着させる。
この作業は魔法薬独特のものであり、医者や薬剤師が行う薬作りとはまったく性質の異なるものであった。
それゆえ、魔法薬職人には医学の知識が必要なく、求められるのは魔法と、魔法を定着させる薬を作る技量のみである。
魔法薬職人はあくまで「職人」であって、「薬剤師」でもなければ「医者」でもないのだ。
「間に合った? 何か緊急で入用なことでもあるのか?」
不思議そうに首をかしげるカナメに、エルネットは笑顔で頷いた。
「そろそろ、ボルクガングさんが戻ってこられる頃だと思いまして。ソロの冒険者さんですけど、回復魔法が使えないですから。どうしても魔法薬が必要になるんだそうです。一回の冒険で使い切ってしまうこともあるそうなので、いらっしゃるのに合わせて作っておいたんですよ」
それを聞いたカナメは、すっと眉を寄せた。
ボルクガングは、確かに朝方戻ってきている。
常連の冒険者の動向を察知して魔法薬を作っておくというのは、さすがエルネットといったところだろう。
問題は、ボルクガングの方だ。
言われてみれば、「魔法薬が」とか「残りが少ない」とか、喚いていたような気がする。
もちろん、ラフルと一緒に問答無用でギルドの外へ叩きだしたのだが。
ひょっとして、魔法薬が底を尽きかけていたのではあるまいか。
「天空の森」というのは、危険な領域だ。
一流の冒険者が、最大限の注意を払ってなお、傷を負うリスクが常に付きまとう。
そんな場所に無理やり分け入るには、魔法薬を代表とする、現代技術の粋を凝らした装備が必要不可欠だ。
しかし、そういったものを用意してなお、危険な場所なのである。
それが足りていない、などという状況は、かなりまずいものと言わざるを得ない。
ということは、ボルクガングとラフルは、実はかなりヤバイ状況にいるのではあるまいか。
カナメは考え込むように目を閉じると、素早く思考を巡らせる。
考えをまとめて、ゆっくりと立ち上がると、結論を口にした。
「まあ、いいか。何とかするだろう」
考えた末、カナメは放って置くことにした。
助けに行くのはダルイし、何よりも肉が食いたい。
それに、頭を使ったことで大事なことを思い出した。
「エルネット。お前が仕事を終えた時様に、ラフルがサンドイッチを作ってあるぞ」
「本当ですか! お腹空いてたので、うれしいです!」
「ついでに私も昼食にしよう。朝の残りのスープがあったな」
カナメとエルネットは、連れ立ってキッチンの方へと向かった。
二人の顔には、笑顔が浮かんでいる。
鳥だからと言って、必ずしも空を飛ぶとは限らない。
地上を走る、巨大な鳥類もこの世界には存在する。
「天空の森」にも、そういった鳥類は存在した。
その一種が、通称「スカルクラッシャー」と呼ばれる鳥だ。
3mを超える巨体を誇り、強靭な脚で地上を走破する。
その爪は容易く肉を引き裂き、武器が如きクチバシは岩をも砕く。
食性は草食であり、肉は非常に美味い。
のだが、あまりに凶悪で凶暴なため、食用としてこれを狙うものはほぼいなかった。
ついでに言えば、取り立てて換金部位もないことから、ギルドからも戦うことを推奨されないモンスターである。
「焦ったぁー!! 超こえぇー!! コイツとガチでやりやったの初めてだったわぁー!!」
地面に倒れ伏したスカルクラッシャーの横で、ボルクガングは心臓の辺りを押さえて叫んでいた。
ボルクガングは激闘の末、つい今しがたこのモンスターを倒したのだ。
首のあたりを、バトルアックスで一撃。
流石の腕前と言っていいだろう。
冒険者として「天空の森」で活動して長いボルクガングだったが、狙ってスカルクラッシャーと戦ったのはこれが初めてであった。
倒しても割に合わないし、ボルクガングほどの実力者であれば、逃げ切ることも難しくないからだ。
「倒した!? もう平気!? 絶対平気!?」
頭上から聞こえてきた声に、ボルクガングは上を向いた。
そこにいたのは、高い木の幹にしがみ付いた、ラフルである。
ボルクガングが戦っている間、そこに避難していたのだ。
「大丈夫だよ、致命傷与えたから!」
