魔術師の誓約【前編】
世界の果てに『塔』があるという。
鳥すら渡らぬ灼熱の砂漠の果て……、あるいは誰も見たことがない大海の果てにその『塔』はある。
そこは、魔術により世界のすべてを治めたと言われる魔導帝國の首都であったと古の伝説は言う。
しかし、繁栄と隆盛を極め、絶頂期にあった帝國は『大災厄』と呼ばれる天変地異により一夜にしてこの地上から消え去った。
のみならず、『大災厄』は、この世界をも崩壊させかけたとも言われる。
それを一身に喰い止めたのが、帝國最後の皇女である『輝夜の宮』……強大な魔力により帝國を支配していた皇家に在りながら、尚も『天魔の姫』とまで呼ばれた最強の魔導師……であると、史書は記す。
姫宮は、己の総てを賭けてこの世界に魔術を施したのだという。
その魔術ゆえに、世界は不安定ながらもこうして存在する。
『塔』は、かの姫宮の居宮であり、そこには世界の全ての叡智と総ての真理が眠る。
それゆえに、『塔』は聖地となった。
だが、常人はその生涯で『塔』を目にすることはない。
そこは、常人には決して辿りつくことの出来ない場所であるからだ。
『塔』に行き着くことができるのは『魔術師』あるいはその資質のある者のみである。だから、人々はそこを『聖地』あるいは、『世界の果ての塔』と呼んだ。
この物語は、そこに集った魔術師……そしてその卵達の物語である。
◆◆◆◆◆◆◆
「なあ、やっぱりかえろうよ」
ツリ目がちの淡いグレイの瞳を潤ませてディオルは言った。
見た目は勝気で一番きかなそうなのだが、中身は全然違う。
「いまさらかえれるわけねーだろう。こうなったらすすむだけだって」
その明るい茶色の瞳に好奇心をたっぷりと浮かべ、見るからにワクワクした様子で一番前を歩いているアルトが振り返る。
「ユ~ジ~ン~」
アルトにあっさりと希望を却下されたディオルは、背後を振り返る。
「……アルのいうとおりだよ。どうせ、もどってもおこられるのはいっしょだよ。それだったら、とうのてっぺんまでいってみたいでしょ」
ディオルの訴えかけるような眼差しに、黒髪が艶やかなどことなく貴族的な顔立ちの少年はきっぱりと言った。
三人とも、まだ幼い。五歳は越えたであろうが、十歳には満たないだろうという年頃である。
「……おれはかえりたい……」
小声で呟いて、ディオルは、がっくりとうなだれた。
だが、ユージーンまでもがそう言うのでは、ディオルの望みが叶うことは万一にもなかった。言い出したのはアルトだったが、つまるところこの冒険行はユージーンの意思ということなのだから。
「だいじょーぶだって。せんせーたちはあんなこといったけどさ、ただのおどかしにきまってんだろ」
「でもさ、このとうはおひめさまのおうちなんだよ。だから、しょうたいされなきゃはいっちゃいけないんだよ。かってにはいるとおひめさまのしゅごじゅうにたべられちゃうんだよ」
ディオルはすっかり泣きそうだった。
『真理の塔』と呼ばれるこの塔こそが、この『世界の果ての塔』の名の由来となる塔である。
彼らちびっこ三人は、『真理の塔』に付随する魔術師達の研究・養成機関である「学院」の生徒だった。
黒いマントの上に重ねられたケープの色は臙脂、そこには絹糸で双頭竜の紋章が縫い取られている。そのケープは彼らがまだ学院の生徒であることを示し、色は彼らが初級であることを示している。つまり、彼らは魔術師としてはまだ卵も卵、杖すらもない魔術師見習いだった。
その身に内包する魔力を磨くことにより時間の狂ってしまった魔術師は多く、その見た目どおりの年齢でないことが多いのだが、彼らは見た目そのままの子供にすぎない。
「そんなのせんせいのおどかしだって」
この塔は、輝夜の宮の座す塔であるから決して入ってはいけないと、教師達には何度も何度も口をすっぱくして言われていたのだ。
「だいじょうぶだよ、ディオ。『かぐやのみや』は、もうなんぜんねんもまえのひとなんだから。しゅごじゅうだってもうどこにもいないよ」
ぽんぽんとユージーンは肩を叩いて慰めたが、ディオルにとっては全然慰めにはならなかった。
守護獣は幻獣だ。幻獣の寿命は人間とは違う。ましてや、この塔の主人である輝夜の宮は帝國最強にして最高の魔導士だった。魔導士の中には時間軸を突き抜け、不老不死を得てしまったものもいると聞く、もしかしたらまだ生きているかもしれないのだ。
皇家の末裔であることを誇りにする北方の小国の国王の庶子として生まれたディオルには、法学者夫妻の一人息子に生まれたユージーンや大国の富裕な成り上がり下級貴族の家に生まれたアルトよりも少しだけ守護獣・・・…ひいては幻獣に対する予備知識があった。
