第二章『無知なる駒を絡ませて』(3)
《AM,11:50》
薄暗いジメジメとしたボロ洋館の中。かび臭い木製の床に座り込み、ホコリっぽい空気を吸っていた。
「あ〜……、ヒマやわー」
両腕だけ大きく伸びをし、真はあくびを噛み殺す。かれこれ数時間、何事も無く、このなるべく居たくはない空間でじっとしている。ホコリで喉が痛くなってきた。
「もぉクモでもカニでも何でもエエから早く来いっちゅーねんボケ〜……って警備員が言ってどないすんねんアホー!」
暇過ぎて自分でツッコんでしまった……空しい自己嫌悪が真を襲う。そんな真にお構いなしで、やっぱりボロ洋館は静かにたたずむ。切ない……そして空しすぎるっ!
……そうして十分が沈黙のまま経過した。遠くで正午を知らせる音楽が住宅街に響く。
重たい扉が開く音、木の軋む声……!?
正面の扉が開けられる音に、真は一瞬で精神を研ぎ澄まさせた。微かに数人が話す声がする……まだ真昼間だが、予告状の主スパイダーウェーブズかもしれない。
この部屋は正面玄関から真っ直ぐきた場所だ、ここからならドアを少し開けてエントランスの様子を覗く事ができる。ゆっくり、音をさせないように数センチ背中越しにドアを開け、侵入者達を見る。逆光で影としか見えないが、結構背が低い……五人はいるようだ。ドアを開けた事で、侵入者達の会話が今度はハッキリと聞き取れる。
「やった、今日は扉が開いてたぞ!」
「どうしてだろう……いつも閉まってたのに。何かの罠じゃない?」
「ね、ねぇやっぱりやめようよ……。ここは呪いの『蜘蛛屋敷』なんだよっ、幽霊に食べられちゃうよぉぉ〜」
「怖気づいたのか弱虫! 今日こそその謎を解明する為に来たんじゃないか、幽霊なんて俺様が倒してやるぜっ!!」
「よしっ! それでは三丁目探検隊、冒険に出発だー!!」
「「「「おぉーっ」」」」
「……」
真はガクッとバランスを崩す。どうやら近所の子供達が遊びに来てしまっただけらしい。微笑ましい光景だが、これはれっきとした不法侵入だ。自分にもこんな時期があったなァ……と感慨にふけりつつ、真は『三丁目探検隊』を追い返すべくドアを勢いよく開け放った。
「こらァ〜っ!」
「「「「「うわぁーっ!?」」」」」
真がエントランスに出て一声かけただけで、子供達は一斉に隊列を乱し、慌て始めた。まさか人がいるとは思ってもみなかったのだろう。
「出たぁぁ〜!!」
「だっ、誰だお前は!」
勇敢にも隊長らしき小学生の男子が真の前に棒きれを突き出す。自分の身長の半分しかない子供達をどうやって追っ払うべきか真は少し悩み、しゃがんで理由を話してやる事にした。
「あのなァ、ここは人の家やから勝手に入っちゃマズイんやで。あんさんらの遊び場所とちゃうんや、早よおウチに帰れ」
「ウソだっ。ココは蜘蛛屋敷って言ってな、幽霊の家なんだぞ!」
「ケンちゃん! きっとこいつもお化けなんだよっ、なんか変な言葉喋ってるし!」
「変ってなんや! 関西を馬鹿にしおったな関東人めっ、ワイかて元は人間や!」
怒って真は立ち上がり、ドンッと片足で床を踏んで『ケン』と呼ばれた隊長を睨み返す。強制追放に、作戦変更。
「なんでもエエからとっとと帰るんやっ」
入り口を指して子供達を押しやる真。しかし、子供達が大人しく帰るワケがなかった。
「こうなったらこいつを倒して先に進むんだっ、全員かかれー!」
「「「「おぉー!!」」」」
「え、あ、ちょっと待てェ! ……うぁっ、袋叩きなんて卑怯やで! 男なら正々堂々勝負しぃや!!」
「うるさい! そっちこそ大人が子供相手に本気出しちゃいけないんだぞ!!」
「まだ出してもないがなっ」
子供達が必死に真の膝辺りをポカポカ殴ってくる。痛いどころかくすぐったく、ある意味嫌な攻撃だった。仕方が無いので一人ずつ後ろ襟を掴んで持ち上げ、外へ放り投げていく。
「うわっ」
「いて!」
「ちっくしょー」
「あぁ〜ん」
最後にケンが残った。真は他の四人同様後ろ襟を掴もうとしたが、ケンの持っていた棒切れで手を弾かれる。
「ったく、観念しぃや」