「マジのヤツそれ! それマジのヤツ!? 俺、むりだからね!? ソイツムリなやつだからね!! ぜってぇー殺されるやつだからね一瞬でソレ!!」
どうやら、盛大にてんぱっているらしい。
ラフルの身体能力は、一般人のそれだ。
こんな化け物を前にすれば、それも当然のことだろう。
「もう死んでるって! ソレより、早く処理しないと、ギルドマスター殿に確定で殺されるぞ!」
それを聞いたラフルは、凄まじい勢いで木から降りてきた。
可愛らしい見た目のカナメではあるが、その危険度は「天空の森」に潜むモンスターの中でもトップクラスなのだ。
「兎に角、まずは血抜きだな。一気に釣りあげて、下に掘った穴に血を捨てます。そうしないとすげぇ匂いが充満して、肉食のモンスターが寄ってきますから」
「なんか聞いた覚えはあるなぁ。内臓もそこに捨てるんだっけ?」
「たぶんカナメさんが食いたいっていうだろうから、持って帰りましょ。もう一度取りに行けとか言われてもイヤですし」
ラフルの言葉に、ボルクガングはなるほどとうなずいた。
そういうことを平気で言うのが、カナメというギルドマスターなのだ。
「血抜きをしたら、水に沈めて肉を冷やします。その状態で、持って帰りましょう」
「え? 羽根とかむしらなくていいの?」
「別にそれしてもいいんですけど、森の中に長く居たくないですから」
「確かに。じゃあ、早速始めよう。俺は穴を掘るから、ラフルは木に登ってロープを引っかけてくれ。で、スカルクラッシャーの足に結わえ付けるんだ」
言いながら、ボルクガングはラフルにロープを投げた。
冒険者にとっての必須アイテムの一つだけに、頑丈なものを持ち歩いているらしい。
受け取ったラフルは、「わかった!」と一言、素早く木に登り始める。
「はぁ。なんで俺がこんなにアクティブに働かないといけないんだよ。こういうアウトドア苦手なタイプなのに」
思わずため息が漏れるラフルだが、命がかかっているので仕方がない。
ラフルはアウトドアが苦手なタイプだが、カナメはうっかり人の命とか奪っちゃうタイプなのだ。
兎に角、肉を持ち帰らなければならない。
ラフルとボルクガングは、協力して肉の処理を進めるのであった。
エルネットは幸せそうに頬に手をあげると、「んー!」とうれしそうな声をあげた。
ラフルの用意してたサンドイッチは、どうやらエルネットの口にあったようだ。
挟まれている具材は、三種類。
ジャガイモに、保存用の味の濃い干し肉を練り込んだもの。
ギルド支部の外に作った畑で取れた、何種類かの野菜。
保存の利く薄切りのハムと、葉野菜。
「おいしいです! やっぱりラフルさん、料理じょうずですよね!」
嬉しそうな様子で、エルネットはキラキラとした目をカナメに向ける。
カナメは机の上にお行儀よく座り、皿に盛られたスープを舐めていた。
魔族ではあるものの猫舌なので、ぬるくなったものである。
「あいつ、ここに来るまで料理は自分で食べる分しか作ったことがないと言っていたがな。まぁ、それでも私やエルネットよりは幾分マシか」
カナメは、手が猫のそれなので料理を作ることが出来なかった。
よしんばできたとしても、しなかっただろう。
どちらかというと、破壊したり、奪ったりする方が専門なのだ。
「私もお料理作れたらいいんですけど。どうしてか、完成すると爆発しちゃうんですよね」
腕を組み、エルネットは難しい顔でうなった。
魔法薬や魔法道具など、何かに魔法を込める仕事に関しては、エルネットは無類の適性を持っている。
だが、そのせいか何かを作ろうとすると、何にでも魔法を込めてしまうという欠点があった。
完成したものはおおよそ当人の望むのとはかけ離れたものになってしまい、特に料理に関しては、どういうわけか悉く爆発するという特性が付いてしまう。
愛情は爆発なのかもしれない。
「まあ、その分魔法薬が作れるのだから、よいだろう。私はからっきしだぞ」
「ギルドマスターは、以前は魔王軍四天王、なんでしたよね! そういうエライ立場なら、自分で作る必要ないんでしょうけれど」
エルネットの言葉に、カナメはスープを噴き出した。
変なところに入ったのか、盛んにむせ返っている。
