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ぱちり、と花田美咲は瞬きをした。自分の現状の理解ができず、周りを見渡す。
バイトから一人暮らしのアパートへ帰って来て、これからご飯を作らなければ。冷蔵庫にある食材を昨晩チェックしたから、足りないものを買い足して。凝った料理を作る余裕などないし、適当に炒め物でもして食べてしまおう。
そう思いつつ、買ってきた食材をいったん冷蔵庫に入れ、少し休んでから動き出そう、と座ったところであった。
そう、まさにその瞬間。腰を下ろし、瞬きしたところで周りの風景が一気に様変わりしたのだ。十畳もない部屋だった空間から、一気に広がったどこかへ。
もしかしたら寝てしまって、夢を見ているのではないかと頬を抓るが痛みを感じる。
風邪でもひいて、幻覚でも見ているのか? もしかしたら、昨日読んだファンタジー小説の影響だろうか?
一通り考えてみても答えなど出ず、景色は変わらない。目の前にはコスプレ集団がいるし、どう見ても昔の西洋などにあるような玉座の前なのである。
「初めまして、異世界の使者さま。驚きとは思いますが、少しばかり説明させて頂きます。恐らく、使者さまの頭の中にあるであろう、夢、妄想、幻覚、などといったものではありません。わたくし達はあなたさまから見れば異世界の人間。そして、ここは使者さまから見れば異世界ということになります」
落ち着きのある静かな声でそう語るのは、ファンタジーによくある魔法使いの服装をした壮年の男性であった。白く長いひげはファンタジー定番の魔法使いのイメージそのものだろう。杖らしきものを握ったまま、美咲に頭を下げている。
まだ、完全には認めたくない思いがあるが、ある言葉が頭に浮かんでいる。しかし、それを認めてしまえば、それこそ小説の中によくあるような流れになってしまって、恐ろしいことがあるのではないかと思ってしまうのだ。
何より、昨今にあるこれ関連の物語には、良いイメージがない。選択肢を提示するように見せかけながら、実は逃げ場などないのだと、それを強要させられるというのは目に見えている。
「あぁ、さらにもう一つ不安に思っているであろうことを否定させていただきます。あるお役目をお願いする為にお呼びしましたが、それによって使者さまが命などを害されることは一切ございません。また、お役目を終えればすぐにでも使者さまの世界へお帰り頂くことが可能です。そして、お役目は最短一日です」
「……本当ですか?」
流石に聞いていて引っかかったのか、美咲は声をあげ壮年の男性を見つめる。
引っかかるというよりは、少し冷静になったというのが正しいのだろう。何より対話しているこの男性は、美咲の考えていることが聞こえているかのように抱いた疑問を潰していく。心を見られているというのも嫌だが、それ以上に告げられた言葉をそのまま信じる気にはなれなかった。
何せ異世界人……いや、それ以上に初対面の人間にそうスラスラとこちらが有利になるようなことを言うだろうか? そのお役目というのも怪しさを漂わせた。何せ内容が全く分からないのだから。
「……うむ、警戒心が素晴らしいな。我が国の伝統とは言え、怪しさ満点だからのう」
「感心している場合ではありませんよ、陛下。彼女にはこの国に対する感想を守護獣に告げてもらわねばいけないのですから」
「そうじゃのう。まぁ、このまま進めるというのも良くはないだろう。やはり同じ世界出身者から説明した方が良いであろうな。アヤノ・アプリコット」
「はい」
美咲にとっては予想外の展開から、同じ世界の出身者として一人の女性が並んでいる参列の中から一歩前に出た。
ふわりとしたピンク色のドレスに身を包み、美咲に悪印象を持たれないようにか、可愛らしく笑う。しかしその髪は焦げ茶色であり、微笑む瞳はアーモンド色。
名前こそ、「アヤノ」と呼ばれているし肌の色なども日本人に近いが、そんな容姿の彼女を同郷と言われても首を傾げるしかできない。むしろ、良くできた台本を読んでいるかのような演出で――――――。
「何を考えているかは大体予想がつきます。ので、こちらをご覧ください」
「……は?」
そう言いながら彩乃は、美咲自身の容姿が見えるようにと手鏡を差し出し、美咲に現実を見せた。
その鏡には、現代日本にて一般的とされた黒髪黒目など存在せず、透き通り光の中に溶けていきそうな翡翠の髪と覗き込めば海のように深みのある緑の瞳がそこにあった。美咲は周りの自称異世界人たちと同じように現代日本ではありえない容姿を身に着けてしまったらしい。
「あ、ぅえ? これは……」
「とりあえず、異世界であるということは分かりました?」
「はい……」
有無を言わせないような彩乃の強い口調に思わず頷く。いや。認めたくなどはないがこれはもう、認めるべきなのだろう。そうでなければ、美咲の髪と瞳は突然変異で変わったことになってしまうのだから。
「あの……テンプレ的な異世界召喚ですかね?」
「それよりも大分緩いですね。小旅行、で良いんじゃないでしょうか? やり方次第では今すぐ帰れますし」