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森人は樹の下で笑う  作者:
桜下の墓森
18/20

18

月星が煌めく夜の荒野を白銀が疾走する。獣の赤い眼光が、光の筋となり闇に消えていく。

突然、白銀が何かに怯えたかのように立ち止まる。それによってようやくその正体を目視確認することができる。狼だ。それも、とても強靭な体躯の狼。

その背には二つの人影があった。そのどちらも、白狼と同じ方角を向いて、そこから発せられた怯えた原因を聞いていた。

「…猛々しいな」

素直な感想が口から零れ落ちる。その声音からは若干の恐怖が含まれていた。

「あの方がこんなにも怒り狂っているのは初めて見ました」

と、同じように言葉を零した。まるではじめから知っていたような言い草だった。

「あいつの正体があれって知ってたのか?」

「知ってたもなにも初めて出会った時の姿があれでしたからね…」

それから荒涼とした森を目の当たりにしたような表情を浮かべ、口を噤んだ。これ以上話す気はない。そういうことだろう。自ら地雷源に突っ込むほど阿呆者ではない。同じように口を噤んだ。

気まずい空気の中、怯みから立ち直った狼が助け舟を出してくれた。

気色が目まぐるしく変わることはない。視地平線から上部を埋め尽くしている夜空、それを彩る星の数、大きさ、光度が変わる程度。何も変わらないと言っても差し支えはないだろう。

白狼が永遠にも思える暗い大地を踏破する。目的地が辛うじて見えるまで、そう時間はかからなかった。

「とても騒がしいですね」

彼女は耳を塞ぎ、不機嫌な顔をする。騒がしい。あの国の首都に住む人々はとても疲弊している。騒がしいと感じるはずはない。恐らくそう感じたのは、人々の断末魔や悲鳴のせいであろう。そう考えれば機嫌が優れないのも頷ける。

そこを凝視する。一部が倒壊した壁の向こう側から、天に向かって黒煙が昇っている。そこで起こっているであろう惨状が、いとも容易く想像できた。それは吐き気を催すようなものであって、図らずとも苦虫を噛み潰したような顔になる。

この想像はやめにしよう。そう思った矢先だった。

また咆哮が夜空を引き裂いた。

いつ聞いても咆哮が寂しい寂しい会いたい会いたいと、駄々をこねる子供の叫び声にしか聞こえない。

「あいつとあの娘の関係ってどんなものなんだ?」

ダメ元で聞いてみた。自分は付き合いが長い方だと自負しているが、後ろにはもっと関係が長い人がいる。

「さぁ、それは私が知りたいくらいですよ。ですが…あの娘が来てからあの方はとても頻繁に懐かしむような顔をします。少なくともプラスの関係性ではあるはずです」

彼女も詳しいことを知らないそうだ。しかし、彼にとってあの娘が特別であることはわかる。そうでなければ、格好いいあいつがあんなにも格好悪くなくはずがない。

そんな考えを張り巡らしていると、体が一瞬浮遊感を感じた後、重力に従って元の状態に戻る。巡らされた思考の糸が途切れ、現実に帰還する。

徐行しているうちに周囲の確認に勤しむ。

目についたのは、瓦礫の小山と黒煙上がる倒壊した家屋、四散し至るところにこびりついた肉塊とそれの血潮、深く抉られた大地。それからそのすべての元凶である黒い竜。

それは、のそりのそりと亀のような足取りで城に向かって歩いている。

白狼の横腹を軽く蹴り上げた。こちらを一瞥し、唸った。足早く一歩、二歩とを進み、大きく石の地面を蹴った。風を切り、竜の横を抜け城へ逸速く向かう。

現在は廃れていてももとは繁栄を極めた王国。その王城の膝下である王都は一つ一つのスケールというものが違う。その最たる例がこの大通り。とても幅広く長い。だからこそ、巨大な竜が未だ王城に辿り着いていない。