「大丈夫ですか、ギルドマスター!?」
「えるね、える、エルネット。いいか。その単語は忘れろ。人、ではないが、魔族にも振り返りたくない歴史があるのだよ」
「え? 忘れるって、魔王軍四天王、っていうのですか?」
「だからぁ!!!」
どうやら、カナメにとって魔王軍云々は忘れたい過去らしい。
相手がラフルやボルクガングであれば暴力に訴えることも辞さないカナメも、流石にエルネットにはそこまではしないようだ。
「まあ、そんなことはどうでもいいのだ。ソレよりも、ラフル達は今頃どうしているだろうな」
話を無理やり別の方向へ持っていこうと、カナメは気にもしていない話題を持ち出した。
カナメにとってはどうでもいいことではあったが、エルネットにとっては気になる内容だったらしい。
「そういえば、ラフルさんいないみたいですけど。どこにいるんですか?」
「ああ、肉を取りに行ってる。森の中にな」
「えええ!? そそそれって、危険なんじゃっ!!」
「流石に一人では行かせんよ。ボルクガングも付いていっている」
ボルクガングの名前を聞き、エルネットは納得した様子でうなずいた。
腕利きの人物であると、信頼している様子だ。
だが、すぐに何かを思い出したのか、不安そうな表情になる。
「ボルクガングさん、魔法薬の在庫は残ってるんでしょうか。ギルドの置き分もありませんでしたし、補充出来なかったと思うのですけど」
そういえば、魔法薬が足りないようなことを言っていた気がする。
だが、カナメはふっと小さく笑って見せた。
「ヤツもプロだ。心配いらんさ」
魔法薬を補充したとも言わないし、大丈夫だとも言わない。
汚い大人のやり口である。
だが、それを聞いたエルネットはほっと胸を撫で下ろす。
「そうですよね。一緒に行ったということは、きちんと準備されているんでしょうし」
基本的に疑うことを知らない、心の優しい子なのだ。
そんなエルネットの純情をもてあそびながら、カナメは満足げに窓の方へと顔を向ける。
「放り出して、ではない、出発してずいぶん経つからな。もうそろそろ、ギルドに向かっているころだろう」
「無事に帰っていらっしゃるといいですね」
エルネットは少し心配そうにしながらも、サンドイッチを頬張る。
そして、その味に再び笑顔を零した。
ラフルとボルクガングは、確かにギルドに向かっていた。
スカルクラッシャーの血抜きを済ませ、川に沈めて肉を冷やす。
ついでに内蔵を丁寧に洗い、袋に詰めて持ち帰ることが出来るようにした。
そういった作業もようやく終わり、さぁ、では帰ろうか。
と、肉をある程度解体し、分担して背負った、まさにその時だ。
恐れていたモンスターが、ラフル達に襲い掛かったのである。
それは、翼をもたないドラゴン種であった。
大きな身体を持ち、二本の足で歩き回るタイプのものだ。
前足は小さく、歩行の役には立たない。
背中には申し訳程度の翼があるが、飛ぶのには使われることはなかった。
いわゆる、腐肉食性であり、ほかの大型のモンスターの死体や、自分よりも鈍足のモンスターを狩り食べている。
巨体であるがゆえに鈍足ではあるが、サイズ的な問題でギリギリで一般的な人間の全力疾走程度の速さで走ることが出来た。
つまり。
「食われるぅうううううううう!!」
「走れ!!! 死ぬ気ではしれぇえええええ!!」
ラフルとボルクガングは、必死になって逃げまわっている最中なのである。
本来であればあまり素早い相手は追わないはずのこの「オオアゴアルキ」と呼ばれるドラゴンなのだが。
相手が人間だからなのか、よほどお腹が空いているのか。
今回は諦めてくれるつもりはないようであった。
何とか振り切ろうと木々の間をすり抜けるように走っているのだが、敵もなかなか手ごわい。
邪魔になる木々をへし折りながら、ドスドスと地響きを立てて追いかけてきているのだ。
「くそ!! こうなったら肉捨てるか!?」
「そうなったらどうせまた取りに行かされますよ! 必死で走ればぎりぎり追いつかれないみたいですし、このままギルドまで逃げ込みましょう!!」
こんなことを何度もやらされたのでは、命がいくつあっても足りない。
