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「今ちょっと物騒だからあまり敷地から出ないでね」
そう言って、レンオアムは頭に麦わら帽子を被せてくる。何だなんだと見上げても、麦わら帽子の麦を編み込んだつばしか見えない。
帽子を被るのは少し違和感がある。髪を締め付ける感じが少し苦手だ。被った帽子のつばを細い指で掴み、締め付ける感じがなくなるように調節する。
「うん、いい感じ」
満足そうに頷き、部屋に戻っていった。相変わらず変な人だ。その言葉を声に出すギリギリのところで呑み込んだ。
さて、そろそろ行こう。横に曲線を描きながら伸びるドアノブに手をかけた。金属のひんやりと硬い質感が手に伝わる。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
キッチンからひょっこりと顔を出し、返事をしたエルミィに軽く会釈してから外に出た。
木々が揺れた。草花が気持ち良さそうにたなびく。小鳥が囀った。心地よい風が肌を優しくなでた。生命の源である太陽が煌々と煌めいている。
暑い。そう思った。まだ立春。冬とそう変わらない、まだ冬と言ってもいいぐらいの季節。そのはずなのに春の終わりのような、夏の始まりのような陽気。
通気性の良い、白のワンピースを着ていても、日向にいれば額に汗がにじむ。
日陰に逃げよう。そう考え、そそくさと木の下に潜り込んだ。しかし、鬱陶しいぐらい照りつける陽光の力は強大で、逃げ込んでも尚、微かな木漏れ日がロアを照らす。
光の川にかかる影の橋を渡りながら、石畳の舗装された道を歩く。蕾のなる木や、花壇に植えられた花の蕾がまだ春はじめと実感させる。まだ寂しい、しかし確かな生気を感じられる庭を抜けると大きな樹木が目視できた。
あの樹は家の窓から何度か見た。しかしながら、ガラス1枚隔てるのと実物は全く違った。その圧倒的な存在感に慄きそうになる。
その樹は、家の裏の小高い丘にある。葉は青々としており、何の花を咲かすかわからないが蕾もチラホラ確認できる。
近づくにつれ、それはどんどんと巨大なものに変化する。付近にまで行くと、その大きさを再確認させられる。
「ふぅ」
小高い丘にあるせいか歩くことになってしまった。短い間だったのに汗をかいてしまった。ロアは丁度日陰になる、大樹の幹に腰を下ろし涼んだ。
心地よい風が吹いた。暑くも冷たくもない、中間のちょうどいい温度。
その心地よさに顔を弛緩させる。あぁ、気持ちいい。そんな意味もなく、まったりとした時間を過ごす。
もう何年、外の陽気に触れてこなかったのだろうか。ロアはそんなことを自分に問いかけながら大樹に背を預けた。
そしてゆっくりと瞳を閉じてゆく。どこか懐かしい感覚包まれながら、深い闇にのまれてゆく。
「んぅ…」
眩い光を受け、目を覚ました。私は寝ていたのか。そう思いながら目を開く。
そこに広がっていたのは、人っ気のない小高い丘。その丘の頂上には名前の分からない淡い桃色の花が舞い散る木が自生している。
あまりの驚きに言葉を発しようとした時、そこは暗がりに変貌した。そこだけが夜になった。太陽は出ているはず…。ロアは天を見上げた。
そこには白銀の鱗の巨大な竜がいた。
バサッバサッ。その大きな翼をはためかせ、飛翔し小高い丘に降り立った。着地と同時に草木は揺らいだ。そしてその地も揺れた。
竜。それは伝説上の生き物。太古のある出来事を境に姿を忽然と消したと言われている。その竜が目の前にいる。本の中だけしか見た事のなかった竜が今そこに。
もっと近くで見たい。そんな欲望がロアを動かした。
(あ、あれ?う、動かない)
足を動かしたつもりなのに一歩も進んでいない。逆に遠退いているようにも感じる。まるでズルズルと引きずられるように。
竜は啼く。耳を劈く轟音が大地を揺らす。どれだけ遠退いてもその迫力は衰えることを知らない。
竜は啼くのをやめた。
そして何もない空へ、竜は羽ばたいた。