「黙れっ、みんなの仇を討ってやる!」
棒を突き出したまま、ケンが突っ込んでくる。真は無防備に立っているだけだった。
「やああぁぁぁー!」
「……ホンマにしゃーないなァ」
ケンが気づいた時には、いつの間にか自分は男の後ろで背を向けていた。確かに相手を打ったはずのケンの棒きれは頭上高く舞い、同じく自分に背を向けている真の手にストッと納まる。何が起こったのか、少年には全くわからない。
「な、何を……」
「筋は悪うない。もうちっと大きくなったら頑張るんやな」
棒きれをエントランスの端に投げ捨て、右手に握った木刀を腰に戻そうとする。軽く薙ぎっただけだが、子供にはとても目に止まらぬ速さだったのだろう。
「あんた、サムライなのか!?」
「はァ? 侍って……」
先程とは違う、キラキラとした好奇心の瞳でケンが真を見上げてくる。今どき剣術などテレビの時代劇ぐらいしか登場しない、男子にとっては憧れとも言えた。
「あんたサムライの幽霊なんだな!」
「え、いや、うーん、半分は正解みたいなモンやけど……」
右手で握った木刀を見下ろして、真はふと気づく。
「あ……ワイって、もしかして落ち武者?」
「スッゲー! 金髪でも落ち武者っているんだな!!」
「いやァ〜、ワイも初めて知ったわァ、今時風やねぇ……って、ちゃうわ! こんな洋館に落ち武者がおるわけないやろ!! 幽霊は幽霊でも、ワイは警備員やっ!」
足掻くケンの襟首を掴み、玄関の扉まで引きずっていった。
「あ、おい待てよ! 俺にも今の教えてくれよーっ!」
「筋は悪くないって言ったやろ。……でもな、必要の無い力は手にせん方がエエ。いつかあんさんにもわかる」
子供を追い出し、重い扉を閉め切った。今度は内側から青銅の鍵を掛けておく。
扉に背を預けて立ち尽くしながら、真は投げ捨てた棒きれを見つめていた。いくら退屈だったからといって、子供に木刀を使ったのは愚かだった。どうせ当たったからといってどうという事はないのに。
……ただ、かぶってしまったのだ、ちょうどあれくらいだった頃の自分と。まだ表で《人間》として生きていた頃の……。あの頃は欲していたこの力も、今は忌まわしいだけ。
「……なァ、阿修羅……ワイはいつまで現世におればエエんやろな……。未練なんて残ってないんよ? なのに……あんたはいつまでワイをこの世に束縛する気や?」
目先に木刀……阿修羅の鞘を持ち上げ、真は哀しげな瞳で問う。しかし、刀が答えるはずはない。それでもしばらく沈黙した後、男は自嘲の苦笑を浮かべた。
「すまん、元はと言えばあんたのせいやなかったな。全部……ワイが犯してしまった罪や……」
どんなに許されない存在だとしても。それでも、護る為だけに用いられるならば……自分はこの刀と共に。
古い洋館にノック音が響き、真の回想は停止させられる。先程の子供達が戻ってきたのだろうか、何度もノックは繰り返される。真は呆れ顔で鍵を開けた。
「まったく、ちっとは懲りろって……」
「シンっちー! 会いたかったわ〜っ!」
真に飛びかかるように抱きついてきた女性は、長い三つ網の茶髪で、腹部が出るほどのピチピチの服に短いスカート姿。指に金の指輪をはめて他にも様々なアクセサリーを身につけていた。誰であろうこの人物こそ、真の愛妻『布瓜 友里依』(ふうり ゆりえ)その人である。
「なっ、ユリリンやんか〜! どうしたん、こんな所まで〜」
真の表情が瞬時に緩む。仕事中である事を忘れるほど、今真の感情は喜びで百パーセント満たされた。
「シンっちがお弁当忘れたから、届けにきたのよ〜っ」
「おおっ、なんて優しーんやユリリンはーっ! 愛しとるで〜我が妻よ〜!!」
「私もよっ、マイダーリン〜」
激しく抱き合って二人は広いエントランスでクルクルと回り始めた。既に夫婦は、二人の世界の中、花畑で踊るロミオとジュリエット……みたいな感じ。人はそれを、バカップルと呼ぶ。
こうして二人の異次元が築かれた頃、ロスキーパー達の多忙(?)な一日はやっと半分を迎えたのだった。
……蜘蛛の糸が、ゆっくりと静かに絡まっていく……。