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森人は樹の下で笑う  作者:
桜下の墓森
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だらだら(だらだら)

次の次の次の次の次の次ぐらいで終わるといいな

目が覚めたらいつも側に君がいた。天使のような女神のような、慈愛に満ちた眼差しで、薄く微笑みながらこちらを見ているのだ。

だが今朝は、少女はいなかった。警戒した。辺りを忙しく確認する。

花畑ではない。樹もない。見えるのは荒涼とした木々たち。ここはどこか知らない朽ち果てた森の中。そこまで視認して、自分がここにいる理由を思い出した。


「ねえ、お願いをしてもいいですか?」

突然の問いかけ。お願いに心底驚いた。今までお願いなどは一つもなかった。いや、あったのかもしれないがそれも些細なものだったのだろう。覚えていないということは容易かったのであろう。竜は続きを促す。

「この本に載ってるこの花を見てみたいです」

その言葉を聞いて、少女が手に持っている本の、開いた頁を覗き見る。

紙に描かれていたのは、淡い紫色の花弁に、黄色とも黄緑色ともとれる花序。花の名前と概要は少女の影に隠れて見ることができなかった。

さほど気にすることはなかった、花に興味がない。愛でる趣味も贈る趣味もない。なぜ少女がこの花を見てみたいと言ったのか、理解しかねるのだ。自分は花の美しさなどわからぬ竜だ。だからか、その花が美しいとは思えなかった。素人目に見ても、この花畑を彩る花々たちの方がよっぽど美しく映えるのだ。

それを目に焼き付けてから少女の顔を見る。

「これを?」

「はい」

間髪入れずにそう返す。

「これはどこに生えている」

「どこか、大きな森の中に生えているらしいです」

「ほう…」

ひどく抽象的な答えだ。大きな森。心当たりはあるにはある。朽ち果てた荒んだ森。しかしそんな場所に存在しているのだろうか。過酷な環境下で生きていけるほどの生命力を持ち合わせているのだろうか。自分なら否と答える。例え存在していたとしても、目に入れれるものではなくなっているはずだ。

それは少女の方がわかっているのではないか。花については自分は、当たり前だが右にすら立てていない。それほどまでに知識の差が、明瞭にそれから漠然とあるのだ。

胡乱げな目で少女を一瞥すると、少女は視線に気づき、悲しげに微笑む。

「だめですか?」

おずおずと上目遣いでこちらを伺う。

だめではないのだ。だが、その結果は火を見るより明らかではないのか。少女は賢い。だからこそ、不信感が募る。断るのが最良の選択かもしれない。客観的に見ればそれが正解のはずだと、答えを導き出した。

すると、言われようのない違和感が襲う。

本当にそれでいいのかと、答えを導き出した張本人が、鬱陶しく問いかけてくる。頭の中で相反する主張が鬩ぎ合っている。

もうどのくらいの時間が過ぎ去ったのだろうか。長い長い沈黙を破ったのは言葉でなく、鼻をすする音だった。

「これは私の我儘です。無理なら断ってください…お願いします」

物思いに耽る竜に、少女は今にも泣きそうな顔で声音で言葉を放った。

「わかった。だからそんな顔をするな」

反射的にそう返してしまった。自分でもどうして言葉が出たのかが理解できなかった。それから、とてもどうでも良くなってしまった。もう言ったことなのだ。

案外簡単に、螺旋に色々なものが絡まった複雑怪奇な思考の中の議論が終結を迎えた。片方の主張を淘汰したのだ。その淘汰された主張だったものはどこかに消えた。どこに消えたのか定かではないが、もうこの世には存在してないのだろう。名残惜しいと言ったら語弊がある。しかし、それに近い感情は抱いた。それを言葉で説明するとなると、困難を極めるだろう。

少女は服で涙を拭う。しかし、涙は止まらない。頬を伝う涙が次第に大粒になり、地面をぬらぬらと濡らす。

嗚咽混じりの声で何度もありがとう、時々ごめんなさいといった謝罪も聞こえてきた。

竜にはなぜ少女がこんなにも泣きじゃくっているのかわからなかった。竜はばつの悪そうに空を見上げた。

竜は少女に見送られ、花畑を発った。目的地へ向かう道々、一つぽつりと寂しそうに佇む小さな村があった。祭りだろうか。なかなかどうして活気づいてるのでそう思ってしまった。よく見れば、村人が何かを用意している。そこまで目視して、興味が失せた。


