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「――で、このとき私は精霊と会っていたと思うんだ」
自身と精霊との関わりを話すために語った悲劇とも言って
差し支えない自叙を、沙華は淡白に締めくくった。
時は宵の口。
残光の届かない昏い木々の間に設置した野営で、
鈴蘭は焚き火を見つめながら沙華の話を聞き、言葉を
失った。
「……どうしたの、鈴蘭。
精霊について聞きたかったんじゃないの?」
「いや、だって……」
どうしてそんなに平然としてるの!?
炎に巻かれ煤に塗れた幼少期を過ごしてきてなお、
それを一顧だにしないような沙華の態度に、鈴蘭は
思わず怒鳴りたくなった。
けれどもここで声を荒げる事に意味は無いし、
自分がそうする理由もない。
「……辛く、なかったの?」
「何が?」
とぼけた様子でもなく、本当に鈴蘭が訊いた内容が
わからないといった口調だった。
「何がって、その……家族を亡くしたこととか」
「ああ……」
そして鈴蘭が明確に問うことで、はじめてそれを認識
したかのように頷く沙華。
「わからない」と彼女は言った。
「よくあることでしょ? 今の時代じゃ」
「そうだけど……そうだけど! だからって悲しく
ないわけじゃない。悲しんじゃいけないわけじゃない!」
「……そうだね」
そう頷いた沙華は、しばらく俯いてからぽつりと問うた。
「ねえ――この世界が好き?」
「え?」
「もしこの世界を滅ぼせるなら、どうする?」
鈴蘭に問いかける紫の瞳には、揺らめく炎の影が黒く、
全てを飲み込む闇の炎のように蠢いていた。
「それは……どういうこと?」
「そのままの意味だよ。とりあえずは譬え話として
答えてくれればいいけど」
「譬え話って、そんな……」
ありえない。
荒唐無稽だ。
だが沙華の瞳に揺らめく炎は、まるで蛇のように
鈴蘭の意識を捕え、答えることを強制した。
悪魔の、囁きのように。
肯定か否定か、どちらかの選択肢しかなかった。
鈴蘭は――。
「だめだよ」
――否定した。
鈴蘭の答えに、沙華は「どうして?」と問う。
これもまた感情を挟まない、純粋な問いかけだった。
どうしてだめなのか?
どうして世界を滅ぼしてはならないのか?
この世界は自分だけのものではないからだ。
みんなが、名も知らぬ人たちが、懸命に生きている。
鈴蘭が兵士として戦うのは、そんな生活を守る
ためだった。
だから尚のこと、自分勝手に世界を滅ぼすなど
ありえべかざる選択肢だった。
そんな鈴蘭の答えに沙華は、ふうん、と白けたように
応えた。
しかしそれまでのように感情を挟まない様子ではなく、
落胆と寂寞が、僅かにだけ混じっていた。
「はじめに言っておけばよかったね」
「え……?」
「付き合わせて悪かったね。――お詫び、してほしかったら、
基地の近くまで送るよ」
「え、それってどういう……」
そこで鈴蘭は、沙華がさっきまで語っていた自叙に思い至った。
――何を聞いていたんだ。私は。
沙華は幼いころに故郷と家族を失った。
その原因は杜だ。杜が彼女の人生を壊した。
それは世界が彼女の人生を壊したということでもある。
そんな彼女が世界の滅亡を願うことなんて不思議なこと
ではない。
戦っている時以外は憎悪どころか他の感情すら押し殺すように
見せない彼女だからわかりづらいけれど、その実は
世界への憎悪を滾らせ続けていたのではないか?
「さっき、譬えだって言ったけど」
鈴蘭は訊いた。
「うん?」
「本当なんだよね? 世界を滅ぼせるっていうのは」
「……確証はないけどね」
その答えを聞いた時、鈴蘭は沙華を抱きしめていた。
「な、なに?」
「……なんだろうね?」
世界を滅ぼすなんて言わないで欲しいと思った。
それが実現可能なことか否かは関係ない。
世界を滅ぼすと願うほどの絶望と憎悪を持っている
ことが――悲しい。
「……悲しいのよ」
「同情ってこと?」
「そうかもしれないね」
「……」
「ねえ、沙華。あなたは悲しくないの?」
「……わからない」
普段、沙華は怒りも悲しみも、ほとんどの感情を見せない。
唯一戦闘のときだけ、猛り狂うような表情を見せるが。
でも、そういえば数年前のあの時だけは、人前でも
沙華は感情を露わにしていた。
しかしあの時、沙華は感情を露わにし暴れたことを弱さだと
自ら言った。
それは激情を自制できなかったことだと鈴蘭は解釈していたが、
沙華が求める自制とは、一切の感情を殺すことではないのか?
「どうしてわからないの? 悲しいことは悲しいじゃない」
「そうかもしれない。けど……悲しむべき対象が私にはなんだか
わからない。
亡くなった日々を悲しんでもいいのだろうけど、亡くなったものなら、
それに感情を向けるのは無意味」
「……馬鹿」
なんて不器用なんだろうか。
喪ったものを悲しまずして何を悲しむというのか?
「そうかもね。でもずっとそう思ってきたから……。
今子の胸にあるのは憎しみだけ。けれどそれも、憎むべき理由を
私は理論的に説明できずにいる。
どうして、この世界を滅ぼさなければならないのか……!?」
紫に染まった瞳の奥底では、確かに苦しみもがく光が見えた。
喪失に喪失を重ね、理性と狂気の狭間の奈落に飲み込まれた灼熱。
そんな悲しい魂を鮮やかに救いだす術など鈴蘭にはなく、
彼女にできるのは、ただ、沙華を抱き締める事だけだった。
「……暑い」
杜の中は気温が低いようだったが、湿度が高くて妙に暑いような
感じもあった。
「でも、私はこのままでいたいの」
「仕方ないなあ……」
諦めたように溜息を吐いた沙華は、鈴蘭に身を預けながら自らも
そっと鈴蘭の服の裾を握った。
「でも本当のことだから。私は世界を滅ぼす。
なぜなら私は烙印を持つから」
「烙印?」
「契約の証。世界を滅ぼす私が怖くないの?」
「……よくわからないけど、でも、沙華が怖いことははじめから
知ってた。でも怖いけれど……悲しい。悲しいけど、強い。
強くて、優しい。だから……」
「私は優しくなんてない」
「ううん。沙華は私を何度も助けようとしてくれた。
ねえ、沙華…………好きよ」
その言葉をどういうつもりで口にしたのか、鈴蘭は自分自身でも
よくわからなかった。
沙華はそんな鈴蘭の胸に抱かれたまま、馬鹿、と小さく呟いた。




