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チクタクと一定の速度で時を刻む。静かな暗い部屋の中で唯一それは音を発する。その時計は弾かれるように轟音を発し、振動する。
けたたましいベルの音で、無理矢理に微睡みから引きずり出される。
まだはっきりとしない、虚ろな思考の状態で、その音源があったであろう場所に手を伸ばす。
どうやら場所が的中したようで、カチッという音とともに耳を劈く音が消える。
部屋は水を打ったような静寂に包まれる。静かになったことだ。二度寝と洒落込もう。そう考え、乱れた掛け布団をもう一度頭までかぶり直す。
まったく睡眠の邪魔をしないでほしいものだ。珍しく数十年ぶりの睡眠なのだ。もっとその快楽を味わいたい。それに近々外出の予定もある。それまで少し眠らせてくれ。
不機嫌になりながら思考を落とそうとする。
……。何か頭の隅に引っ掛かる。
バッと勢い良く起き上がる。慌てて音源を確認する。針は動いていなかった。先程のけたたましい音が彼の最期だったのか。そっと心の中で手を合わせる。針は九時を指していた。
多少気怠いが起きることにした。移動するために床に足をつけた。真っ先に伝わる感触は冷たく硬い、フローリングの床ではなく、足の踏み場が見当たらない程に散らかっている紙の数々。
どれも世間に出回れば、億はくだらない値段で売買される。ただの紙切れがそれほどの値段を有するのは、彼の圧倒的なまでの才能の賜物であろう。
そんなことも露知らず。徐に床を埋める紙を持ち上げると、くしゃりと丸めゴミ箱に投げ入れる。研究者たちがそれを見たら最後、百二十パーセントの確率で卒倒するであろう。
一頻り片付けをすると、丁度よく腹がなった。確か、向こうの部屋に栄養バーがあったよな。いそいそと、今尚紙が床を埋める部屋を後にした。
扉を開けると煌々と照りつける陽光が出迎える。間違っても石化してしまいそうなほど照りつけられる。引き篭もりに日光はタブーだ。吸血鬼に日光を浴びせると同等の意味を持つ。
閉めよう。そう心の中で強く念じた彼は、小走りで窓際に向かい、カーテンを勢い良く閉める。
驚くほど暗くなった部屋を歩き、台所にたどり着く。木目がくっきりと見える棚の前に立ち、探る。
ガサゴソと弄るとお目当てのものが手に当たる。棚から、そのスティック状の物体を取り出すと、そそくさと袋を開けて齧り付く。
(迎えが来るまで適当に時間を潰しとくか)
そう思案し、今はもう空になった袋を、何も入っていないゴミ箱に捨てた。
土の匂いがする。それは当然といえば当然で、庭園の一角。敷地の入口から左側を占める菜園にいる。
舗装された石畳の道が亀の甲羅のように分岐し、その空いたスペースに煉瓦の花壇が設置されている。
その花壇に植えられているのは、四季折々の野菜と果実。
魔法具の効果で、各区分の温度がその季節に合わせられる。それぞれの作物にあった温度で育てられていると説明を受けた。
活力漲る、新鮮な野菜、果実をその白い手でもぐ。それをバケットよりは小さくないが、それを少しだけ大きくした籠に作物がいたまないように丁寧に入れる。
籠が程よい重さで一杯になった。それを同じ菜園にいるエルミィに報告をする。
「一杯になりましたか…もうこの位でいいですかね」
と、彼女は自分の籠に視線を向ける。そこには、ロアの籠の倍ほどに大きい籠が、ありとあらゆる作物で埋め尽くされていた。
「さ、流石に取り過ぎなんじゃ…」
「あの人はこれくらいないと多分足りないってうるさいので。それに一々取りに来るのも何ですし一回で済ませようと思いまして」
山盛りに積まれた作物を見て、疑問に思って口にしたが、彼女はその尖った耳をヒコヒコと動かせながらそう答えた。
彼女は中腰から立ち上がると、籠を手も何も使わず宙へ浮かばせる。ロアの籠も同様に宙に浮かぶ。
ほんの微かに緑の靄を視認できた。魔法を使ったのだろう。そう確定した。
彼女は高名な魔導師なのだろう。中身が詰まった籠を二つも浮かしているのに、全く疲れた様子がない。しかも詠唱もなしにそれを行使する。
レンオアムと比べると見劣りしてしまうが、それは比べる対象が悪いだけで彼女の技量は卓越している。
これが種族の違いなのだろうか。ロアは尖った耳を見つめた。
その視線に気づいたのか、彼女は不思議そうな顔でロアを見る。
「どうかしましたか?」
「いえ、何もないです」
なるべく無表情を取り繕い、何とか話を逸らす。怪訝そうにこちらを見つめてきたが、それはスルーする。
「そうですか。では戻りましょうか」
その行為に飽きたのか、している自身に呆れたのか、そう言って、彼女は先に進む。ロアは彼女の背中を眺める。その後ろを、少し遅れて歩き始める。
彼女の足取りは軽やかで、気を抜くととてつもなく離されそうになる。
空は煌々と照りつける。雲一つない晴天の下、まるで神に監視されているようで気味が悪い。
ロアは足早にエルミィに駆け寄った。




