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森人は樹の下で笑う  作者:
桜下の墓森
16/20

16

見切り発車極まり文を変えることに


雪のように冷たい石畳の床の上で、長い睫毛が微動する。ゆっくりと瞳が開いた。勢い良く起き上がり、辺りを見渡す。

そこは何処かの地下。陽の当たらぬ、まるで神の監視から逃れる為に作られた場所だった。また、石畳の空間は監獄と連想できるやもしれない。

薄暗い。唯一の光はもはや風前の灯。数時間も持たないであろうその光を仄かに受け、一際存在感を示す、白々とチョークで床に描かれた六角形を囲む円。

見覚えしかないその場所。そこは意識を持って、初めて視界に入った場所であった。

そこだけ時が止まっている。そう言われても信じてしまいそうである。何も変わっていない。灯も魔法陣も床も壁も何もかも、目に見える全てのものが何も変化していない。

突然、光が差し込む。光源に視線を向ければ、隠し扉が重々しい音を立て、開かれる。その向こう側の人物の全貌を知るのに、そう時間はかからなかった。

「これはこれは、ご機嫌麗しゅう…人柱様」

眩い金品を全身に纏い、腰には何の意味があるのか、何の意味もない黄金の装飾を施した直剣を差した長身の男は、恭しく腰を折る。しかし、どこか嘲笑うような声音で、文言とまるで正反対な態度。

それを咎める者はいない。いや、いるにはいるが、今はそれどころではないのだ。

「…やめ、ろ」

訥々と絞り出した声の主は床に這い蹲る。首元に赤々と刻まれた、酸化した血の色を彷彿させる鎖浮かぶ女性。凛とした雰囲気は跡形もなく、消え去っている。度々訪れる激痛に顔を歪め、悶え、喘ぐ。

男はそれを無視し、こちらに着々と近づく。カツリカツリと革音が奏でられ、空間内で反響する。

逃げようとした。だが、足が竦む。四肢がピクリとも動かない。それは刷り込まれた恐怖という感情で。顔は強張り、肌に冷たい汗が一筋の線を描いて、伝う。自然と全身に力が入る。それに同調したのか、首にかかる割れ目の入った紅石が光を受ける。

ゴテゴテの宝石が装飾された、決して趣味がいいとは言えない指輪がはめられた男の賤しい手がロアの顎に触れる。

金属の温度。次いで人の体温が感じられる。だが、胸一杯の嫌悪感を覚えた。思いっ切りに振りほどく。

「あれまぁ、かなり嫌われちゃったようですね」

そう言いながらも、ケラケラと嗤う。残念がっているようには見えない。それもそのはずで、この男が求めているのは彼女の血統。彼女の中に流れる尊ぶべき血である。

正直、彼女のことなど、城下で飢える民草と同じぐらいどうでもいいのだ。

王国の血筋に賢王あり。それは世界の人々。そして、王国民達も耳にタコができるほど聞いた、周知の事実であった。だが、それも訂正せざるを得ない。

愚王。それならどれだけ良い事か。この男は違う。狂王だ。民をただの道具としてしか見ることができない、ただの狂った、哀れな男であるのだ。

そんな男は、ズボンの右ポケットから掌ほどの短刀を音も無く取り出す。鞘走らせると、刃が怪しく光を屈折させる。それは朧げに歪む。

次の瞬間、鮮血を散らす。白の魔法陣が局所的に赤く染まる。

「ッ?!」

反射的に前に出した右腕は、痛々しく切り裂かれる。ダラダラと滝のように血が流れ、床を真紅に染める。

薙いだ刀身は、鮮血で覆われ、それが彼女を斬ったのだと主張する。

走る激痛。亀の歩みで訪れる倦怠感。着時に進む時の中、魔法陣が眩く発光する。

次々と六角形、円、文字が光り、回りだす。

「そうです、そうです!これが見たかったのですよ!」

その気色を見て、狂王はカラスの鳴き声のような甲高い笑い声をあげる。それは何度も壁に反響し、煩いぐらい頭の中で鈍く響く。

ある者は痛みに悶え、ある者は湯悦に浸る中、独りでに砂漠の砂のような細やかな粒子となりて、パラパラと砕け、雪の如くのらりくらりと揺蕩い、地に落ちる。その粒子は紅を帯びていて、紅石の成れの果てであるとわかる。

少しずつ質量を減らす宝石。ある一定の大きさになりて、閃き始めた。

そして、何かの咆哮。魔法陣の発光は消え、それと同時に小さくなった石が膨張し、遂には爆発する。それは全て数秒の出来事であった。

「な、何だ!?」

その驚きの声は虚しく空を切る。誰もわからない。しかし、ロアの頭には確信に近い予測が過ぎった。

狂王は光差す扉の元へ駆け寄り、光に姿を消した。

彼が助けに来た。先の咆哮から、彼の声が聞こえたような気がした。

囚われの姫を王子が助ける。絵巻物でありそうな在り来たりな物語。その主人公の一人に自分がなるとは思いもしなかった。

姫が私で、王子が彼。二人は互いに思い合い、すれ違う。そして最後は幸せな結末を迎える。

痛む腕を庇い、気にしながら、天を仰ぐことのできない天井を仰いだ。

また、怒気の篭った咆哮が世界を震わせた。ロアの耳に届いた聲は、返せ返せと、大切なものを取り返そうとする子供のように聴こえた。

「…レンオアム」

誰かの名を紡いだ澄んだ声は、雄叫びと重なり、掻き消された。

まるでその名ではないと言わんばかりの哮けりが、心の奥底で響いた。




礫塊に変わる。まるで藁の家の如く、木の家の如く軽々と粉砕される。曾て、堅牢と謳われた城壁は虚構に消えた。あとに残る密接に積まれていた石は山のように積もり、面影はもうない。

関所に詰めていた屈強な兵士たちは皆総じて、瓦礫の雨に巻き込まれてあっさり命を落とした。

人々の絶叫。腹の底から絞り出した声。それは人から人へ白波のように広がる。

逃げ惑う。鳥が空を飛ぶように人は地を歩く。烏合の濁流は三方五方に逃げ惑う。誰も彼もが破壊された城壁から遠ざかる。

そこには何がいるのか。答えは簡単だった。竜だ。御伽草子の中でしか存在しなかったはずの伝説の生き物が今、ここにその強大な体躯を震わせ、強大な翼をはためかせながら、ゆっくりと歩みを進めている。

ある者は呆然と立ち尽くしこう言った。

「災厄だ」

と。

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