3-2
「あぁ~その話、第三王子が話してたんですか! なら、あたしが知らなくても納得かなぁ」
「そう、なんですか?」
「えぇ。だって、ノウレッジに留学行って学んできた訳でしょ? 付け焼刃のあたしとかじゃ比べものにならないかなって。一応基礎は教えて貰ったんですけど、それ以上はサッパリ。相性の良い土属性しか使えないですし、あたし」
彩乃に、改めてジンの事も含め聞いたところ、返ってきたのはそんな反応だった。魔法という一点でジンへの信頼は厚いらしい。あくまでこの国では、と言った所ではあるが。
「あ、でも第二王子が言ってることは話半分で良いと思いますよ」
「なんでです?」
「なんでって……話してて気付きませんでした? 第二王子ってブラコンなんですよ、第三王子に対しては特に! 一度自慢し始めると止まらないっていうか……。魔法もなんですけどねぇ、そこまで珍しいって程じゃないですし。全属性使えるとか」
そう言えば、魔法の事について色々と凄いと言っていた。人柄に関しても思いやりがあるなどは言っていたが、とりわけ魔法に関する事が多かった気がする。
「確かに第三王子が魔法に秀でてるのは分かりますし、この国一番ってのは認めますけど。でも、世界的に見たらそうでもないって思います。精々秀でた魔術師レベルですねぇ。他国で名前が出るほどではないですよ」
「良く知ってるんですね?」
「そこそこですよ、こんなの。というか、ノウレッジのレベル見ちゃうとって感じです。あそこ、学術国家って言われる程学ぶことに貧欲ですからねぇ」
言いながらもカチャカチャと並べていたカップを片付けていく。食後の後に呑む紅茶も、城の中では見慣れた色が多い。これでも、魔素というものが宿っていないからなのだろうと勝手に解釈する。
この世界特有の要素なのだから、余分な事を知る必要はない。
「っていうか、いつ第三王子に会ったんですか? 大丈夫でした?」
「……大丈夫って、心配されるぐらいの人なんですか?」
「あー……会ったなら分かると思うんですけど、あたし、あの王子の言動嫌いなんですよねぇ。いかにも絵に描いたチャラ男ってのが本当……。まぁ、旦那以外の男に触られるのが嫌なんですけどね! というか、私は第二・三王子両方好きじゃないんですけどねぇ。顔同じっていうのもあるんですけど、どっちも胡散臭くて。第二王子の方も、やったらキラキラしてる感じしません? やっぱりジミで堅実的なのが一番~……ってこれは、あたしの好みなんですけど!」
言われた言葉にパチパチと眼を瞬かせる。彩乃の意見は意外であったからだ。
美咲から見た彩乃は、可愛く明るい女性であった。少々言動、主に発言に幼さを感じさせるが、その中に強い意思を見せる。
そんな女性が好んだのだから、同じく容姿の良い地位も強さも兼ね備えた男性であると決めつけていた。
「意外ですか? まぁ、並ぶと言われるんですよね~……旦那を扱き下ろしたい連中に。こっちは好きになった男貶されて平気でいられる程大人じゃないっつーの! あ、すいません。ま、今度機会があれば紹介……て、帰るんでしたね……。それじゃ難しいなぁ」
「あ、気を遣わなくて大丈夫ですから。え、と……その……」
「はい?」
「その人は、自分の世界を捨てても後悔しないぐらい、魅力的だったんですよね?」
彩乃のことを聞いてから、ずっと気になっていたことだった。地球という今まで住んでいた世界を捨てて、この異世界で住んでいく。それにどれ程の勇気がいるのだろうか。
今までとこれからを測りにかけ、これからという想いを選んだのはどうしてなのだろうかと。
「あー……まぁ、あたしの場合地球ってものに未練がなかったってのが正しいです。親いないし、大切って言われるものも特になかったし。あ、愛着はありましたよ。なんであれ、今まで暮らしてた場所だった訳だし。でも、それ以上に大きい存在になっちゃったんですよねぇ、旦那が」
「怖く、ないですか? 言い方、悪いかもしれないですけど……旦那さんに捨てられちゃったら……」
