魔術師の誓約【中編】
「……なあ、ジーン、もう108かいはのぼったんじゃねえの?」
最初はかつん、かつんと規則正しかった足音は、だんだんと鈍く不規則な音をたてはじめていた。
休憩を3回とり、おやつも2回食べた三人はかなり疲労していた。そもそも、本来は睡眠をとるべき時間帯なのだから無理もない。
「……もう1かい、きゅうけいしよ、きゅうけい」
アルトはディオルの背負った袋から、キャンディを取り出した。
「ディオ、なにいろにする?」
「おれは、みずいろ」
みずいろのソーダ味がディオルの今のお気に入りである。
「ジーンは?」
「白かな」
白はハッカ味。ハッカは2人とも好きじゃないのでユージーンしか食べない。
「うげっ、こんなのよくジーンたべれるよな」
「すっきりしておいしいよ」
「そうか~?」
アルトは思いっきり疑わしそうな顔をし、自分の分には綺麗なグリーンのマスカット味を選ぶ。
「……で、ジーン、いま、なんかいなわけ?」
「うん。ほんとうはアルのいうとおり、もう108かいぶんはのぼったんだよね」
「じゃあなんでいちばんうえにつかないの?」
ディオルは軽く首を傾げる。
「まほうがはたらいているんだよ。そんなこともあろうかと、ずっと1かいずつシールはっておいたんだけどね」
ユージーンは困ったような表情で溜息をつく。
「ぐるぐるまわるかいだんなのにどうして、かいがわかるの」
ディオルは不思議そうに尋ねる。
「かいだんが49だんごとに1かいぶんだってわかったんだ。さいしょのひろまは9かいぶんぶちぬいてあったんだよ。てんじょうすっごくたかかったでしょ」
「じゃあ、おどりばはなんかいごとにあるの?」
「たぶん、3か6か9かいごとにいちどあるんだとおもう。3のばいすうで。でもめちゃくちゃだからかくにんできないんだけどね」
「もうぜんぶのかいにはれた?」
「ううん。まだいっていないかいが23もあるんだ。ほら」
ユージーンは本の表紙に挟んであったシールをみせる。数字は86以降が残っている。
「もうシールをはったかいにきたときは、シールははらないようにしてあるんだ。だから、シールが23まいのこっているってことは23かいぶん、おれたちがいってないばしょがあるってことなんだよ。おんなじかいになんかいもいったりしてるんだ」
シールの台紙の空いた所に細かい数字が書き連ねてある。その数字がどうやら彼らが足を踏み入れたフロアの順番らしい。
「……でもさ、のぼったりおりたりしてねえぞ。ずっとのぼってるだけじゃん」
「だから、まほうでくうかんをねじまげたりすればそういうのわからないでしょ」
「じゃあさ、このままぜんぜんたどりつけないわけ?」
「……わかんないよ。だってこのすうじにほうそくせいはないんだもん」
「ほうそくせい?」
「えーと、たとえばさ、さんかいのぼったらにかいさがるとかっていう、いっていのルールにそってねじまげられてるってわけじゃないってこと」
ユージーンの言葉にそれまで黙っていたディオルが口を挟む。
「じゃあさ、シールのすうじが5でも、もしかしたらそこは40かいとかだったりするってことだよね」
「そうだね」
ユージーンがうなづく。
シーンと場が静まり返った。
「……なあ、もしこのかいだんをくだったとして、おれたち、「がくいん」にもどれるのか?」
「……さあ……」
ユージーンが困ったような表情になった。
「のぼってものぼってもたどりつかないってことはさ、おりてもおりてももどれないってことにもなるよな……」
沈黙が三人の間を支配する。
「と、とりあえず、クッキーくおうぜ。かんがえててもしかたないし……。たべたら、くだってみようぜ。もしかしたら、シールをはるかいがみつかるかもしれないし、くだったらあんがいてっぺんにつくかもしれないだろ」
(……らくてんてきだ)
ユージーンはそう思ったけど、口には出さなかった。この場合、悪い想像をしても仕方がない。ちらりとディオルを横目で見ると、こういう時に一番うろたえそうなディオルが意外に落ち着いている。
「ディオ、へいき?」
「へいきだよ。まいごになるのなんてめずらしくないし……。おれ、あにきたちによくいけがきめいろにおきざりにされたり、かがみのめいろにとじこめられたからな」
ディオルはけろっとして答えた。
「いけがきめいろ?」
「かがみのめいろ?」
ユージーンとアルトは聞きなれない単語に眉を顰めた。
「うん。めいろはわかるだろ?」
「ああ」
「あたりまえだろ」
