1.桜井菜月
「うぉーい、桜井ー!ちょっと来てくれぇ!」
格納庫の中から、野太い男の声が聞こえる。
戦闘機の機体の下で、整備隊員が困った顔でその整備箇所を見ていた。
「何ですかぁ?東出中尉、またそこで困ってるんですか…」
そこに顔を出したのはショートカットの女性だが着ているのは整備員の制服ではない。
機体の横で彼女を呼んだのは整備隊の班長で、困っているのは彼の部下である。
「すまねぇなぁ、どうもこいつの此処の部分だけは俺達じゃ手が入らなくってなぁ」
苦笑しながら機体の下から顔を出した整備隊員は場所を譲るようにその場からどいた。
「仕方ないですねぇ……よっと!これでいいですかぁ?」
「おぉ!やっぱりこれはナッキーじゃねぇと難しいよなぁ…」
「こぉらぁぁ!愛称で呼ぶんじゃねぇよ!確かにそう呼びてぇのは解るがよぉ…」
部下を叱る班長が苦笑しているが、彼も影では彼女を愛称で呼んでいるので部下の気持ちが解らない訳ではないのだ。
「まぁ、今回だけは許してあげましょう!あ、お代はレディースランチでお願いしまぁすっ!」
機体の下から出てきた彼女は、工具を整備員に渡すと可憐な微笑を残して隊舎へと走っていった。
「まったく、なんであんな可愛い女性士官がパイロットなんてやってるんだよ」
「本当ですね、ナッキーならアイドルやってても可笑しくないですよね…」
工具を渡された整備員はにやける表情を抑えられずに表情を崩す。
「あぁ、あの戦役がなけりゃぁ、な」
彼女に東出と呼ばれた班長は彼女の出撃志願の場面を思い出して表情を曇らせていた。
彼女の名前は桜井菜月。
階級は中尉で自衛空軍第六航空隊の戦闘機パイロットである。
ショートカットが似合う美人であり、部隊内ではアイドル的な存在である。
この航空隊には他の部隊よりも女性が多く配置されていて年一回の基地際では彼女達が即席のアイドルユニットとなって基地祭を盛り上げるのでアイドルマニアの間でも人気を博していた。
彼女がパイロットとしてこの基地に着任してすぐに東シナ海海戦が起きた。
「この国を守る為に、私は此処にいます。私も出撃メンバーに加えてください!」
戦闘能力の高さもあって、そう言って彼女は出撃メンバーに加えられた。
そしてミサイルキャリアの母機の操縦士として戦場に赴き、東海海軍の軍艦四隻を撃沈した凄腕だ。
因みに先の海戦で東海艦隊は二十四隻の艦艇を沈められているが最も多くの艦艇を沈めたのが桜井であり、部隊内ではその美貌と戦果の大きさから彼女の事を「戦女神-アフロディーテ-」と呼ぶ者すらいる。
「生き残ってくれたからこそ、今の彼女があるわけだが…」
「そう言えば班長……そろそろ、また基地祭ですよね…」
整備員の言葉に思索の時から戻ってきた班長は傍らの整備員に笑いながら言い聞かせる。
「おう、またナッキー達の見目麗しいアイドル姿が見られる基地祭だ、俺達も気合入れて舞台作んぞ。さて、そろそろ仕事に戻るか」
話を終わらせて、整備員達は機体の整備へと戻る。
再び戦う事の無い様に願いながら、訓練飛行の後に無事にこの基地に帰って来られるように彼等は次の仕事に取り掛かる。
「桜井中尉、すまんが今年も…ステージに立ってくれんだろうか…」
「はぁ……私は構いませんが、他の隊員達が何て言いますか…」
隊舎に戻った桜井の元に基地司令部の基地祭実行委員である、広報部の隊員が申し訳なさそうに要請を伝える。
亜細亜戦役が終結した翌年から、彼女は基地の若手女性陣からメンバーを選んで即席の基地祭アイドルユニットを結成して舞台に立ち続けている。
そのステージで彼女達がするのは芸能界のアイドルグループの振り真似なのだが、その完成度が何故か口コミで話題となり基地祭に訪れる客数は毎年千人単位で増えている。
当然、客数が伸びれば基地に落ちる金額も増えていて、今では他の基地を圧倒する収入があった。
その収入は基地内の福利厚生に役立てられていて、その充実っぷりは隊員内でも話題となって今ではこの基地への移動願いが後を絶たないほどだ。
「他の隊員達も楽しみにしているし、女性士官達の了解も勿論取れている」
「それでしたら……私も異論は有りません。しっかり勤めさせて頂きます」
菜月は笑顔で広報部員に了解の意を示し、その広報部員は要請が受け入れられた事に安堵の表情を浮かべていた。
「それから、予算は気にしなくていいよ。昨年よりもかなり増額できるから」
「もしかして、それって……」
付け加えられた広報部員の言葉に、菜月は恐る恐る理由を聞いてみる。
「そう、昨年の基地祭の売り上げがまだ十分残っているんでね。衣装やPAなんかもかなりいいものにしても大丈夫だ。」
やはりそうか…、菜月は心の中で深い溜め息をついた。
年々、ステージ前にはかなりの人数が集まるようになっていて、中には他のアイドルの様に合いの手や歓声を上げる者も出てきていた。
それは当然アイドルマニア達であり、彼等が主体となって今では完全にコンサートのノリに成りつつある。
彼等はこの基地祭でかなりの金額を落としており、基地周辺でも基地祭の日は売り上げが異常に高くなるという都市伝説すらある。
「……わかりました。昨年以上のステージを見せられる様に努力します」
広報部員にこう返答して菜月は通常の業務へと戻っていった。
「ふぁぁぁぁぁあぁぁ、やぁぁぁっと終わったぁぁぁぁ!」
「ナッキーお疲れ!暫くは当直無いんだろう?」
「明日は休みです、でも当直が無い代わりに基地祭の準備が有るんですよぉ…今年も頑張らないと…」
「まぁ、根詰めないで頑張れや」
隊舎を出た菜月は車で帰る他の隊員達と別れて歩いて官舎へと戻る。
部屋に戻り電気をつけると、そこには多種多様なアイドルのポスターが貼られていた。
「あぁぁ、癒されるぅぅぅぅぅっ!さぁてっと、今日は何から見ようかなぁっ!」
そう、菜月もまたアイドルマニアなのである。
話題の曲の振り付けは速攻で覚え、目を皿の様にしてそれぞれのメンバーの挙動も見逃さない。
ステージの完成度の高さは菜月自身のマニアックな観察眼から作り上げられた副産物であった。
最近のお気に入りでもある人気のアイドルグループJPN24のコンサートライブの映像を流しながら料理を作り、食べた後片付けまで済ませると菜月はベッドに転がって今年のステージの構想を練り始める。
「もう、昨年までの振り真似だけじゃ…みんな納得しないよねぇ…」
ステージを見に来てくれるマニアの中には、菜月がコンサート会場で知り合った友人達も多数いる。
年々スケールアップする基地祭のステージに「今年は大丈夫か?」と聞いてきた者もいる位だ。
今年加わった若手の中には歌唱力の高い隊員もいると話に聞いている。
「よぉぉっしぃ!ここまできたら歌まで完コピ、やってみますかぁ!」
ベッドから体を起こして菜月は友人の女性士官に電話を掛けた。
やや短めですが、こんな感じで進んでいきます。
人物紹介も兼ねての進みになりますが、暫くお許しのほどを…