14
数日前の大雨がまるでなかったかのような、皮肉るような青々とした天晴な大空。泥濘んだ地面が微かにその面影を香わせる。
日差しがギラギラと照りつけ、白光がベールのように揺蕩う。
各所に散らばる、露濡れた鎧がそれを反射する。旗が爽やかなそよ風に靡く。
生気満ち溢れる風は、不釣り合いなその場所にもかかわらず、変わらず吹きつける。
ほんの数週間前まで戦場であった場所は、今では戦場荒らしが跋扈する地に変貌を遂げた。やはり人の欲望は計り知れない。
盛りのついた犬が如く、鎧、刀剣を必死に抱えるそれを見て再確認する。
戦場を一人、静かに下見する。ゆっくりゆっくり見回り、歩く。
戦場荒らし等がその姿を確認し、尻もちをつく。ある者は間抜けな声を上げて驚く。
黒いローブを纏い、目深くフードを被る。戦場を彷徨い歩く人影は、彼らの水晶にどのように映るのだろうか。
さしずめ、死を運ぶ象徴とされる死神…。或いはこの世に未練を残し残霊する亡霊か…。しかし戦場荒らしに確認する術はない。
しかしながら、双方のものと感じれない纏う独特の雰囲気。それが彼らの思考に水を差す。
正体をつかむことができない彼らは、一頻り見つめたあと、飽いた獣のように自らの獲物を貪り始める。
先程から、鬱陶しく思っていた羽虫の如く集る視線が不意に途切れたのを感じた。喜ばしい報せだった。
誰の目も気にせず、悠々自適に歩を進める。そんな時だった。微かな違和感で足を止める。
「……」
ほんの僅かな魔力の残滓。それは眼下の土から発せられている。その場にしゃがみ込み、親指と人差し指で摘み、指の腹で転がす。パラパラと砂の粒となって地面に落ちる。
土が死んでいる。
あるべきはずの魔力が根こそぎ奪われている。
そんなことが自然で起こるわけはなく、人為的に誰かが行った。
この戦場で何が行われていたかを推測し、少し考えて理解に達した。それは酷く賤しく、凄惨な行為。人命、生命を踏み躙る行為。
同時に嫌な予感がした。
この推測が正しければ…。
深緑の森を見た。
恐らく…推測通りなら、必ず彼処に現れるはずだ。
願わくば推測が外れてただの杞憂であってほしい。だがそれは願えそうになかった。何せ、懐に入れた石が欠け始めているのだから。
驚く暇も、焦る暇もなかった。素早く立ち上がり、突風が如く疾走する。
間に合ってくれ。
そう心の中で強く願いながら、あの娘のもとへ急いだ。
手に握る紅のペンダント。こちらを不思議そうに見つめ、首を傾げる彼女の首元に手を伸ばす。
きめ細やかな肌が触れる。彼女はくすぐったそうに身じろぎする。銀の髪が揺れる。発せられた芳しい香りが眼下を揺蕩う。
もっと近づいていたかったが、仕方なく首元から手を離し一歩後ろに下がる。やはり似合っている。近くでも分からされたのに、一歩後ろに下がれば、一瞬で一枚の絵画が出来上がっていた。
銀の髪と紅石が実に見栄えが良く、時折覗く純白がまた素晴らしく映える。その容姿と相まって、天使が創り出したと言われても納得してしまうだろう。
何度か忘れた。また彼女に見惚れてしまう。
「このペンダントは?」
彼女は宝石の部分を持ちながら問いかけてくる。紅石が光を帯び、輝きを四方八方に乱反射させている。
「アトリエにあった物だよ。暫くここを離れるから御守として渡しておこうと思ってね」
彼女は納得したのだろうか。頷いたように見えた。次いで、疑問があるのだろう。恐る恐る開口する。
「どのくらいで帰ってきますか?」
「すぐに帰ってくる予定だけどもしもを考えて二日ぐらいかな」
「そうですか…」
と言うと、彼女は不安そうな顔をする。もしも。その言葉に強く反応したのだろう。
言葉選びは慎重にしなければ、と反省する。
「大丈夫…。君には私がついているから」
自分でも引くぐらいキザな言葉を、小さく呟いた。強張っていた彼女の顔は、ほんの少し弛緩していた。真似たのか。同じく、小さく「はい」と呟いてきた。
そのやり取りの数分後に、家を後にした。
真新しい木製の椅子に座り、ただ意味もなく窓の外を眺めていた。亀の足どりのようにゆっくりと時が進む。
体を微動させると、首にかかる紅石のペンダントも同じく微動する。
視線は贈られた紅石に変わる。
彼はこれを御守と言っていた。へにゃ〜と頬をだらけさせ、上気させる。
余韻に浸っていると、寒気を感じ体がぶるっと震えた。だらけきっていた頬は元に戻る。
風邪なのだろうか。だが肝心の熱っぽさは微塵もない。あったとすればさっきだが、あれば熱ではない。
原因不明の寒気は何かを警告しているのだろうか。それか何かは分からないが、事実としてそれは絶え間なく続く。
少し横になろう。そう思いベッドに横たわる。
不意に、来客を知らせる甲高い金属音が響いた。その音で大きく胸が跳ねた。
最大級の警笛が頭に響き渡る。危険。何がそれを指しているのかわからない。だけど、ただひたすらに恐ろしい。
震える身を白い布団で覆い隠す。両手で包み込んだ紅石を握りしめる。御守の効果なのだろうか。そうすると少しだけ恐怖が和らぐ。
そして、いつの間にか彼が心の拠り所になってしまっていることを再確認する。
突然扉が開かれた。ほんの一瞬だけ彼かと期待してしまう。だが、彼ではない。彼ならば必ずノックをする。しかしそれは行われなかった。よって別人。
扉から現れたのは、魔性の雰囲気を漂わせる高身長の美しい女性。女性は何をするかと思えば、入り口で雅に恭しく一礼する。
「お迎えに上がりました」
凛と澄んだ聞き慣れぬ女性の声音。その声の主はゆっくりとロアに近づいている。軽快な革音が部屋に木霊する。
ロアは近づく音に戦々恐々と身を縮める。石をより強く握りしめた。あれ程煩かった警笛はひっそりと鳴りを潜める。
足音が止まる。何かがくる。そう思い身を強張らせる。
「卑しい私めが、高貴なる貴方様に触れることをどうかお赦し下さい」
布団が捲られたと思えば、噎せ返るほど甘ったるい匂いが鼻腔を強く刺激する。直後、全身を襲う痺れ。
慌てて手で鼻を覆うとするが時既に遅し。全身に毒がまわり動きを封殺される。
「安心して下さい…。私が命に変えてもお守りしますから…」
静かに紡がれた。消え行く視界の中、やけに目がつく首元の血を彷彿とさせる赤黒い鎖のペイント。それからは禍々しい何かを感じた。
ぷつりと糸が途切れた人形のように、瞼が閉じられた。女性は眠るロアを横抱きに抱える。
赤黒い鎖が脈動する。美しく整った顔を、苦痛に歪み、悔恨の色が浮かぶ。
口から赤い雫が落ちる。
次の瞬間、ロアを伴って姿を消した。