お向かいさんと憂鬱①
「始めっ!」
陽気でふわふわしていた天気も、少しずつ肌にまとわりつくようになってきた今日。
俺の勤める西郷高校では、1学期中間テストが行われていた。
正直なところ、ここから3日間は暇だ。
授業は無いし、試験監督として本を読みながら椅子に座っているだけ。
テストが終わった次の日からは怒涛の丸つけウィークが待っていることを思うとただただ気が滅入るばかりだ。
と、先輩の先生が言っていた。
俺はまだ今年赴任したばかりだから、まだそれを味わってはいない。所謂新米教師だ。
教師になってから気付くことはたくさんあった。
教壇からは実は後ろの生徒まで見えること。
寝てる生徒は結構目立つこと。
授業を真剣に聞いてもらえるのは嬉しいこと。
あと、驚いたのは、職員室ではちょうどさっきまでの教室みたいに、みんな和気藹々と楽しくやってること。
職員室の中にもやっぱりムードメーカーみたいな人がいて、お調子者タイプの人もいて、それを咎める人もいて、穏やかにお茶を啜ってる人もいて。
俺は結構、今の生活を楽しんでいる。
1つ、困っていることといえば
「滝野せーんせっ、これミハルちゃんにどーぞ笑」
「滝野〜、奥さん元気か〜?」
「トシユキくん、仲良くやってるようで良かったわ〜♡」
これだ
「先生!やめてください、違うってずっと昔から言ってるじゃないですか!」
「いやー、滝野が穏やかになったと思ったら実は向かいの嬢ちゃんに惚れてた、ってな!」
「驚いたわ〜、最初はどうかとも思ったけどトシユキくん根は真面目だったから気付いたら応援しちゃってたわ♪」
運が良いのか悪いのか。
教師1年目の赴任先は俺の母校ーーー4年前まで俺が生徒としていた学校だった。
そのため、ハルのことを知って・・・いやいや、誤解している先生たちもちらほら。
そして最も厄介なのが、
「タッキー幼女に手ぇ出してんの!?」
「出してねぇよその言い方やめろ!!」
俺と同じく今年から教師になった、まぁ、いわば俺の同期である鎌ヶ谷 蓮太だ。
なんというか、典型的なお調子者タイプで、事あるごとに絡んでくる。
今だってほら、新しいオモチャを買い与えられた子供みたいに目をキラキラ、もはやギラギラさせて話に食いついてきた。
「なに、ねぇ、幼女に手ェ出してんの?幼女に手ェ出してんの?笑」
「出してねぇよ、あいつは妹みたいなもんだから!」
「きゃーーーっ、兄妹の禁断の恋!笑」
コメカミがぴくぴくしてるのが自分でもわかる。
「まぁまぁ、鎌ヶ谷先生もその辺にして。そろそろ下校時刻ですから戸締りしにいきましょ」
「はーい」
「はい・・・」
「トシユキ」
「あぁ、ハル、ただいま」
「抱っこしろ」
「はいはい」
小柄なハルをひょいっと抱え上げると、そのままキッチンへ向かった。
「あらトシユキ、おかえりなさい」
「ただいま。ご飯なに?」
「今日はハンバーグよ〜」
「ハンバーグ!」
俺の腕の上にいるハルのアホ毛がピコンッと跳ねた。
ハルは嬉しいことがあると綺麗な黒髪から少しだけ飛び出たアホ毛が揺れる。
ハル本体よりもアホ毛のほうがよっぽど素直で可愛らしい。
「ハル、手洗うから下りて」
そう言っても下りる気配はなく、より一層首にしがみついてくる。
「ハル?」
そうもう一度問いかけても首をふるふる振るばかりで下りようとはしない。
これはもうしばらく離れないな。
ふぅ、とため息をつき、背中をぽんぽんとしてやりながらリビングへ向かった。
ハルは時々、途端に甘えん坊になる。