「アハハハ! それされちゃったらお先真っ暗どころじゃないですね! ……確かに、恐いですよ。そんなもしも考えたら。でも、好きになっちゃったんですよねー、この先の人生あげても良いくらいには。でも、あたし、旦那の事、分かってるつもりです。いや、分かろうとしてる、のかな? だから、騙そうとかそういう気ないのは分かってます。まぁ、もしもの時はノウレッジに行きますけど」
「そう」
短い相槌を打つ。……それ以上、何も言えなかった。羨ましいと思った。とても、とても。彩乃はその恋を愛に変え、抱き続けているのだろう。
旦那を疑ってしまってもそれ以上に信じていられる。それでも、いざとなったらなんて先を見据えても居る。そんな生き方が眩しい。
いいな、と思う。そして何より羨ましい。自分には出来ないと分かっているから。
美咲は疑ってしまうだろう。信じようとしても、何か要因を見つけて。いつまでも、いつまでもいつまでも疑ってしまって、抱いた恋よりも疑う心が大きく育ってしまうのだろう。
だからこそ、相手を信じると言える彩乃が羨ましい。
「ね、美咲さん。何を迷ってるか分からないけどさ……良かったら、もう少しこっちに居たらどうです?」
「彩乃さん?」
「えーあー……、第三王子の言ってることが本当なら、こっちでの時間は気にしなくっていいって事だし! こっちから呼ぶことは出来ても、自由に行き来出来るわけじゃないし……どうせならって思ったんだけど」
一理ある、というよりは一考すべきだろう。何より、もう少し見ていたいと思っている自分が居る。
異世界なんて何度も来れるものではないのだ、ジンの言っていることの信憑性が増したら選択してみるのも手だろう。
彩乃に気遣われている事は分かったから。
良い子だな、と思う。彩乃の振る舞いを見る限り大変そうではあるが、幸せであることも読みとれた。時々無自覚のノロケが入るが、延々とされている訳でもないのだから許容範囲だろう。
「少し、考えて見ます」
「うん! あ、決まったら教えて下さいね。良かったら一緒に色々食べに行きましょ! こっちも結構スウィーツとか豊富ですよ。食べ歩きとかいい感じで」
「そんなこと言われると、揺らいじゃいますよ」
「アハハ! んじゃ、返事待ってまぁす! おやすみなさぁい」
重ねたティーカップを台の上に乗せ、彼女は笑いながら部屋を出た。彩乃の明るさに気持ちが軽くなっていることを自覚する。
凄いな、と思う。今までの常識とは全く違った環境を選んだ動機も、それでやっていける信念も。
支えが恋人しかいないのに、あんなにも明るくやっていけるものなのだろうか。いや、はたまた、恋人だけではない支えが彩乃には存在するのかもしれない。
彩乃の気質ならば、友人が多く居ても可笑しくはないだろうから。
羨んでしまう。どうしても良いな、と思ってしまう。
恋など、長らくしていない。最後に恋らしきものをしたのは高校生の頃だっただろうか。それも片思いであった。そして、自覚した時には終わっていたのだ。
同じ部活の同級生で、少し気の抜けた男の子。その子が先輩に恋をして、応援して。くっ付いた後に自覚した。我ながら、間抜けにも程がある。
それでもまぁ、好きになった人が恋を叶えたのだから良いかと思ってしまったが。
馬鹿だなあと思う。でも、良かったなとも思う。恋なんてそんなものだ。誰かの恋が叶ったなら、誰かの恋は叶わない。
変わらぬ愛情を信じたいし、破局して終わる恋に残念だなと感じる。叶ったのなら、幸せであってほしい。
夢物語であることも知っていた。それが自分にどうしようもなく似合わない事も。けれど、願ってしまう望んでしまう。一度も恋を叶えたことがないから、こうであって欲しいなと思ってしまうのだ。
愛してる恋してる。そんな感情はすばらしいと思うから。
けれど、自分には程遠い。憧れているけれど、信じきることが出来ない。
人一倍、恋に憧れている。恋をしたいな、叶えたいなと思う。けれど、自身がないのだ。
好きになって貰える自信が、美咲には存在しない。他人と比べて優れているものなど何もない。そんな自分が何故好きになって貰えるのだろう。
容姿も中身も優れるものがないのなら、誇れるものなどないのなら、好きになって貰えるわけがない。
それは自暴自棄のようであって、自身の無さから現れる自己否定。自分という存在を他人に一度も好いて貰った事がないからこその主張であり考えであった。
