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そして一迅の風となって杜を駆け抜けた少女は、
死肉の林の中に佇む少女の姿を見る。
鬱蒼と繁る草木の濃密なにおいと、血と肉と臓物の
濃厚なにおいが混じりあって、酸素が奪われるのではないかと
思うほどに深く、剥き出しの生命のにおいが空気を染めていた。
赤い髪の少女は毒花のような紫の瞳を伏せたまま静かに
立ち尽くしている。その様子は淑女のようで、しかし周囲の
様子を見て言うならば、死神の巫と言ったほうが相応しく思えた。
数多の敵を打ち砕いてなお、興奮するでも疲弊するでもなく、
ただ静かに、油断なく次の敵を待ち構えるその姿に、
鈴蘭は戦慄を禁じえなかった。
沙華はそんな鈴蘭に、どこか悲しげな視線を向けた。
「……来たんだ」
「だって、心配だったから」
「来なくても良かった。
……上からもそう言われたんじゃないの?」
拒絶するような口調。
その声は絶望のような、それよりも深い感情で染め上げられている
ようで、善良で凡庸な精神の持ち主である鈴蘭には到底理解できなかったが、
拒絶の他に、哀しみと、怒りのようなものもそこにあるような気がした。
そして、その怒りとは、拒絶に伴うものではなかった。
まるで鈴蘭が命令に背いてここに来てしまったことを咎めているように聞こえた。
「どうして? 私は沙華が心配だった。
ひとりで、苦戦しているようだったら、瘴気兵器から
逃げられないと思ったから……」
「私一人で大丈夫だった」
「でも! 大丈夫でも! それだったら二人で一緒に
逃げれば良いだけでしょ?」
「無理。もう逃げられない。わかっているでしょ?」
――そう、わかっている。
沙華がいたこの場所は、基地から離れた場所だった。
往復するには相当の時間が必要だ。
その上、鈴蘭は彼女を探すのに結構な時間を使っている。
もはや瘴気兵器から逃れることはほとんど不可能になっていた。
「でも……じゃあ! どうすれば良かったのよ!?
沙華を見捨てて自分だけのうのうとしていれば良かったの!?」
絶望感で涙が滲んできた。
友達を救えない絶望。そして、
「――そうだよ」
友達に拒絶される絶望。
「何のために鈴蘭は戦っているの?」
「え……?」
「何のために鈴蘭は戦っているの?」
「……私は、無力な人たちの平和な暮らしを烙者から
護るために戦ってきた」
「なら、鈴蘭は選択を誤った。
鈴蘭が護るべきは私じゃなくてそういう人たちなんだから」
――私が、選択を誤った?
崩折れそうになる身体。
だけど、違う、と鈴蘭は思う。
自らを奮い立たせて訴えた。
「違うよ、沙華。
私が護りたいのは平和、だけじゃない。
大事な人のことだって護りたい。
目的がすべてじゃないの。
沙華――あなたと一緒にいることは、
戦うことは、目的のための手段であり、
それ以上の……大切なことだから…!」
「……馬鹿」
そう言ったとき彼女は、ぐっと手を握りしめながら鈴蘭から目を背けた。
まるで涙を隠すかのように。
沙華が怒り以外の感情をそこまで強く表現するところを、
鈴蘭は見たことがなかった。
「沙華?」
あまりに見慣れないものだから、彼女がどこか怪我をしたのかと
すら思ってしまった。
しかし慌てて駆けようとしたとき――空が咲いた。
木々に覆われ、緑に染められた空が、
切り裂かれるように、
花開くように、
鮮やかな紫をぶちまけて、裂けた。
小さな爆風が走る。
だがそれより恐ろしいのは、
風と共に拡散する、紫煙――瘴気。
「こ、れは――うぅ!?」
血管という血管に、
針を流し込まれたような激痛が鈴蘭を襲う。
喉を、肺を、心臓を、
あるいは脳をかきむしりたい。
血液の集まるあらゆる場所をかきむしりたくて、
しかしそう思い始めた時には、
もう身体は動かない。
「――本当に、馬鹿」
しかし倒れ込もうとした鈴蘭の身体を抱き支える
ものがあった。
「さば、な……」
「あなたのおかげで、死ねなくなった。
私は――力を使わなければならなくなった」
沙華の言葉を鈴蘭は理解できなかった。
瘴気に侵された意識は、溶鉱炉よりも熱く蜜よりも
甘い熱の中に溶けていく感覚を覚えた。
そしてその意識が溶けきる間際、
無力さを嘆く子供のような、痛ましくもどこまでも
純粋な叫び声を聞いた。