普段は気丈な態度で、凡そ子供とは思えない一面を見せてくるが、やはり中身は甘えたい盛りなのだろうか。(そんな時のハルは正直ものすごく可愛い)
そして、そういう時は必ずいつも、理由がある。
ある時は友達と喧嘩した時(主にハルが言い負かす)だったり、ある時は何かに失敗した時 (ほとんどしない)だったり、ある時はーーー
とにかく、"なにかしら"があるのだ。
そういう時、ハルは聞いても絶対に話さない。
話したくなったらポツポツと話し始める。
だから話したくなるまで、こうして背中をぽんぽんするのが常なのだが
(今回はやけに長いな・・・)
結局、ご飯を食べ終わっても、お風呂に入り終わっても、その後帰るまで、ずっとハルは俺にくっ付いていた。
原因はわからないが、今は致し方ない。
「さて、俺も文化祭資料だけ目通して寝よう」
そうして俺はその日を終えた。
「タッキー、誰が一番可愛いと思うー?」
「鎌ヶ谷先生、仕事してください」
「手は動かしてるもーん」
「中学生じゃないんだから・・・」
放課後、西郷高校の生徒たちは3日後に控えた文化祭準備に追われ、慌ただしく校内を駆けていた。
そんな生徒たちに捕まった若い新米教師2名もまた、廊下の片隅で作業を手伝わされていた。
「俺的にはね〜、やっぱ桜井さんかなぁ」
「・・・はぁ、教師がそんなんじゃ生徒に顔向けできませんよ」
「だって、可愛いもんは可愛いじゃん?」
「夕方のニュースに出るのだけは勘弁ですよ。俺『そんなことする人じゃなかったんです』なんて言えないからな」
「タッキーこそ出ないでね。【幼女に手を出した23歳!】なんつって☆」
「出ねぇよ!!」
「タッキー!クマぽん!終わったー?」
そんな2人の元に、3人の女子生徒が駆け寄ってくる。
「あぁ、もう少し。ていうかタッキーじゃなくて滝野先生、でしょ?」
「んなお堅いこと言っちゃって〜!どうせ家では幼女にダーリンなんて呼ばれ「てねーし次その話題出したらぶっ殺す(小声)」
こんな話題、悪魔の化身のような女子高生という生き物に与えてしまったら、それが真実であれ偽りであれ、格好の餌食だ。
まぁ、その点では鎌ケ谷もまだまだ若いということか。
「え?なになに?笑」
「なんでもないよ。ほら、出来たからこれ持ってって」
「は〜い」
3人はトシユキから色の塗り終わった板を受け取ると、パタパタとクラスに入って行った。
「はぁ〜、こんなんじゃ高校生だった時とやってることが変わりませんなぁ」
「でしょうね。鎌ヶ谷先生、高校の時からこういう作業していなかったでしょう」
「バレた?笑」
「隠す気ないくせに・・・ほらまた、手が止まってますよ」
動きのない鎌ヶ谷を咎めそちらを見ると、鎌ヶ谷はトシユキをじっと見ていた。
「・・・なんですか」
「いや、タッキーこそ意外だなぁって」
「は?」
「タッキー高校ん時、こういうの真面目にやる生徒だった?」
「・・・どうでしょうね、そんな昔のこともう覚えてません」
「昔じゃないよね!?四年前だよ!いやー、タッキーボケちゃいましたかー笑」
こりゃまいった☆などと抜かす鎌ヶ谷をスルーして腕時計に目をやると、すでに7時を回っていた。
「俺そろそろ帰ります」
「えー、まだ終わってなーい」
「俺の分はやったつもりですよ、鎌ヶ谷せんせ。じゃああとよろしくお願いします」
「タッキ〜」
「あの話、本当なのかな。だとしたら、あんまし想像つかないな〜・・・」
後腐れもなくその場から立ち去るトシユキのことを見ながら、鎌ケ谷はポツリと言葉を落とした。