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「え、なにこれ……」
沙華と重ね合わせていた唇を離して我に返った鈴蘭の目に、
二人を取り囲む枝が映った。
恐ろしい精霊と二人を隔て、包み込むように生える様は
鳥籠のよう……。
そんな耽美的な考えに鈴蘭は一瞬浸ったが、程なくして
少女たちの世界を壊すような粗野な声が聞こえた。
『やれやれ、やっとお呼びかよ』
――声。また。
若い男性のような声。
姿は見えない。けれどその声は、若く純朴な青年という
よりは、若気の至りで薄暗い路を好んで歩む粗雑な
人格を思わせる声だった。
そういえば気にする余裕がなかったが、さっきも別の
壮年の男性のような声が聞こえていた。
「何なのさっきから? 新しい精霊ってこと?」
「さっきから? ――ああ、それのこと?」
「それって……えぇ!?」
「それ」は沙華の肩にいた。
銅色の鱗に身を覆った、小さな蛇。
瞳は血のように赤くどこまでも禍々しく――成りは小さいのに
それは恐ろしいものだと、鈴蘭のどこかで警鐘が鳴る。
精霊――そう、小さいけど、精霊なのだ。
「何、それ……?」
『あ? ――なんだよお前。ただの人間かよ。
てめえなんぞに名乗る名前はねえよ』
「こら。私の友達なんだから仲良くして」
凄む精霊に対して、平然としている沙華。
相手がどんなに恐ろしいものでも、それが肩に乗っていた
としても、動じない様子は沙華らしいとも言えるが、
常人的な感性の持ち主である沙華は目の前の現実に
完全に置いていかれていた。
「これはルシファ。
マリアと同じ、精霊であり、守護霊。
まあ……説明しようとすると長くなるんだけど」
『説明なんていらねえよ。
俺は何かをぶっ殺すだけの存在だとだけ思ってりゃいい』
沙華と精霊――ルシファの軽いやり取りに、鈴蘭は
はぁ、としか答えられなかった。
蛇の言葉に、やれやれと他人事のように嘆息しながら
首を振る沙華。
それをぼんやりと眺めていて、鈴蘭は別のことに気づいた。
「あれ? そういえば……沙華、なんで立ってるの?」
魔方陣の光に飲み込まれてから、自分もいつ立っていた
のかよくわからないが、そういうことではなくて、
鈴蘭の認識では沙華は立つことが困難であったはずだ。
だって彼女の足は……
「えぇ!? 足が! 足が!!」
「何? そんなに驚き? ルシファの力で生えただけだよ」
「生えるって……トカゲじゃあるまいし。
っていうか、ルシファの力って?」
まさか、精霊の力を借りたとでも言うのだろうか?
更に気付けば、沙華の瞳の色が元の紫色から藤のような
赤に変化している。
まるで燃え盛る――酸素を得て灼熱を孕む炎のような色に。
いったい何が起こったというのか?
問おうとするが、それはマリアの声に阻まれた。
『蛇よ――なぜ出てきたのです!?』
明らかな嫌悪と侮蔑の滲み出た声。
それに対しルシファは白けたように答える。
『契約したからだ』
『契約!? 何時? 何故?
またしても気まぐれで無垢な子らを惑わし、
道を外れさせようというのですか!』
『てめえに説明する必要はねえ。
ただ俺は、こいつが炎の中で声を枯らし、屍を
踏みつけ、世界を呪い滅びを望んだ、
その無様に応えようと思っただけだ』
『お前が声に応える? 堕落と背徳のみをもたらす
お前が! 忌々しい!』
『堕落と背徳? はっ、これから世界を滅ぼすには
丁度いい前菜じゃねえか』
『お、おのれぇぇぇ――!』
マリアの激怒に応えるように塩の光が降りそそぐ。
しかし沙華と鈴蘭を護る枝はそれをも防いだ。
『く――ヤマ! 貴方もどうして蛇に加担
するのですか!?』
唐突に――マリアはルシファではない名前を呼んだ。
鈴蘭にはどういうことか理解できなかったが、確かに
答える声はあった。
『加担はしていないぞ? 私は私の目的のために
ここにいて、この娘たちを護っている』
その声は鈴蘭が魔方陣の光に飲み込まれる前に、
ルシファが沙華の肩に現れる前に聞こえていた
声と同じなように思えた。
『それが世界の破滅につながるとしても!?』
『この娘たちの葛藤を見ずして破滅と決めつけるのは
早計だと思うが――まあ、そうだな。結果的に
私の目的が果たされるのならそれでも良い』
『馬鹿な――!?』
『馬鹿とは何だ。お前の方こそ、いくら慈愛の化身とは
言え現状に拘りすぎているのではないか?
我々の本来の使命はそこではないだろうが』
『く――ですが、それが小娘と蛇によってなされる
べきものではないでしょう!』
『過程に拘るか――求道とはそういうものかな』
そこで精霊たちの話し合いは一端途切れる。
マリア、ルシファ、そして――「ヤマ」?
「ねえ、沙華、今ここに精霊って何、人? いるの?」
「三柱だけど」
「マリアとルシファとヤマ? ヤマって姿はないの?」
「え? そこにいるじゃん」
沙華は鈴蘭の肩を指さした。
何かついているだろうかと思って指された肩を見ると
そこに「それ」はいた。
「うわぁ!」
思わず後ずさる鈴蘭。
しかし飛び跳ねた鈴蘭の肩からも「それ」は落ちなかった。
『うお……急に動くな。留まることは苦ではないが
余計な手間になるのだからな』
その精霊、ヤマは牛のような姿をしていた。
牛と言ってももちろん、鈴蘭の肩に乗るぐらいに小さい。
強い存在感を感じるが、ルシファほど威圧的ではないため、
小さい姿と相まって可愛らしくすら思えた。
『はじめましてだな。風刃の娘、鈴蘭よ。
私はヌンの守護霊、ヤマだ』
「え……ええっと、はじめまして?」
とりあえず答えてから、鈴蘭の頭が現実に追いついて
精霊への疑問を浮かべる。
「ど、どうしてここに?」
『お前と契約しようと思ったからだ。
否、契約はすでに結ばれているがな』
「そ、そう……って、ええ!? なんでっ?
そんな勝手に、なんで私!?』
『ルシファと同じく、私も赤い娘に目をつけている。
だが、赤い娘は力が強すぎる。
破壊以外を為すためには、その力を制御するものが
必要だ。
そこで、私はお前に力を与えることにした。
「烙印」を持たぬ只人の娘よ。私が力を与える代わりに
お前は人として赤い娘を導け』
「……」
――そんな急に言われても。
鈴蘭は言うべき言葉を思いつかなかった。
だが――鈴蘭はすでに誓ってしまったのだ。
そうだ。誓え、と言ってきたのはこの精霊だったのか。
「――わかった」
鈴蘭の答えに、よし、とヤマが頷いた。
待ちなさい、とマリアが喚いていたが無視。
「ごめんね」と沙華は言った。
「これでもう、鈴蘭は後に引けない。
私の――私たちの行く道が滅亡と絶望の道だとしても、
どんなに後悔しても、鈴蘭は引き返すことはできない。
それでも…………来てくれる?」
「行くよ。沙華、絶対にあなたを一人にしないから」
「……ありがとう」