幸いにして、相手はこちらに追いつけない、比較的鈍足な魔獣だ。
上手くすれば、逃げ切ることが出来るかもしれない。
「そうだな! オオアゴアルキのでかい足音のおかげで、ほかのモンスターも近づいてこない! ある意味ラッキーかもしれん!!」
例えオオアゴアルキが居なかったとしても、ここは危険地帯なのだ。
十分注意して歩いていても、突然首筋に食いつかれました、ということはよくある。
プロの、凄腕と呼ばれる部類の冒険者ですらそうなのだから、素人丸出しのラフルでは話にならないといってもいい。
そういった危険が簡略化され、ほかの脅威がオオアゴアルキのおかげで近づいてこない今の状況は、ある意味で分かりやすくて理想的。
と、好意的に見ることも出来なくはない。
無論、かなり無理やりではあるが。
「ギルド支部まで行けば、結界を嫌がって帰ってくれるかもしれませんし!!」
「希望的観測だなぁ!!」
結界とは、「モンスターが遠ざける」効果を持つものであった。
ギルド支部を取り囲むように設置されたそれの効果により、安全を確保しているのだ。
とはいえ、その効果は強力とは言えないものである。
精々、「なんか強烈に臭いから、あっちに行こう」と思わせる程度のものであった。
通常であればそれで十分なのだが、強い意志があれば、乗り越えてくることもある。
「今はそれにかけるしかないでしょ! ていうかボッさん何とかしてくださいよ冒険者でしょうが!!」
「こんなクソデカい肉背負ってるのにどうにかできるか!!」
ラフルもボルクガングも、大きな肉を背負っているのだ。
必死なので何とか走ることぐらいはできるが、戦うのは相当に難しいだろう。
「くそ、肝心な時に役に立たないなぁ!」
「ウルセェ!! それより、見えてきたぞ!!」
ボルクガングにいわれ、ラフルは前方に目を凝らした。
木々の間から、真っ白な石柱のようなものが見える。
魔法の効果を宿らせた、結界の一部だ。
それが見えるということは、ギルドまでもうすぐである。
「走れぇええええ!!!」
「言われなくてもぉおおお!!!」
必死のラストスパート。
二人は何とか足を動かし、森の中を走り抜けた。
結界には、ギルド支部にモンスターが近づいてきた時、知らせる機能も備わっていた。
オオアゴアルキの接近に、ギルド支部内には鐘の音が鳴り響く。
スープを食べ終わりまどろんでいたカナメは、両前足で耳を塞いだ。
だが、その程度で聞こえなくなるようでは、警鐘としては役に立たない。
カナメは寝苦しそうにしばらくのたうっていたが、急にバッと置き上がった。
全身の毛を逆立てながら、ドアに向かって一直線に走り出す。
おそらくペット用と思しき小さな扉に突撃すると、そとへと飛び出した。
周囲をぐるりと見渡すと、音の原因であろう巨大なモンスターを発見する。
「クソウルセェんだこのクズがぁああああああああ!!!」
素晴らしい美声に込められたのは、凄まじい怒気であった。
カナメは、寝ているのをたたき起こされるのが嫌いなのだ。
それは生まれる前からであり、寝起きの悪さは折り紙付きである。
怒りの声とともに、カナメの前には光の円が現れた。
カナメが魔力を込めて発動させた、魔方陣だ。
現れると同時に回転を始めたそこからは、瞬く間に一筋に光が伸びた。
いったいどれほどのエネルギーを有しているのか、それの出現と同時に空気は帯電し、バチバチと紫電が舞う。
まっすぐに伸びた光は、狙いたがわずオオアゴアルキへと直撃する。
そして。
爆発が起こった。
光が届いた瞬間、オオアゴアルキは爆炎をあげて吹き飛んだのである。
爆風は周囲の木々を揺らし、カナメの毛並みを撫でた。
それを心地よさそうに受けながら、カナメは前足で顔をぬぐう。
「ううむ。寝起きは爆風に限る」
何とも物騒なことを呟いた、その時だ。
近くに、何かが落下してきた。
いったい何だろう、と、カナメは怪訝そうに目を細める。
ギルドが見えた。
それは、ラフルとボルクガングにとって希望の光が差し込んだ瞬間であった。
だが、どういうわけかその「希望の光」は、膨大なエネルギーを持ちつつ、後ろから追いかけて来ていたオオアゴアルキに殺到したのだ。