美咲は、そこからいつまでも抜け出せない。だから、どこまでも疑おうとする。
そもそも自分から何かをしようとはしない女が、何かを得られるはずはないというのに。それでも受け身で居ようとするのは、傷付きたくないから。愛してしまうのが、怖いから。
また暗い思考に嵌っている、と溜息。観光の間ぐらい、そういったものを忘れれば良いのに、ふとした拍子に落ちて行ってしまう。どうしてこんなことを考えてしまうか、心当たりがない訳ではない。でもだからこそ、思考が輪のように繋がってしまう。
あぁ、嫌だと枕に顔を押し付けた。
こんな中でも、月が暗い部屋の中を照らしている。水色の月、この世界特有の水の魔素を纏う月、寒い気候をさらに冷たく思わせるような寒色の月。夜は真白である空も黒くなって、月の存在がより強調される。何より、今日の月は輪郭もはっきりしていた。闇と自身の境目を照らしだすように。
こつん。
バルコニーの窓を叩くそんな音が聞こえ目を開く。そんな事をする相手など、一人しかいない。顔を上げれば、予想通りの人物がバルコニーからこちらを覗き込んでいた。
月を背にしつつ、こちらを覗き込む彼。
照らされる色にどこか背徳感を思わせたのはこの構図からだろうか。まるで、人知れず逢瀬を続けているような、なんて、物語の読みすぎであろうか。そんな幻覚を見せるくらいには、現実離れしているなと内心笑った。
彼に乞われることなど、ありはしないのに。
目が合えばよりいっそう微笑まれる。整った容姿というのは卑怯だ、このまま眺めていたい気分になる。
しかし、そういう訳にもいかない。大人しく窓の鍵を開けた。彼とは話さなければならないことがあったのから。
「こんばんは。昼間は残念だったよ、ミサキの美しい姿を昼の天の下で見ていられると思ったのに。……でも、夜の水月の方がミサキの魅力は増すかもね。ほら髪が水月に溶けて行きそうだよ」
こんばんは、というのと同時に手にキスを贈られ、続けて褒め言葉に続けるジン。褒めるのと同じくその箇所にも触れていくのだ。
距離を取ろうとしても既に遅く、思うがままに触れられている。兄であるユアンから注意があったのではないのだろうか、それとも聞いた上でこの行動をしているのか。どうも、後者のように思えてならない。
いや、彩乃の話しではユアンはジンに対してブラコン気味だと言っていた……そうなるとユアンの注意をジンが注意として聞いているかも怪しい。
「おべっかは良いってば」
「おべっか? 嘘じゃないよ、本当にそう思うから。ミサキを褒めて悪い事があるの?」
「……やめてって言ったじゃない」
「聞かないって言ったけど?」
帰ってきた言葉に息を漏らす。これは何を言われても聞かない気なのだろう。しかし、美咲としても出会った際一度は言わないと気が済まないのだ。でなければ自分だけがこんなに乱されているという事実を甘んじて受けなければいけない。
この火照る顔が男慣れしてない所為であったとしても、調子付かれるのは嫌だったから。言ったところで聞くはずもないな、とも思っているのだが。
「照れてるの? ミサキ、かわいいね。水月でも分かるくらい赤くなって……もっと俺に見せてよ?」
「聞きたい事があったの」
「なぁに?」
誤魔化すように遮れば、なんでもないように返して来るジン。
踊らされているな、と思う。恥ずかしいと思っている事も、困っている事も、そんな事をされればどうにかなってしまうそうだと思っている事も見透かされているのかもしれない。
けれど、これを確かめなければいけない。
「そんなに、とどまって欲しいの?」
声が震えないようにするのが精いっぱいだった。言ってしまってから、違う、魔法のことを聞きたかったのに、と後悔する。けれど、一度口に出してしまった言葉は変えられないから、答えを待った。
自分はどんな答えが欲しいんだろう? 自問したところで、彼の答えなど分かっているのに。
「そうだよ」
肯定以外が、返ってくるはずもない。
「なんでか、聞いてもいい?」
「俺がミサキと居たいから」
「本音は?」
「本音だよ?」
「……あなた以外の意志は?」
