2.笹井薫
ベッドに放り投げてあった個人用携帯端末が騒がしく持ち主を呼んでいる。
部屋の主である若い女性が唯一、個人用に設定した着信メロディに反応する。
その呼出のメロディを聞いて独身者用官舎のフローリングに置いた座椅子から手を伸ばし端末を取り上げた。
端末に表示された名前を確認して音声通信用のイヤホンマイクの受信ボタンを押すと、聞き慣れた綺麗な声が聞こえてくる。
「やほー、かおるん!」
「やぁ、ナッキー。ゆっくりとストリーミングを楽しんでいるあちしに何の用かなぁ?」
ニヤニヤしながら電話の主に軽い毒を吐く彼女は、菜月の同僚である笹井薫。
事務職と現場と部署は違うが菜月と同期であり、共通の趣味が高じて昨年度のステージにも立ったグループの一員である。
「ごめんねぇ、かおるん。実は」
「どうせ今年の基地祭の事でしょ。午後イチで広報部に絡まれてたもんねぇ」
事務職の薫は菜月が書類整理に戻ったのを見て、広報部員が速攻で行ったのを見ている。
この基地に着任した一昨年からこの時期に見られる光景なので薫も察しが付いた、という訳だ。
「あ、もうバレてるぅ…。知ってるなら話は早いね。今年もお願いしたいんだけど…いいかなぁ?」
「仕方ないなぁ……我が同志のナッキーの頼みだ、断る訳無いでしょ。」
そう、薫もまた菜月と同じアイドルマニアであった。
予定が合えばライブやイベントにも一緒に行き、帰りに寄った店でアイドル談義に花を咲かせる。
休みが合ってイベント参加の予定が無い日はどちらかの部屋で一日中ディープな話が出来る貴重な同志だ。
「ありあとー、かおるん!それで、早速相談なんだけど。」
綺麗な声で可愛らしく菜月にお礼を言われると同じ女性とはいえ萌えてしまう。
これもアイドル好きの性分だろうか。
「何よ、事務職から若手を発掘しろとでも?」
「さっすがかおるん!菜月の事をよくわかってらっしゃるー!」
「本当に言うんかい!」
菜月には見えてないだろうが、端末の前で薫は左手を払う様に突っ込んでいる。
「うん、実は今年の若手に歌の巧い娘がいるって聞いてねぇ、その娘を何としても引っ張り込みたいのよ」
「え゛……まさか…振り真似だけじゃないの、今年」
「かおるん、昨年以上のステージにするにはやっぱり歌まで完コピしないとダメじゃないかなぁ。多分友人達もそう思ってるよ」
菜月の話から今年の演目を察した薫は、少し唖然とした顔で話し続ける。
「確かに去年のJPNの振りの完コピは上手く行ったからもしかしたらとは思ってたけど……本気デスカ?」
「うん、本気。『本気』と書いてマジと読むアレですよ」
「うわぁぁぁぁぁ、やっぱり本気かぁぁぁぁ!そうすると…ドルヲタスレには今年の演目は……書けませんなぁ」
「今年は軍事機密クラスで、お願いシマス。」
昨年、薫は菜月の要請もあってアイドルマニアスレにこんな感じのステージをやると書き込んで友人達以外でも相当数のマニア達を会場へ呼び込んだ。
基地祭の動員数が右肩上がりなのは『六空スネーク』と呼ばれる薫の掲示板への書き込みも一因なのである。
「それで何をコピるのよ。モノによっては相当厳しくなるじゃない?」
薫は菜月の企画を既定の物としてどう進めるかに考えを移す。
つまり『六空祭』と呼ばれる第六航空基地祭りのステージが年を追う毎に段々派手になっていくのは『首謀者:桜井菜月』と『参謀:笹井薫』の同志達のステージ企画の所為なのだ。
「うーんと…候補曲は幾つか有るんだけど、JPNの最新曲は外せないよ。アレはやらなくっちゃ面白くないよ!」
「ぐはぁぁ、弊社イキナリ吐血しそうですが!」
「でもかおるんもやりたいでしょ?」
「スッカリバレテーラ」
JPN24の最新曲は少々速い曲だがノリが良くダンスも動きが大きいので、ステージ映えするのは既に二人が見に行ったライブでも確認済みだ。
「ちょっ、それ何時のネタですかぁ!それと、かなり古い曲なんだけど二曲はそれをやってみたいんだぁ」
「ん、それはあちしが知ってる曲かい?」
「知ってる知ってる!『Zero-G Love』と『Stand-By』なんですけどぉ!」
「まった、強烈なネタぶち込んできますねぇ…確かにやったら受けそうだけど、一部のマニアさんにわ」
『Zero-G Love』と『Stand-By -For the Peace-』。
この二曲は数十年前に衝撃を与えた宇宙戦争アニメの挿入歌と漫画のサウンドトラックいう珍しいアルバムに収録されていた曲である。
二曲共に二人が生まれる前の曲であって、この曲を知っている時点で何かがおかしい筈だ。
しかし、ある動画サイトでこの曲の存在を知ってから彼女達は、未だに遊びの一つとして生き残ったカラオケで必ず歌う云わば『十八番』になる程歌いこんでいた。
因みにこの二曲を歌うと年配の隊員達が拍手喝采で二人を盛り上げるという逸話もある。
「まぁ、それならそれでやり様はありますなぁ。で、トータルで何曲やるん?」
「そーですねー、五、六曲出来ればいいかなぁなんて思ってる」
「了解、曲の選定はもうナッキーに任せますわ。他に相談事は?」
演目を菜月に丸投げする事で薫はまだ菜月が何か企んでいる気がして、それを聞き出す事にした。
「あ、流石かおるん。実はですねぇ…生音でやりたいんですよ、全部」
「えぇぇぇぇぇぇっ、何馬鹿な事言い出すのナッキーさん!アイドル曲弾ける凄腕拾って来いとか言いませんよねぇ!」
「あ、バレテーラ。でも、かおるんなら連れて来ると信じてますが、何か?」
さっき薫が使った古いネタを菜月が繰り返し使って逃げようとする。
薫は心の中で深い溜息をつき、頭の中で候補を数人思い浮かべていた。
「まぁ、確かに思い当たる面子は居るけどさぁ…期待はしないでよぉ。これって結構無茶振りなんだからねっ!」
「ワクテカしながら良い知らせ待ってますよぉ!とりあえず今日の相談は以上ですー」
菜月の相談事が取り敢えず終わった事にホッとしながら、薫は気になった事を菜月に聞いてみる事にした。
「あ、もう日程はスレに書き込んじゃっていいのかな?」
「多分公式発表ももうすぐだろうし、スレ住人ワクテカしながら待ってるからいいと思うよ」
「らじゃらじゃ。じゃ、書き込んでくるわぁ」
「ヨロ~。私はもう少し曲の候補を練っておくね。」
「あいよ~。んじゃ、また明日」
「おやすみ、かおるーん」
電話が切れてイヤホンマイクを外すと、見ていた筈のストリーミングは再び最初から再生されている。
薫はストリーミングを止めてPCを立ち上げると目的の掲示板のスレッドにこう書き込んだ。
『こちら六空スネーク。六空祭の日程が決まった。』
悪巧みはこうやって進められるので、巻き込まれる人達は毎年この時期になると戦々恐々としています。
次回は本編からちょっとだけ離れてアイドルマニア達のスレッドでのお話です。