街ではカーニバルの時などに戸板などで大きな迷路をつくって子供たちを遊ばせる見世物がある。制限時間内に出口に辿り付くとおかしがもらえるというその見世物はけっこう人気があった。もちろんユージーンやアルトも参加したことがある。
「いけがきめいろは、おとなのせよりもたかいいけがきでにわいっぱいにめいろがつくられているんだ。すっげーひろいの。おれ、みっかくらいまよったことあるし……」
「そんなのいけがきくぐってくればいいじゃん」
「とげとげがいっぱいあるきでつくられてるんだよ」
「……それつくったひと、せいかくわるいよ」
ユージーンが溜息をつく。
「だいたい、それってまよったってより、「そうなん」じゃないの?」
「……そうかも。でも、なつだったから、よるとかそとでねてもそんなにさむくなかったぜ。そらのほしをみてほうがくがわかって、それでかえれたんだ」
「で、かがみのめいろは?」
「うちのちかにそういうフロアがあるんだ。めいろがかがみでできてるの」
「そこではどのくらいまよったの?」
「まるいちにちくらい。でぐちといりぐちがひとつずつしかないめいろはさ、どっちかのてをかべにつけたまますすめばかならずでぐちにはつくんだよ。よく、まいごのときはそのばをうごくなっていうけど、じぶんででぐちをみつけないとだれもむかえにはきてくれないからひっしだったぜ」
ディオルはそれほど大変そうに言わないが、かなり悲惨な体験である。それも兄にやられたというところが怖い。
「……ディオルんち、いいおうちだったんだね」
ユージーンはやっとそれだけ言った。
「んーと、いちおう、おうぞくだったから、おれ」
「えーっ、うそっ。ディオっておうじさまだったのか?」
「……いちおう」
ディオルはあっさりとうなづく。
「でも、もうかんけいないんだ。だって「とう」にきたら、みぶんとかそういうのかんけいなくなるって「とう」のひとがいってたし……」
ディオルは嬉しそうに笑った。
普通、王子と言えば好き放題のわがままが許される身分のはずだったが、ディオルにはそういうところがまるでない。それどころか、その押しの弱さでいつも割を喰っているようなところがある。その口ぶりから察するに、ディオルは王子という身分を離れた事をとても喜んでいるようだった。
ユージーンとアルトは、さほど身分というものにわずらわされたことがなかった為、自分とは違いすぎるその境遇に同情でも哀れみでもなく、ただ悲しいような何とも言い難い思いを抱いた。それを、何て言い表していいのかわからなかったけれど。
「ま、そういうことだから、おれはぜんぜんへいきだからな。みっかまでなら、なにもなくてもだいじょうぶだってわかってるし……。しょくりょうものみものもまだあるし……」
ディオルは背負っている袋をぽんぽんと叩く。どうやら袋の中にはまだ食料や水筒などがつまっているらしい。
(いがいだ……)
ユージーンは真っ先にネをあげると思っていたディオルの意外な面を発見し驚いた。アルトも同様らしい。アルトに至っては、その負けん気でもう絶対に弱音は吐かないと決意を新たにしている様子が見て取れた。
「ほんかくてきにぼうけんってことだな、うん。ぜーったい、やつらをみかえしてやるんだ」
握り締めた拳に力が入る。
「そうだね。ここでよわきになったらだめだよね」
そもそものこの冒険の発端は、同じ初級クラスの生徒に三人がバカにされたことがきっかけだった。
スカウトされてくる生徒というのは、通常すぐに師匠がつくものだ。だが、幼すぎる三人には未だ師匠がいない。
そもそも、魔法というのは資質……つまりは生来の魔力が一番物を言う。その点、彼等は非常に優秀な生徒だった。足りないのは年齢と師匠だけだ。
年下の少年に追い越されれば当然腹立たしい、クラスメイト達は他にネタがないものだから、毎回毎回その件で三人をからかっていた。
そこで、腹に据えかねたアルトがこの冒険を言い出したのだ。入る事を硬く禁じられているこの塔を制覇したとあれば、誰も自分たちの資質に文句は言うまい。
「おれ、たいちょうな。ジーンがきろくがかりでディオがにもつもち」
にかっと笑うアルトをユージーンは故意に無視した。
「……で、ディオ、しょくりょうはあとどのくらいあるの?」
「えっと、あめがまだのこってるだろ。それからりんごが3こあるだろ。チョコレートが2まいとビスケットが6まい、それから、むしぱんもまだ4こある。それから、ジーンからあずかったクッキーだろ。サラミソーセージが5ほんとチーズのかたまりが2つある。すいとうはあと2ほんで、いっぽんはあまちゃだけど、もういっぽんはレモンすい」
ぽんぽんとユージーンはディオルの肩を叩いた。
