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急速に迫ってくる気配を感じ、沙華は近くの木に同一化するように
気配を消した。
無数の木々が乱立する戦場、「杜」において、気配を殺し敵である
「烙者」を待ち伏せて屠ることを、沙華は生粋の獣のように行う。
烙者――。
その存在は未知。
明らかなことは、彼らが人間に敵意を持つということ。
だから人間もまた彼らと戦うために軍隊を運用している。
沙華もこの軍に参加している。
今こうして杜で戦っているのも軍務としてだった。
やや離れたところに烙者の死骸が転がっている。
その形は、知らない人間が見れば(この世界において烙者を知らない
人間などいないが)人のそれのように見える。
実際のところ、烙者は人間とほぼ同じ姿をしている。
解剖しても中身は同じらしい。
だが、烙者は杜の中に棲み、人間は杜の外に棲む。
そしてもし人間が杜に入ったのならば、執拗に、集団で襲い掛かって
きて殺傷しようとする。
杜に近づいただけでも人間を襲ってくることもあるし、
時折大発生しては大挙して杜の近隣の人里を襲うこともある。
人の姿をしながら、その習性は獣のそれであり、言葉を持たない。
極めて獰猛で、しかし狡猾で、一つの例外の個体もなく人を
攻撃する、人類の敵。
それが烙者だ。
――来る。
その気配は、少し奇妙でもあった。
烙者であるならほとんどの場面で、人が烙者を見つけるよりも
早くその逆が発生する。
そして烙者は殺気を剥き出しにして襲い掛かってくる。
だがその気配には殺気がなかった。
周囲を警戒している様子はあったが、沙華には気付いていない
ようだった。
もしかしたら他の兵士かもしれない。
だが走ってくる速度は並みの兵士ではありえない――杜に
棲息する烙者にしかほとんど不可能な速度だ。
結局、沙華は油断なく待ち構え――それが現れた瞬間に
獲物である炎珠宝杖を突き出した!
「うわ!」
キンッ、と甲高い音が響く。
沙華の宝杖を相手が武器で弾いたのだ。
「……鈴蘭?」
現れたのは一人の少女だった。
薄い琥珀色の肌、沙華よりも健康的な身体つきの、
白い紙を靡かせながら風のごとく現れた少女の名は、鈴蘭といった。
「あ、沙華。こんなところにいたんだ。
酷いなあ、いきなり攻撃してくるなんて」
「……無防備に走り回ってるほうが悪い」
沙華が烙者と間違えるほどの速さで杜を駆け抜けて来た鈴蘭。
確かに彼女ならばそれほどのことが可能だったかと思った。
二振りの颶風双刃を二刀流で持つのは風属の魔術を扱う兵士であれば
普通であるが、その中においても彼女はずば抜けた体術と剣術を
持って杜の戦場を誰よりも速く駆け抜ける。
その実力は沙華もよく認めていた。
だが、彼女だというのは分かったが、それと同時に次の
疑問が浮かんだ。
「どうしてここに?」
問いに、あー、と鈴蘭は困ったような表情を見せた。
「敵が多くて分断されちゃって……」
優秀な兵士である鈴蘭は若くして分隊の指揮を任されていた。
いつもならば分隊と共に行動している。
命令を聞かず集団先頭もできず、一人で戦っている沙華とは違うのだ。
「戻らないの?」
「戻ってる最中……だったかな。
でも敵が多すぎて迂回ばっかり」
「そんなに敵多い?」
「うん、いつもの倍ぐらいいる気がする。」
「……そう」
言われて周囲の気配を探ると、本当に敵は多いようだった。
いつも敵の数など気にせず戦う沙華は、今日もまたいつものように
敵の数など意識しなかったから気付かなかったが。
