8
半日ほど歩いても、烙者には会わなかった。
沙華が言うには、烙者は杜と人間の領域の境界の
近くにしかいないようだ。
その理由は推測はできるが明らかなことは
何もない。
それよりも鈴蘭は、沙華がそういうことを
知っていることの方が不思議だった。
そんな沙華と黙々と木々の間を歩き続けて
ふと太陽が頭上にあることに気づいた頃。
唐突に野ウサギを見つけた沙華は、豹のような
しなやかさで襲いかかり憐れな獲物の頭部を
叩き割った。
「……昼食ってこと?」
「タンパク質は重要。
それにレーションには限りがある」
言いながら沙華は頭のなくなった野ウサギを
鈴蘭に差し出す。
「さばける? ――無理なら自分でやる」
「……できるよ。問題ない」
頭のなくなった、憐れな肉を受け取る。
さばき始める前に、ひとつだけ言っておく。
「……野ウサギも、あなたの敵なの? 沙華?」
「私の御飯だけど」
鈴蘭の問いに沙華は意外そうな表情で答えた。
その無邪気な様子に、鈴蘭は嘆息した。
「敵じゃないなら、この生命を頂くつもりが
あるなら、もう少し丁寧な殺し方をして
あげないと。烙者とは違うんでしょ?」
「――そうだね。
でも、私にはこの殺し方しかできない」
沙華はそう言いながら自分の武器である宝杖に
目をやった。
「じゃあ、私のナイフを貸してあげる。
ていうかあなたのナイフは?」
「私はナイフを持たない。
……ありがとう、借りる」
武器として使用しなくてもナイフというのは
使う機会が多い。
そういった用途のために余分に持っていた
サバイバルナイフを沙華に手渡すと、彼女は
しげしげと刃を眺めたり、背を指でなぞったり
観察したりしてから自分のベルトに挿した。
――不思議な人。
上手に焼かれたウサギを食べる沙華を見ながら、
鈴蘭は思った。
こうして鈴蘭が沙華と二人だけで、人間の領域から
離れた杜の中でいるのは、沙華が「精霊に会いに行く」
とか言ったおかげだ。
鈴蘭を治すのに「白魔術」を使った沙華。
軍でナイフが支給されているはずなのに持っていない沙華。
ウサギを焼くのに魔術の火ではなく、普通にライターで
火をおこした沙華。
「……何?」
「いや、何も……ううん、ちょっと聞いていいかな?」
見ていることを気付かれた鈴蘭は、開き直って少し
疑問をぶつけてみることにした。
「沙華って魔術士登録は火属なのよね?」
「うん」
「でも、全然魔術使わないよね? 使えないの?」
「……」
沙華の返事は沈黙だった。
「沙華が使えたら、もっと強く……鬼に金棒って
感じじゃない?」
「……そうかもね」
答える沙華の表情は、どこか苦しげな、苦々しい
ものだった。
「……頑張っても使えなかったってこと?」
「使えないってことはないよ」
でも、と彼女は続ける。
「使いたくない」
「どうして?」
「……抑えられないような気がするから」
「制御が苦手ってこと?」
一般魔術は誰でも使えるように形式化された技術で
あるため、暴走するということは少ない。
むしろ暴走させる人間は魔術――魔力を呼び出す
才能が高い人間であり、そういう人間は充分な訓練を
受けて優秀な魔術士になる。
「確かに制御が苦手といえるけど――多分、
普通とは違うから」
「どういうこと?」
「……」
またしても沈黙。
なんとなくこれ以上はこの話は持たないので、次の
話を振ってみる。
「杖術は好きなの?」
「普通」
火属の魔術士は魔術の増幅器に炎珠を使うため、多くは
炎珠を先端につけた宝杖もしくは槍を武器にする。
しかし杖も槍も長くて木々の間では振り回しづらい上に
重いので、特に女性の兵士は魔術の腕を向上させてなるべく
武器に頼らないようにする。
もしくは、そもそも火属の魔術士にならないようにする。
そういう点において、沙華は火属の女性魔術士として
少数派の部類に入っていた。
「でも、杖は振り回すだけだから簡単」
「……確かに、腕力ありそうね」
鈴蘭よりも濃い色の沙華の二の腕には、隆々とはいかない
までも、見てはっきりと分かるぐらいの筋肉がついていた。
「筋トレとか結構してるの?」
「普通。暇な時は本読んでるし」
「え、本好きなの?」
「意外?」
「いや、そうじゃない……けど?」
でも正直なところ、ちょっと意外だった。
こう言ってはなんだが、ちょっと粗野なイメージは
あるし、筋トレが趣味という方がまだしっくり来る。
でも「精霊」とか言うのだから、意外と夢見がちな
ところもあるのかな――と。
「じゃあ、精霊のことも本で読んだの?」
「いや、違う――そうでもあるけど」
そこで沙華は突然、鈴蘭との距離を詰めてきた。
触れ合えるほどに。
実際に沙華は鈴蘭の腕を握って話しかけてきた。
「感じないの?」
「な、なにを……」
「精霊の気配――巨大なレイラインの流れを」
そう言って、沙華は鈴蘭の手を鈴蘭の武器である風刃の
上に導く。
指先に触れる硬質な感触は、握り慣れた双剣の柄であり、
それ以上でもそれ以下でもない。
それよりも沙華の少し体温の高い手に手首を握られている
ことに、不思議なほどの緊張を覚えていた。
「感じない?」
「う、ううん……何も……」
沙華の行動よりも自分の内面の変化に動揺しながらも
絞りだすように言った答えに、沙華は若干落胆した様子を
明らかに見せながら鈴蘭の手を離した。
「……まあ、そうだよね」
「どういうことなの?」
鈴蘭の問いに、少し間を置いてから沙華は話して答えた。
「ここらへんに来たのは偶然だけど……ここに来てから
私は今までに感じたことのない気配を感じた。ううん……」
――本当は違うか。
沙華は小さな声でそう言ってから話を続ける。
「私はこの気配を精霊のものだと判断した。
精霊がどの方向にいるのかもわかった。
だから……私は今その方向に歩いている」
話している沙華には、戸惑いのようなものが感じられるが
自分の感覚を疑っているわけではないようだった。
「……精霊に会って、どうするの?」
沙華はまた黙り込んだ。
けれどもその沈黙は今までのような返答を拒絶するような
沈黙ではなく、考え込んで言葉を探すような沈黙であり、
沙華は黙考の後に口にした言葉は、またしても鈴蘭の予想の
斜め上を行く答えであった。
「さっき、精霊の気配を初めて感じたって言ったけど」
「うん」
「気配を感じるのは初めてだけど、見たことならあるんだ」
「」
どういうこと?
呆気にとられる鈴蘭を前に、沙華はやおら語り始めた。