彼の言葉だけでは信用など出来ないのだ。
その優しい眼差しだけを信用するには、甘さが足らない。自惚れが足らない。夢に浸れるだけの幼さが自分にはない。中途半端に現実が見えている。いや、見えてはいるが見ようとしていない。出来れば見たくないと思っているが、見るしかない。
夢を語るには、自分は歳をくっている。大人、といえる年齢になってしまっているから。
「ミサキはそれだけじゃ納得してくれないんだ」
「えぇ。だって、あなたの態度を信じるなんてできない」
「ユアンなら信じてくれた?」
どうなのだろう。ユアンはジンと真逆と言って良い。美咲に対しちゃんと話をするし、何より気遣いして欲しくないと言ったことはしないでくれる。
男に慣れていないと言えば、距離を取るし、やも得ない時は申し訳なさそうに謝罪をしていた。
何よりジンとは違って自分だけを見てくれるのではないか、と期待させるような振る舞いだ。そんなユアンに熱心に口説かれでもしたら、熱を上げてしまうのではないだろうか。
……いや、それで頷ける訳がない。きっとユアンが自分をジンのように口説いても、いや、他の誰であっても疑わないことなんて出来ないのだろうと思う。
それが、花田美咲という人間なのだから。
「変わらないよ、きっと」
「……そう。それを聞いてちょっとだけ、安心しちゃった。だからね、白状しちゃう」
白状。そう言われて身構える。
どんな打算があったとしても、どんな酷い言葉が吐かれても良いように。
「打算はね、あるよ。この国のことをもっとしっかり知って、悪いところも良いところも知って、それで守護獣にあってほしい。一日二日の滞在でこの国の魅力が伝わるわけがないから。あぁいや、良いところだとは思ってもらえるだろう、良かったとは思っても会えるかもしれない。でもそれには厚みがないよね? そんな軽い感情で守護獣は納得するかな?」
「……今までの使者の人たちは?」
「十年前の人は残って、この国で暮らしてる。その前は帰ったんだって。記録によると一か月くらい居たみたい」
言われて、相槌を打つ。
前の人はこの国に残っている、その前の人は一か月居た。それにどれぐらいの期間が開いているのかは分からないが、明言しないということは恐らく十年が節目なのだろう。二十年前に一か月滞在した前例がいるのなら、自分も大丈夫ではないか。
「気になるのはミサキが居る期間の短さなんだ。守護獣はその場は納得しても、もっと短い期間で……例えば、五年後、一年後ぐらいには呼ばなくてはいけなくなるかもしれない。でもそんなに力を無駄遣いできるほど、この国の魔法使いは質が良くないんだ。俺が最高峰と呼ばれるくらいだから」
「実際凄いって聞いたけど……」
「言ってたの、ユアンじゃない? 当てにならないよ、ユアンは外を知らない。俺以上の魔術師を目にした事がないんだ。だから、俺が一番凄いと思ってる。確かにこの国では凄いかもしれないけど、この世界で凄い訳じゃない。良いとこ、優秀に入るか入らないかだよ」
自分の優秀さを押し出して来るかと思えば、そんなことはなく。彩乃が自分に齎した情報と同じ事を言われ、辻褄が合うことに内心頷く。いや、彩乃がすでに告げていると思ったから言った情報なのだろうか。隠すまでもないと思ったのか、定かではない。
しかし、そういう美咲が分からないであろう分野を曖昧にせず、ちゃんと自分の実力として自覚しているところには好感が持てた。
「だからこそ、帰還するのにこの国が有利であるようにズレを作るようにした。こっちにいたときに長く、あちらでは短く。そうすることで国をもっと見てもらえるんだ。だからもっと見てほしいんだ」
魔法の利点を告げられ、納得がいった。保障はないが、確かに利には叶っている。それに二十年前に前例がいるのであれば、問題はないだろう。
何より美咲にだけでなく、この国にも利益があるというのならハニートラップよりは安心できる。告げられた言葉よりも、今の本音の方が落ち着いた。
互いに利があるのだ、信用しても良いだろう。何もないよりは何倍も心が落ち着く。
「……一か月」
「え?」
「伸ばすなら、前の人と同じ期間が良い」