竜は花を探す。淡い紫色の花弁に黄色、黄緑の花序が目印の花。ほとんどの緑が失われた灰色と茶色の世界ではよく映えることだろう。

竜は森を探し回った。くまなく探した。時には空を飛んで探したりもした。しかし、お目当ての花はなかった。それどころか、花は一輪すらも咲いていなかった。予想通り、すべて枯れ果てていた。

竜は予想通りすぎる事実に戸惑う。

それから暫くして、竜は探すのを諦めた。もとよりわかりきっていたことなのだ。何らおかしいことはなく、当然の結果なのだ。

竜は無意味なことが嫌いだ。そこにないとわかっていて、ただがむしゃらに探すという行為を好ましく思わない。

竜は巨大な両翼を目一杯広げ、飛び立つ。少女の元へ帰るのだ。竜は疾く、もう森が見えなくなるほどに遠退いた。

ふと、地上の風景が目についた。あの活気づいていた村。それが今や森閑としている。

まだ半日も経っていないだろうに、随分と切り替えの早い村だ。

そう思いながら、視線を元に戻す。あと少しで少女に会える。

そんな事を考えながら、なんとはなしに花をせがんだ少女を思い返す。彼女はなぜあんなにも縋ったのか。たかだか花程度であれ程までに必死になって。そして、ありがとうと共に耳に入ったごめんなさい。あの謝罪はなにに対しての謝罪なのか。

理解を欠く。自分が人の子ならばわかるのだろうか。

答えは出ない。考えても考えても、どうしてか一つの場所にたどり着く。元より、そこが終着点かのように平然と存在する。複雑怪奇な、俗に言う一度足を踏み入れると出ることが不可能な迷宮ではない。直線だ。直線を何度も何度も執拗に曲げただけの、本質的には直線と何ら変わりない、児戯で作った、何を血迷ったのか分岐が数十、数百ある、しかもどれも一つの収束点につづいている迷路。そんな迷路と呼べるのかも怪しい稚拙なものに自分は囚われている。

答えは出ない。少し前にそう言った。だが、違った。答えは瞭然と鮮烈な輝きを放って存在するのだ。ただ自分は───

不意にノイズが走った。一瞬にして、ポリゴンの砂漠がすべてを埋め尽くす。耳障りな音が鼓膜を揺らす。不愉快な音はそう長くは続くことはなく、思考と同時に霧散した。

気分は最悪だった。早く少女の声を聴きたい。それがこの気分を良くする唯一の方法。竜はあと少しの道のりを過剰な速度で進む。

大樹が見え、花畑が見えた頃、妙な感じがした。それは些細なもののようで違う。

花畑へ降り立った。着地の風圧で揺れる花の絨毯の上で、竜は少女を呼ぶ。彼女ならこの違和感の正体を知っているはずだと、盲目的に思ったからだ。

しかし、少女は現れない。何度も何度も声を上げた。しかし、少女は現れない。次第に荒く、吠えるような声音になり、竜ははっと我に返る。

人の気配がしたのだ。樹から少し離れた場所の少女がいつも本を取り出していた場所から。竜は鬼のような形相でそちらへ向かう。花を踏み荒らす。無惨に荒らされた花々が、抉れた大地が、竜の通った道のりをはっきりと記している。

そこに着くと、妙な感じにようやく合点がいった。

目の前には、怯えた様子のない死人のような少女ではない人間が、かつて彼女が読んでいた本を抱えて、立っていた。その虚ろな眼は竜を見つめている。何かを待っているようだった。

竜は冷静だった。恐ろしいほど冷静だった。身じろぎすれば届く距離に構えられた、掠れば致命傷にもなりかねない爪を引っ込めた。それから重々しく問う。

少女はどこだ、と。

すると、思いの外高い声で、

「あの娘ならもういませんよ」

花の香りを纏った、寂しげな隙間風が吹き、目の前の人間の長い灰色の髪が揺れた。

それから間髪入れずに、独り言のように呟いた。

「死にましたよ。昨晩」

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