05/02 anaロg
小鳥のさえずりを聴きながら、カードキーをかざした。木の葉を揺らして吹き抜けていく風の音と共に、シャッターはなめからに開いた。
「やあ、来たね」
いつも通り、彼女は真ん中の席に一人きり陣取って、本を開いていた。
図書室には他に誰も居ない。誰も、紙媒体なんていう過去の遺物と、その墓場などに興味が無いからだ。テキストを読みたいと思うならネットからデータで取得する。しかし彼女は、この人工太陽光が目に優しいんだと言って、気に入っている。確かに、森の一角を模し、木の葉を透けて落ちてくる陽の光や、揺らめく影までエミュレーションしたこの部屋は、皮肉にも人が少ないが故に落ち着ける。私から言わせれば、その影がチラついて読書の妨げになるが。
「またそんなものを読んで」
彼女の読み物の表紙を覗き込んで、つい口を突いて出るのはそんな言葉だ。タイトルは私も聞いた事があるという程度だが、ゼロ年代を特徴する暴力描写の強いスリラー。この穏やかな空間には似付かわしくないものだし、彼女と比べても、同じ事が言える。
「なら何故君は源氏物語を読むんだい? あれだって見ようによっては官能小説だ。面白いものは面白い、それで良いじゃないか。歴史があるかどうかなんて問題じゃないし、新しいものを封鎖したら次の歴史が生まれない。どうしてそこが解らなかったんだろうね、かつての大人達は」
「君の小説に対する愛情はよく解ったよ」
彼女は理屈っぽくていけない。多くの人は彼女を嫌う事だろうが、私はどうも、嫌いになれない。だから彼女に会いに、わざわざ休み時間を使ってやって来てしまうのだ。
「それはここの蔵書じゃないね」
「ああ、買ってきたんだよ。ちょいと大人びた服を着て、成人コーナーへ」
「危ない橋を渡る。捕まっても知らないよ」
「ご安心を。例え捕まっても、どっちにしろ君には関わり無い事だ」
身も蓋も無い事を言うものだ。
「でも、友達でしょう?」
「友達」
私の言葉をリピートして、しおりも挟まずパタリと本を閉じる。そして再び「友達ね」と繰り返した。
「毎日の様に読書の邪魔をするのが?」
「そりゃ、そういう側面もあるだろうけど。代わりに毎日話してる」
「ふむ。じゃあ、煩わしいものなんだね、友達というのは」
「それも側面。本を読むのと同じだよ。時間や意識は取られるけれど、その分実りはある」
「成る程ね、それなら納得だ。かねてから疑問だったんだよ。何故、人は群れるのか。そうして時間を浪費したい訳だな。この本と同じ様に」
やれやれ、だ。これだから、よっぽどのもの好きで無ければ彼女と話したがらない。
私が溜息を吐くと同時に、彼女がすっくと立ち上がった。休み時間が終わるまでまだ数十分はある。「どうしたの?」と尋ねると、
「いや、バッテリーが足りないんだ。読書というのはリソースを食う作業だから。しかし目を通して文章を取り込まないと、読んでいる気がしない。デジタルデータでは味気無いし」
「リチウムイオンなんて使っているからだよ。新型のに換えたら?」
「うちにそんなお金は無いよ。それに……」
一瞬そこで言葉を切って、私をちらりと見る。
「先程からエラーが出てる。君が友達と言い出した時からだ」
「嬉しいなら嬉しいって言ったら?」
「<嬉しい>がエラーになるもんか」
机に本を残したまま、立ち去ろうとする。呼び止めると、「それは貸すよ」と答えて、早歩きに出て行ってしまった。
彼女が去った後の図書室で、ふと空を見上げる。悠々と流れてゆく雲は嘘っぱち。ちょっと外に出れば同じ物があるのに、どうして作らなければならなかったんだろう。
デスクに、トンと小鳥が舞い降りてきた。おいでと指で呼ぶと、その通りに飛び跳ねて、私の指に乗る。重みの無い幻影は、私の顔を仰ぎ見て、首を傾げた。
「君くらい簡単なプログラムなら良いのにね。複雑だと素直じゃ居られないんだ」
それが面白いんだけど。
「ああ、お腹減った」
一日一話・第二日。