たかが「塔」にのぼるだけなのに何をこんなに背負ってきたんだろうと思ったが、今となってはディオルの判断は正しい。自分は記録することしか考えていなかったのでたいしたものは持ってきていないし、アルトにいたってはランプとダウジング・ロッドなどわけのわからないものばかりだ。
「ディオ、えらい」
「そうかな」
ユージーンに褒められて、ディオルは照れたように笑った。
ディオルの場合、それは深謀遠慮というより、それまでの環境によって身についた生活の知恵だった。
下りはじめてどのくらいたったのか、三人の疲労は極地に達していた。ユージーンのシールはあれからまだ3枚しか減っていない。
「なあ、ここらへんで、きょうはもうねようぜ」
ディオルが提案する。
「ねるって、ゆかで?」
アルトが嫌そうな顔をする。
キャンプはへっちゃらだが、ここは石造りの固い床だ。それでなくとも冷えるのに床の上に寝るのはごめんだった。
「どっかのへやにはいればいいんだよ。ベッドはなくてもじゅうたんくらいひいてあるへやがきっとあるよ」
「……ディオ、だいたんなていあんだね」
彼らは階段部とその踊り場にしか足を踏み入れていないが、踊り場から通じている廊下には幾つもの扉が存在する。勿論、扉の向こうには部屋が存在するだろう。ただ問題は、そちらの空間とて歪んでいない保証はないということ。
「どっかのおへやでねて、またかいだんにもどってくればいいだろ」
「……そうだね。かいだんでるときのシールのばんごうともどってきたときのシールのばんごうをかくにんすれば、そっちのくうかんまでゆがんでいるのかどうかがわかるし……」
「じゃあ、しゅっぱーつ」
「まった。いちおう、てをつなごう。ばらばらになっちゃうといやだから」
三人は手をつないだ。
「いくぞ」
何がいるかわからないというのに、アルトは平気でランプを手に踏み込んでいく。こういうところがアルトのすごいところだ。単に何も考えてないだけかもしれないけど。
ランプの明かりに照らし出された廊下は、まるで人気がない。
とりあえず一番最初の扉を開いた。
その瞬間ぱっと室内の灯りがともる。
「うぎゃあっ」
「うわっ」
「!!!」
三人三様に驚きを示す。
「……へやにはいると、じどうてきにあかりがつくようになっているみたいだ」
アルトの持つランプとよく似たランプ……ただし壁にくっついている……をしげしげと観察したユージーンは言った。
光はアルトの持つランプよりも何倍も明るく、部屋中を照らし出している。
「だれのまりょくをつかっているんだ?」
アルトは、手にしていたランプの光を消した。このランプはアルトが『灯火』の呪文を唱え、それを封じ込めることで光源を作り出していたのだ。
「わからない」
ランプの底に描かれている魔法陣をユージーンはノートに丹念に写した。
その魔方陣は、アルトの持つランプに描かれている魔方陣と似ているもののだいぶ変形している。いや、アルトの持つランプの方が変形しているというべきか……組み込まれている呪文を解読すればきっといろいろなことがわかるだろうと思って、ユージーンはワクワクしていた。
ただし、その解読も何にせよ戻ってからのことだ。
光の中で見た室内は、まるで毎日掃除をしているかのようにきれいに整えられている。
床に敷き詰められた緋色のフカフカの絨毯、磨き抜かれ飴色に輝く家具はどれも繊細な細工が施された見事なもの。なかでも椅子と卓子のセットは螺鈿が施されていて、それこそ一国の宮殿に住んでいたディオルですら感心するような素晴らしさだ。しかも、豪奢でありながら、非常に洗練されている。
「ここが、いまだとすれば、となりにしんしつがあるとおもう」
ディオルの言葉に三人は隣室へと踏み込む。
そこには天蓋つきの豪華極まりない寝台が置かれていた。もちろん、ちびっこ三人が眠るには充分すぎるほどの広さがある。
「すっげー……」
薄い紗の絹の向こうにはふかふかの羽根布団の海が広がる。
「じゃーんぷ」
アルトはランプを飾り棚に置くと、思いっきりダイビングをして寝台に飛び込んだ。寝台は優しくアルトの身体を受け止める。埃っぽくないことをユージーンは不思議に思ったが、ここは「真理の塔」だ。そういうこともあるのかもしれないと思い直す。
「すっげえ、ふかふかだぜ。ジーンもディオルもはやくこいよ」
ディオルとユージーンは顔を見合わせ、そして荷物を置くと一緒に寝台に飛び込んだ。
しばしトランポリン遊びに興じた後、まるで電池がきれるように三人はぱたりと倒れこみ、そして寄り添うようにして眠った。
まだ6歳の子供にとって、睡眠は必要不可欠な栄養素だった。