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本文 きゅう

 

 當此之日一切聖衆或在山間禪定或得四道果…


 さて、当の七月十五日。


 ちなみに陰暦の毎月十五日、つまり満月の翌日は「盂蘭盆ウラーバナ(うらぼん)」と呼ばれまして、当時の仏教徒にとっては「懺悔する日」でした。


 仏教には、在家信者にも五戒とか八戒とか十善戒とかありますけれど、出家修行者には本来、摩訶まか僧伽そうぎ律とか四分しぶ律とか波羅提目叉(はらだいもくしゃ)とか呼ばれる二百五十項目もの戒律があったのです。

 正午を過ぎたら次の朝まで何も食べちゃダメとか、好意でもらったもの以外は持ち主のないものでも使っちゃダメとか、金銭に触っちゃダメとか、他人の家に入るときは帽子を脱がなきゃダメとか、隣にいる人のわき腹をくすぐっちゃダメ(?)とか、まあいろんなルールが。

 ですが……細かいルールを完璧に守れる人は少なく、普通の人ははウッカリ破ってしまいがちです。

 そこで。当時の仏教徒は、盂蘭盆の日に二人以上が集まって、破ってしまったルールについてお互いに告白し合って反省するという習慣がありました。

 特に出家修行者にはほとんど義務的に。


 ですので、普段はブッダの教えのとおり「サイのツノのように一人で」厳しい修行をしていた修行僧たちも、満月の翌日には他の僧侶たちと集まってました。これが盂蘭盆会(うらぼんえ)です。


 この年の七月十五日、モッガラーナは集められるだけの修行僧を集め、大規模な盂蘭盆会を開催しました。


 集まってきたのは、山中で禅定修行してた修行僧たち。

 四道果、つまり四つの段階(四諦したい)のそれぞれどれかの悟りを開いた修行僧たち。

 樹木の下で、経行きんひんという歩行瞑想の修行をしていた修行僧たち。

 六神通、つまり悟りによって得られる六つの神通力を身に着けた僧侶たち。

 声聞しょうもん、つまりブッダの教えを直接に受けて悟りを開いた直弟子たち。

 縁覚えんがく、つまり誰にも教わらずに自力で悟りを開いちゃった修行者たち。

 菩薩ぼさつ、つまり生まれ変わり死に変わりしながら善行や苦行をして人々を苦しみから救おうとし続けている修行者たち。

 権現ごんげん、つまり神仏が人間や魔物の姿に化身し現れ善行をしている修行者たち。

 比丘びく、つまりふつーの出家僧たち。


 こうした人々が一堂に会しまして。モッガラーナの用意したご飯をそれぞれの鉢に受けまして……この時代の出家僧は食事するときの食器を鉢ひとつしか使うことが許されません。だから「ご馳走」と言ってもわれわれがイメージするような豪華絢爛ではありませんでした。普段の、断食寸前みたいな必要最小限の食事から見ればちょっと豪華かも、というレベルです。

 さて、ご飯が行き渡りますと、銅鑼ドラの音を合図に、戒律を守って徳を高めている僧侶たちが一斉に食べ始めました。


 食べ終わりますと、ブッダはがみなにこう言いました。


「この食事によって僧侶たちは元気をつけ、修行を続けることができる。そのうちの何人かは悟りを開き、あるいは開けなくとも善行をして、この好意の波は外へ外へと広がって行くんだ。

「聖人を志してる人たちに食事を『布施ふせ(見返りを求めず与えること)』したという善行が巡り巡って、父母、そして時を越えて七代前までの先祖みんなへと届くヨ。それは過去にも届き、彼らは過去の世で、無理なく自然に必要な衣食の得られるような状態になっていたんだ。こういう効果は、死んだ後にも、生まれ変わった後にも続くんだヨ。


「もし、父母に百歳まで楽しく人生を送ってほしいと思うんなら。

「あるいは、父母に七回続けて天界の神様に生まれ変わってほしいと思うんなら。

「人の姿を取らず光の塊としか認識されないほど徳の高い天界(大自在天や梵天)に生まれ変わってほしいと思うんなら。

「ブッダや僧侶たちの神通力によってあらゆる願いを叶えてほしいと思うなら。

「七代前の先祖たちまで供養したいと思うんなら。


「まず禅定(瞑想)をして、その後で食べるんだ。

「仏塔(卒塔婆)に食べ物を備えて、大勢の修行僧にも食べ物を出して、それから自分が食べるといいヨ」


 そう聞いて、モッガラーナと比丘たち、そしてここにいた修行者たちは大喜びしました。

 モッガラーナももう泣き止んでいました。


 モッガラーナのお母さんは本当なら1劫、つまり……「タテヨコ7000メートルの石の塊を百年に一回、羽のような軽い布で撫でて完全に磨耗するまで」という長い年月、餓鬼として苦しまなきゃいけなかったのだけど、この供養が巡り巡って届きましたようで。その日一日を最後に、餓鬼道という苦しい運命から脱出することができたのでした。


 そこでモッガラーナはふと気がついて、ブッダに尋ねました。


「私を生んでくれた父母は、仏・法・僧の三宝の功徳の力を、大勢の僧侶たちによる神をも感じさせるほどの力の故に受けることができました。しかし、後世の未来においても、すべての仏教徒が、父母に孝行しようとしてこのような盂蘭盆会を行うことで、もしも自分の父母や七代前の先祖までが苦しんでいたとしても救うことが可能なのでしょうか?」


「おお~、いい質問だ! 実は私もその話をしたいと思ってたとこなんだよ、いいタイミングで尋ねてくれた!」

 ブッダは会衆に言った。

「もし、善人のみなさん、比丘、比丘尼(女性の僧)、国王、王子、大臣、宰相、高官、官僚、庶民、そのほか誰だろうと、今生きてる父母や亡くなった七代前のご先祖までに孝行したいという心があるのなら。

「七月十五日のブッダにとって喜ばしい日、僧侶たちにとって(久々にみんなと会えて)嬉しい日、つまり盂蘭盆の日に、さまざまな飲食を以って修行者たちを歓待するといいヨ。

「これは……生きてる父母たちが、病気などに苦しむことなく百歳まで生きて、七代前の先祖までが餓鬼になったりして苦しむことなく、天界で神様の一人に生まれて楽しく過ごせるよう、請い願うことになるんだ。


「善男子・善女人のみなさん、仏教徒で孝心のある人は、父母や七代前までのご先祖に供養することを常に憶えておいて、毎年七月十五日に、父母や七代前までのご先祖に孝行するために盂蘭盆会を行って、悟りを開いたブッダたち(普通名詞)や悟るために修行している人たち(菩薩や僧侶など)に施しをするといいヨ。もし仏教徒のみなさんがこの修行法を行うなら、自分の徳を高めるだけでなく、父母が自分を生んで育ててくれた恩に報いることにもなるからネ」


 モッガラーナや比丘たち、その場にいた弟子たちみんなは、ブッダの説明を聞いてみんな大変に喜び、以降、この教えに従ったのでした。



 佛説盂蘭盆經、お・し・ま・い☆

 


 

あとがき


 現在のお盆行事で先祖供養と施餓鬼が行われるのは、こんな理由があったのですねぇ~。

 ちなみに、元母さんが救われたと知ったモッガラーナが喜びすぎてつい踊り出してしまったのが盆踊りの始まり……ってことですが、ホンマか?

 (ソース:『聖☆おにいさん』)


 まあいずれにせよ……

 こんなことがあったという話の書かれているお経を信じるか信じないか、それは自由です。(汗;

 


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