既に伝説の中にしか棲まないと言われている幻獣と呼ばれる古代生物達……不死鳥、一角獣、それから人魚に有翼獅子……そして、竜……魔導帝國の時代、竜はあらゆる生物の頂点に立つ王者だった。
『輝夜の宮』の守護獣は、その竜……それも創始の混沌の中から生まれたという2頭の古代竜だと言われている。
「ほら、いくぞ」
「ディオ、ないてもいいけどあしもうごかして……」
(……ユージーンもアルトも古代竜がどんなにおおきいかしらないんだ……おれたちなんてひとくちでたべられちゃうのに……)
そんな大きなものがこの塔の中に入れるのかという疑問を抱かないディオルは、ぐずぐずと鼻をすすりながら心の中で2人を責めた。
◆◆◆◆◆◆◆
「なあ、このとうってすっげーむかしのたてものなんだろ?がくいんができるまえからあるんだろ」
延々とどこまでも続く階段を三人は上って行った。
石造りの壁に小さな三人分の足音がこだまする。
ここには三人以外に生きている者の気配がないとユージーンは思った。生あるものの持つ気配……オーラともいうべき感覚がまるで感じられない。
「うん。まどうていこくのじだいのたてものだからね。ここは『とうぐう』ってよばれていたきゅうでんのいちぶで、あるじだった『かぐやのみや』はていこくのさいごのおひめさまなんだよ」
ユージーンは本で得たばかりの知識を披露した。腕の中に抱えた大きな本は、かつてこの塔が宮殿だった時代にこの宮殿について書かれた本である。
本来だとまだ読めない字もいっぱいあるのだが、古代魔法文字で書かれたこの本は、本を読むにふさわしいだけの魔力を持つ者に直接語りかける。幼いながら、ユージーンにはこの本を読むに足る魔力があった。
ちなみにアルトとディオルは語りかけられても難しすぎて意味がわからないので、もっぱらユージーンがこの本の内容を噛み砕いて説明する係だった。
「へえ」
「このしんりのとうには、かぐやのみやののこしたすべてのしんりとえいちがのこされているんだって」
「しんりとエーチってなに?」
「しんりとえいちだよ、ディオ」
「そんなこともしらないのかよ、ばかディオ」
「ばかっていうな、アルもしらないくせに」
「おれはしってるもんねー、ばかディオとはちがうから!」
「ばかじゃないっ」
再び目の縁に涙がたまっている。
「アル、ディオをいじめるのはやめなよ。ほら、ディオもなみだふいて」
ユージーンはポケットから出したハンカチでそっとディオルの目元をぬぐってやる。
彼らはその魔力の高さと資質を認められて、この幼さでこの「学院」で学ぶことを特別に認められた生徒だった。
全国各地に優れた魔法学校は数多くあれど、「学院」は特別だ。ここは、かつて栄華を誇った古の魔導帝國の正統なる魔法学を伝える聖地であり、ここで学ぶことはそのまま魔術エリートたる証明でもある。
ゆえに、「学院」では、世界全土の魔法学校から選りすぐられた魔術師の卵達が日夜修行に励んでいる。
この学院に入るには、方法が3種類あった。
① 各地にある魔法学校の推薦を受け、試験に合格した者
『殿試』と呼ばれる試験に合格することによって、学院の生徒となる。
『殿試』を受けられるのは満年齢にして11歳以上とされている。
ほとんどの者がこの方法で入学し、実に7割以上生徒がこれに相当する。
ちなみに『殿試』といわれているのは、この果ての塔が帝國の宮殿の一部であったことに由来する。
② 勧誘を受けて入った者
アルトとディオルは勧誘による生徒である。
勧誘の場合の規定は特にないが、だいたい学齢期に相当する8歳以上の年齢の生徒が多い。
ごくまれに二人のようにそれ以下の場合もあるのだが、それは本当にごく稀なことだった。
この勧誘による生徒が残りの2割9分9厘。
アルトとディオルは年齢は満たなかったり特殊な事情があるもののこれに該当する。
③ 自力で辿り付いた者
ほとんどないことだったが、残る1厘がこれに相当する。
これは、塔が常人には辿り付けぬ場所にあるが為である。自力で塔に辿り付くということは相応の魔力と運があるということで、試験合格に相当すると見なされる。
そして、ユージーンがこれに該当する。
彼の場合ここに辿り付いたのはほとんど偶然のようなもので、そもそも彼は「塔」を目指していたわけではなかった。
ユージーンは外に戻ることもできたが、彼は「塔」に残ることを選択した。
そして随時行われる試験により、その都度、上のクラスに進めるか否かが選別される。
無論、この「塔」に来て1年。まだ6歳にしかならない……ユージーンに至っては5歳でしかない……三人にそんなことがわかるはずもない。彼らにとって、ここは親友とも言うべき友達ができた記念すべき場所であり、そして、広大な遊び場だった。
「なあ、ちょっとだけやすもうぜ」
「……そうだね」