次の瞬間に巻き起こった爆発は、二人の体を高々と放り投げるに十分なものである。
「「死ぬっ!!」」
ラフルとボルクガングの叫びが、空中で交差した。
そのまま為す術もなく落下していき、二人とも腹から地面へと叩きつけられる。
「うぉおおっ! 腹がっ!!」
「念のために布詰めといてよかった……!!」
ボルクガングは、自分用の鎧を。
ラフルは万が一の護身用にと、腹に上着を詰めていたのだ。
おかげで骨などが折れることはなかったようだが、死ぬほど痛くはあったようである。
転がってうめくそんな二人に、横合いから声が掛けられた。
「お前ら、思ったよりも早かったな」
思わず顔をあげた二人が見たのは、優雅に佇む白猫である。
カナメは二人へと交互に目をやると、片眉を吊り上げるような表情を作った。
「で、肉は?」
ラフルとボルクガングより、肉の方が心配。
文句の一つも行ってやりたいところだが、実際に言ったりはしない。
無駄なことがよく分かっているからだ。
「俺とボッさんが背負ってますよ……。あとは毛さえ毟れば、すぐに料理出来ますから……」
「そうか。ご苦労だったな。エルネットに言って、特別に魔法薬をくれてやろう」
「それは。なんか、どーも」
文句を言う気力もなく、ラフルはがっくりと地面に突っ伏した。
ボルクガングの方を見れば、なにやら死にそうな顔でうなり声をあげている。
声を出しているから、生きているのだろう、多分。
「あの! 今すごい音が、ちょっと!? どうしたんですかこれ!!」
ギルドの方から、エルネットの叫び声がする。
どうやら、仕事をしていて、今外へ飛び出してきたらしい。
エルネットが来てくれれば、魔法薬を使って回復させてくれるだろう。
これでようやく、一息つくことが出来る。
「はぁー……。なんなんだよもう」
ラフルはボヤくようにそう言うと、深い深い溜息を吐いた。
大型の鳥ではあるが、スカルクラッシャーは皮もおいしく食べることが出来た。
フライパンにバターを溶かして、よく温める。
スカルクラッシャーの肉を平らになる様に切り、皮を下にしてフライパンへ。
その上に、重石代わりの鍋を載せる。
鳥肉から油が出て、皮が揚げ焼のようになっていく。
ある程度焼けたら、ひっくり返して反対側も。
この時は、重石は載せない。
事前に肉に刷り込んでおいた塩コショウ、数種類のハーブ以外、味付けはしなかった。
スカルクラッシャーは、それだけで十分にうま味のある鳥だからだ。
「んー!! おいしいです!」
ラフルが作ったスカルクラッシャーのソテーを、エルネットはおいしそうに頬張った。
その様子を、同じ食卓に着いたラフルとボルクガングは満足そうに見ている。
「エルネットちゃんは俺たちの恩人だからな。喜んでもらえて、おじさんもうれしいよ」
「んだ、んだ」
ボルクガングの言葉に賛同するように、ラフルは大仰にうなずいた。
二人の傷は、エルネットが作っていた魔法薬のおかげですっかり治っている。
エルネットが居なければ、二人は未だに苦しんでいたことだろう。
「うむ。シンプル過ぎるかとも思ったが、皮がパリパリで中々いけるな」
カナメも、実に満足そうな様子でソテーを味わっている。
ここだけ見れば愛らしい姿なのだが、ラフルとボルクガングには悪魔のようにしか見えなかった。
そんな二人の視線に気が付いたのか、カナメはキッと視線を飛ばす。
思わず顔を背けた二人を責めることができるモノは、そうそういないだろう。
そんな様子に全く気付かず、エルネットは幸せそうにソテーを頬張っている。
「あんなに押しつぶしてたのに、全然硬くならないんですね!」
「だね。前にカナメさんに教えてもらった調理方法の応用なんだけど。コレでも結構おいしいんだよね」
ラフルにいわれ、カナメが顔をあげる。
「悪魔風の事か。あれはオイルに香草などを入れたフライパンでやるんだが。これはバターだったな」
「そうそう。カナメさん、自分で料理出来ないのにそういうのだけは詳しいですよね」
「まあ、あれだ。昔、料理人の、知り合い? が居てな」
聞かれたカナメは、言葉を濁しながら鳥肉にかぶりついた。
