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「ふう……久しぶりに沙華と戦ったけど、やっぱり強いね」
殺戮の後の一時、鈴蘭は双剣についた血肉を払いながら
戦友の腕を称えた。
「……」
しかし対する沙華は無言でそれに答える。
肯きはする。
だが、それだけ。
それは、強さを称えられることなど些末ということなのか。
それは、鈴蘭の言葉に返事する必要などないということなのか。
はたまた別の意味があるのか。
鈴蘭には判断することができない。
けれども、
「いつもこうして戦えたらいいのにね。前みたいに」
「……そうだね」
今の鈴蘭の言葉には答えた沙華だから、先ほどの問いにも
鈴蘭に対して否定的な思いをもってして沈黙したわけでは
ないのだろうと、鈴蘭は思う。そう信じている。
沙華は鈴蘭の戦友だ。
友達だと思っている。
友達になりたいと思っている。
沙華という少女は、今の受け答えからもわかるように、
無口で、無愛想で、加えて頑固で同僚どころか
上官の言うことも聞かない軍の問題児である。
それに対して鈴蘭は模範的な軍人だと思われている。
だから鈴蘭の沙華に対する思いを知っている周囲の人からは、
問題児と模範生の組み合わせは奇妙に思われる。
しかし鈴蘭は沙華のことが好きだった。
訓練生のころから沙華とは同期だったので彼女のことは知っていたが、
沙華が好きになったのはある事がきっかけだ。
その時から鈴蘭は徐々に沙華との距離を詰め、かつては行動を共にしていた。
しかし共に優れた兵士である二人は、全体的な組織力を向上させるために
次第に一緒の作戦行動はできなくなっていた。
今日、こうして共に戦う事も本当に久方ぶりのことである。
そして、今の戦いは本当に息があっていたし、
足元に倒れ伏す無数の戦果からも、二人が力を合わせれば
一騎当千の戦いができることが明らかである。
「……私も、鈴蘭と戦えると楽だよ」
ぽつりと、唐突に言うものだから鈴蘭は危うく
その言葉を聞き逃すところだった。
だが辛うじて耳にしたその言葉に、鈴蘭は小躍りするぐらいに
喜びを感じた。
「だよねだよね! あー、帰ったらそういうふうに
なんとかできないかってお願いしようかなぁ!」
「――無事に帰れたらね」
沙華ははしゃぐ鈴蘭に対し、固い声で答えた。
先ほどまでは、疲れたような気だるい様子で武器の
手入れをしていた彼女が、また警戒する猫のように
静かに、しかし獰猛な気配を漲らせて武器を構えていた。
「もしかして、敵? まだいるの?」
「いるよ。それも、相当な数」
言われて鈴蘭も気付いた。
まだ姿は見せてこないし、すぐに襲い掛かってくる
様子もない。
だがそれでも奴らは油断なく人間を、ここにいる
二人の若い女を追い詰め殺傷しようと待ち構えているのだ。
「ここ、どこだっけ?」
「えっと……基地から南南東に3kmぐらい離れた場所だね。
全力で走ればすぐ帰れるけど」
「じゃあ、行こう。先頭は任せる」
「ん。よし――行くよ!」
二人の少女は風のように雷のように、
杜の木々の狭間を駆け抜けた。
鈴蘭は手持ちのアルカナを限界まで使い、
双剣を巧みに操って道を切り開いた。
沙華はしなやかでありながらも苛烈な宝杖さばきで
追いかけてくる敵を打ち砕いた。
そして――
「やった! 帰ってきたよ、沙華――!?」
杜を抜け、鈴蘭が振り返るとそこに
沙華の姿はなかった。
鈴蘭は彼女の名を叫び、彼女の身を思い、混乱した。
鈴蘭を敵から逃すために囮になったのだろうか?
それとも怪我をしてついてこれなくなったのか?
いずれにせよ、今、鈴蘭は無事に敵の手から逃れたが、
沙華はまだ戦っていると考えるのが自然である。
このまま帰ることはできない。
探しに、助けに行こうと思った、その時鈴蘭の腰の
通信機が鳴った。
――帰還せよ。
通信の内容を要約するとそれだった。
相手は鈴蘭の上官だった。
帰還が遅くなった理由を問われた鈴蘭は、現在、烙者が
突如として多く発生していることを告げると、上官は
わかったと言いつつ、鈴蘭に戻ってくるように告げた。
応援が出るということか?
違う。瘴気兵器を使用する。
突発的な烙者の増加で、実際のところ「基地」に所属する
兵士は全員出撃済みであり、これ以上の戦闘は難しい。
しかしそれだけの戦力投入を行ったおかげで、基地と杜の
境界からは烙者を引き離すことができている。
ならば、瘴気兵器を使っても基地に及ぶ影響は微小であり、
敵が多いならまとめて叩くこともできる。
沙華はどうなる、と思ったが、沙華にも通信は届いたと
上官は言った。
そして彼女はその上で、敵を引き付けることを提案し、
軍司令部はこれを許可した。
大丈夫。沙華は多少問題のある兵士ではあるが、その
戦闘能力はずば抜けていて、きっと生還するだろう。
そんな、と鈴蘭は思った。
いくら沙華が強くても、多勢に無勢な上に、もうかなりの
時間を戦ったり走ったりしているのだ。
この上、瘴気兵器を使用されて無事で済むわけがない。
ならば鈴蘭が行けば沙華を救い、もちろん自分も生還できるのか?
その問に鈴蘭は答えることができなかった。
むしろ、自分が行けば沙華の行動を制限してしまうかもしれない。
それに、戻れと言われた以上、戻るのが軍人としての責務だった
従わなければ命令違反である。
――そのとき、カリヨンの音が響いた。
葬送の歌のように、重々しく、荘厳に。
それは軍が使用する作戦終了の知らせ。
これが鳴った時は、兵士はいかなる状況であっても直ちに帰還しなければ
ならない。
たとえもう少しで敵に損害が与えられる時でも。
たとえはぐれた仲間がいる時でも。
たとえ敵に襲われている仲間が助けられそうな時でも。
それらの状況を即座に終了し、帰還しなければならない。
その時、何が起こるのか?
何も起こらないことも多い。
単に損傷が無視できないときや、作戦実行時間が長くなりすぎた
場合などに撤退を促す合図になることもある。
しかしそれ以外にも、そう、今のように、味方も巻き込むような
大規模殺戮兵器の使用の合図にもなる。
その時、カリヨンの音は傷つき帰還できなかった兵士の
弔いの歌となる。
そのような意味が本当にあるかどうかは誰も知らない。
カリヨンを使うのは鈴蘭のような下士官には遠く及ばない上層部からの
通達だから。
鈴蘭も何度か、カリヨンの音を聞いて、同僚と別れたり、命からがらで
撤退したことがある。
だが――今は逃げるわけにはいかないと思った。
絶対に逃げたくないと思った。
沙華は鈴蘭の一番の友達だから。
鈴蘭の記憶に今でも鮮やかな、あの時の、彼女の表情。
あんな顔をした少女を――救いたいと思ってきたのだ。