三人は踊り場に仲良く並んで腰掛ける。
アルトは手にしていたランプを床に置いた。
魔力による光を封じ込めたランプは常に一定の灯火を提供し続ける。ぼんやりと明るい光はほのかなぬくもりを三人に感じさせた。
きゅるるるる……とアルトの腹の虫が鳴いた。
「……何か食い物持ってくるんだった……」
「蒸しパンがあるよ……」
ごそごそとユージーンはディオルの背中の袋から蒸しパンを取り出した。
「ジーン、これどうしたんだ?」
「……じっけんしつのビーカーでつくったんだ」
「おれもてつだった」
ディオルが心持ち自慢げな表情で言う。
その蒸しパンは確かに実験室ビーカーの形をしていた。
「ざいりょうはまともなんだろうな」
実験室にフリーパスのユージーンは時々怪しげな実験をしている。人体実験の材料にされるのはだいたいアルトだ。(ディオルは用心深かった)
「だいじょーぶ。まかないのおばさんからディオがもらってきたから」
「なら、だいじょうぶだな」
泣き虫のディオルは母性本能を刺激するのか、どうも女性陣……それも年配者……に受けがいい。特にまかないのおばさんはディオルを可愛がっていて、三人にいろいろとおやつをくれたりするのだ。
きゅるるるる……と腹の虫が鳴く。
日夜、あやしげな薬品づくりに利用されているだろうビーカーで作られた蒸しパンだったが背に腹は変えられない。アルトは、綺麗に洗ってあれば大丈夫と自分を納得させてかぶりついた。
「……ん、けっこう、うまい」
「じょうずにふくらんだでしょ。くろうしたんだよ。これだけきんとうにきれいにふくらませるのはさ」
現在、三人に特定の師匠はいない。師匠を決めるのは基本的には10歳以上。それも、生徒の方が選べるわけではなく、師匠が自分の弟子にして教えたい生徒を選ぶという方式だ。ちなみに15歳までに師匠が得られなかった人間は退学となる。
入学したばかりの生徒の入る初級クラスに一応は所属しているものの、三人は手の空いている人間に交代でいろいろなことを教わっていた。幅広い知識を身に付けることができると言えば聞こえはいいが、ようは、幼すぎてもてあまされているという方が正しいだろう。
「しっぱいさくもいっぱいあるよね」
「……しっぱいさくはどうしたの?」
「モグモグにあげたよ」
モグモグというのは、実験室を管理している錬金術の先生の使い魔だ。何でも食べることからモグモグの名で呼ばれている。
「ごみにするのはもったいないしね」
「……モグモグにくわせるんならいっしょだろ」
モグモグの胃袋はブラックホールだ。食べても食べても満腹した様子を見せることはない。その気になればこの世界すべてを食い尽くすことも可能だろうとアルトは思う。それほどにモグモグはよく食べた。
ユージーンがアルトの事を陰で「モグモグ2号」と呼んでいる事実をアルトは知らない。
「まあね。でもモグモグがよろこぶんだからいいでしょ」
「そうだけど」
ぼんやりとしたランプの光の中で三人は蒸しパンと甘茶の簡単な夜食をとる。
贅沢とはいえない……むしろ質素なほどの夜食だったが、とてもおいしいとディオルは思った。ユージーンの作った蒸しパンはまかないのおばさんには及ばないもののなかなかのデキだったし、何よりこうして三人で肩を寄せ合って食べているのが良かった。
「……これでなんかいくらいまできたのかな?」
「52かい」
ディオルのセリフにユージーンが即座に答える。
「うえっ、かぞえてたのかよ、ジーン」
「うん。だって、なんかいのぼったかきろくをとっておかないとさ」
ユージーンは、そう言って腕に抱えた本を開く。
開いたページには、塔の図面が載っている。
「このほんのきろくによると、108かいまであるんだよ。でも、ぞうちくとかしたかもしれないからさ」
「げーっ、まだはんぶんかよ」
アルトが思いっきり顔をしかめる。
「なにいってるの、はんぶんもきたんだよ。あとはんぶんだけでしょ。もうすぐだよ。おやつだってごはんだってまだたっぷりあるしさ。いちばんうえにいったら、しぜんまほうのせんせいからもらったチョコチップのクッキーたべようね」
自然魔法を担当している教師は見た目20代後半……何度も言うようだが、魔術師の年齢は見た目どおりではない……という美女で、ユージーンのことを気に入っている。はっきり言ってユージーンは眼中にはなく非常につれないのだが、彼女からもらうおやつはちゃっかり受け取るらしい。
「え、クッキーもあんの?やった」
(……たんじゅんすぎる……)
アルトは食べ物につられてすぐに元気になった。
それをわかっていて畳み掛けるようにあんな風に言うユージーンはやはり策士だ。
「ディオルもがんばろうね」
だが、ユージーンににっこりそう言われればうなづくしかないディオルだった。