口にしてから、あぁしまったと思った。これは彼に言う事ではなく王さまや他の関係者にいう事だろう。いくら説得……いや、納得させられたからと言ってその場で即答してしまうのは考えが足らない。
「ほんとう!?」
「え、あ……」
「ミサキ、あと一月居てくれるの!?」
「あと一か月じゃない。合わせて一か月で、」
「それでもいい! 俺、嬉しいよ!」
また気が付けば、自分の両手は彼の両手の中だった。いつの間に握りしめられていたのだろう。行動が早いというか、反応が出来ない。いや、自分の反応が遅いだけなのかもしれないが……警戒しなければ、いけない筈なのに。
手を握り込まれるほど近付かれると、その顔が自然と近づく。
遠くで見ていた筈の紅玉の瞳が奥の輝きが見える程に近くなる。強い意思を感じさせる輝き、青い月に照らされてもその色が衰えることはない。混ざることなく主張している。
いつ見ても、本当にきれいで、あぁ――――――。
「お願いだから、もう、褒めたりしないで」
「……なんで? 俺は本当に思ってることしか言ってないよ」
「リップサービスにしか聞こえないの。だから、やめて」
吸い込まれそうになる。何も考えないで、それに惹かれていたくなる。
せめて話すだけなら、問題はないのに。その美貌で微笑まないで欲しい、褒めないで欲しい、魅了しないで欲しい。
なんで、決めてしまったのか。答えてしまったのか。もう少しいるなんて言わずに、帰ってしまった方が良かったかもしれない。
だって、帰ってしまえば彼を見ることは無くなるのだから。
「ねぇ、なんで、俺を見ないの? 信じて、くれないの? 俺には、魅力がないのかな……」
「……っ」
反射的に答えようとするが、口を閉じる。
何を言えば良いというのだろう。自分はまだ疑っている。好かれるわけがないと思っている。魅力がないなんてとんでもない。ありすぎるくらいだ。
その美しい容姿も、女性を褒める言動も、まっすぐにこちらを見る瞳も。
これに惹かれない女はいないだろうな、と思うほどに。
「やっぱり、俺ってユアンに比べると魅力ないのかな? 同じ顔なら、ユアンの方が良いって子多いし……。俺は魔法が出来るけど、ユアンは剣が出来るし……俺より頭良いし、色々考えてるし。俺は、魔法式とかは出来るけど細かい考え事とかは苦手だし」
「……、……」
「王子としてはユアンの方が格段に上なんだよね。俺は魔法があるからっていうか、王子としてより魔術師としてだし……。自分から望んだ道かもだけど、やっぱり指揮したり剣を奮ったりする方が良いのかな……」
そんなことない、と声高々に言えたらどれ程良いだろう。
褒めないで、と言ったのは自分だ。すなわち、彼が凹む原因を作ったのは美咲であった。けれども、ここで否定してしまったら。ジンも魅力的だと言ってしまえば、話しが元に戻ってしまう。
その上、男への励まし方など美咲は知りもしない。だから、何を言って良いか分からず、眺めるしかなかった。
そんな凹んでいる彼を見て思い出したのは幼い頃の弟だった。昔の、小さい頃の弟は自分にとってこんな弱さのある子だったな、と。小学生の頃は良く一緒に遊んでいたものだ。自分よりも背が低くて、「姉ちゃん」と呼んでくれて。
今のような距離は、全くなかった。いや、あったとしても幼い頃だ。些細なことで埋まる。比較的仲が良い、と言える関係だったのではないだろうか。……今では、その欠片もないが。
思い出してしまえば、目の前で凹む男が弟と重なる。今まで強気というか、女を褒めてばかりの彼を見ていたから新鮮というのもあったのかもしれない。どことなく、可愛く見えてしまった。
小さく見えた頭に手を伸ばす。軽く、頭を撫でた。考えてみれば、彼は自分よりも年下なのだ。自分の弟よりも若いかもしれない。
子ども扱いをして良い歳ではないだろうが、それでも撫でてしまった。ただ励ましの意味をそこに込めて。
嫌がられると思いきや、ジンはされるがままになっていた。それどころか、すり寄るように頭を近付けてくる。しょうがないな、と撫でるのを続けた。美咲の中では幼いころの弟と重なって見えたままだ。
すり寄る、という行為をする訳がないと知っていたのに。いや、愛玩動物のように見えていたのかもしれない。