そのお陰で幾分か猶予ができた。

「なるべく人の気配が少ないところに頼む」

狼は主の意を受け、若干進路を曲げて塀を軽々跳び越えた。

侵入した先は、暗月が怪しく照らしている一面芝生に覆われた場所だった。周囲から人の気配を感じることはできない。

二人は背から降りる。

「あの娘の気配は?」

問いかけた先の彼女の表情は芳しくない。

「感じられませんね」

「だろうな…」

あの娘の気配どころか、ここ一帯人の気配すら感じられない。異常なことだった。城であるならば、それも国家の異常事態であれば忙しなく人が城内を走り回っているはずだ。いくら人気の少ない場所と指定したとしてもだ。だから今この状況はとても気味が悪い。

「ですが、人がいないのであれば好都合です。行きましょう」

と言い、照明一つ灯されていない城の中を慎重に進む。その背中に続く。

洞窟の中のような静かで暗い、生気がまるで感じられない廊下。唯一の光は月光のみ。それは微かに差し込んだ幽けき光。足元を照らすにはやや心許ない。

静黙とした空間に足音が響き、それから外に消えていく。どうやらこの城には閑古鳥が鳴いているようだった。

あの子はどこにいるのだろうか。今この現状は、ここにいるかも知れないという大方の予測すら立てられていない。いくら砂漠の中から砂金を探すより容易だとしても、与えられた猶予──多くて十数分のうちに、この広い入り組んだ城の中から捜し出すというのは、同程度の困難さと言えるだろう。

宛もなく城内を彷徨っている背中を眺めて進んでいると突然歩みを止めた。それから振り返り、口元に人差し指を立てた。音を立てるな、静かにしろと言うことだろう。その命令に素直に従う。

五感を研ぎ澄ます。すると、どこかの扉から出て来たばかりの二つの気配を感じることができた。だが、その気配は異様だった。一つは健常人そのものであるが、もう一つはひどく衰弱していた。

突として、エルミィは走り出した。

「ま、待て!」

静止を振り切って闇に消えた。一直線に二つの気配に向かっている。下手をすれば、死に直結するような行動を怪訝に思いながら、その後を追う。

元々距離はそれほど離れていなく、追いつくのに数秒とかからなかった。

追いつき、突如彼女が走り出した理由を確認、理解し、反射的に身構え、警戒し、顔が強張る。

気配の一つは二人が探していた人物で、もう一つは探す原因となった人物で、その人物は一人では立つことができないほど衰弱し、今は二人の肩を借りてなんとか立てているという状態だった。

どうしてお前がここにいる。そんな言葉が喉からせり上がってくる。それを口に出す寸前、エルミィに遮れられた。

「時間がありません。早くここから出ましょう」

「…ああ」

内心舌打ちする。彼女の言う通り早くここからでなければならない。だから今ここでなぜその女を助けるのかを言及することができない。いくら親しい人物だとしても、たとえ理由があったのだとしても、一度はこちらに毒を盛ったのだ。それを助けるなどお人好しにもほどがある。

「チカゲ行きますよ」

呆けて突っ立っているチカゲに懐疑的な表情で声をかける。小さく息を吐き、肩をすくめた。

仕方ない。今は考えないようにしよう。

「ああ、今行く」

そんな時だった。嫌な音がした。なにか力を溜めているような音。聞き覚えなどない。しかし本能が最大級の警笛を鳴らしている。

走り出す。その途中にいる少女たちを掻っ攫う。全身が石のように重く感じた。少女たちの驚いた声が聞こえる。だが今はそれどころではない。一人一人が軽かろうと、それが三人ともなれば男一人を優に超える。それを担ぎ走るとなると、驚いた声に反応する余裕などない。

進んできた廊下を走り切り、狼の待つ芝生へ辿り着いた。なるべく丁寧にそれでも乱暴に背に下ろした。

背に飛び乗った。

「掴まっていろ!」

そう乱暴に言い放つ。全員が掴まったのを見届けてから腹を蹴り上げる。

体勢を低くし、脚に力をため、跳躍した。城壁を軽々飛び越え、静かに着地する。それから流れるように走り出す。なるべくそこから離れるように、逃げるように。

その数秒後、背後で爆音が轟いた。荘厳で強堅な城が重厚な音を立て、虚しく崩れ去っていく。

宵闇から大理石やらが降り注ぐ最中、黒光りする何かが視界にちらついたような気がした。

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