二人は囲まれていた。
取り囲む烙者の気配は多いが、まだ動かない。
おそらくは鈴蘭を追いかけてきた敵。
しかし沙華が合流したことに警戒しているのだろう。
烙者は人のような姿をして、獣のように賢い。
そして性質もまた獣のごとしである。
奴らは獣が知る好機を待って襲い掛かってくる。
それに合わせていたらさすがの沙華でも苦戦するし、
また待つ必要もない。
「鈴蘭」
「……ん」
「行くよ」
言うが否や、沙華は豪然と走りだした。
「KYYYYYY!」
奇妙な叫び声を上げながら烙者が頭上から襲い掛かってくる。
まずは一匹。
「!」
沙華が繰り出す長さ2メートルの宝杖。
重量はさほどなく、むしろ軽いぐらいの宝杖であるが、
沙華の腕が繰り出すその一撃は破城槌のごとく威力を持つ。
落下しながら迫る敵の頭は無残に打ち砕かれ、戦闘の始まりを告げる
血肉の雨を降らせた。
「うわ……相変わらず、沙華と一緒に戦うと
いつも以上に服が汚れるよ」
沙華の後ろに追随する鈴蘭は、腰のアルカナホルダーから
一枚の「アルカナ」を抜き、発動させ風を発生させることで
血肉の雨を払った。
「アルカナ使うほど嫌?」
「嫌だけど……もちろん、それだけじゃないよ!
――第七の剣の風よ、敵を捕らえよ!」
風を集めた剣を後方へと振って風を流す。
剣の七で指向性を与えられた魔力の風は、杜の中でありながら
つむじ風のように木々に絡まりながら沙華と鈴蘭を追いかける
敵の足並みを崩す。
「――てや!」
そして鈴蘭自身も木々の間で風となる。
全力の速さで走りながら軽やかに身を翻し方向転換した
鈴蘭の持つ1双の風刃が、風に足を取られた敵を次々と
切り捨てた。
それはまるで風に乱れ舞う死神の鎌。
人の姿をした獰猛な獣たちに抗えぬ死を与える絶対的な力。
「でも、危なっかしい」
「――うわ!」
息を潜めて木の影から鈴蘭を狙う烙者がいた。
だがその烙者の細くも禍々しい腕が鈴蘭の髪に触れるよりも
速く、落雷のように振るわれた沙華の宝杖が木も抉りながら
烙者を粉砕した。
「ありがとう沙華……ついに汚れちゃったけど」
「背中が甘い。勝手に走らないで」
「はあい。でも私は走らないと……いや、じゃあ魔術でもうちょっと
頑張るよ」
「……残り少ない?」
「多くはないけど、大丈夫」
アルカナの残り枚数よりも、自分の魔術の威力があまり無いから
使用したがらない鈴蘭だった。
歩兵用兵器である「アルカナ」は、多くの人間に魔術の行使を
容易とさせる優れた兵器である。
しかし魔術的要因で、アルカナの所持は1から10の数札ならびに
4種の人札の各1枚ずつしか所持することができない。
そしてアルカナは一度使用するとしばらく使えなくなる。
しばらく、であるため時間を置けば使用できるようになるが、
ここまでずっと戦闘してきた鈴蘭のアルカナは大半が
使用済みのまま回復していなかった。
無くなればいざというときの「切り札」が無くなる。
それでも――今がこの文字通りの切り札を使う時だと鈴蘭は判断する。
「――第10の剣をもって、我、眼前の一切を払う!」
剣の10。数札の最後の札。
それが秘めた魔力は、圧縮された空気として木々の枝葉の中で炸裂する。
「――おもしろい」
敵味方問わず空間を蹂躙する風のなかで、沙華は凶悪に笑った。
暴風をものともせず、劫火のごとく振るわれる宝珠が烙者を次々と
打ち砕いていく。
鈴蘭もまた自らが発生させた風に踊るように、俊敏な動きで
次から次へと烙者を斬った。
風が収まる頃にはほとんどの敵が宝珠と刃と暴風に散って
残り風に骸を吹かれていた。