不思議そうな顔をするラフルだったが、それ以上は突っ込まない。
余計なことを聞くと、魔法などを叩き込まれる恐れがあるからだ。
そこで、ボルクガングが「あ、そうだ」と声をあげる。
「俺、明日からしばらく宿屋に留まるから。よろしくな」
「ええ。冒険者なんだから森に行けばいいのに」
ラフルは、露骨に嫌そうな顔を作った。
宿の準備は、すべてラフルの仕事になっている。
泊り客が居ると、準備をしなくてはいけないので、面倒くさいのだ。
それだけではなく。
「ってことは、ボッさんの分も作るの?」
「まぁまぁ、そういうなよ。次の竜便が来たら、それに乗って一旦街に戻るからさ。武器と防具の調整しなくちゃいけないんだよね」
次に竜便が来るまでの日数を思い浮かべ、ラフルは大きく溜息を吐いた。
「まあ、いいかぁ。どうせあんだけ鳥肉あるから、消費しちゃわないといけないし」
スカルクラッシャーの肉は、かなり膨大な量になっていた。
保存食として加工もしているのだが、それにしてもある程度は食べてしまわないとならない。
冷蔵保存のための魔法道具などもギルドには用意していあるのだが、ソレにしたところで限界はある。
「とりあえず内臓肉は煮込みにしてありますから、明日当たり食べごろだと思いますよ」
「味噌もしょうゆもない煮込みか。味気ないな」
ボヤくように呟くカナメの言葉に、エルネットは首を傾げた。
「ええっと、遠い東の島国にある調味料でしたっけ? ギルドマスター、よっぽどそれが気に入ってるんですね!」
「んん!? まあ、あれだ。大昔にな。うむ」
「魔王軍の四天王をされていたころですか!?」
「違うわっ!! というかそれは忘れろというに!!」
なにやらキャッキャと騒いでいる女子二人を尻目に、ラフルはどうやって鳥肉を食おうかと考え始める。
「ソテーのほかに何がありますっけ? シチューとか? あと、煮物?」
「フライドチキンなんかもいいぞ。酒のつまみになる」
ボルクガングはそういいながら、その味を思い出すようにうなずいた。
「そう、それならばあれだ、から揚げや竜田揚げもいい」
それに食いついたのは、カナメであった。
どうやら、別の話に持っていき、誤魔化そうとしているらしい。
だが、カナメの口から出た言葉に、ラフルは首を傾げた。
「なんです? カラアゲとタツタアゲって」
「フライドチキンは、肉にまとわせる衣に味を付けるだろう。から揚げというのは、肉自体に下味をつけるのだ。醤油、は無いから、そうだな。ハーブ幾つかに、すりおろしにんにく、塩、蒸留酒を少々入れて、よく揉み込み、寝かせる。小麦粉をまぶして油であげれば、から揚げの完成だ」
「へぇー。美味そうですね」
感心した様子で、ラフルはうなずいた。
ボルクガングとエルネットも、味を想像するような顔をしている。
「竜田揚げというのは、これを小麦粉ではなく、片栗粉で揚げたものを指す。本当は肉につける下味を、みりんと醤油で、とかいろいろと制約はあるんだが、まあ、正直どちらも似たようなものと言ってしまえばそれまでだな」
そこまで言ってから、カナメはハッとしたように目を見開いた。
周囲から感心したような視線を集めているのに気が付き、誤魔化すようにソテーにかぶりつく。
「まあ、カナメさんがいろいろ教えてくれると、俺が考えなくていいから楽なんですけどね。料理知識ないですし」
「ラフルが料理上手になってくれれば、俺達も美味いもんにありつけるんだがな!」
ボルクガングにいわれ、ラフルは顔をしかめる。
「えぇー。俺としてはあんまり料理する機会が無いでくれると助かるんだけど。面倒ですし」
「そういうなって! 俺はラフルの料理好きよ? ねぇ、エルネットちゃん?」
「はいっ! 私も大好きですっ!」
キラキラとまばゆい笑顔のエルネットにいわれ、ラフルは疲れたように笑い、溜息を吐いた。
これから先も、アレやコレや食べ物のために振り回されそうな予感がする。
なんでこんなことになったのだろう。
「ま、うまいからいいや」
ラフルはそう無気力そうにつぶやくと、大きめに切ったソテーを口の中に押し込むのであった。