いっそそう思った方が美咲もラクだっただろう。けれど、彼の整った顔は近くにあるままだ。
「撫でたりして、ごめんね」
「うぅん、別にいいよ」
気が済んだところで手を離す。離れた手をどこか寂しげに見つめられたのは気のせいだろうと自身を言いくるめた。
彼の行動一つ一つにひっかかり、疑問が湧く。それは嘘なのか、本当なのか。演技なのか、無意識なのか。疑いは、晴れる事がない。
美しさに惹かれても、胸を占めるのは疑心暗鬼だ。
「聞きたいことがあるの」
聞いたところで、自分がどう思うかなど分かっているのに。聞かずにはいられない。それは、美咲の最も求めている事。
憧れをものにしたい、女としての側面。
「あなたは、“異世界人”が欲しいの? それとも“私”が欲しいの?」
求めて欲しいと思うのは、罪だろうか。
まだした事のない、両想いの恋に憧れている。今までのような叶わない恋ではなく、少しでも相手から返してくれる恋に期待をしている。
けれど、相手としてジンは駄目だろうとも思っていた。
整った顔、美しい目、甘い声。それに浸れば二度と抜け出せないであろうことは予想できた。しかし、それでも気になっていた。
何故、自分を褒めるのか。口説くように、全てを受け入れるように、今のままで良いというように。まるで、悪魔の囁きのような麻薬にも似た甘美な響きを何故。
理由が欲しかった。自分である理由が、美咲出なければいけない理由が。
贅沢だと思う。ただでさえ、守護獣に感情を伝えるというだけで、召喚されたというだけで、こんな待遇をされているというのに。
優しくされる理由も、丁寧に扱われる理由も、守護獣がいなければ成り立たないというのに。
でも、そう告げてくれたのなら、それで構わなかった。それはそれで、割り切ることが出来ると思ったから。
「ミサキに居て欲しい……って、言うのは言ったよね。それとは別に、この国にはこんな噂があるんだ。“守護獣と心を通わせた人間と恋仲になれば幸せになれる”って。今日、聞こえたかもしれないけど……女の子たちがしてたのは、そういう話」
「……そう」
「でも! でも、そういうんじゃないんだ。確かにそんな噂は聞いた。でも、ミサキなら、俺自身を見てくれそうだなって思ったんだ……」
ジンはそれ以上何も言わなかった。美咲も、聞かなかった。元々、自分は聞き上手などではない。それに話したくないのなら、話さなくても良いと思っていた。
この二人の間に、身分は関係ないのだから。
思い当ったところで、あたりを付ける。自分には分からない、身分が故の、環境ならではの葛藤や屈折があるのかもしれないと。
けれど、所詮は他人事。深く聞き出したところで美咲がどうにかできる問題でもないのだ
くしゃ、と目の前にある頭を再度撫でる。何を言ったら良いか、思い浮かばないから。誤魔化しと、言葉に出来ない誤魔化しを混ぜて撫でつける。
それはどこか庇護欲にも似た感情であった。小さく見えた男の頭を撫でる。
「やっぱり、“私”じゃないとだめじゃないなら、やめて」
「なんで」
「……なんでも」
彼が求めているのは支えてくれる人なのだと。
自分ではなんの力にもならないし、なれない。ただ使者という肩書があるだけの女が、第三王子である彼を、この国一の魔術師である彼を支える事など出来やしない。
それに、聞けば欲しいのは「守護獣と会話できる女」なのだ。確かに美咲が出来る事なのだろう、けれど。逆に言えば、美咲でなくてもいいのだ。この国に召喚されたものならば、誰だって。
美咲個人を求めてくれている訳ではない。そういった、役割の人間が欲しいだけだ。そう思えば、頭は冷えた。
そんな理由を押し通そうとすれば、ジンが分かりやすくむくれる。こういう子供っぽいところは今日、初めて見るなと思いながら、曖昧に笑った。彼は「また来る」とだけ告げ、髪にキスを落として消えて行く。
駄々っ子のように怒っていても、去り際のキスは忘れないのだな、なんて。
思い出されるのは、彼が一掬いした髪。口付けられたと思われる場所を眺めて、思う。綺麗な人だな、と。
けれど、彼に心臓が揺さぶられていたとしても。美咲は疑うことをやめられはしないのだ。