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森人は樹の下で笑う  作者:
桜下の墓森
7/20

7

薄暗い廊下を小走りで進む。両端には棚に入り切らなかったのか本が積み上げられている。それだけを見てもこの家の主の収集癖が手に取るようにわかる。


薄暗い廊下を抜けると、あまりの明るさの違いに目が眩む。少しすると目が慣れた。その目で中を見渡した。


ゆったりと広い部屋の中。作業机や大窯、釜戸やフラスコに壁に打ち付けられた棚の上に植物が入れられている瓶の数々。


先程の書庫の様な部屋ではない。ある程度は想像できるが、何かを制作するための部屋と感じた。少し雑多としているが前の部屋と比べれば幾分かマシである。


ふと目についたものがある。灯りの光を受け、キラリと眩く光っているもの。思わずそれに近づき、魅入ってしまう。


(どうしてペンダントがここに?)


硝子張りの戸の向こうに、淡い紅色の石のペンダントが置かれている。鍵を何重にもかけ保存されている。当然戸が割れないように何らかの細工は施してあるのだろう。それらを踏まえて厳重な保管体制だ。


「どうかした?」


後ろからレンオアムの声がした。それに振り返る。流し目に何か持っているのがわかった。洋服だろうか?しかも女性物の。スカートが見えたので確信に至る。


それは何?と目が訴えていたのだろうか。レンオアムは答えるように、広げて見せる。


白いシャツにそれを覆い隠すかのような、濃いグリーンの裾が白いローブ。レモンイエローの三角頭巾と赤いスカート。これに紅いペンダントを合わせれば更に映えると感じた。


「アトリエ…まぁ魔道士の正装と思ってくれたらいいよ。ここでは危険なものを扱うことが多いからこれに着替えてね」


と言われ、一式まるまるを手渡される。手に持ってみてわかった。かなりの重量だ。それは主に上に羽織るローブの重量。あまり長く持っていると疲れる重さである。


「今着てる服をかけるところもあるから」

「わかりました」


それに頷き、大人しく言われたとおり別室に入る。別室はかなり片付いている。いや、物が少ないからそう見えるだけかと自己完結する。だが本当に物が少ない。今、目に見える範囲であるものといえば、立て鏡と椅子とタンスのみ。他に何もあるように見えないし、思えない。


椅子に手に持つ一式をシワができないように置く。

そそくさと一張羅の白いワンピースを脱ぎ、タンスに入っていたハンガーにかける。


下着だけを身に着けた、艷やかで純白の裸体を晒す。それは著名な作家によって描かれた、絵画の中に住まう女神のように美しい。


(本当にこれを着てもいいのでしょうか)


思わず尻込みしてしまう。いつも思うが、あの人が用意する服は全て普通の服とは違う。なんと言えばいいのか。質感?肌触り?着心地?が普通の服と並外れて良い。かけているワンピースも現在進行形で手に持つこの服も、恐ろしい額の、それも庶民が見れば頭を抱える値段の代物のはずだ。


だが、この姿。裸で外に出る訳にはいかないし、あの言い方ではワンピースでは勉強をさせてくれないと言っているようなものだ。背に腹は変えられない。


渋々と着替えを始める。袖を通すとわかるその質感、肌触りに思わず頬を緩めてしまう。なんともだらしない表情を浮かべながら、着替えが終了した。


くるりと鏡の前で回ってみせる。スカートは扇情的に翻り、後ろで束ねた、長く艷やかな髪が宙を揺蕩う。

あれほど着るのに尻込みしていたというのに、いざ着てみればもう体の一部のように馴染む。


だけど…


その言葉を続けようとしたとき、ノック音が聞こえた。次いで声が聞こえる。


「入ってもいい?」

「どうぞ」


扉がこれといって早くはないが、いつもより早く開いたように見えた。


「似合ってるね」


彼はそう言って微笑む。それだけ。もっとこう、可愛いとか美しいとか、そんな聞くだけでわかるような褒め言葉を期待していなかったといえばそれは嘘になる。


蓋を開けてみれば素っ気ない簡潔な一言だけで、自分は本当に褒められたのか錯覚してしまう。何とも言えない表情でレンオアムの様子を伺っていると、何か思い出したように口を開く。


「サイズは多分大丈夫だとは思うけど…どう?」


その言葉で何か弾かれたようにロアの顔が真っ赤に染まる。恥ずかしそうに口をつぐむ彼女は、目を合わせまいと俯いてしまう。その仕草はさながら恥じらう乙女そのもので可愛らしい。


百面相のように変わる表情に驚きを隠せないといった表情で彼女を見つめる。


「……ね…」


搾りかすのような微かな声。聞き取ることは容易ではなく、短い言葉の末尾だけを辛うじて聴音確認できた。


「え?」


聞き返すと彼女はガバッと顔を勢い良く上げ、早口に言葉を発する。


「胸がきついです!」


それを聞いて、レンオアムは豆鉄砲を喰らった鳩のような表情で硬直する。

時間が経つにつれ表情が弛緩していき、最終的には。


「ハハハハハハハハ」


お腹を抱えながら大声で笑い始めた。目尻には微かに涙が浮かんでいる。


「胸って胸って…ハハハ。そうだな。あいつは断崖絶壁だったなッ!」


そんな昼下がり。笑い声が木霊する部屋の中。いつもは見れない一面を見たような気がした。





「あぁ胸囲がキツいんだったね」


ロアの前でしゃがむ。胸元に手をかざし口ずさむ。念ずるように瞑った目には、一体何が見えているのだろうか。


「まぁこんな感じかな?」


そう言って彼は立ち上がる。「どう?」と短い問いかけの意味が最初はわからなかったが理解した。

気がつけば、幾分か窮屈さはなくなっていた。


「何をしたんですか?」

「魔法」


そう、あっけらかんと、さも同然のように答えた。だが、ロアには大きな疑問が残る。


それなら…


ロアは周囲を忙しなく見回す。あぁやっぱりだ。あり得ない。彼は嘘をついている。そう確信した。


「嘘です」

「何?」


そんなポツリと呟いた言葉をレンオアムは機敏に察知する。驚いているのだろうか。表情が変わらないからわからない。


ロアはレンオアムの目を見つめた。微動すらしない彼に向かって口を開いた。


「緑色でモワ〜ってしたものが視えませんでした。それに続くようなものも何一つ…。だから魔法を使ったなんてあり得ない。絶対に。少なくとも使えば私が気づきます」


彼女らしからぬ断言。それを聞いたレンオアムは不気味に声を出して笑う。世紀末の悪役に似合いそうな笑い声が部屋の中に響き渡る。


「君は本当にがいい」


その言葉で、ゾッと背中に悪寒が走った。もしかしなくても彼は瞳のことを知っている。それもかなり深く。


今まで数回を除き、瞳と断定されたことはなかった。


急に体が震え始めた。恐怖で足がすくむ。段々と、違うはずなのに彼の顔が忌々しいある者の顔に変化する。錯覚。そうわかっていても条件反射で、脳内に深くインプットされたトラウマが蘇ってくる。


「まぁ君の言うことは概ね当たってる」


懐に忍ばせていた懐中時計をチラリと見た。時計の針は十五時丁度を指していた。


「あとはお茶を飲みながら話そうか」


ゆっくりと近づき、怯えるロアに優しく微笑みかける。そして手を差し伸べる。


「安心して、私は君の味方だ。だから恐がらなくても大丈夫」


ロアはぎこちない動きで、差し出された手をとる。


本当は敵で、巧みに騙されているかもしれない。だが、そんな気はしなかった。


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